青木 琴美(あおき ことみ)
僕の初恋をキミに捧ぐ(ぼくのはつこいをきみにささぐ)
第10巻評価:★★★☆(7点)
総合評価:★★★(6点)
事故以来、原因不明の頭痛に襲われていた昂は、恋人の五十嵐との電話中に倒れ、脳死と判定される!その昂の心臓が逞に移植されることに。昂の死と引き換えの移植に悩む逞は…!?
簡潔完結感想文
- 女性を悲しむ未来から救うのが昂の役割。逞と繭は心置きなく幸せになるはずが…。
- 昂の時間が やっと動き出したと思ったら止まった。そしてバトンは渡されるのか?
- 10巻にして初めて他者の気持ちを推察できるようになったヒロインの成長に涙する。
カルネアデスの板の上で、倫理の海を漂うことになる 10巻。
本書で3つ目の死が訪れる。
1つ目は主人公・逞(たくま)と同じく心臓病だった照(てる)の死。
2つ目は交通事故死。唐突に奪われる死だった。
そして3つ目が脳死。
本来、この3つ目の死は、逞に これからの「生」を与えるものであった。
ここ2,3巻ほど逞の心は、愛する繭(まゆ)のために生きたいと希求し、彼に心臓移植の道を進ませていた。
だが、本来ならば秘匿され、第三者から提供を受けるはずの心臓が、
誰から移植されるかを逞は知ることとなり動揺する。
こうして本書は心臓移植を巡る現実を多方面から照らす。
臓器移植は脳死を待って行われるものであり、移植を待つということは誰かの脳死を待つということでもあった。
顔も知らない人なら喜んで受け入れたものなのに、顔を知る人だと そこに罪悪感が生まれる。
現実世界なら、厳重に秘匿される情報を一部開示し、
臓器を提供する者、移植を受ける者の2つの周辺事情を描くことによって、
安易に答えの出せない問題を問い続ける。
難病を取り扱う少女漫画の多くは、行動制限や添い遂げられない未来と言った描写までのことが多いが、
こうやって現実を えぐるように描く作品は稀である。
デリケートな問題に逃げずに描き抜いたことが、小学館漫画賞に選ばれた理由の一つではないだろうか。
この死が周到に準備されていたと思おうと胸が潰れる思いがする。
作中で、脳死判定を受けた昂(こう)の あごに髭が伸びてきたことで、
彼の肉体はまだ生きていることを周囲の者たちに再認識させてしまう場面がある。
髭といって思い出されるのが、
中学1年生当時の逞が、中3の昂が朝、髭を剃っているのを大人に感じていた場面(『2巻』)。
昂と、昂の弟で、逞と同級生の律(りつ)が中1で髭を剃ることに やや違和感があったが、
これも昂と髭を印象付けるための場面だとしたら、その悲しい伏線に涙が出そうである。
また先日、京都で繭と一夜を過ごした翌朝に、今度は逞は髭を剃っていた(『9巻』)。
中1の頃から5年が経過し、今では逞も男性であることが示される場面であろう。
このように本書では髭が伸びるのは男性の証、彼らが生きている証となっていた。
僅かな変化の中に、彼の生を見出し、そこに縋りつく周囲の慟哭が胸に迫る。
この結末を知って再読すると気になるのが、本書で一番の乱暴者・繭の、昂に対する暴言の数々。
繭が昂に ぶつけた「死ね!!」や「一生死んでろ(『3巻』)」という言葉は、この結果を見越してのことなのだろうか。
特に後者の言葉の重さと言ったら ない。
今回、繭の回想の中に出てきたように、
昂は、半分ふざけながら、半分は本気で繭の気持ちを救おうとしてくれていた。
いつだって女性を救うナイトであり続けてくれた昂は、
今回、自分の人生の最期に繭の一番の願いを叶えてくれようとしている。
2人が大好きな人の心臓を受け取って、その人と共に生きる。
それは物語的には非常に美しくまとまった結末になるが、当事者は そう簡単に割り切れない。
自分の生が、大好きな人の死の上に立っていることを許容できるか。
本書が問い続ける問いは、あまりにも難しい。
そもそも心臓移植を受けた人の心臓がどうなるかなんて、考えたこともなかった。
移植を受けられるだけで幸運だという認識だったけど、
他者の心臓を迎え入れる代わりに、自分の心臓が捨てられるという事実は喜びを相殺させるぐらいの衝撃だ。
これは逞に、心臓移植への考えを再考させるようになったのかな。
100%の自分で、繭を愛し抜くこと、それが逞の望む未来の形なのだろうか。
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序盤は昂の恋から始まる。
大学の同級生・五十嵐(いがらし)から好意を持たれていたことを知る昂。
周囲にはバレバレだが、昂は博愛主義の割に、相手からの好意には鈍感らしい。
