《漫画》宇宙へポーイ!《小説》

少女漫画と小説の感想ブログです

あの日すすった そうめんが 8年ぶりの家族全員での食事であることを僕達は まだ知らない。

おはよう、いばら姫(5) (デザートコミックス)
森野 萌(もりの めぐみ)
おはよう、いばら姫(おはよう、いばらひめ)
第05巻評価:★★★★(8点)
 総合評価:★★★★(8点)
 

「丘の上のおばけ屋敷」と噂のある空澤家の一人娘・志津は、実は「死者の魂を呼び寄せる憑依体質」。父親に病院に入れられそうになったところを家政夫男子高校生・美郷哲に助け出され、2人は哲の祖父が営む民宿に「かけおち」することに。そこで意外な事実が判明して……!? 憑依体質少女×家政夫男子高校生の不器用ラブ、恋も事件も急・展・開!!

簡潔完結感想文

  • 志津を助けたはずが、哲の家庭の事情が明らかになる序盤。隠し事は もうない、はず。
  • この巻でも意外な真実が発覚。中盤のシーンは再読時の方が、どの場面でも感涙必至。
  • 一番 大事な人を大事にするあまり、他の誰かを傷つけてしまう似た者同士の祖父と孫。

係を修復し これからも一緒にいられるようにするための ごめんなさい、の 5巻。

いつもよりページが増えている『5巻』。私の感想文も長くなるばかり…。

近づくと遠ざかる運命にある本書。憑依体質のヒロイン・志津(しづ)にも複雑なルールがあるが、この運命が本書の最も大きいルールかもしれない。これまでの4巻は主に主人公・哲(てつ)と志津の関係において適用され、彼らの接近は その反対の離反の前触れだった。

ただ今回は哲と志津の距離は離れることなく、近づくだけ。この2人の関係は おそらく盤石だろう。では何が遠ざかるかと言うと、志津と「中の人」である。この『5巻』では2人、もしくは3人の お別れが近いことが匂わされている。

それは これまで希薄だった志津の自我が育ってきている証拠。志津が自分を持たないから霊たちが志津の身体に入り込む余地があり、そして彼女の肉体を使い、生前のような行動が可能だった。
志津の成長は『5巻』でも顕著に表れている。哲にしてもらいたいことを言えるし、哲を守るためなら自分の意見も言い出せる。更に最後には自分にとって抑圧の対象とも言える父親にも しっかりと意見を言っている。彼女が「自分」を確立していくことは、他の人の棲む余地がないということに繋がる。

ここまで読んできた読者にとっては、中の人たちも愛着のあるキャラクタとして認識されている。だからこそ お別れが辛いのだが、志津のためを思えば 今の状態が不健全であることには疑いはない。
「守護霊」のように家族のように志津を守り、育ててきた彼ら。だが いつか子供が親から離れて1人前になるように、志津にも巣立ちの時が来たのかもしれない。でもそれは志津に本当の家族ができる予兆でもある。

いつか家族のもとに帰るために目を覚ます、というのが本書のもう一つのルールであって欲しい。


を覚ます、と言えば逆の時間(?)の夜の使い方について気になった。これまでも流星群の告白、夏祭りの告白があったが、この巻での布団を並べての2度目の告白や、母と娘の初めての抱擁なども全て夜に起きている。これは作者の意図だろうか。夜にあった素敵な思い出が蓄積されることで、志津は目を本当に目覚めるのかな。

そして何と言っても『5巻』最大の驚きは みれい の正体だろう。

以下、重要なネタバレ前提の感想なので ご注意を。

おまけ漫画も含めて分かるのは、玲(あきら)さん は家事が大の不得意という欠点を持っていること。みれい が出てくると志津の家を散らかってしまうのは そういう訳だったのか。

そして『5巻』中盤で志津が みれい に代わった後の食事シーンは、8年ぶりに家族で食卓を囲んだ感動のシーンだったことが分かる。何でもないようなシーンが、真相を知った後は大きく意味を持つ。ただ そうめん を食べているだけなのに、再読では こんなに涙腺を刺激されてしまう。

また、みれい さんが、外の世界に出て、出会いを求めたりしたのは、全て志津のためなんだよね(だと思いたい)。ジジイ・志信(しのぶ)と、オッサン・ハルミチでは出来ないことをするのが みれい の役割であって、19歳の志津が幽閉されていなければ出会うような人たちに、わざわざ無理をして、若作りをして出会わせてくれていた(と思いたい)。

