森野 萌(もりの めぐみ)
おはよう、いばら姫(おはよう、いばらひめ)
第04巻評価:★★★★(8点)
総合評価:★★★★(8点)
「丘の上のおばけ屋敷」と噂のある空澤(からさわ)家の一人娘・志津(しづ)は、実は「死者の魂を呼び寄せる憑依体質」。家政夫バイト中の高校生・美郷哲(みさと・てつ)と一緒に過ごすうち、いろんな「初めて」の感情を経験し変わっていく。そんな志津に惹かれだす哲だけど……? 不器用な2人の恋が芽吹く新感覚ボーイ・ミーツ・ガール第4巻!
簡潔完結感想文
- スタジアムでの大きな祭りの後に 夏祭り回を挿んで、秘密がバレて後の祭り。
- 対等であることに こだわりすぎて こじれてしまった10年間の男たちの友情。
- 突然のカミングアウトで繋がる気持ちと、強制カミングアウトで離れる気持ち。
その人との間の秘密が無くなれば新しい関係が始まる 4巻。
本書の中、特に1巻分の中に様々な対比を感じる。
例えば『4巻』では ずっと秘密にしていたことが2つ明かされる。
1つは同級生の千尋(ちひろ)が主人公・哲(てつ)に ずっと黙っていた己の秘密。これによって彼らの間に確かな友情が生まれた。
この秘密のカミングアウトのタイミングは絶妙である。そもそもが憑依体質の志津(しづ)と霊感体質の千尋が個人的に接触しなければ千尋は志津の秘密を知ることはなかっただろう。哲とサッカー部員で引退試合をするという試みから始まる自然な流れが素晴らしい。サッカーを通して育まれてきた彼らの友情と成長の集大成が引退試合であり、その試合を経たからこそ、千尋は自分から哲に近づく勇気を得た。『1巻』から顔を出していた千尋が、哲にとって こんなに重要な人物だとは思わず、彼の存在感を徐々に増していった作者の手腕には恐れ入るばかり。
そして もう1つが哲が志津に黙っていた秘密。それは極端な怖がりである哲が1度は志津の憑依体質を恐れ逃亡したこと。その後 それを乗り越え再び志津の前に現れたのは彼の大好きなお金を志津の親が支払ったからという少々 不純な動機であった。これは善良な哲の もう1つの人格とも言える。志津が自分に寄せる信頼が大きくなればなるほど、この秘密は知られてはいけなかったのだが、最悪のタイミングで第三者による強制カミングアウトとなってしまった。
その直前に哲は自分の身を綺麗にしようと動いており、そして自分の志津に対する気持ちが紛れもなく恋愛だと今度こそ分かった途端の この裏の顔の露見だからこそ落差が大きく感じられる。千尋との関係は親の介入から始まったから本物になるまで時間を要したように、哲の恋心も紆余曲折がありすぎて本物になるまで時間がかかった。哲は1話で志津に告白しているが、あれはハルミチへの告白である。今回ようやく志津への恐怖を乗り越え、彼女への純粋な気持ちを知る。志津の家からの金銭も返却を試みており、哲の側からすれば偽りはないが、志津からすれば金銭の授受は紛れもない事実である。
ただ志津との距離が再び出来てからの哲の動きは素早かった。頼るべき人に頼ることを覚えた哲は、同じ轍は踏まないように迅速に行動する。自分のプライドや彼女の反応が怖いという恐れよりも先に、彼女のために まず身体が動く、それこそが「好き」という気持ちである。
また『3巻』の引退試合から哲は2回 志津を抱きしめているのに、巻末では哲が彼女を抱きしめる資格がないことで終わるという対比も良い。
これまでは巻頭から志津との距離を縮めてきた哲が、巻末では一気に彼女との距離を感じるという終わり方をしてきた。その経験から2人の距離の接近は、恐ろしさの前触れになっていく。ただし前述の通り、今回の哲の動きは速い。抱きしめることは出来ないが、彼女を救うことを決意した。
