《漫画》宇宙へポーイ!《小説》

少女漫画と小説の感想ブログです

主人公が今 何歳か、絵からは判別がつかないので、読者が各々 肝に銘じて読むべし。

僕の初恋をキミに捧ぐ(3) (フラワーコミックス)
青木 琴美(あおき ことみ)
僕の初恋をキミに捧ぐ(ぼくのはつこいをきみにささぐ)
第03巻評価:★★★(6点)
  総合評価:★★★(6点)
 

繭を遠ざけようとする逞だったが、ふたりは友だちとしてつき合うことに。そんなある日、球技大会で繭をかばって逞が入院してしまう。そこで初チューの相手・照ちゃんと再会した逞は…!?

簡潔完結感想文

  • 好きだから離れようとする悲しい運命の少年を友人(弟)は放っておけない。
  • 悲しむ運命にある少女を、その運命から逃れさせようとする生徒会長(兄)。
  • 家族が病気であること、喪うこと、金銭の問題、多方面から病気を映し出す。

谷(すずや)兄弟が大きな役割を担う 3巻。

本書の序盤は、1巻あたりの内容が薄い。
↑ に記載した あらすじ が、『3巻』の内容の全てである。
それどころか ラストの一文など『4巻』の内容に触れている。
それぐらい、特に何も起きない。

端的に言えば、互いに小学校の頃から好きな男女(逞(たくま)と繭(まゆ))が、
なかなか距離を縮められない、ただそれだけの話である。

現在12歳の逞は心臓病を患い、20歳まで生きられないことが本書の大きな特徴。
彼は1年前に自分の運命を知ってから、繭を悲しませたくないから、彼女から遠ざかる努力をしている。
その人に幸せになって欲しいからこその拒絶。
まだ少年という年齢の逞の悲壮な決意が、読者の心に苦く広がる。


良く喧嘩する2人の様子を見ていると、一見、心臓病は恋愛の足枷でしかないように思えるが、
作者は その裏でシビアな闘病生活を潜ませている。

例えば今回は、生徒会長の昂(こう)、そして その弟で逞と同室の律(りつ)の鈴谷兄弟の配置の巧みさが光る。

彼らの父親は逞と同じく心臓病患者で、治療の甲斐なく3年前に他界している。
容赦なく人の命を奪う心臓病の恐ろしい一例となり、
彼らを通して、大切な人を喪う絶望を描き、そして残された家族の生活を描く。

特に心臓病治療に伴う経済面の問題は、鈴谷兄弟の存在なくして語れなかったことだろう。

彼ら兄弟の母は父の治療費の捻出のために借金をしている(額にして1千万)。
破産宣告をする道もあるが、
彼らの母は、父の治療費でお世話になったお金を放棄することを全く考えていない。
例えそれが、治療といえる結果を得なくても。
家族の負担は患者の死後も続く、という切実な現実を突きつけている。

幸い、息子たちは優秀で奨学金に教育助成金を受けているから私立にも通える。
ただし患者という直接的な当事者でなくても、病は周囲の人に大きな影響を与えることが分かる。

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一家の大黒柱が心臓病に倒れてしまうと、家族は経済的な問題にも直面する。

この辺りの記述は作者がこのテーマを扱うにあたって、しっかりと勉強していることが窺える。
もちろん全てが現実に即した描写にはならないだろう。
所々に嘘を混ぜながら、作品としてドラマ性を演出する必要がある。

治療における経済的な問題を逞の側で描かないのは、
物語が生々しくなるのを避けたのか、それとも逞の家は裕福だからか。
確かに大きな収入源であったと思われる父の病気と、それによる経済的な問題の噴出は、
比較的大きな家に住み、ずっと犬のブリーダーをしている(であろう)逞の家の場合と大きく違う。

逞の家の経済的な負担について描かれないのは、
自分の病気のことしか頭にない視野の狭い逞には、経済的観点が抜けているという表現かもしれない。

ただし、逞の家側でしか描けないこともある。
それが小児患者を持つ親の途方もない悲嘆。
我が子が辛い治療に耐える様子、自由を奪われていくこと、
そして、恐らく親よりも長く生きられないこと。

患者は逞自身であるが、悲しみは それぞれの人に降り積もっている。


に中途半端な態度だと指摘されたこともあり、逞は再び繭と距離を取る。
その証明として、修学旅行で交換した繭の お守りを返却する。
それは結婚の約束の破棄と同義だった。

