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少女漫画と小説の感想ブログです

サイコサスペンスの森を抜けると、そこにあるのは単純なボーイ ミーツ ガールの物語。

おはよう、いばら姫(1) (デザートコミックス)
森野 萌(もりの めぐみ)
おはよう、いばら姫(おはよう、いばらひめ)
第01巻評価:★★★(6点)
 総合評価:★★★★(8点)
 

「丘の上のおばけ屋敷」と噂のある空澤家でワケあって家政夫バイト中の高校生・美郷 哲。ある日、本邸の離れで暮らす謎の少女・空澤志津と出会い、どこか寂しげな笑顔に惹かれていく哲だが、再び会った時の彼女はまるで別人のように様子が豹変していて……?

簡潔完結感想文

  • 家政夫として入った お屋敷には囚われの お姫様がいた。あけすけな その人に恋をするが…。
  • 少しずつ明らかになる男女双方の事情。最初から強固な世界が築かれているのが本書の魅力。
  • 1度目の逃亡の後は彼女の幸せを願って戻り、2度目の逃亡後は自分の願望を優先するために戻る。

愛要素は ちょっとしたBLだけ、の 1巻。

本書は少女漫画のクライマックスであるトラウマや家庭の事情が最初から用意されている。複数の人格が「中の人」として存在するヒロインの事情が徐々に明らかになる『1巻』は完全に導入部。ここから更に面白くなり、その面白さは最後まで継続する。作者にとって初の複数巻の作品だが、その構成力には舌を巻く。

特に『1巻』では1話で別の顔を見せ、相手を驚愕させたのはヒロインだったが、ラストの4話では主人公の男子高校生の方が別の顔を見せ相手を驚愕させるという展開は秀逸すぎる。男性キャラの方は特異体質ではないのに、人が変わってしまい、近づいたはずの距離が より遠くなるというシビアな展開に痺れた。

一風 変わった告白リセット。普通なら逃げ出してしまう状況だが作者は巧みに逃げ出せないよう哲を囲う。

読必至の物語で、感想文を書くにあたって読み返すと、そこここに物語のヒントが散りばめられていることが分かる。最初から作者の中でしっかりと世界観が構築されていることが判明し、読んでいて嬉しくなるほどだ。初読では気が付かなかった、理解の出来なかった台詞の意味が分かるのも再読の楽しみだろう。一気に作者のことが好きになった。間違いなく これからも追う作家の一人だろう。

予備知識なしで読むと、少女漫画なのに一向に始まらない恋愛要素を探してしまうが『1巻』での恋愛要素は最初だけ(しかも誤解の おっさんず ラブ)。最終的には恋愛漫画と言える内容になるのだが、序盤はサイコサスペンスのようだし、すれ違いや自分の弱さに傷つきながら前進する彼らの姿を見ていると成長小説、ビルドゥングスロマンのようにも思う。

『1巻』の中でも お化けや怪談が死ぬほど嫌いな主人公・美郷 哲(みさと てつ)が、家政夫として働く お屋敷の離れに住む空澤 志津(からさわ しづ)との交流の中で、何度も怖い思いをしながら、そんな自分を奮い立たせ、志津を守ろうとする姿が見られる。
ただ、その動機は恋情だけではない。むしろ彼の純情が粉々になってからも哲は志津と関わる。それは籠の中で生きる彼女の息苦しさを哲が理解できる立場であるからでもあった。

このように『1巻』では哲が志津に関わる動機を上手く用意している。家族からも見放された志津に対して、哲がどうして動くのかという動機があり、しかも その動機は『1巻』の中で目まぐるしく変化する。『1巻』ラストでの彼の動機は冷たいものだった。近づいたはずの志津との距離は むしろ遠くなって終わるのが衝撃的で忘れられない。恋心という単純明快な無限のパワーだけでなく、時に打算的に動く登場人物たちの心理が深く描かれている。


頭から男女双方に人には言えない秘密を抱えている。そしてサスペンスのように次々と新しい事実が判明していくのが面白い。哲の実際の経験を通して、読者に本書の、ヒロイン・志津におけるルールを一つずつ理解させていく手法も舌を巻く。少女漫画読者にとっては やや突飛な設定も分かりやすい例示を順に用意することで、良い速度で説明してくれている。中盤のホラーのような展開は、お化けが苦手な哲に逃亡と、そこからの勇気、しかし逃亡した後悔を見せていく。志津だけでなく、哲もこういう人ということを読者に分からせていく。恋よりも切実な お金という問題が彼の行動の大半を占めているのも面白い。お金を ちらつかせれば哲の行動はある程度 コントロールできるから哲は志津との関わりを断ち切れない。そういえば最初も預金通帳が生んだ縁だった。