文字通り つかず離れずの関係だったが、どうやら ここから未知の世界に飛び出していく予感がする。自分の周囲が嘘にまみれていることに苦しんでいた哲だが、今の彼には本物の友情と、本物の恋心がある。それらが彼らに違う明日を もたらすのではないか。今は抱きしめることは出来なくても手を取り合って走り出すことは出来るのだ。
物語を咀嚼すればするほど作者が丹念に準備した味が溢れ出すのが本書の大きな特徴だろう。どれだけ作者のことが大好きだと思わせられたことか。
志津が尽力した哲とサッカー部の引退試合は成功裏に終わる。どうやら大企業のご令嬢である志津が、母を経由して父の会社がスポンサーになっているスタジアムを借りたらしい。
その一件で急接近したのが千尋と志津。千尋は志津へのお礼としてデパートのレストランで食事を御馳走していた。この後の展開もそうだが、千尋は一人っ子の割に女性との距離の取り方が上手い。天然ジゴロな所も見え隠れし、罪深い男になるかもしれない。
同時刻、そのデパートには哲の一家が末の妹・鈴(すず)の浴衣を求めて来店していた。哲はすぐ下の妹・涼(りょう)とは冷戦状態。彼女との沈黙に耐えかね、逃げ出したところに千尋を発見し安堵するも、千尋の隣には志津がいて哲はキャパオーバーになる。
そこに哲の父親が現れ、一度は哲は志津の手を取り逃亡する。ここは巻頭と巻末の2つの逃避行という共通点を感じる。この逃亡は父が志津の母親と高校時代の知人であるため、志津が例の屋敷の お嬢さんだと発覚しないためであった。だが志津はメガネで変装しているせいか、父親には素性がバレず(妹たちが志津の名前をカナコと勘違いしているのも作用して)、行動を共にする。
浴衣選びの中で、千尋は涼に声をかける。そこで涼が、哲を傷つけるようなことを言った自分を嫌いになったと恐れていることが明かされる。涼は自分が哲より大きくなって鈴とは違い可愛げのない妹になってしまい、それも哲から嫌われる要素だと思い込んでいる。兄が好きすぎる故に、兄のために動けない自分が歯がゆかったのだろう。
千尋が選んだ浴衣を涼は試着し、そこに髪飾りを哲が付ける際、哲は涼に感謝を述べる。しっかり話そうと言ってくれる兄に涼も素直に謝罪を述べる。好きすぎると、距離が近いと こじれてしまうのは、哲と千尋も同じだろう。
自分の意思で選んだ浴衣を着た志津は見とれるほど美しく、そんな志津が妹たちと仲良くしていることが哲には幸せで そして少し不思議な光景に見えた。志津は引退試合の一件から自分の好きを考えるようになり、それが続々と判明していくにつれ表情が豊かになる。
哲は自分の雇い主である志津の母親に遠慮して、志津が外に出ることに少しばかり罪悪感を覚えていたが、志津が外に出て受ける良い影響を考えると、彼女の外出は本来、誰にも禁じられるものではないと思い始める。そこで母親の許可を取り、一緒に夏祭りに行こうと志津を誘う。
雨降って地固まる、で ほのぼの買い物回である。哲の嘘や強すぎる責任感で、こじれてしまった兄妹や友人との関係性が元に戻っていく。
そこで明かされるのが千尋の嘘。嘘というか彼が黙っていたことがあった。
なんと千尋は幽霊が見えるという。幼少期から彼に友達がいなかったのは、そのせいでもあった。人とは違うことは排除される運命に繋がり、千尋は一人でいた方が楽だと考え始めていた。そこで両親は協調性を高めるため息子をサッカークラブに入れ、そして そこで出会ったのが哲だった。
哲との出会いが、幽霊に悩まされていた千尋の人生を変えた。絶対的に明るい存在である哲は、千尋の道しるべとなった。哲と一緒に過ごす内に友達が出来、やがて人の集団が苦手ではなくなった。
だが千尋は哲とは友達と胸を張って断言できずにいた。彼から恩恵を受けるばかりで返せないという力不足からのコンプレックスで、2人の関係を「対等」だと思えなくさせていた。