この場面、逞は ずーーっと お守り を持ってるんだ、と思ったのですが、
外見が急に成長しただけで、彼らにとっては1年前の出来事なんですよね。
体格から言うと3年は経ってる気がしてた(しつこい体格批判)
でも やっぱり、身体的変化と時間の経過の描写が合っていれば、もっと作品が素晴らしいものになったはず。

逞に近づくことすら叶わない繭の姿を見て、
逞と同室の律が、2人の橋渡しを勝手に買って出る。
それでも強情な逞に、律は恋愛関係を持ちこまない、友達になれば良いと提案。
妥協点を探していたであろう逞はそれを受け入れる。
ここでも非常になりきれない、逞の中途半端さが出てる気がするが。

律がお節介を焼くのは、逞に残された日々を有効に使って欲しいからだろうか。
逞が本心と裏腹の行動をしていることを、誰よりも知っているのは同室の律なのだから。

どんな形であれ、好きな人と一緒に居られることが、
後悔のない人生になると、心臓病患者の家族として思うところが ありそうだ。

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夢の中でしか繭に謝れない逞の苦しみ。それを知る者として、律は逞に お節介を焼いてしまう。

と律の兄弟は、心臓病で亡くなった父の三回忌を迎える。

家族と父の墓参りを済ませた昂は、繭を挑発する。
逞は「死ぬぜ?」

その言葉を聞いて、繭は涙ながらに激昂する。
「今度そんなこと言ったらアンタのこと殺してやる!」

作者も何も考え無しに選んだ台詞ではないと思うが、
ここで「殺してやる!」という言葉を使うのは賛否の分かれるところだろう。

それだけ繭にとって禁忌の言葉だったという表現として選んだのだろうが、
死に関して神経質な繭が、仮定であっても、人を殺すという考えが浮かぶのかという疑問もある。

もしくは、それが過去に人の死に直面した者(昂)と
まだ人の(逞の)死が未来のものであると思っている繭との大きな違いなのかもしれない。

人を喪う意味を誰よりも知っているのは、現時点で昂だろう。
人を愛した分だけ、悲しみは大きくなる。

昂の今回の攻撃的な言葉は父の三回忌で、彼なりに神経質になっていたから出た発言だろう。


わじわと気温が上がってくる頃に行われる球技大会。

男子に交じってバスケに参加する繭を快く思わない生徒が、
過激なプレーで、故意に彼女に怪我をさせる。

それにキレたのが、逞。
『1巻』の小学校の水泳の授業などと同様に、彼にとって繭を害する者は、誰であろうと敵なのである。

そこで繭に代わってバスケをするが、当然のように心臓がもたない。
倒れてしまい救急車で運ばれることになる。

通常の少女漫画ならヒロインの窮地を救うヒーローとなり、
胸キュン場面であるところが、逞は格好がつかない。
彼女を守るはずが、自分が倒れて運ばれる始末。

小学校の頃から変わらない逞の本質を表しているのだろう(といっても水着事件も1年前の話。)
ただ こういう発作をイベントのように繰り返すのは いかがなものか。

そして逞も自分をコントロール出来ないで、何度目の失敗なのか。
また、なぜ逞は怪我をさせた生徒に殴り掛からないで、いちいちバスケをプレーしたのかも謎。
作者は逞を暴力的な男として描きたくなかったのか、
それとも逞の運動神経がいいことをアピールしたかったのか。

こういう、無茶な行動も12歳の男子なら、
精神のコントロールが出来なくて当然であるが、
どうしても彼らは絵的にも思考的にも12歳には見えない状況が続くので、妙な違和感が生まれる。
この場面でも、いい歳して幼い、と思ってしまった。

そして学校内で「姫」などと近づきがたい存在の繭に、唐突に悪意をぶつけてくるのも不自然な流れに思う。

繭に怪我をさせた男たちも また中学1年生だ(ろう)から、男女の区別をつけたがったり、
そこを踏み越えてくる者への不快感を抱くような年頃なのは分かる。

しかし、繰り返しになるが、どうしても高校生ぐらいにしか見えないから、
読者だけが その幼さに面食らってしまう。

見た目も精神年齢も、12~18歳を行き来しているように思えて落ち着かない。