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少女漫画と小説の感想ブログです

その人の笑顔が見たいと心が勝手に動き出す。それが「好き」という感情と教えてくれた貴方の。

おはよう、いばら姫(3) (デザートコミックス)
森野 萌(もりの めぐみ)
おはよう、いばら姫(おはよう、いばらひめ)
第03巻評価:★★★☆(7点)
 総合評価:★★★★(8点)
 

「丘の上のおばけ屋敷」と噂のある空澤(からさわ)家の一人娘・志津(しづ)。実は「死者の魂を呼び寄せる憑依体質」のため、その体にはいろんな人格が出入りしている。ワケあって家政夫バイト中の高校生・美郷 哲(みさと・てつ)は、志津に普通の女の子の体験をさせようと、自分の通う学校にこっそり連れて行くけれど……?

簡潔完結感想文

  • 人に頼まれて縮める距離。それを知られたら本物の関係にはなれない、という実例。
  • 親友と彼女が密会し始めるから、三角関係が始まるのかと邪推/期待しちゃった。
  • 本物の笑顔が見られたが、その裏には嘘の関係が待ち構える。近づけば遠ざかる運命。

3巻から三角関係が始まると思いきやサッカー漫画が始まった、の 3巻。

『3巻』では嘘の生活、嘘の関係がもたらすものが描かれる。そして作品的には それは次の嘘の発覚の序章に過ぎない。

1つ目の嘘は哲(てつ)と その妹・涼(りょう)の間での嘘。兄が自分に内緒でサッカー部を退部していたことを知った涼。彼女はサッカー部にとって大事な試合の会場に出向き、兄が試合に出場しないどころか部員でもないことを確認し、兄に詰問する。この嘘は哲が家族を優先した結果なのだが、中学3年生という年齢でも家族問題から疎外されることに涼は苛立ちと悲しみを覚えていた。
彼女は哲の自己犠牲を否定する。何となく自己犠牲は美しいものだと思いがちだが、度を越した犠牲は献身相手の精神を苛め、苦しめる。そもそも哲は本来、妹たちを育てる義務を負わない。その上「幼稚で浅はかで ひとりよがり」とも評される行動を哲は取る。兄が心身に負担をかける生活を続け、嘘をつかれたことは涼にとってショックだっただろう。

この1つ目の嘘は、嘘をつき続けた代償は自分に撥ね返ってくるということを教えている。

2つ目の嘘は哲と幼なじみの千尋ちひろ)の間での嘘。同じサッカー仲間として小さい頃から練習に励んでいた2人。千尋は哲の家庭の事情も知っているから、そのせいで練習量が減った彼が部活で思うように活躍できない歯がゆさを誰よりも理解している。だから彼と同じ高校のサッカー部に入り、二人三脚で部を盛り上げてきた。だが その活動が結実する直前で哲は部活を突然 退部した。退部理由を誰にも説明することなく、家庭の問題を一人で背負おうとする哲に感じる千尋の思いは涼と似た部分があるだろう。
そして この2人の関係においては、そもそもに嘘がある。それは2人が初めて話した頃に遡る。友達が なかなか出来ない息子を心配した千尋の母親が、哲の母親を通して、哲に 千尋に声をかけるように働きかけた。それを千尋は早い段階で知ってしまった。自分は哲に見いだされたり、興味を持たれたのではなく、第三者の計画の中の関係であるということが、千尋に哲へのコンプレックスを生じさせた。哲に巻き込まれるだけだった千尋が、哲の抱える問題に対して、自分から動こうとしないのは この辺に起因すると思われる。哲の拒絶の姿勢があったとはいえ、簡単に諦めてしまうのは、親友だと胸を張って言えないと思っているからだろう。これは志津の母親という第三者から志津との関係を持ち掛けられた哲と同じコンプレックスだろう。

この2つ目の嘘は、嘘から始まった関係でも いづれは本物になる可能性を示唆している。

哲が嘘をついているのは志津(しづ)との関係でも同じ。物語的には それこそが本命の嘘だろう。
『3巻』の終わりで これまで以上に距離が近づいた2人。だが本書では近づいたと思ったら離れるのが運命。これまでは巻末で互いの価値観や気持ちに相違が見つかり、精神的距離が離れていましたが、『3巻』は近づいたまま。近づくほどに その反発が怖く、前述の2つの嘘が大いなる前振りに思えてくるから怖い。