哲は千尋からの突然のカミングアウトに驚きはしたが、疑いはしなかった。それは ずっと千尋と一緒にいて、彼が哲を今更からかうような人間ではないと信頼しているから。
この千尋の告白は、志津が関わっていた。自分の力が彼女の、そして哲の助力になるのではないか、と思ったから千尋は動いた。それは引退試合の中の志津の勇気を見ていたから感化されたのだろう。
千尋は哲に頼られないことは自分が対等じゃないからだと思っていたし、哲が自分の事情を千尋に全部話さないのは、そうすることで千尋の態度に変化が生まれ、自分が憐れまれて対等じゃなくなると考えていた。立場や視点の違いが2人の距離を遠ざけてしまった。
哲は自分の詳細な事情を話さないままの自分勝手であることは承知だが、千尋に助けを求める。それは千尋が待ち焦がれていた対等であった。志津の件があって、千尋の中の霊感体質は哲に返せる自分の財産になった。千尋と志津の件は相互に作用していることが分かる。
こうして2人は心の底から友達になる。出会ってから10年は かかってしまっただろうか。
この後、千尋は自分が見えている志津の霊たちを絵に描く。どうやら千尋は画伯のようだが、その人数や特徴は全て正解していることで千尋の霊視能力は証明される。
夏祭り回は本書で初めての少女漫画らしいイベントではないか。
哲は志津の母親に外出許可をもらう際に、これまでの外出のことを正直に話し、そして そこで志津が着実に成長を見せていることを伝える。そして夏祭りに出かける際に、以前、母親から渡された金一封(かなりの厚み)を返却しようとする。だが母親が拒んだまま、夏祭りに行くことになる。もし ここできっぱりと返却していたら、未来は違うものになったのであろうか。少なくとも哲側は お金の返却で自分の誠意が証明できたのではないか。
夏祭りには千尋がパトロール役として呼ばれていた。彼の能力によって お祭りの会場に幽霊がいるかを確かめ、外出のリスクを軽減する。
お祭りで志津は初めて綿あめという存在を知る。それを食べていると子供が寄ってきてもの欲しそうにしているため、志津は分け与える。それを見ていた子供が続々と集まり、志津の分はごく僅かになってしまった。
それを見た哲は、志津は自己が希薄だから危険を顧みない行動をするのかと思っていた自分の認識を改める。橋から川に飛び込んだのも(『2巻』)、綿あめと同じく、誰かに笑ってもらうため、喜んでもらうために一生懸命な行動だったのではないか。そういう生来の性格が志津なのではないか、と考える。
それは美徳だが、時には わがままを言いましょうという哲に、早速 志津は わがままを言う。それが哲に抱擁されること。引退試合の後、哲が感情のまま志津を抱きしめたのが強く印象に残っていたらしい。物心ついてから幽閉され、守護霊たちと過ごすばかりで人との触れ合いに飢えてきた志津。
そんな彼女の事情を推測し、哲は彼女を抱きしめるが、そこで哲が気づいたのは、志津が求める家族の温もりではなく、胸が高鳴る恋心だった。
哲は改めて志津に恋をしている自分に気づく。ハルミチを経由して、プール事件で恐怖を感じ、そして みれい の忠告を破って、ここに辿り着いた。
だが お祭りの帰り道、屋敷の前で2人を待っていたのは、志津の父親だった。なんと10年ぶりの父娘の対面だという。
しかし父親は志津と話す前に、彼女に手を上げようとした。これは理由なき暴力など彼の感情からではなく、彼は娘の人格をリセットするために手を上げたのだ。物理的な衝撃が志津を呼び出すことを彼は知っているらしい。
その躊躇の無さに哲は驚愕し、父親の手を取り志津への暴力を防ぐ。その後も強引に志津を引っ張り、屋敷に帰ろうとする父親に哲は縋る。
