《漫画》宇宙へポーイ!《小説》

少女漫画と小説の感想ブログです

君の重みが、僕を潰せば、新しい性癖の扉が いざ開かれん。

ぽちゃまに 1 (花とゆめコミックス)
平間 要(ひらま かなめ)
ぽちゃまに
第01巻評価:★★★(6点)
  総合評価:★★☆(5点)
 

ぽっちゃり女子高生・本橋紬(もとはしつむぎ)に衝撃走る!
残念なイケメンという噂の後輩・田上幸也(たがみゆきや)に告白され、二の腕を揉まれてしまう。なんと、彼はぽっちゃりさんしか愛せない男=ぽちゃまにだったのだ! 恋愛に、自分に自信のない全ての女子に送るラブコメ

簡潔完結感想文

  • 短編からの長編化。全8巻完結まで7年以上経過する牛歩な鈍足。ぽっちゃり だから。
  • 痩せるも地獄、太るも地獄。適正体重をキープし続けないと存在意義が崩壊しちゃう。
  • 二の腕は簡単に触れるが、手は繋げない。そのボディは彼だけを常時 悩殺している。

満な肉体を「ラブリー変換(©『悪魔とラブソング』)」して、ぽっちゃり と称した 1巻。

優しさから痩せることが出来ない設定の「ぽっちゃり」な主人公・本橋 紬(もとはし つむぎ)と、
過去に「ぽっちゃり」さんの下敷きになったことから、
「ぽっちゃり」の虜になった1年後輩の高校1年生・田上 幸也(たがみ ゆきや)の、
他に類を見ない、彼らだけのラブストーリー。

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ぽっちゃり体型の絵の横に ぽっちゃり と描き文字を添えるのは新人ゆえか…?

多様性の時代を先取りした漫画。
どんな普通の子でも主人公になれる少女漫画だが、
この「普通」はマジョリティを平均値化したものでもあった。

本書の場合は少女漫画主人公の1割にも満たない割合でしか存在しない、
間違いなくマイノリティの人間を主人公にした作品である。

たとえ読者自身と重ならなくても、ニッチな題材を取り上げたことで注目され、
他作品に埋没しない個性が生まれた。

しかし、言い換えれば武器は一つしかないともいえる。
主人公は体型の悩みから解脱できても、本書自体は 体型に縛られ続ける。

体型ネタのバリエーションを用意しているが、
主人公は太ることも痩せることも叶わないので、やがて作品は停滞期に入る。

体型に救われ、そして体型に苦しめられる連載だったと推測する。


書は2011年に読切短編が掲載されて好評につき(?)連載化。
その連載の終了が2019年。
『1巻』発売は2012年だが最終巻発売の2020年まで7年以上かかった作品。
作者の健康問題などがあったらしく、この超スローペースの刊行となったらしい。

図らずも、その出版ペースは本書によく合っている。
半年~1年に1回、主人公カップルの もったりとした恋愛模様を楽しむのが正しいように思う。

主人公たちの初々しい恋愛を実に丁寧に描いた作品だと思う。
作者の性格も きっと真面目なのだろうと推察される。

だが最大の欠点は、広がりに欠くことだろう。

長編として読んだ時に、同じ色合いで物語が続くので記憶に残らない部分がある。
勿論、熟読されている方は違うだろうが、
私の場合、思い返してみても何巻では何が起きた、
こんな巻だったと明確に思い出せない。

