桃森 ミヨシ・鉄骨 サロ（とうもり ミヨシ・てっこつ サロ）
菜の花の彼（ーナノカノカレー）
第07巻評価：★★★☆（7点）
総合評価：★★★☆（7点）
菜乃花が来ることを信じてがむしゃらに戦い続ける隼太。しかし会場に現れたのは菜乃花を絶望させてなおあきらめることができない鷹人。菜乃花と隼太は今度こそ想いをつなぐことができるのか!? 第1部完結巻!! 【収録作品】菜の花の彼 番外編
簡潔完結感想文
- 疲労で目が霞んでも この大勢の観客の中から貴方を きっと見つけ出す。
- 大好きだから その人から拒絶されることが怖くて仕方のない男たち。
- 自分の絶望を素直に認められない鷹人は泣くことさえも出来ない。
鷹人が泣かないのは強いからではなく、弱いからである、の 7巻。
この『7巻』で「第1部」が完結する。これは連載の好評を受けての延長か、それとも当初からの構想だったのか判断が難しいところである。ただ鷹人（たかと）という稀有なダークヒーローの気持ちを昇華させるためには この続きも必要だったのかな、と思う。鷹人は恋愛面においては障害でしかないが、物語的には最高で最低の当て馬である。主役を食う役者のように忘れられない存在感がある。
第1部完 というだけあって『7巻』で恋愛的な決着がつく。いきなりネタバレになるが三角関係の敗者は鷹人である。けれど本書で泣かないのは鷹人だけである。菜乃花（なのか）は反省と幸福で、そして隼太（はやた）は自分の後悔で大いになく。だが隼太に泣く場面はない。
だからこそ鷹人の絶望の深さ、そして彼が そこから抜け出す難しさがあるように思う。失恋に泣けるほど彼が弱く（または強く）あったら、話は単純だった。だが彼はまだ自分の弱さに向き合えていない部分がある。菜乃花に素直に好きと言えるようになったが、彼の性格の歪みまでは治っていない。おそらく第2部は この辺に深く切り込むのではないか。
鷹人は菜乃花の絶望や悲しみを自分の瞳で見ることすら自分の愉悦に変換しているが、読者としては鷹人のそれが見たいところである。もちろん それは鷹人の俺様な態度に罰があって欲しい、ということではない。彼が表情筋を駆使して、自分の感情を その顔で表現することが、彼の救いになるのでは と思うからである。
『7巻』を読んで浮かんだのは「絶望バトンタッチ」という言葉である。
隼太は『5巻』前後で自分に絶望した。花火大会で菜乃花と鷹人のキスを知り、鷹人が怪我を負っているのに、菜乃花が動揺しているのに そこに手を差し伸べなかった。自己分析でも穏やかで優しいと思っていただろう彼は自分の本性を突き付けられ、自分に絶望した。
そして菜乃花は隼太に嘘をつき続けてきたことと その発覚があった。その上、自分の隼太への一方的なキスが、自分が大いに傷ついた鷹人と同種のものである現実を突きつけられ絶望した。
だが きちんと彼らは自分の弱さに向き合い、だからこそ「約束の地」である試合会場での再会を果たした。
一方で鷹人だけは土足で その会場に足を踏み入れている。そして鷹人は隼太の絶望を待望していた。菜乃花が来ない絶望を、菜乃花を発見できない彼我の能力差を味わうために この会場にいる。
しかし鷹人の黒い期待は全て打ち砕かれ、そして菜乃花の口から自分のアドバンテージが完全に失われたことを知る。菜乃花を傷つけてでも彼女の「今」というステージに上がろうとしたが、菜乃花が見せる表情も起こすアクションも全ては隼太のものでしかなかった。これが鷹人の絶望となる。
こうして絶望は鷹人に託される。ただし菜乃花は自分の言動が鷹人を絶望に落としたことに無自覚であろう。これは『6巻』で鷹人が無自覚に菜乃花を絶望させたのと同じだ。それぞれの涙や絶望の理由を分からないままなことに彼らの絶対的な距離や個人性を感じる。
もしかしたら一番 その思考を理解できるのはライバルである隼太と鷹人だろう。菜乃花の知らない部分も知りたいという欲求を延長させれば、おそらく彼らは相手の怒りや悲しみを理解できるのではないか。
