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少女漫画と小説の感想ブログです

連載中に登場した新技術の、夢のような万能性に物語の結末を託す。

僕の初恋をキミに捧ぐ(12) (フラワーコミックス)
青木 琴美(あおき ことみ)
僕の初恋をキミに捧ぐ(ぼくのはつこいをきみにささぐ)
第12巻評価:★★★☆(7点)
  総合評価:★★★(6点)
 

心臓移植以外に助かる方法が見つかった逞。しかし、その手術はとても難しいものだった。繭は逞の手術を受けることを望むが…逞の決心は!?感動の完結巻!!

簡潔完結感想文

  • 連載中に最新技術が登場したので盛り込んで路線変更した結果、心臓が余る事態。
  • 最終巻で ようやく『1巻』の場面と繋がり、ここから誰も知らない未来が始まる。
  • ラストはリドルストーリーと思いきや、2019年に公式方面から結末が明言される。

初の構想から進路を大きく変更したことが窺える 最終12巻。

本書の結末は当初の構想とは違う道を歩んだ結果だということが分かった。

なぜなら連載開始時には この世になかったiPS細胞という技術を、最終回付近で物語に組み込んでいるから(後述)。

この最新技術を導入することによって、作者は当初の結末を撤回し、新しい選択肢を選んだ。
物語が進み始めている中で進路変更をするのは、きっと想像を絶する労力と精神力が必要だったはず。
序盤の描写から矛盾を生まないよう、これまで以上に注意深く足を進めなくてはならない。
これは大きな挑戦で、作者に柔軟性が無ければ取らなかった選択肢だろう。
それでも しっかりと物語を完結させた作者の手腕に感嘆する。

実用化の難しさを無視して 万能性だけが先行した初期ならではの夢の技術として描かれる。

して そこから推察されるのは、従来の作者の構想。
これは想像でしかないが、おそらくは逞(たくま)・繭(まゆ)・昂(こう)の三角関係は、
形を変えて収束するはずだったと思われる。

具体的に言えば、脳死状態となった昂の心臓が逞に移植され、逞は昂の心臓で繭との一生を添い遂げるという結末だった、はず。

これによって分かるのは題名の意味。
『僕の初恋をキミに捧ぐ』は、逞の繭への気持ちだけでなく、
心臓移植をすることで、昂の初恋を繭(そして逞)に捧げる、という意味も生まれ、
男たちが二重の意味で、繭に愛を貫いた軌跡となるはずだったのではないか。

以前に逞が、心臓を移植されると本来の心臓の持ち主の人格が宿る、という話を担当医である繭の父親にしていたが(『10巻』冒頭)、
たとえ昂の心臓が逞に移植されても、大きく性格は変わらないと思われる。
なぜなら2人とも繭のことを心から好きな同士であるから。
物理的には男女2人だが、精神的には男性2人の愛が、1人の女性に惜しみなく注がれていく…、というのが本来の結末ではないか。
少女漫画としては美しい結末に思える。


そらく大きな分岐点は『10巻』のラストだろう。

逞が昂の心臓を移植することに躊躇が生まれるようにドナーの家族は揺れる。
そんな逞の様子を繭が察して、彼の悩みを振り切るような言葉をかけたことで、逞と作品の運命は大きく変わった。

繭に対して逞の母が憎悪したように、ここで繭が逞に泣きすがれば彼は繭のために心臓移植を決断しただろう。
だが、それは当初の構想。
ここで違う未来を選択するために、繭は強くなったと言える。

また昂が愛した/昂を愛した五十嵐(いがらし)の存在が唐突に思えるのも、作品の路線変更と深くかかわっているだろう。
逞が心臓移植をせずに、本来の肉体だけで生きる道を模索する中で、
逆に昂の肉体は この世界に留めておく必要性が出てきた。

昂の家族は 父の心臓病の経緯から、心臓の移植に前向き。
作者は逞の良き理解者として昂を配置しただけでなく、
本来ならば強いドナーの家族の心理的障壁を下げるために、昂の一家が選ばれたのだろう。
それは移植をスムーズにするための布石であった。