決して悪い作品じゃないんだけど、
ぽっちゃり という特徴を抜いたら、個性まで消えてしまった。

私には改善点の具体例は示せないが、作者も登場人物も生真面目すぎたかなぁ。


泉社の新人作家さん に散見される読切短編のちに長編化した作品。

この場合、連載でどこまで成長できるか、
連載を続けられるだけの作家としての体力や引き出しの数が試される。

女性に体型のこと、年齢のことを言うのは失礼だと思うが、
作者は ぽっちゃりではないだろう、そして若くはないことが推察された(正解かどうかは分からないが)。

白泉社の新人作家さんのパターンだと、
連載をテンションで乗り切るタイプも多いが、本書のテンションは変わらない。

騒がしいだけで実は中身のない漫画よりは、
主人公たちの恋愛を中心に据える続けた本書は好ましい。

ただし作者の冒険心の無さが、登場人物を内省的な性格にし過ぎた感はある。
物語に動きが無くて、精神世界の話みたいになっちゃったからなぁ。

もう二段階ぐらいコミカルに描いても良かったのではないか。
特に後半は物語がずっと薄暗くて、暗澹たる気持ちになった。
恋愛が どんどん重くなっていく。


そして1話で完結した話を続けると、綻びや矛盾が出てきてしまうのも事実。

例えば体型のコンプレックスを克服して、
ありのままの自分を受け入れているはずの紬は何回も後退する。

恋愛を通じて、これまでとは違う視点で自分を見つめ直す必要があるとはいえ、
独りで悩んでいる描写の多さには辟易とする部分もあった。


た、不用意に特定の人を傷つけないようする優しい気遣いが、
作品を毒にも薬にもならない物語にしてしまった気がする。

書名の『ぽちゃまに』は「ぽっちゃり まにあ」の略。
身も蓋もない言い方をすれば「デブ専」です。

主人公に、ふくよかな女性を据えているために、デブなどのネガティブワードは禁句。
作品内(終盤まで)では「ぽっちゃり」しか使用できません。
『4巻』では ぽっちゃり当人が、『7巻』で初めて揶揄の言葉として使用されていた)

この配慮が本書を端的に表しているように思う。

恐らく作者は「ぽっちゃり」体型ではないのだろう。
門外漢だから、当事者を傷つけないように徹底的に配慮がなされている。

腫れ物に触るように、傷つけないようにしているから優しい世界が現れる。

ただし、その配慮が隔靴掻痒の感に繋がっているのも確かである。
優し過ぎて生温(ぬる)く思う場面もあった。

作中で主人公が異性から棘のある言葉を言われることは無い(無かったはず)。

時に同性からの言葉の方が辛辣であるように、
同じ属性にいる人間の言葉は容赦がない。

傷つく人も一定数はいると思うが、
案外、その属性の人たちは自分の特徴に磊落な場合も多いような気がする。

なので、いっそのこと ぽっちゃり体型の作家さんが、
自分の体型をカラっと笑いに変えるような作風の方が気持ちが良かったかもしれない。

本書の場合、作者の遠慮と脂肪の壁に阻まれて、物語の本質に触れられない気持ちがした。


の体型ゆえに、昔から からかいの対象になっていた紬(つむぎ)。
ダイエットを試みるも失敗し、自分が嫌いになりかけていたが、
「あたしくらい は あたしを好きでいよう」と心構えを変えたことから、笑顔を取り戻した経緯がある。

高校生の現在も、クラスメイトの男子たちから性格は良いが、体型がネックと評価されている。
しかし この時、クラスメイトたちも「デブ」の2文字を使わない。
過剰な配慮は、かえって隠したい物を際立たせる気がする。

また、そんな配慮の割に、下ネタが やや直接的なのが気になる。
女性同士の遠慮のない下ネタといった程度なのだが、
デブと言わない優しい世界とは少々釣り合わないと感じた。

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子供に無理をさせてまで自分の生き甲斐を優先する この人を許すことは出来ない。

彼女が、なぜ痩せないのか、なぜ太ったのか、その理由もしっかり用意している。
本書と主人公の存在意義はぽっちゃりであることなので、禁ダイエットである。

この体型の理由は料理好きの母親が沢山ご飯を作ってくれて、
それを残すと母が悲しい顔をするので、精一杯 応えようとしてしまうからである。

それは紬の温厚な性格と相まって、分かりやすい経緯なのだが、
そうすると、今度は原因となっている母親の在り方に疑問を持つ。

栄養のバランス・カロリーの計算をせずに自分の好きを押し付ける母親はいかがなものか。

もちろん、紬の優しさで過剰に摂取しているのだが、
母も食事を残すと涙を流して悲しんで、彼女を精神的に追い込んでいる。

そして この母親、自分は痩せているのだ(『2巻』から本格的に登場)。
私はここに一番疑問を感じる。
一家揃って、ぽっちゃりならば理解はできる。
痩せにくい体質の人もいるだろう。
食べることが当たり前の環境も出来上がるだろう。