鷹人は自分が素直な言葉を紡いでも少しも菜乃花の心に影響していないことを痛感する。玄関前での菜乃花との会話で、彼女は自分ではない何かを見て絶望していた。
鷹人は、菜乃花の隼太への一方的なキスは、自分が心に傷を負った鷹人のそれとは違うという彼女が望んだ言い逃れを粉砕した。だから彼女は絶望した。トラウマで恐怖の対象であった鷹人のキスに自分への好意が潜んでいたことで、自分の隼太を想う余りのキスもまた全く同じ暴力である事実に彼女は打ちのめされたのである。
それでも鷹人の言葉は確かに菜乃花に影響した。鷹人は菜乃花の感情が いつまでも自分に向かないことに傷ついてはいるが、菜乃花の絶望を見られたのは自分だけという特別性に歓喜する。素直になったかと思ったが、こういう歪んだ性癖は戻らないらしい…。
隼太は試合に勝ち続ける限り、菜乃花と指切りをして約束した試合の応援が実現されると望みを繋いでいた。だから大会の準決勝・決勝が行われる最終日、珍しく菜乃花にメールを送り彼女の応援を期待する。
そして隼太は試合に勝ったら菜乃花に告白をしようと考えていた。それはまるで花火大会で会えたら告白をしようとしていた『4巻』と同じ願望で、私には どうしてもそれは死亡・破滅フラグに思えてしまう。そういう希望が粉砕される不運が隼太には似合ってしまうのだ。
だから隼太は自分の肩が壊れてもいいから この試合の勝ちにこだわる。隼太にとって菜乃花が試合会場に来てくれることは、その約束をした時点に戻ることであった。指切りをした あの日、隼太は元カレ・鷹人の存在を知らなかった、その時点での菜乃花の秘密を知らなかった。純粋に菜乃花に惹かれた時の自分がした純粋な約束は全てをリセットする効力を持つという希望に隼太は すがっている。
それが果たされたら、もう鷹人の存在に惑わされることなく、隼太自身も菜乃花だけを見ていられるようになると彼は考えていた。彼にとって試合で負けることは、この愛が死ぬことを意味しているのではないか。
その試合会場に鷹人は姿を現す。もちろん隼太の応援のためではなく、菜乃花が来る気がする という野生の勘、もしくは鷹人には1人でいる菜乃花の位置情報が分かるという特殊能力が囁いているんだろう。
会場の真ん中で試合をする隼太は格上の相手に苦戦していた。徹底的にマークされ、そして蓄積された疲労と肩の痛みで目に異常がではじめる。これでは菜乃花が会場に来ても隼太は彼女の姿を見つけられないかもしれない。
菜乃花は隼太がメールを送った翌日の昼過ぎになって彼からのメールに気づく。そして彼を悲しませて裏切ってばかりの自分に まだ希望があるのなら と彼女は試合会場に走る。そして隼太は疲弊しながらも菜乃花の到着を確認する…。
だが その直後、隼太は倒れた。試合に勝利したこと、菜乃花が会場に駆けつけたこと、どこまでが夢か現実か隼太には判断が出来ない。もしかしたら菜乃花が来ていないかもしれないという恐怖が隼太に臆病な自分を自覚させた。
隼太は花火大会の日、鷹人に委縮して動けなかった。菜乃花から お別れのキスをされた日、彼女の口から明確な言葉を聞きたくなくて動かなかった。そして今日の試合も、菜乃花が会場に来ることを願って彼女を誘った。それは自分から彼女に会いに行き、そして絶望するのが嫌だから。隼太が勝利に固執したのは、勝ち続けていることは自分から何もしなくていいから でもあったのだろう。
この隼太の考え方は、中学時代の交際中に いつも遅刻してくる鷹人に似ている。鷹人は待ち合わせで菜乃花に先に到着してもらい、彼女がデートに来ない自分の惨めさを回避した。彼らにとって菜乃花の拒絶は世界の崩壊にも等しいのだろう。
そんな隼太の情けなくて泣く声を、菜乃花は医務室の外で聞いていた。実際、菜乃花は会場に来ていたのだ。しかし隼太に顔を合わせることなく、菜乃花は医務室から離れる。そこで鷹人と出会う。
菜乃花は自分が近づくことで隼太が笑顔を失い、知らなくていい感情を自分の一面を見させてしまったことを気に病んでいた。今回も自分の到着を見つけた瞬間に隼太は倒れた。これでは まるで菜乃花は自分が死神のように思えただろう。