志津にとって特別になりつつある哲だから、志津の周辺の人物たちは哲に彼女の世話を頼んだ。しかし哲は志津という恐怖の前に感情を完全に消し、使用人と主人となることで自分の心を守ってしまった。その すれ違いが とても苦しく、とても面白かった。こういう話の流れを作れるなんて本当に凄い。

そして こういうアニメタッチの美麗な表紙の作品は、中身の画力との乖離が激しいことが しばしば見受けられる(いわゆる表紙詐欺)。だが本書には そんな心配は無用。綺麗な線で描かれたキャラクタたちが顔を崩さず存在している。画力に加えて、話の構成力もあるなんて無敵じゃないか。


校生の哲が家政夫として働く広い屋敷の奥にある離れには この家の娘が住んでいるという。誰も見たことのない その娘は死亡すら噂されていた。

主人公の哲は預金通帳を見るのが趣味。彼の行動原理は全て お金である。父は家政婦紹介所の所長であり、哲は そこの お坊ちゃんになるのだが、働き者で家政婦たちから慕われている。これは進学を巡り父と意見が対立した際、卒業まで怠けず働き、自分が社会に出るに相応しい人間だと証明するためであった。
哲の一家に母は不在らしく、哲が家事全般を担い、中学3年生と小学生の妹たちの世話を見る。いわゆるヤングケアラーと言えよう。

ただ四六時中、働きすぎて仕事中に居眠りしてしまった彼の目の前には、見たことのない女性が立っていた。哲は それが この屋敷の噂の娘だと知る。そこで命の次に大事な預金通帳を落としてしまい、その奪還のため、自分から離れに向かう哲。

中から出てきた お嬢様に迎えられ、彼は初めて離れに入る。お嬢さまが居眠りを父に密告し、仕事をクビにならないよう哲は頼み込む。その際に お嬢様から提示されたのが、再び私「空澤 志津」に会いに来ることだった。


津には何かしら事情があって外に出れないらしい。体は健康だが、「病気」ということで彼女は閉じ込められている。

哲は家政婦の他にも新聞配達の仕事もしており、そこで来週 流星群が見頃だということを知る。
部屋に軟禁状態の お嬢様のために哲は彼女を外に連れ出す。志津の笑顔が見たい、志津の見たことのない物を見せたい。それは恋と呼べる感情だろう。そして本来は お化けが怖く、大の苦手な哲が、幽霊と囁かれる志津に会いに行く。それが彼の愛と勇気の証だろう。

再読すると、この真夜中の大脱走で、違和感のあるシーンに気がつく。それが何年も外に出たことのないはずの志津の「誰もいない町の真ん中を歩くとさ 王様みたいな気持ちにならない?」というセリフ。家政婦の間で噂が本当なら志津は外の世界を知らないはず。それが経験談のように実感を持って語られている。

警察の尋問を振り切って、2人は夜空が広がる場所に出る。そこで哲が目にしたのは 流星群に涙を流す志津の姿だった。哲は笑顔にするために彼女を連れだしたのに、思わぬ表情に戸惑い、彼は流れ星に志津の笑顔を願う。
だから思わず「笑ってるアンタが好きです!」と叫ぶ。そんな言葉が出てから、哲は自分の中に彼女への好意があることを自覚するのだった。

哲にとって忘れられない思い出だが、志津にとっては簡単に忘れてしまう記憶。夜空に消えた初恋。

だが お嬢様育ちだからか志津には好意が全く伝わっていないことが判明。その後、志津は激しく動揺する。そして志津は また次の哲の出勤日に自分に会いに来るように言い、それでも哲が同じことが言えたら ちゃんと告白に答えると謎めいた言葉を残す。

言われた通り、志津に会いに行くと、彼女は哲を見るなり「――あなた、誰?」と哲の記憶が混濁していた…。


っていた志津が少しずつ覚醒し、状況を理解すると、哲に説明を始める。

流星群を見に行ったのは「ハルさん」という人だという。その意味不明な説明に哲はアンタは誰だと問うが、彼女の答えは …よく わかりません。その人を食ったような答えに哲は声を荒げる。自分の告白への仕打ちが あまりにも酷くて哲は失望する。