でも考えてみれば玲にとって志津は親友の娘であって、間違っても傷物になんてしたくないはずだ。男性陣では出来ない男性との交流をさせたいだけで、肉体関係を前提とした出会いではない。まぁ玲という人のことだから若返った分だけ楽しもうと言う気持ちがありそうなのも否定できないが。

また そういう軽薄なキャラ作りだから、哲から反発され、信用されなくなる。でも そうやって哲と適度な距離感を持つことは彼女が情に流されないための自衛策でもあったのではないかと思う。また哲に やたら厳しかったのも、彼のがむしゃらな頑張りを見ていられないと思ったところも大きいだろう。


津が強制的に入院させられるのを前に、彼女と屋敷を抜け出した哲。向かうのは母方の祖父がやっている民宿。
志津を部屋に案内してから、祖父と孫の対話が始まる。そこで詳細な事情を話した後、哲は祖父に預金通帳と印鑑を渡す。これは父親が祖父に借りていた お金の返済のためだった。この行動の謎は後に判明する。

祖父の家に お世話になる代わりに日中、哲と志津(中身はハルミチ)は労働力として海の家で働く。
その休憩時間に2人は話しをする。哲が志津をここに連れてきたのは、避難場所以外にも志津に海という新しい世界を見せてあげたかったから。流星群も学校も全ては志津の未体験なことをさせてあげたいという彼の優しさ。単純に金銭で動いただけでは こうはならない。

この会話では哲が1話でのハルミチへの告白を肯定する場面が好きだ。性別で判断するのではなく人として判断して、たとえ騙されるような形でも哲は自分が抱いた好意を撤回しない。そういう哲の正しさは本当に素敵だった。
ハルミチは哲から「息子」と言われた直後に志津に強制転換する。その前のハルミチの満足気な表情からすると、この世への未練が薄れるとそうなるのだろうか。もしかして哲は、学校に特別な感情を持っていた志津だけでなく、中の人の心まで掬い、したかったことをさせていくのだろうか。


のハルミチ → 志津 への強制転換は、少女漫画的には志津が眠る前に起きなくてはならなかったのだろう。なぜなら ここから2人は初の お泊り回を迎えるから。哲は志津に注意を払うためにも一緒に寝る必要があるので同室で眠る(不純な気持ちではないが煩悩は生まれるし緊張はする)。

彼らが眠るのは哲の母親が使っていた部屋。飾られている写真には後に哲の両親となる男女と、志津の母親・早苗(さなえ)の3人の高校時代が収められていた。

この時、初めて哲の口から、8年前の母親の事故のこと、それから病院で眠り続けていることが明かされる。そして それが哲が志津に金銭目的で接していたことと関連していく。

哲は去年の夏、祖父と父の大人同士の会話を聞いて、母の入院費が嵩み、家族全員が人並みの生活をするためには収入が足りない現状を知る。それを補填するのが父の祖父からの借金だった。祖父は返却不要だと言ってくれてはいるが、彼の貯金も無限ではない。
そこで祖父は娘である哲たちの母親の延命治療を止めることを提案する。子供たちの進学と天秤にかけた時に そうすることがベターだと考えたからだ。
父はその答えを出す期限を1年後に設定した。そこまでで奇跡が起きなければ母の治療は止められる。


れは母の余命宣告に等しい。だが その余命は お金で買えるものでもある。だから哲は去年の夏、つまり高校2年生の夏休み明けからサッカー部を辞め、バイトに奔走した。母の命はもちろん、金銭面の負担、借金での心理的ストレスを この家から少しでも減らすために。命と直結しているとなると、大好きなサッカーを捨てられたのも納得だ。

そして怖がりの哲が、恐怖でしかなかった志津との交流を再開したのは母への思いからであった。怖がりで いつも母に守られていた哲が、それを克服し1人前の男になっていくことを母もきっと喜んでいるのではないか。

こうして哲は志津に自分の事情、そして志津を傷つけた経緯を全て話す。哲は志津に改めて好きだと伝え、それが全ての原動力であることを分かってもらう。志津は自分から手を伸ばし、哲が自分を嫌いじゃないなら手を繋いでもらいたいと申し出る。こうして2人は手を繋ぎ眠りに就く。