千尋は哲との関係に自信が持てないから遠慮が生まれる。得体の知れない志津を頼って間接的に哲を動かす。

た『3巻』は1冊のノートが重要な役割を果たす場面が2回あった。

1冊は哲がサッカー部の強化のために用意した研究ノート。彼の魂として試合に持ち込まれたり、また声には出さない彼の声を部員に届ける役目を果たした。同級生たちが哲の身勝手とも言える行動を非難したり、また反対に彼を部に無理矢理 引き戻すような真似をしなかったのは、このノートの破れた1ページから哲の本心を知っていたからだろう。
そして大事な試合を前に、同級生たちは哲に言えなかった言葉をノートに託す。同級生たちの大人な対応を、どれだけ哲という人を信頼し、そして配慮しているかを考えるだけで泣けてくる。

そして もう1冊が志津が自分に憑依する「守護霊」たちと対話をし、脳内会議をするためのノート。これにより志津は自分以外の意見や感情を知り、学ぶのだが、今回は千尋接触した志津(最初はカナト)が、哲とサッカー部の関係に介入するかどうかを志津自身が決める。これまで自分という意識が希薄で、だからこそ霊に入り込む余地を生んでいた志津が自分の意見を初めて行動に移す。
こうして志津が自分の本心で動き出すことが、哲の嘘の関係との対比となる。

それにしても まったくもって本書はサッカー漫画じゃないのに、これだけ動きのある絵をちゃんと描けるのが凄い。どれだけ絵が上手いんだと感心するばかり。その上、感想が溢れ出るほどの内容の濃い作品で高い構成力を見せつけている。もう無敵じゃないか。

ちなみに『3巻』から志津の憑依体質についてのルールが用意されている。これは哲の理解が ようやく ここまで及んだということでもあるのだろう。


は、志津の憑依ルールの中でリスクを最大限に減らしつつ、志津に外の世界を知ってもらい、彼女の情緒を育てることを目標とする。これは志津が自分を大事にしないから危険な行動に走るのを阻止するためであり、そして自我が少しでも強くなれば、それは霊のリスクが減るからでもある。

そこで「学校」に憧れを持つ志津のために、教室で授業をする計画を立てる哲。今回はプール事件(『1巻』)での失敗以来、初の2人での お出かけ。そしてプール事件の反省を踏まえ、哲は自分の身体に志信(しのぶ)の霊を憑依させる。これはカナトの霊を哲が病院から連れてきてしまい志津に憑依を許したことの反省と経験則である。志津と哲(霊つき)が離れない限り、他の霊は介入する余地はない。ただし哲の身体は負担を感じる。だが それは志津よりも軽いものだといい、哲は彼女の辛さを身をもって知る。

学校は志津の五感を刺激する。高校3年生まで集団の中で生き、学校生活が日常になっている哲とは視点が全く違うようだ。志津は学校に行ったことはないが、志信が勉強を教えてくれるので勉強が得意なことが判明する。

哲のクラスメイトと会った志津は、ともだち という概念を知り、自分は哲と ともだち になれるように頑張ろうとする。ここで読者は志津の中で哲は「ともだち」止まりか、と哲の傷を考えるが、哲自身は自分には ともだち の資格すらないと思っていた。

それは現在の哲の動機が完全に お金目当てだから。哲は志津と距離が近づくことが嬉しいが、その反面、志津に自分のビジネスライクな一面を知られてはいけないという罪悪感がある。

疲れた志津が眠るとカナトが顔を出す。これは哲に憑いている志信の許可を得てのこと。サッカー少年だったカナトの要望でグラウンドに出るが、哲はサッカー部員たちと会ってしまう。哲は突然 退部したので、部員の中には快く思わない人もいる。それは哲が慕われたことの裏返しでもあり、哲に裏切られたと思うから反発してしまうのだろう。


が屋敷に来ない ある日、退屈したカナトは屋敷から外に抜け出そうと試みる。その扉の向こうで千尋に会い、彼と1対1の対話が始まる。

千尋は自分たち3年生の最後の大会に哲も出て欲しいと願っていた。

ここから哲と千尋の交流歴が明かされる。その後、志津への憑依前は病院にいたため ある程度を事情を知っているカナトが哲の母親の話題を出すと、千尋は哲が志津には話していると勘違いし、哲の母親の語り出す。それは読者にとって初めての情報である。

