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少女漫画と小説の感想ブログです

私のために身体に傷を負った君と 私のせいで心に傷を負った君。そして私が傷つける私。

菜の花の彼―ナノカノカレ― 6 (マーガレットコミックスDIGITAL)
桃森 ミヨシ・鉄骨 サロ(とうもり ミヨシ・てっこつ サロ)
菜の花の彼(ーナノカノカレー)
第06巻評価:★★★☆(7点)
 総合評価:★★★☆(7点)
 

隼太に知られてしまった鷹人とのキス。隼太に釈明しようとする菜乃花。「あの人とキスしたのは 俺と出会う前ですか」隼太の問いに嘘はつけずに…。知ってしまった。知られてしまった。もう以前のようには向き合えない。身が切られるように苦しくて、切なくて、心が痛い。

簡潔完結感想文

  • 太陽のような隼太の表情を曇らせてしまった菜乃花は自分が去ることを決断する。
  • 菜乃花のキスは隼太を自己否定の沼から救うが、菜乃花が自己嫌悪の沼に落ちる。
  • 素直になる、という鷹人の逆転の切り札は、的確に菜乃花の心を切り刻んでいく。

通なら心を通じ合わせるような場面で心が崩壊していく 6巻。

『6巻』は冒頭で大きな出来事があるが、それ以降は同じことが視点を変えて繰り返し語られるなど、これまでに比べるとスピード感は落ちる。ただ物語は容赦なく主人公たち3人のメンタルを壊しにかかっている。特にヒロイン・菜乃花(なのか)の心を壊す過程と描写は見事。

菜乃花は自分が隼太(はやた)にした同意なきキスに対して深く悩み、どうにか自分を許せるラインを設けてメンタルの安定を図った。しかし鷹人(たかと)の言葉でトラウマを与えられた被害者の自分がトラウマを与えた加害者(鷹人)と同一であることを突き付けられ絶望に囚われる。ここで菜乃花が壊れるキッカケとなる自他の言動に悪意がないのが皮肉である。

鷹人の言葉は過去の恋愛を菜乃花に肯定させる力を秘めているが、「今」の彼女を絶望させる。

乃花がしたこと、そして鷹人がしたことは、一般的な少女漫画では状況を好転させる一手である。

例えば菜乃花が隼太にキスをしたのは、彼の自己嫌悪がピークに達し、彼が彼でなくなってしまう手前での行為である。男を絶望の淵から救う行為は「聖女」としての立場であり、菜乃花のキスがキッカケで2人が初めて想いを通わせる、という展開も見えなくもない。ただし菜乃花は自分が隼太に鷹人とのキスを黙っていたという罪悪感があるため、彼と向き合う資格がなかった。雑な作品なら、その辺をキスの勢いで乗り越えさせるところだろう。だが細かい心理描写を重ねる本書では それは許されない。実際に隼太は時間が経過すると そのキスで自分が救われたことを実感している。だから隼太にとって このキスは決してトラウマではない。
だが菜乃花にとって合意なきキスは性暴力であり、心に傷を負うものであることが、鷹人からのキスで体験している。性暴力の被害者として苦しみ続けた自分が、加害者になったことが菜乃花を苦しめる。被害者だった分、加害者に転落した時の衝撃は大きいだろう。


人が菜乃花に初めて素直に「好き」と言葉にするのも、少女漫画では大逆転の一手である。

これまで自分の照れを優先して、菜乃花に優しく出来なかった鷹人。だが今回 ようやく鷹人は自分の弱さを克服する。そして菜乃花が隼太と別離を選んだという状況的にも鷹人は有利であった。もし、鷹人が合意なきキス以外の話題で菜乃花に想いを伝え続ければ、精神が弱っていることもあって菜乃花は鷹人に傾いたかもしれない場面である。ボロボロの菜乃花に適切なケアを施し、そして今度こそ一緒の歩幅で並んで歩けば鷹人は菜乃花の「今」として存在できただろう(鷹人に そんな器用な真似が出来る可能性は低いが…)。
しかし本書は鷹人に それを許さない。救済者になるはずの鷹人が菜乃花の心に とどめを刺す。素直になったのに無自覚に菜乃花の息の根を止める加害者になってしまうのは鷹人の報われない部分である。

鷹人はキスをすることで菜乃花の「今」になろうとしたが、結局 そのキスは菜乃花を「聖女」にするどころか性暴力の加害者にし、そして そのキスが鷹人自身の純情を踏みにじっている。鷹人としては因果応報だが、キスという一つの事象が3人それぞれに影響を与え、全く別の意味でヒロインに絶望を与えていることに驚かされるばかりだ。

本来なら鷹人の素直な告白は、それに菜乃花が応えることはなくても、彼女の過去も今も救うはずだっただろう。鷹人との交際の傷は完全に癒え、自信を取り戻し、隼太と向き合えるはずだった。だけど その前に菜乃花は失敗を犯した(と思っている)。いよいよ隼太の前に立つ資格を失った菜乃花が、どう彼の前に戻るのか全く予想がつかない。告白もキスも、大逆転の一手は もう打ってしまっている。あんまり糸を こんがらがらせすぎて綺麗に ほどけなくなるようなことは止めて欲しいけど…。


人に対する嫉妬心、菜乃花に対する猜疑心によって隼太は自分の中の黒い感情に悩まされる。しかし それでも菜乃花を愛おしいという感情は消えず、過去と矛盾する自分に また悩む。だから菜乃花を避けていたのだが、彼女の方が隼太に飛び込んでくる。