母親が痩せているのは「胃下垂」だという説明が『2巻』にあった。
…となると太りにくいのは彼女の体質で、
それを非難するのは、痩せにくい人に太ってることを敢えて指摘するぐらい卑劣なことか。

太ってるのにも痩せているのにも理由があるのか。

それでも家族を肥満にさせて健康上のリスクを負わせているのに、自分はその外にいるのは変わりない。
親として娘たちの食生活のコントロールをしていないのは明らかだ。

特に幼稚園児の妹がこの頃から太っているのは、将来的なリスクが高い。
母の独善が、今後何十年にも亘って彼女の健康を脅かすだろう。

作中では母親を、理解のある聖女のように描いているが、
私には とんでもない毒親にしか見えない。

少しネタバレになるが、紬の将来の目標がアレなのも母を反面教師としているのでは?と疑ってしまう。
その道を進む時に彼女は、母親の食育が間違っていることに気づくだろう。


ーローは、ぽっちゃりマニアの田上くん。

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誰か田上くんの腹筋でも ずっと撫でてよ。それで彼も自分の行為の迷惑を自覚するだろう。

残念イケメンと名高い彼。
彼が「残念」なのは、女子生徒にとって彼のストライクゾーンが ぽっちゃり限定の狭い所という意味もあるが、
いきなり女子高生の二の腕を了承もなく揉む点にあるだろう。

初登場が読切短編だったので、インパクトを与えるキャラ設定だったのだろうが、
なかなかに非常識な人間である。

いつもは物静かな青年であるが、この部分だけは俺様ヒーローである。

1話で突然キスしてくるような男と、
二の腕を揉みしだく男、皆さんはどっちが お好みですか?

田上に関しては、満たされているといえば満たされているし、
不遇といえば不遇なんだろうけど、
コミカルな不遇でいて欲しかった。
やっぱり、本書は暗い印象ばかりが残っている。

ちなみに彼は、二の腕は躊躇なく揉みしだけるけど、
手を握る勇気は出ないし、彼女の水着姿を直視できないという可愛い一面を持つ。

彼女の「ぽっちゃり」に触ることは迷いがないが、
紬自身に触れることは躊躇してしまうらしい。

もちろん、作中で田上くんの中での、紬と「ぽっちゃり」との違いも明確になっています。


タクの自分に恋が落ちて来るとか(『私がモテてどうすんだ』)、
陰キャの私が学校一のイケメンにとか(『影野だって青春したい』
あるがままのヒロインを受け入れてくれる人をヒーローが登場した平成後半の少女漫画界。

本書も その系列の一つだろう。
現実世界では恋愛に作用しないマイナスな特徴も、漫画の中では大きな個性となる。
マイノリティ主人公の活躍は少女漫画の形式を広げる可能性を持つ。

ただし異様にネガティブなことを売りにした『影野だって青春したい』もそうだったが、
その出発点に足を引っ張られるのも煩わしいところである。
悩みが全て解消してしまえば物語が終わってしまうのだ。

この辺りは実に難しい題材である。

ずっと太ってなければならない。
紬はいつも温厚でいなければならないが、何も考えないバカに見えてはならない。
ぽっちゃり体型が獲得する幸福を描くが、
痩せている人を冷遇しすぎると不平等な世界が構築されてしまう。

ニッチな題材なのに、万人に受けなければ少女漫画が成立しない。
「普通」を描かないことは、こんなに難しいことなのか。


っと気になっていたのは、
ぽっちゃり体型を描いているのに線が固い気がした(特に連載初期)。
漫画表現の中では普通体型よりも紬ぐらいのぽっちゃり体型の方が数段難しいのだろう。

私の読書歴の中では、いくえみ綾さんの『カズン』以来だろうか。
ぢゅん子さん『私がモテてどうすんだ』の主人公もぽっちゃりだったが、第1話で痩せちゃいましたね。

あと、ぽっちゃりの利点として温かいことを挙げていて、
友人たちは寒い日に紬をカイロ代わりにしている。

が、ぽっちゃりの人には暑がりの人も多いのではないか。
友人たちは重宝しているが、本人は不快だったりして…。

紬の生き方はストレスばかりが溜まりそうである。