この恋愛話は、高校の同級生3人組と飲んでいる時に行われているが、
他の2人も五十嵐のことを知っている前提で話が進んでいる。
この人たちは大学でも同級生なのだろうか。
そこの説明ないままだからモヤモヤする。
昂は、女性が悲しむ未来から救いたい、という気持ちが根底にあるらしい。
今回も、バイト先の節操のない男性が、五十嵐を酔わせた後に性行為に及ぼうとする未来から、彼女を救った。
繭に初恋を捧げてからというもの止まっていた昂の恋心。
それを動かすのは、五十嵐の真っ直ぐな気持ちと、彼女を守りたいという騎士道精神だろうか。
そうして身体を重ねる2人だが、
昂も、逞と同じく最初で最後の性行為になってしまった…。
幸せに水を差すようなことを言えば、昂が五十嵐を求めるのは最後の性欲の高まりとも言える。
逞の時と同じように、限界を迎えつつある肉体からのシグナルが発せられたのではないか。
2時間 離れるだけでツラいのも、タイムリミットと性欲の証拠とも言える。
子孫を残したいという欲求が、彼女への愛に変換されているのかも。
まぁ、最後の最後までこんな意地悪なことを言わなくてもいいと思いますが、
人間もまた本能に従う生き物だと考えると、こういう見方もあるのではないか。
昂が、繭にも逞にも彼女ができたこと話すのは、
自分が幸せになったことを報告して、
完全に2人のことを祝福できる立場になったことを示すためだろう。
これによって2人は気兼ねなく昂と友人として付き合えるはずだった。
また、この報告が昂が幸せの絶頂であることを意味している。
だからこそ、直後の落差が大きく感じられる。
ただし、ハッキリ言って、昂と五十嵐の恋愛は浅い。
五十嵐には悪いが、昂が幸せであるという記号的意味しか感じない。
もうちょっと前から恋を仕込んで欲しかった気もするし、
昂の恋愛が更新されるには五十嵐は弱い。
この後、昂の眠る横で家族を差し置いて泣き叫ぶのも ちょっと越権行為のように感じられた。
ここもまた、心臓病患者の家族以外の、昂その人に執着する人が必要だったのだろうけど。
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だが、昂は病に倒れる。
医学的判断は脳死とされた。
そして直前に昂はドナーカードを所持していたため、
彼の心臓は逞に提供される可能性が高くなる。
ここで繭の父親が、ドナーについて言及するのは、因果関係が逞から見ても明らかだから。
勿論、秘匿されるはずの情報を医師が開示してしまう、というフィクションを織り交ぜているのだろうが。
ここで昂の母親が、自分の息子の心臓の提供に躊躇がないのも、彼女が心臓病患者の家族だからだろう。
間接的であれ、誰かの脳死を待ちわびていた辛く長い3年間があった。
心臓移植を待つ者にとって、移植の知らせは福音であろう。
脳死がもたらす臓器提供の側面を知っているからこそ、彼女は決断が早かった。
生きたいと願う逞だが、
よく知る昂の心臓を譲り受ける心理的障壁、
そして それにより本来の自分の心臓が廃棄される事実、
生来の自分ではない者として繭を愛することができるのかという未知の状態が待っている。
同じ病院内に昂がいるため、昂の周囲の人間の慟哭も聞き漏れてしまう。
特に五十嵐の反応は、多くの臓器提供者の周辺の者によく見られる取り乱し方だろう。
昂の家族のように、静かに受け入れることの方が珍しいのだ。
繭も また昂の周辺と逞の心の動きを逐一感知していた。
逞の懊悩がよく分かる繭は自分の願望や感情よりも、逞の気持ちを優先する。
自分のためじゃなく、逞が望む生き方をして欲しい。
たとえその先に死があるとしても…。
ラストの繭の言葉は正直である。
利己的なところがあることも承知で自分の気持ちを素直に伝える。
その上で出した繭の結論は、それ以前の繭のワガママ・幼稚性とは大きく違っており彼女の成長を感じる。
繭は本当の意味で、逞を愛しているんだな、と思った。
だからこそ、より胸をえぐられる気持ちになるのだが…。
「もっと生きたい…」…
本編開始前に、小学生時代の逞と繭を主人公とした病院ホラー。
病院内の子供に しつけをする意味では有効な話だろうが、
逞のような重病の患者に、病院内で死ぬという現実の恐怖を植えつけているような気がする。
そして深夜2時に病院にいる繭が謎すぎる。
親に無断で出てきているのか、親は許可をしているのか。
そして病院泊が当然のような暮らしながら、繭の母と逞は18歳まで一度も会わないという。
繭の家庭環境の冷たさが、一種のホラーである。