会う覚悟も準備もないまま隼太は菜乃花に再会した。隼太は菜乃花に自分の苛立ちも上乗せして冷淡な言葉を吐いてしまう。だが そんな強い言葉や自分の黒い感情を誰よりも嫌っているのは隼太自身。菜乃花には それが分かるから辛い。そして隼太に こんな態度をとらせたのは自分の自己保身の心があったからでもある。隼太も自分と同じように相手の行動で傷ついて、そこに共鳴して惹かれたのに、今度は自分が彼を傷つけた。

そして隼太からの質問で鷹人とのキスが隼太と出会った後だと白状する。その答えに隼太は激昂し、自分が鷹人に並び立つために性急にキスをしようとする。だが理性が勝ち、途中で止め、そして冷静になって自己嫌悪を覚える。またも最低な自分を更新して隼太は羞恥と混乱で子供みたいに泣き始める。菜乃花は そんな彼の顔を優しく包み込み、キスをする。
それは菜乃花からの別れの儀式だった。彼の一番 嫌うことをして、彼のメンタルを壊してしまった。太陽のような隼太の明るさを この世界から消してしまった自分の責任を菜乃花は取る。

台詞もモノローグもなく、表情で隼太・菜乃花それぞれの自分への失望を描いているのが凄い。

太は突然のキス、そして その直前の自分の愚行に思考が追いつかない。だが翌日、菜乃花とキスをした あの川沿いの場所で先輩である健介に会い、少し話して頭を整理した隼太は、自分が菜乃花のキスで救われたことを自覚する。自己否定の沼に沈んだ隼太に菜乃花はキスで呼吸をさせてくれた。

だから隼太は部活に戻る。いつもの自分を取り戻すことは菜乃花の最後の願いでもあるから。
かつての自分がいた場所から歩き出せば自分は自己回復できると隼太は考えた。そしてチームメイトに頭を下げ、試合に出たいと願い出る。元々 隼太の不在で彼の存在の大きさを感じていたチームメイトは温かく迎い入れる。それでも自分を罰して欲しい隼太だったが、このチームで隼太を責める資格を持つ者はいない。マネージャーの一件で隼太に苛立っていた同級生も隼太だけが悪いのではないことを もう察知している。

そうして隼太はチームに戻り、そして勝利に貪欲な自分になる。菜乃花のキスには意味があったはずだ。


乃花が切り出した別れは彼女にとっても突発的なものだった。ただ隼太に回復して欲しくて、それには自分が要らなくて、彼女は隼太の前から去った。だが そんな自分の決断に菜乃花は苦しめられる。

そして自分の隼太へのキスは、自分がされた鷹人からのキスと同種なのではないかという点にも苦しむ。無理矢理とはいえ鷹人からキスをされ、そして それを黙っていることで隼太を裏切った。そんな自分が再び隼太を傷つけた。されたキスと したキスは主観的には大きく違うと言えるが、客観的な行為としては同じ。自分では善悪の判断のつかないから菜乃花は一層 悩む。

そんな時、鷹人から連絡があり、直接 会いたいと言われる。
菜乃花の家の前は鷹人にとって上手くいかなかった交際の象徴の一つ。どうしても素直に彼女を家の前まで送り届けることが出来ず、帰宅途中で2人は それぞれの家の方向に別れ、その後で鷹人は菜乃花が無事に家に入るのを隠れて見守っていた。それもまた素直になれなかった頃の自分の苦い思い出である。


んな菜乃花の家の前に立ち、今度こそ鷹人は自分の素直な気持ちを伝える決意を固めていた。

だが玄関先に出てきた菜乃花は消耗していた。明らかな異変を感じ取った鷹人は菜乃花に何があったか聞くと、彼女は隼太との別れを口にしたという。鷹人はそこに勝機を見い出す。そこには計算や打算があった。醜く歪む口元が その証拠である。
この絶好の機会に素直な彼女への恋情を口にすれば また菜乃花を取り戻せると鷹人は考えた。そこで鷹人は率直に過去の過ちを、幼かった自分を詫びる。

だが そこで今の菜乃花が一番 気にする合意のないキスの件について深く言及してしまう。そして鷹人は そのキスには相手を好きという想いがあったから、後悔はないと語る。
鷹人からの意外な告白だったが、菜乃花にとっては自分が卑劣だと思った鷹人のキスと、自分の好きの表現の一つである隼太へのキスが本当に同種であることが証明されてしまった。だから菜乃花は自分がしてしまった罪の深さについて絶望する。『6巻』での菜乃花のシーンは ここで最後だ。描かれない期間が長いと 彼女がどうなってしまったのか不安が募る。


分の信じる道を歩き出した隼太は夏の大会を勝ち上がり続ける。隼太に勝利への執念が生まれたのは、勝ち続けて試合数が多くなれば菜乃花が応援に来てくれるかもしれないと考えているから。勝ち進むことを自分の強さに変換し、そして改めて菜乃花に告白しようとする隼太。それを菜乃花が知ったら どんなに喜ぶことか。

だが彼の告白の前に立ち塞がるのは いつも鷹人。ある試合の終わりに隼太は鷹人と接触する。その再会に2人は目を見開いて驚くが、鷹人は菜乃花の異常の原因に隼太がいることを確信しており、彼と菜乃花の間にあったことを確かめる。

鷹人にとって隼太は、菜乃花が自分には見せてくれなかった菜乃花の一面を引き出す存在。だが そんな隼太にも知ることが出来ない菜乃花がいて、彼が そこに固執していることを鷹人は直感する。そして隼太が気にする「過去」について匂わせることで彼の感情を かき乱す。善人化したと思った鷹人だが、彼もまた恋愛の勝利を貪欲に目指す。

男たちは絶対に手に入らない菜乃花の一部分(過去や彼女からの好意)を全て手にしようとする。それは彼らの想いの強さであり、若さだろう。男性たちが どこで菜乃花に折り合いをつけるのかも今後の興味の一つである。