だが そこで父親は、哲が志津に関わるのは お金目的であることを暴露する。志津のために身を挺しているようで、その実 志津への恐怖をお金で乗り越えた人間だと哲の正体を志津に教えてしまった。
自分が最も知られたくないことを知られ、哲は志津が絶望の表情をしているのを見てしまう。
父親は、志津に勝手な行動をさせた原因は全て哲にあるとして、妻の責任を問わない。そればかりか妻を志津から離して、妻に安心して生活してもらうよう手配する。そして娘は病院に入れ、外部の者に監視することを提案する。どうやら父が娘のことを顧みないのは、娘よりも妻の方が優先順位が遥かに高いからみたいだ。父親は妻を守らんとするばかりに娘の人生を狂わしていることに無関心なのだ。
そして志津の母親には、夫の言うことに反論するだけの心の強さも、娘への愛情にも自信はなく、それを受け入れるしかない。
娘の勝手な外出を知った志津の父親は、哲の父親に息子の解雇を申し出る。
不安から逃げるように母のいる病院に顔を出した哲。だが母に合わせる顔も、志津の守護霊たちに合わせる顔も、今の哲にはない。
母が職員による散歩で不在の その病室に現れたのは志津の母親だった。彼女から責められると思っていた哲だが、哲がいることは彼女に取っても予想外だった。母親同士は高校時代からの付き合いで、これまでも志津の件でなんでも相談していた哲の母に話を聞いてもらいたかったのだろう。哲の母が車の事故で眠り続けてからも、これまで通り、友人である哲の母に話を聞いてもらっていた。
そこで哲は志津が父親によって入院させられることを知る。
母親は志津の このところの好調を理由に、入院が長引かないという楽観的な考えを信じ込もうとしていた。だが志津の憑依体質を知っている哲からすれば、霊の巣窟ともいえる病院は危険な場所でしかない。だが哲には それを一から説明し納得してもらうだけの材料がない。
だから哲は これまで何かと志津のすることに好意的な母親の情に訴えようとする。母との交流が志津を安定させると、屋敷の中での交流を求める。
しかし母親は過去の志津の入院で、人格が変わり続け、そして本来の志津の人格を見失った経験から母親としての自信を喪失していた。だから志津から遠ざかり、娘の幽閉に反対せずに、娘に世界の広さを知らないままの人生を送らせていた。そして志津は母親が本当の自分を見抜けないことを悟り、そしてそれが一層 彼女の自己を希薄化させていった。
志津の母親は自分の不甲斐なさを助けてくれる存在として、頼れる高校時代の友人の子供である哲に望みを託した。これから志津が入院しても哲が居れば大丈夫だと彼女は思い込もうとしている。そして哲を動かすためなら再び お金を持ち出す。
だが そうして哲が志津に対して隠し事をしたまま、素顔を晒さなかったから2人の関係を本物にしなかった。その失敗が今回の事態を招いた。自分もまた志津に偽りしか与えられなかった加害者なのだ。
だが再び、哲は立ち上がる。今度こそ本物のヒーローになるために。そして最近できた本物の友達の力を遠慮なく借りる。
千尋の背中を借り、壁を越え、哲は屋敷の中に潜入する。囚われの お姫様を救うために。そして千尋が哲に協力するのは、彼は特異体質同士、志津と共鳴する部分があるからでもあった。
1階は入念に施錠されていたが、賢い この家の老犬の力を借り、哲は2階の窓から屋敷に入る。
哲と再会した志津は笑った。また会えたことが嬉しかったから。彼女には自分を裏切る形を取った哲への怒りも悲しみもなかった。むしろ哲が優しい理由がはっきりしたことで安心したという。
だが そう言った後、志津は涙を流す。それは志津が傷ついた証。心が動いた証である。これで改めて志津を傷つけたことを実感した哲だが、自分のすべきことをする。
これからの行動は、志津を好きな自分がすることだと その気持ちに嘘がないことを告げ、志津との逃避行を始める…。