だが、昂の心臓が提供されない道を作品が歩むことによって、昂自体が宙に浮いてしまう。
残酷な言い方をすれば、この時点では昂は無駄死になのである。
心臓を提供するために脳死状態にされ、しかも その心臓が必要なくなる。

そこで昂の脳死を認めたくない者の存在が出てきた。
それが五十嵐である。
交際間もない彼女が家族の前で大きな顔をするのは、反対勢力にならなければならないからだろう。
逞・繭の母親といい、反対勢力がいないと、現実味がなくなって夢物語になってしまいますからね。

五十嵐の登場で昂は叶わぬ初恋から現実の恋にシフトしていった。
きっと心臓移植する場合は、五十嵐は一切登場せず、
昂が自分から愛した女性は繭ただ一人になっていたのだろう。


者が巧みなのは、昂が「生きている」からこそ出来るシーンを用意したことだ。
昂が証人として署名した あの婚姻届が有効なのは、昂が生きているからこそ。

そして今回の病院内での結婚式は、昂の現在の状態を最大限に生かす方法だろう。
関係者が一堂に会し、昂も参列できる この状況は彼を救う唯一の方法だと思われる。

今後、昂の家族がどのような道を選ぶかは分からない。
制度上可能なのか分からないが、再び臓器提供を申し出るかもしれない。
厳しい言い方だが、五十嵐も いつまでも昂の生にすがっているわけにもいかない。

でもきっと、逞と繭の結婚が、昂が生きた証となるのではないだろうか。
当初の構想とは違うかもしれないが、昂は2人の関係を結び続けている。


頭で紹介した、連載中に登場した新技術というのは iPS細胞である。
この新しい技術が、逞の心臓の治療に流用されることが、心臓外科医の繭の父から少しだけ語られている。

これは連載開始の2005年には全く世に出ていなかった技術である。
2006年のiPS細胞の作製の発表を受けたもので、2008年前後に早くも最新技術を取り入れたと言える。
本書はiPS細胞を最も早く紹介した少女漫画かもしれない。
ちなみに山中教授のノーベル賞受賞が2012年である。

この医学的な発見によって、逞の運命は大きく変わった。
心臓を移植せず、100% 逞の身体のまま健康になり、100%の自分で繭を愛し抜くことが出来るようになる。
難病が奇跡のように治る少女漫画の中では、現実に即した治療法といえる。

どこよりもiPS細胞を導入するのが早かった本書だが、
逆に、発表から間もない時期の、現実的な問題が噴出する前の「夢の技術」として捉えているからこそ、
大雑把な説明で乗り越えている部分も大きい。
iPS細胞は、こんなことにも応用できます、という当初の楽観的な予想を用いている。
この段階では ほぼ概念上の技術のはずだが、リスクはあるものの治療法として利用される。

ただ論文の段階の治療法を、逞が即座に受けられることに疑問を感じる。
医者だって経験が必要で、それは長い時間の経過を意味する。
論文読んだからといって、誰でも その方法を使えるわけではあるまい。

iPS細胞を使うということだけが 仄めかされているだけで、具体的な利用法は割愛されている。
この時点では誰も具体的な工程を描けないのに、概念だけ拝借しているから仕方ないが。

大体、医者の知識だけでなく、細胞の培養が必要だったり、ここから準備にも長期間の時間を有するだろう。
けれど逞には時間がないから、論文を読んでから たった3ヶ月で どうにかなってしまう。
iPS細胞を使うというアイデアは秀逸だが、リアリティとしては心臓移植の方が高かっただろう。
これによって昂の心臓を利用する読者の嫌悪感を回避できるが。

そして作品の掲載から15年余が経過してた現在・2022年でも、iPS細胞による治療は まだまだ実用段階とは言えない。
心臓移植が必要なほど状態が悪化した心臓を治すだけの夢の治療法にはなっていない。
(素人の見解だが、飽くまでも弱っている心臓の筋肉を補強・補完する役割ぐらいだろう)

この段階では、実用性の度合いが誰にも分からない状態だったからこそ、
iPS細胞が、ファンタジーのような奇跡に頼らない、リアリティある奇跡として使われることになった。


いたのは、逞の両親が、息子の病状と進行を全く知らない、という描写。
これは逞(そして繭)だけが現実の中で最も苦しんでいる、という状況の創出のためなのか。
なんだか納得がいかない描写だった。