友人たちにその話を告げると、それは二重人格ではないか、という解釈をされる。確かに その説明は全てに辻褄が合う。体は健康な志津がなぜ この屋敷で隔離されているのかの謎の答えとしては十分だ。

そのモヤモヤを抱えながら哲は病院に行く。どうやら家庭内に不在の母親は ここにいるようだ。これまでは定期的に母と会いに行っていた哲だが、このところの多忙で久々の再会となった。


の帰り、哲は商店街の中で志津に出会う。今回の志津の口調や対応は、哲が流星群を見に行った彼女であった。それに安心したのも束の間、哲は志津の体の中に複数の人格が存在することを知る。流星群の夜、彼女が会う時間を指定したのは、本当の志津に哲を会わせるためだった。

今の人格は「ハルミチ」で、中の人は男性という意識なのだ。だからハルさんは哲からの告白に異様に戸惑った。彼の中では同性の(おそらく年下の)友人と会話・交流をしていたのに、見た目と口調が気に入られてしまったことが誤算だった。
容姿は女性とはいえ、男性に告白してしまった哲の心痛やいかに。しかも中の人は随分と年の離れた男性の様子。見た目に惹かれるのか、それとも中に惹かれるのか、このまま志津とハルミチの2人格のままで、半分BLのような物語でも面白かったかもしれない。

そう率直にハルミチに言われ、哲には納得する場面がある。ただハルミチは哲が多重人格なら仕方がない、という説明を肯定しない。どうやら違う事情があるようだ。

哲は少し迷うが、「志津」に会いにバイト以外の日に お屋敷に向かう。そこでハルミチが哲にしたことは、志津に友達を作るための方策という予感した彼の意図を志津に伝える。ハルミチは、志津の複雑な背景を哲に見せ、彼が逃げるなら このまま、逃げなければ哲に志津との交流を託すことにしたのだろう。

1人で話し相手のいない孤独は哲には身近なものだった。だから哲は志津の選択に自分の身の振り方を委ねる。そんな人を助けたい、それは哲が自分が助かるための道でもあったのだろう。いつだって哲の行動は完全な親切ではない。


津が哲の手を取ったことで2人の交流が始まる。だが志津と別人格は1日交代制らしく、哲のシフトの関係で志津と交流することは出来ないまま。更に、志津の担当日でも志津の意思で引っ込むと、別人格が表に出るらしい。そうして哲は好きになってフラれたハルミチとの交流を深めるばかり。一番 気軽に話せる人格なのだろうが、告白の過去が頭をよぎる厄介な相手とも言えよう。

哲は今度はちゃんと「志津」に世界の広さ、太陽の明るさを知ってもらおうと彼女を外に連れ出す。だが志津は外の世界や そこにいる人が怖い。彼女は外の世界への恐怖を感じるが、それ以外、自分が何が好きで何が嫌いかを自分で理解していない様子。

こうして帰りたいとも言わないが、盛り上がることなく終わった世界探検。
その帰り道、哲は学校での小学生のサッカークラブを発見する。志津に誘われる形で学校内に入り、サッカーに興じる哲。哲は志津もサッカーに誘うが、彼女の蹴ったボールで児童が怪我をしたため、哲は その子を家まで送る。

そして志津は志津を一人にしてしまう。雨も降ってきてサッカークラブは終了。志津は自分が誰かを悲しませたショックで学校内で放浪する。自分の存在が周囲(家族)を悲しませるのは志津にとってトラウマでもあった。


が倒れている志津を発見したのは学校のプール。
そこで哲は妹たちが話していたプールでの学校の階段を思い出す。怖いものが苦手な哲は身を固くする。

1話同様に眠りから覚める志津は哲を恐怖させる。こんな生活、胸キュンを超えて心停止間近だ。

目を覚ました志津は、哲が悪寒を覚えるほどの存在だった。まるで怪談同様に、溺れた記憶を持っているような「志津」。哲が泣きながら志津の名前を絶叫すると、彼女は自分の頭をドアに打ち付け、倒れた。意識を失う前の志津に逃げろと言われ、哲は志津を置いて逃げ去る。