哲が小学4年生の時から母親は入院しており、10歳から家事や妹の面倒を ほとんど見ていた。サッカーだけは継続していたが、それでも部活の長時間の練習などは早退していた。それが練習不足と捉えられ、試合には出場できず、顧問は暗に哲の退部を促してきた。地元の学校はサッカーが強かったから尚更 あたりが強かった。
そこで哲は家庭の負担を減らし、サッカーに注力しようとするが、妹たちに迷惑をかけ、哲は部活を辞める決断をする。

サッカー自体は続けるが、サッカーの強い高校は目指さない。そうすれば練習量で差別されることなく、選手になる機会が増えるから。そんな哲の決断についていく形で千尋も同じ高校に進学する。だが弱小高校だからこそ、試合出場は上級生が優先され、そして それ故に部内の空気は弛み切っていた。

哲は その改革に燃えていた。千尋と2人で朝練を始め、同級生部員を褒めて育てることで、自分たちの輪に加える。こうして1年1年部活動を改善していった。高校3年生の今年、昨年は果たせなかった県大会まで駒を進めたのは哲の改革の結果とも言える。

だが、哲自身は高校2年生の夏休みで退部届を提出した。夏休み前までは部活に励んでいたため、夏休みに心境の変化があったと推測される。


直になれない千尋の考えを哲に伝えるかは志津に託された。

「みれい」は哲だけでなく志津にも厳しい。ただ突き放しながらも彼らに選択の大事さを伝えている。

そこで志津は自分の「好き」を考える。そして哲に千尋から預かったサッカー部の研究ノートを渡す。かつて哲から言われたように、今度は志津が、哲に心が動くものは何なのか、好きなものは何かを問う。

研究ノートには苦楽を共にした仲間たちからのメッセージが記されていた。

かつて哲は自分が一人前になるまで、親がどれだけの時間と金銭を捧げているかを考え、その大変さを知った。だからこそ母が不在となってからは自分が滅私の気持ちで家族に時間と愛情を注ぐ。サッカーを続けるという自分の「好き」は犠牲にして。

試合当日、哲は家を出る。そんな彼を門前で待っていたのはカナト。屋敷から出たのは志津の意思でもあった。哲はカナトを連れて試合会場に足を運ぶ。哲の到着を待っていた千尋は彼を探し合流するが、哲は試合には出ないと告げた。彼は退部を決断する時に、甘えや未練を全て置いてきた。その代わりに自分のサッカー人生を全部 詰め込んだ研究ノートを千尋に託し、それを自分の魂とする。

カナトは自分が病気で試合に出場できなかった無念から哲を試合に出場させようとするが、哲は真剣に練習を重ねた部員たちに交じって試合に出て笑えるわけがないと まるで怒ったような表情をする。安易に良い話風にせず、哲がちゃんと自重するところが素晴らしい。

これは志津にとって誤算だっただろう。人間社会の中で成長しなかった彼女は 人の機微を理解していなかった。哲の笑顔のために、彼とサッカーを安直に結びつけたが、かえって哲の無念を倍増させる結果となってしまった。


合会場から出た哲を待っていたのは妹の涼。彼女は兄が これまでサッカー部の活動に充てている時間に何をしているのかを問う。涼は兄が十中八九 アルバイトなど金銭目的で動いていることに勘づいている。

だが哲は それに応えず、自分の問題だから涼は無関係だと線引きする。兄が苦しんでいた中学生時代を知る涼は、自分が その年齢になっても蚊帳の外に置かれることにキレる。そして持っていた鞄を哲に投げつけるが、その衝撃から彼を守ったのは志津だった。これまでのカナトではなく、志津が自分の意思で身体を動かしていた。

涼が激怒したのも、かつての哲が父母の献身の大きさを考えたように、自分の生活がどれだけ哲の犠牲の上に成り立っているかを ちゃんと知っているから。それを熟知しているからこそ、哲の自己犠牲は涼にとって呪いにもなりかねないことを恐れる。何も出来なかったという罪悪感と、何も知らされていないいう無力感や疎外感が彼女を将来に亘って苦しめることが涼には見えていた。これは涼が賢いからこそ、思い当たる未来予知だろう。