逞は あと1年あるかないかの自分の時間を両親と暮らして親孝行をしたいと申し出る。
だが、息子の余命を知っても尚、息子に自分だけの道を歩いて欲しいと願う父。
これは母が息子を束縛しようとするのとは全く逆である。
ここでも浅はかな母と、思慮深い父という人格の大きさに明確な差がある。
どうやら これにも意味があるらしいが(後述)。

そうして再び、自分の したいことをすることに決めた逞。
だから逞は繭と両親の前で頭を下げて、繭との結婚の許可を貰いに行く。

ここでも繭の母だけが、娘の意思を無視した無遠慮な発言をして、不必要に人を傷つけいる。
作者の中では中年のおばさんはデリカシーの欠片も持ち合わせていない生き物なのだろうか…。

母の あまりにもシビアな物言いに反論する繭。
そんな女性たちの言い争いを鶴の一声で収めるのは、繭の父だった。
逞の担当医として、彼の願いを聞き入れ、自信の決意も新たにする。

こうして理解ある父親によって、結婚が許可され、病院内で結婚式が挙げられる。


こで ようやく『1巻』の場面に話が繋がり、ここから本当に誰にとっても未知の世界に進んでいく。

2人の結婚の届け出には、昂が署名した婚姻届が使われたらしい。
昂が記入したのが『9巻』(2007年)なので、この時点で、昂の生存=逞の心臓移植拒否が決まっていたのだろうか。

結婚式で両親に感謝の言葉を述べる新郎新婦。
逞たちは、母親が憎まれ役を買って出た、と解釈しているが、それはどうだろう。
自分の そうあって欲しい未来に子供たちを押し込めている気がしてならない。

ただ前述の昂のケースの五十嵐同様に、
高校生同士の結婚に対して常識的な反応をする人がいる必要性はあった。
でないと両親たちが、逞が病気だから甘やかしているだけの大人になってしまう。

あと、細かいことだが、2人が歩いてきたバージンロードが、明らかに2人分の横幅より狭い描写なのが気になる。
そして病院内の無数のロウソクが、繭のウェディングドレスに燃え移らないか冷や冷やしながら読んだ。

ロウソクを なぎ倒さないと進めない横幅だと思うが、限られたスペースに全員を描写するためなのだろう。

書の結末は、2019年のドラマ化の最終回に際して、
当時の担当編集者だった方のツイートによって一定の方向性が示された。
私は未読だが本書の「完全版」でも作者自身が最終回の解説をしているらしい。

いわゆる これが公式見解だろう。
もはや読者に反論する余地はない。

私は公式と逆の読み方をして、その勇気ある結末に感嘆したのだが、どうやら誤読だったようだ。
そう私が思った理由は後述するが、一つだけ言わせてもらうと、
ラストの数ページの黒枠の使い方は、現実ではないと思われても不思議ではない。
ただし、読み返してみると作者は「夜」ということを表すために黒枠を使っていることに気づく。
修学旅行のホテルを抜け出して京都に行った時にも ずっと黒枠だった(『9巻』)。

確かに作者の黒枠の使い方・習性を考えれば、ラストも単なる夜の表現である。
…が、夜を表現するのに黒枠を使う作家が多いかというと そうではない。
漫画を読みなれた者の多くは、回想や夢、現実ではないことの表現として黒枠を捉えているだろう。

なのに、まるで編集者は作者の意図を読み取れない理解力の浅い人が多くいたことにビックリした、と言っているのに少々不快感を覚える。
最後の最後で作者独特の分かりにくい表現になったことは、制作者側のミスでもあるのではないか。
ラストシーンは、なぜ夜でなくては ならなかったのか。
結末には納得がいくものの、表現方法としては疑問が残る。


の「誤読」の内容を書きますと、単純に言えば逞が死ぬ結末である。
上記の「黒枠」も含めて、状況的に死に向かっている話だと私には読めた。

その理由は、逞が自分の したいこと を全て したと考えたからである。
あれだけ離れると決めた繭と交際したこと、
最初で最後だったけれど身体を重ねられたこと、
小学生の頃から夢を見ていた繭と結婚をすること、
その全てを叶え、逞は手術室に運ばれていった。