隼太は約束の成就に張り詰めていた気が緩んで倒れたのだろうし、多くの観客がいる会場で菜乃花を確かに見つけた。それだけ菜乃花の存在が大きいということだ。鷹人は、隼太もまた自分と同じように菜乃花を見つけることが気にくわないに違いない。花火大会で彼女を見つけたように、自分は彼女にとって特別だから この能力を手に出来たと鷹人は考えていたのではないか。だが彼にとっても菜乃花がどれだけ大切な人か、そして彼もまた自分と同じ人種で同じ能力だということを思い知らされた。鷹人は自分だけのアドバンテージを失う。
そこで鷹人はわざと露悪的に振る舞い、彼女の中にある澱（おり）を全て吐き出させる。そうして あの日 菜乃花が見せた絶望の正体を知ろうという魂胆があったのだろう。彼女を知ること、隼太の知らない彼女の表情を見ることで自分を満たそうとしている。それが絶望であれ悲しみであれ、自分の前で見せる表情が鷹人は愛おしい。こ、怖すぎる。
だが菜乃花の口から吐き出されたのは自分の恋愛的なアドバンテージであった菜乃花とのキスを隼太も果たしていたという絶望だった。しかも そのキスは菜乃花からしたもの。それは鷹人が絶対に自分は望めないシチュエーションである。だが そんな鷹人の失意に気づかず、菜乃花は自分が隼太と歩く速度を一緒に出来なかったことが彼を不幸にさせたと涙を流して後悔する。
そんな彼女に鷹人は今なら自分は菜乃花の速さに合わせられると復縁を迫る。だが そこに隼太が現れ、菜乃花を促し、鷹人を置いて2人で走り去ってしまう…。恋愛の勝負は完全についた。
隼太が菜乃花の前に現れたのは、元カノであるマネージャーが菜乃花の来場を知らせてくれたから。だから今度こそ自分の方から菜乃花に向かって走るために鷹人たちの間に割って入った。元カノが この態度になるのは菜乃花との接触で菜乃花の隼太への深い理解に完敗したからだろう。急速な善人化ではなく、誰の行動にも背景があるのが本書の良いところである。
そして隼太は同じ速度で歩むことを約束し、彼女に初めて想いを伝える。菜乃花は隼太が汚れてしまった自分を好いてくれているとは夢にも思わず涙を流す。
こうして2人は両想いになり、自然に並んで歩く。もちろん全てが浄化された訳ではない。隼太の中には鷹人と過ごした時間や会話、そこでの菜乃花の心の中は分からないことであることには変わりはない。だが隼太は鷹人とのことは何も聞きたくない。それを無視できるだけの余裕と成長が今の隼太にはある。危ういけれど。
そして隼太は未来の約束をする。それは『3巻』で行った牧場の花畑が見頃の季節に2人で行くこと。そして隼太の中では その頃の自分は受験が終わり、中学に続いて菜乃花と同じ学校の生徒になることを夢見ていた。そうすれば隼太は菜乃花と2年間 同じ場所で過ごすことが出来る。でも隼太の将来の約束は、今のところ100％で破滅フラグなんだよなぁ…。
この時、話の流れから この日が隼太の誕生日だということが発覚し、菜乃花は隼太の望むものを してあげようとする。隼太が望んだのはキス。その終わり、菜乃花は涙を流す。彼女にとって人生3回目のキスだが、初めて お互いの合意のもとになされたキスで、その幸福感が涙として溢れたらしい。
一方、完全敗北を喫した鷹人は荒れていた。元々ダークヒーローだった鷹人だが、更に闇堕ちしている気がしてならない。
そんな鷹人が菜乃花に惹かれていく中学時代を描いたのが「番外編」である。
この話では隼太とマネージャーの交際の始まりも描いている。確かに『5巻』で菜乃花が指摘したように、優しい隼太は相手の望むように答えを発していることが分かる。そして それをしなかったからこそ菜乃花は完璧な両想いを手にしたと言えよう。
鷹人は好きという感情を理解しないまま、自分の苛立ちを解消するために、自分を苛立たせる対象＝菜乃花に近づいていく。高鳴る心臓の音や、それをさせる心の動き、その全てに名前を付けられたら、そして思わず期待してしまったラブレター、そこからの落胆、これらの自分の弱さに早めに向き合えたら鷹人は もっと幸せだっただろう。彼の不幸は彼によるもの。この現実が本書で一番 冷徹かもしれない。