日、朝から哲以外の美郷(みさと)一家と千尋ちひろ)が到着し、すぐに祖父から3代の男たちの話し合いとなる。

長女の涼(りょう)は またも蚊帳の外にされ怒り心頭に発していた。自分たちも当事者だと訴え、志津と そして千尋を連れて庭に隠れる。この際、部外者だからと遠慮する千尋に涼が手を取り、大事な人に関わりたいのは自然だと言っていて格好いい。千尋も涼に見惚れたのではないか(もしくは哲に似ていると思ったか)。

事情を知った父は、哲の失態を頭ごなしに怒るのではなく志津に同情的な判断をする。
その話が終わると、祖父から父への話が始まる。哲が渡した通帳を出し、息子が この1年間で百万円以上のお金を稼いでいたことを知る。それは家政婦のバイト以外で、父に内緒で働いていたことを意味していた。父親は この日、多くの初出し情報に接する。デパートで会った(『4巻』)のが早苗の娘・志津であること、息子が部活を辞めたこと、バイトを掛け持ちしていること。

哲は、父だけが借金をするために頭を下げ、仕事を増やして身を削るように生きるのが嫌だった。だから自分も力になれることを身をもって証明したかった。それは母親を諦めたくないという意思の表現でもある。
この気持ちは かつての涼が兄に抱いていた気持ちと同じだろう。隠し事をされ 兄一人に負担がのしかかり疲弊していくのを見ているだけしか出来ない自分への苛立ち。高校生でバイトも出来る年齢に達していた哲だから黙って計画を実行した。今は中学3年生の涼も年齢が上だったら同じことをしたのではないか。

祖父は哲の行動を認めつつ、違う視点、彼らの母親であり、自分の娘のことを気遣う。8年間 意識のない中で生きている母が本当に幸せなのか。それが生き地獄だったら 生きることは苦しみを長引かせることだ、と意固地になっている哲とは違う方向から意見を述べる。

そして哲の過剰な一家への献身は祖父にとって耐え難いものでもあったのだろう。8年前から母親になりきろうとする孫の姿は痛々しかったようだ。

個人的な願い もしくは妄執で、他の人を不幸にしてしまう実例は志津の家の側で描かれていること。

んな哲への手厳しい意見に反論するのは、外で話を聞いていた志津。家族が大好きだから頑張ることは変でも歪んでもいない、と彼女は涙ながらに訴える。志津が自分の意見を持てることは かなりの成長の証だ。

闖入者により、話し合いは中断。言い過ぎた祖父は涼に責められ、父親は息子の行動をまるで知らなかったことに魂消る。

哲と志津は民宿から離れ、2人で木陰に座る。生き地獄という言葉に引っ張られる哲に、志津は家族のお見舞いの声、感触はきっと母親に届いて、それが良い影響を与えていることもある、と哲を励ます。人の心理状況を きちんと読み取り、かけるべき言葉を自分の中から取り出す。これは感情が発達した人間にか出来ない芸当ではないか。

この後、姉妹も含めた家族会議が開かれ、母親の治療は継続されることになる。そして家族の誰かが負担を背負うことをしないこと、隠し事をしないことが決められる。これが美郷家の新しいルールとなる。


の話し合いの前後から、志津がうたた寝して中の人は「みれい」になる。ハルミチから志津に戻ることが お泊り回には必要だったように、今回は志津から みれい になることが重要な意味を持つ。

志津の母親・早苗が民宿に駆けつけた頃、末子・鈴(すず)が行方不明になる。兄と姉が探しに出かけるが、鈴を山の中で見つけたのは みれい だった。
そうとは知らず屋敷では騒動が大きくなっていた。行方不明の話を聞いた早苗は、学生の頃 哲の母親と山の上の神社に遊びに行ったという情報を伝える。まだ誰も捜索に出ていないそこに哲は駆けつけようとする。だが霊感体質の千尋は、その山には よくない霊がいて、プール事件(『1巻』)の二の舞になることを回避しようとし、自分が向かうと申し出る。しかし千尋の提案を振り切り、哲は道案内を早苗に頼んで、2人で山へ向かう。どんな恐怖のリスクがあろうとも、自分が志津を迎えに行くという哲の男としての覚悟が見える。


苗は娘と向き合う勇気を持たない自分を責めていた。そんな彼女に哲は、お化けが怖い自分が それを平気になったのは慣れであると伝える。早苗に大事なのは娘と向き合う回数を増やして理解することなのだろう。そして一緒に立ち向かってくれる人の存在が大事だと哲は伝える。