もちろん最後に逞が手紙に書き記したように、
20歳での結婚式や、多くの人が経験する幸福を味わってみたいという願望はあるだろう。

だが唐突に死が訪れた人たちに比べて、逞の生は恵まれているではないか。
本来の明るい姿とは かけ離れた遺影を使用した照(てる)ちゃんとは違って、逞は自分の遺影も自分で決めた。

自分の死に方を決められるのは不幸の中の最大の幸福であることを逞は身をもって知っている。
なぜなら本書には3つの不慮の死があるからだ。


は この3つの死があるから、本書は逞の死で終わると信じていた。

1人目は照ちゃんの死。
彼女の死は心臓病で死ぬという現実を表していた。

2人目は交通事故で亡くなった女性の死。
彼女の死は予想外に死ぬという現実を表していた。

そして3人目の昂の脳死
彼の死は割り切れない死を表していた。

昂の死は、上述の通り心臓移植をする場合に意味があった。
提供する側の、本来なら知り得ない心の動きを知り、逞は その命を頂戴して生きる意味を知るだろう。

でも新技術を使って昂の心臓を使わない道を進んだから、3人の死が宙に浮いた印象になった。
昂を作中で死なせないかわりに、逞だけが都合よく生きたように私には思えてしまった。
これは心臓移植での生存では全く思わないことだろう。

私は読了後、本書は この3つの死をはじめとした 甘くない現実を ずっとシビアに描写していたんだと納得した。
そして そこに感動した。

昂の心臓を受け入れずに、自分の肉体で生きようとした逞は、最後の最後まで難しい手術に挑み、そして亡くなった。
これではヒーローの死という読者の望まない結末を描くことになるが、
その為の布石として3つの死が用意され、読者を死に慣れさせる準備をしていたのかと思い込んだ。
だから逞が繭と家庭を設けるという最後のシーンも、逞の生前最後の夢であると読んでしまった。

そうして甘い夢を読者に提示することによって、裏で逞の死を暗示しているように思えた。
その為の黒枠なのではないか、と。


た、逞の死という結末は前作『僕妹』の挑戦的な姿勢と繋がっているのかと勘違いもした。
(※『僕妹』のネタバレになる部分があります)

兄妹であるから、恋愛が一般的には成就しない絶望を描いた前作『僕妹』。
通常の少女漫画は、最終回付近で実は彼らが血の繋がりのない兄妹だったという逃げ道を用意するところだ。
でも『僕妹』では、兄妹である禁忌の前提から逃げなかった。
作品としては嫌いだが、作者の果敢な姿勢に感心した。

だから本書も主人公の運命=死から逃げないのだと思った。
勿論、私の勝手な思い込みと勘違いなのは承知しているが、3つの死が逞の死に繋がるとばかり思った。
最初に提示された前提条件をしっかりと踏襲した結末を描き切るのだと勘違いした。

しかし結果的に公式に、逞の生存は発表された。
そうなると結局、作者は恋愛を成就するのを阻む障害としてだけ、病気や周囲の死を利用したように捉えられかねない状況に陥った。

特に この結末と治療法では昂の脳死に意味が生まれない。
かといって、昂が目を覚ます未来を描けば、一気に物語がファンタジーになってしまう。
心臓の提供も許されず、ただ眠るだけになってしまった昂が あまりにも可哀想だ。

逞も昂と道連れにしろ、とは決して思わないが、
2人とも生かすために iPS細胞で解決を図った結果、物語が まとまりを欠いた印象を残す。

そうか、私は逞の生死の結末ではなく、昂の死に意味がないことに落胆しているのか。
作者のキャラへの愛情が、最後の最後で物語を歪めてしまったように思う。


「僕は妹に恋をする 番外編 ☆矢野くんのワンダフル・デイ☆」…
タバコをふかし女遊びをして、JKのパンチラを楽しむ中年のような男子高校生・矢野(やの)くんの生態。

『僕妹』の時点でも、矢野くんの軽薄さは苦手だったが、
それに加えて、この場所に この短編を収録する理由が分からなくて困惑する。
これならページ数を減らしていいから、本編の世界に浸っていたかった。