這う這うの体で校門まで逃げる哲。そこで立ち止まり、志津を置いてきた自分を反省する哲。だが あの「志津」のことを考えると足が竦(すく)んで動かない。

そこへ通りかかるのがクラスメイトの千尋ちひろ)。哲の部屋に飾ってある、子供の頃の写真の中に映っていたと思われる男性である。哲は その彼に救助を要請し、自分は もう一度プールへと向かう。

志津は目を覚まさなかったようで、哲が最後に見た姿のまま横たわっていた。千尋とは哲の家には穏便に話を伝えておくと別れ、哲は志津が運ばれた病院へと足を運ぶ。


室に入るのを躊躇っている哲に声をかけるのは、初めて会う彼女の中の人格だった。非常に理知的で穏やかな語り口の その人は哲に志津が抱える秘密を打ち明ける。

ハルミチもそうだが、志津と生活を共にする人たちは哲に色々 期待する割に、説明が足りない。まぁ最初に複数の人格を見て実感するように、実際の経験がなければ信じられない話だから無理もないが。

病院での志津は空澤 志信(しのぶ)という人格。空澤の名の通り、志津の血縁者である。彼は志津の曽祖父だという。当然、健在ではなく彼自身は20年前に没した人。
そう、志津は多重人格ではなく、死者の魂を呼び寄せる憑依体質だという。プールでの一件は怪談の通り、本当に溺れた児童の霊が志津に憑依したからだった。

そして この志津の体質は「中の人」以外は哲しか知らない事実。彼女の両親も娘は多重人格という病気だと思っている。だからこそ治療の成果もないため、娘を幽閉している。そうすることでしか自分たちを守れなかったのだろう。

ハルミチや志信は志津の身体を使いながら、彼女を守る守護霊の役割を果たしている。どうやら志信が志津に有益な魂を審査して現在の担当制が完成した様子。

そして普段なら霊に憑依されるがままの志津が、今日 初めて自分の意思で憑依された状態で身体を動かしたという。志信は その行動に一縷の希望を見出したようだ。哲との交流が志津に良い影響を与えると信じたからこそ、志津や自分たちの状況を打ち明けた。


が説明を聞いた哲は、今度こそ志津との関わりを断つことを決断する。病院で会った雇い主の志津の母親に謝罪をし、そして責任を取ると覚悟をするが、もう志津とは関わらないと一方的に関係を断つ。

ずっと雨に打たれたことと、情報量の洪水に流され、帰宅した途端、哲は高熱で倒れる。睡眠によって あの日の情報を整理した哲は、ネットで多重人格の知識を得て、志津が それに当てはまらないことを確かめる。

後日、志津の母親から哲は呼び出しを受ける。大事な お嬢様を外に連れ出した挙句、放置して逃げかえるような使用人は解雇されるのが運命。だが志津の母親は哲に丁寧に接し、娘が哲に迷惑をかけたことを詫びる。

その母の態度に きっぱりと自分の責任だと哲は訴える。そんな哲の様子から母親は、哲の母親を連想した。どうやら哲の両親と志津の母親は 同じ高校に通っていた時期があり、それ以来の友人らしい。

そして志津の母親は、哲に できれば ここで働くことを継続して欲しいと要望する。これまでのような空き時間の交流ではなく、哲の この屋敷での仕事は志津と過ごし、彼女の面倒を見ることになる。

それは母親が、プールでの脳震盪から目を覚ました志津が、開口一番 哲の心配をした、という志津の これまでにはない反応を見たからであった。志津にとって少なからず哲が特別であるならば、その哲に志津の近くにいて交流して欲しいのだ。それは志津の中の人である志信やハルミチと同じ気持ちであろう。

哲は、それを了承し、志津のもとに通うようになる。だが志津は、哲が それまで以前の哲ではないことを鋭敏に感じ取る。哲が志津という恐怖の対象を克服できたのは、端的に言えば お金を用意されたから。哲の家の事情を知る母親は、哲が抱える悩みや現実についても承知していた。だから彼が自分に都合よく動くための取引材料を用意した。それが金銭。

哲が志津との交流をしたのは彼女が籠の中の鳥だと思い、自由を与えるため。それは無私の心。だが、母親と面会した後の哲はビジネスライクに志津と接する。その距離が志津という恐怖から身を守るために必要だったのだ。

冒頭1話で「志津」が豹変したように、4話では哲が豹変した。本当の自分として心の交流が果たされるのは、随分 先だと予想される。