娘の幸せを願う自分になりたいから娘を追うのだと早苗は言う。そんな母に哲は自分が一緒に立ち向かう人間になると申し出る。早苗の親友である哲の母親と よく似ている哲が、よく母と似たようなことを言うことが早苗には支えになったのではないか。

これまで助けてくれる人がいなかったのは、母自身が娘への態度を決めかねていたから。今は違う。

鈴が山に入ったのは、自分が家族の事情を知らずに わがままを言っていたことに気づいたから。そんな自分が嫌われるかもしれないと思って、家族から離れた。この家族は互いのことが大好きなのだ。

神社で寄り添うように眠る志津と鈴の2人を発見した哲は、志津の中に 別のモノが入っているのかと緊張するが、中の人は みれい のままで安堵する。みれい は早苗を認め、挨拶をする。それは志津ではない娘の姿だったが、早苗は志津に駆け寄り、強く抱擁する。それは彼女が娘への恐怖を、そして臆病な自分を克服した証拠でもあった。


宿に帰った4人。その中で千尋は みれい にタオルを差し出しながら声をかける。「おばさん」と。その呼び方は みれい の逆鱗に触れ、急いで千尋は 彼女を「玲(あきら)さん」と呼び直す。玲とは、哲たちの母親の名前。そして早苗の親友である。「みれい」の名前の由来は彼女の名前「美」郷「玲」で、漢字で書くと「美玲」なのかな。本書では志信(しのぶ)も霊の場合は「しのぶ」になってたりするから、ひらがな表記に違和感はない。みれい を漢字で書いていたら、早めにネタバレしていただろう。

みれい こと玲は、親友・早苗と対話をする。傍から見れば ただの親子の会話なのが この作品の面白いところだ。いつか この母娘も本当に語らうことが出来るだろうか。

まず玲は、夫の祖父である志信からの伝言を彼女に伝え、志津が多重人格ではなく、憑依体質であることを理解させようとする。更には、玲の病室で話しかけていた早苗の言葉を伝えることで、その信憑性を高める。そして どうやら玲は、志津の「中の人」の中で死んではいないイレギュラーな存在なようだ。

玲は 哲に取引を持ち掛けた早苗の弱い心を罰する。誰にも頼らなかった、頼れなかった臆病さが娘である志津の人生を大きく狂わせた。取引でしか自分を助けてくれないという狭い見解で、哲を苦しめさせ、志津にも傷を与えた。この時の玲の平手打ちは、親友としても哲の母としての怒りも入っているだろう。


津の中に入っている玲だから、志津が母親と一線を引いていることは間違いなく、今後、母娘の劇的な和解は期待できないと告げる。それでも早苗は、今後は娘と向き合うことを選ぶ。夫にも自分から志津と向き合う決意を伝えるという。

それを見届けて、玲は志津に戻る。哲たちに自分の存在を言わないのは、志津を母に会う道具として使って欲しくないから。伝えてしまえば また哲と志津の関係は歪むだろう。そして志津は哲のために みれいである時間を伸ばそうとするかもしれない。それは彼女の自我が希薄化する可能性があり、退行してしまう。それを阻止するために自分は我慢する。強い人だ。

早苗とも志津を通して話すのは最後にする。これもまた志津との関係を歪ませるからだろう。こうしてせっかく再会した友達との時間は瞬く間に終わる。だが抱擁した2人は再会を約束している。「大丈夫 いつか 全部 うまくいく」。

志津に戻った後も、早苗は娘を抱きしめ続ける。そして星空の下、早苗は娘に謝罪をする。


めんね と母親に強く抱きしめられた志津は、そこに仲直りの方法を見つける。だから哲とも仲直りをするため、彼の「ごめんなさい」を受け入れ、今後も一緒にいることを確かめるために彼に抱きつく。
これは夏祭り以来の抱擁で、志津に早苗との取引が発覚した哲が自分には抱きしめる資格がないと思った仲直りには最適な方法である。

早苗は一足先に帰宅し、志津が離れでなく両親のいる本邸で暮らせるように夫の説得に走る。志津には帰ってきた時に ただいま と言って欲しいと言って別れる。実際、早苗はすぐさま海外にいる夫を呼び戻し、必死に彼に言葉を届けた。