哲は全てを犠牲にした家族からも感謝されていないことを知る。彼の苦悶の表情を見て、志津もまた苦しくなる。この頃になると志津は しっかりと人の心を理解している。


戦で敗退した県大会から1か月、哲と涼は冷戦状態が継続されていたが それ以外は哲の周囲は穏やか。

テスト期間は哲は屋敷でのバイトを休んだため、志津と会うのも久しぶりとなる。だがバイト再開の日は憑依の順番では志津の日だったはずが、彼女は前日に用があり、順番が変わっていた。このテスト期間の会わない時間、志津の変則的な行動が、次の展開の準備期間になっているという構造が秀逸。秘密の個人行動がサプライズを生む。

この日、志津に代わって出てきたハルミチは家族を優先してきた哲を肯定する。これは本来は哲の父親の役割だろう。だが父親は哲の行動に気づいていないので、志津や交換ノートの存在によって哲の事情を知るハルミチが その役目を負う。哲の父親は無関心というよりも彼もまた哲と同じように労働に時間を割いているため、家族の嘘を見抜くだけの余裕や情報量が不足している。

ハルミチとは逆の意見を述べるのは、霊の1人・みれい。彼女は志津が哲のために動いたことが判明する前に、哲に、近いうちに千尋から電話がかかってくること、それが志津にも関係するという謎めいた忠告を告げる。そして みれい はハルミチとは反対に自己犠牲をする哲を容赦なく切り捨てる。いつでも みれい は哲に厳しい。


行式の日、千尋に事情を聞こうとするが彼はサッカー部仲間と消えてしまう。その日はバイトも休みで、哲は独り。そうすると頭をもたげるのは嘘をついて、その嘘の発覚に怯え、それで疲弊していく自分。

そこへ千尋から志津を誘拐したという電話がかかってくる。みれい が言うには この電話に応じると後戻りができなくなるらしいが、哲は志津(今はカナト)を心配しに動く。

千尋とサッカー部員に誘導され辿り着いたのは巨大スタジアム。そこはでサッカー部の引退セレモニーの試合が組まれていた。

これは志津と千尋の計画。ノートによる脳内会議の後、彼女は自分で屋敷を飛び出し、サッカー部員に頭を下げ、哲とサッカーをすることを お願いしていた。志津の存在(美貌?)は簡単にサッカー部員を動かすが、サッカー部にとっては志津の提案は渡りに船だっただろう。

プール事件の前、サッカークラブの小学生たちに交じってサッカーをする哲の本当の笑顔を見た志津は、その笑顔を見るために動いた。それが見たいというのが志津の願い。

哲の性格を熟知する千尋は単純な方法では彼は誘いに乗らないと計画を練る。だから志津を人質にするという汚い方法で哲を誘い出した。
そして千尋たちは、哲が自己の都合で勝手に部活を辞めたのではないことを見抜いていた。なぜなら彼が破いた研究ノートの1ページには部員へのメッセージを書こうとした痕跡と そこに涙の跡があったから。


は この状況の戸惑いを捨て、サッカーに集中する。そして自分の弾み出しそうな自分の気持ちのリミッターも解除する。

千尋たちの提案に哲が意地を張らなかったのは、この会場が憧れの場所だからでもあろう。これだけ大きなスタジアムを借りられたのは「天下の大企業」の ご令嬢である志津の お陰。

そして志津は、カナトではなく自分の声で哲を応援するために自分から外に出る。彼女が自分の意思で自分が主導権を握るのは『3巻』で2度目となる。それは自我の目覚めといってもよく、どちらも哲のためというのも大事な点だろう。

試合中に哲は最高の笑顔を見せ、それが志津の満たされた笑顔に繋がる。試合終了後、哲は志津に感謝を伝える。彼は中の人がカナトだと思っているから思いっきり抱きついたが、声援以降は志津であることに気づき赤面する。

志津からの 笑ってる哲が好きという ほぼ告白のような最終回のみたいな内容だが、哲は志津に嘘をついている。自分は志津に動いてもらう価値のある人間じゃない、と してもらったことの大きさに比例して彼の罪悪感も大きくなるだろう。もはや この次を読むのが怖い。