数日後、志津は哲を伴って家に帰る。母親に言われたように ただいま と告げるが返事がない。哲が2階を見回っていると、ある部屋から早苗の声が聞こえた。どうやら夫に閉じ込められたらしい。


の夫・貴志(たかし)は1階にいた。貴志は、志信に人生を狂わされた人だった。子どものいなかった息子夫婦に、街で見かけた遠縁の貴志を養子に取った。
志信はこだわりの強い性格らしく、志という名前が入っていることが跡取りの条件だったらしい。ちなみに志津の名前も、生まれるずっと前から志信が決めていた。

その日から貴志は急に上流階級の生活が義務付けられ、イジメられ、本当の家族は自分を金で売ったと知る。

そんな息苦しさの中で早苗と会って生きる喜びを知った。だからこそ早苗を少しでも悩ませるもの、苦しめるものを貴志は許さない。でも その排他的で融通のきかない性格は、もしかしたら志信譲りかもしれないと思わざるを得ない。


び貴志は志津の入院を提案する。急に早苗が志津に柔和になったが、それは無理をしているからだと貴志は思い込んでいる。なぜなら志津の誕生以降、早苗は苦しみ続けたから。それは貴志が志信に拾われてから苦しんだのと重なるからこそ妻を守りたい気持ちが強くなるのかもしれない。志信に実の親を奪われた貴志は、娘から実の親を奪おうとしている。

そんな貴志の話を、志津はきっぱりと断る。自分を大事にすると約束した哲に会えないことは、自分の願いではない。意外な返答に、親の言うことが聞けないのかと苛立ちを滲ませる貴志。それに対しも、あなたは お父さんだけど、お父さんじゃないと思うと静かに反論する。更に悪いことに、志津は自分を育ててくれたのは志信だと言ってしまう。志信に恨みを持つ貴志には その名は許せない。

2階で哲が扉を体当たりで破ろうとする音を聞いた貴志は階段を上る。一方、哲は扉を破壊できる道具を屋敷内で探す。階段を上がったすぐの廊下で会った両者。哲は貴志が再び志津を強制的に連行しようと知る。

男性たちは交互に胸倉を掴む。体格差もあり哲が胸倉を掴まれた際、貴志の暴力から哲を救おうと、志津と貴志が階段から落ちる。そこへ なんとか部屋から出られた早苗が、落ちていく2人に手を伸ばす。彼女が選んだのは志津の方だった。単純にタイミングや位置関係の問題かもしれないが、自分ではなく娘を選んだことは貴志には衝撃だっただろう。


分は早苗の一番 大事な人間ではないのかもしれない、そう思いながら意識を失う貴志。しかし病院のベッドで目を覚ました時、早苗は号泣していた。貴志はすぐに退院できるほどの軽傷で済む。

病室で語り合う夫婦。貴志にとって志津にも愛情は多少はあるが、早苗とは比較にならない。早苗はそれが分かりつつも、志津にも同じぐらい大事にして欲しいと言えずにいた。それは彼女の臆病さが原因だろう。彼女もまた貴志に嫌われるぐらいなら志津を二の次にしていたのかもしれない。

だが今は違う。自分の一番 大事な2人が、笑い合う未来を彼女は夢見ている。早苗の願いをかなえるため、貴志は家とは距離を置く。これは志津が本邸での暮らしになれることを優先してくれたということだろう。そして自分の心の整理をするためでもあろう。10数年も妻を苦しめる対象として見てきたのだから、冷却期間は妥当だ。すぐに和解する方が ご都合主義だ。ましてや貴志は志津の憑依体質のことを知らず、まだ多重人格だと思っている。そういう病気の人と向き合う知識も覚悟も貴志にはないのだろう。


信が貴志に厳しかったのは、彼もまた一番 大事な人との約束を守ることを優先していたから。頑なだと言われようとも、妻との何気ない会話が大切な思い出になってしまったから、どうしても妻の生きた証を残したかった。交わした約束を実現したかった。

その歪みが貴志に降り注ぎ、彼から恨まれたまま志信はこの世を去ることになる。そのことを後悔した志信だが、哲の言う通り、志津にとっては「中の人」たちは みんな家族。そして実際に、志津が自分を育ててくれたと認めてくれたことが、志信の未練を薄めていく。

志津の自我が大きくなるということは、他の人の余地が少なくなるということ。きっと誰もが気づかない振りをしていた この事実に向き合う日は もうすぐ訪れるだろう。