《漫画》宇宙へポーイ!《小説》

少女漫画と小説の感想ブログです

木曳野 フルーツ謝罪シリーズ最終回。独り身の女性にメロン1玉。…新手の嫌がらせですか?

椿町ロンリープラネット 10 (マーガレットコミックスDIGITAL)
やまもり 三香(やまもり みか)
椿町ロンリープラネット(つばきちょうロンリープラネット
第10巻評価:★★★★(8点)
  総合評価:★★★★(8点)
 

「私頑張ってみようかな」 畝田の告白で動揺したふみは、暁と言い合いになってしまう。家を飛び出したふみは悟郎宅へ。「オレふみちゃんのこと本気になっていいかな?」と悟郎に挑発された暁は――!?

簡潔完結感想文

  • 恋人たちの特別な日に それぞれ別の異性と過ごす。今回の家出は短期決戦。
  • 前の晩とは違う男と一夜を過ごす魔性の女・ふみ。物語は交際の その先へ…。
  • 小説家として成長した木曳野は、自分の心境について克明に語る言葉を持つ。

一切バテレン文化を禁ずるでござる、の 10巻。

敢えて伏せた事実から、色々なことが浮かび上がる『10巻』。
その事実とは主に描かれる2日間が持つ意味である。
主人公たちが大きく揺れた日が12/24と25日なのである(多分)。

作中で季節は丁寧に移ろいますが、洋風文化の入った季節行事は排除されている傾向にある。
「冬の3大行事」であるクリスマス・初詣・バレンタインデーの内、カタカナの2つは作中では扱われない。
時代小説家である木曳野(きびきの)には似つかわしくないからだろうか。

『10巻』でクリスマスという言葉が使われるのは巻末の描きおろしのみ。
しかも主人公・ふみ以外の視点で、である。
巻末の「洋ちゃんのアレやコレや。」で初めて、この日がクリスマスなのではないかと読み取れる(推察だけど)。

ふみ の友人・洋(よう)ちゃんの単身赴任中の父親が自宅に帰ってきたのもクリスマスを家族と過ごすためだし、
洋ちゃんの家の食卓に豪華な食事が並んでいるのもクリスマス(父の帰宅のお祝いかもしれないが)。
そして洋ちゃんを電話で呼び出す一心(いっしん)も彼女にプレゼントを渡している。
これも当夜が特別な日である補強材料となるだろう。

f:id:best_lilium222:20220116212026p:plainf:id:best_lilium222:20220116212022p:plain
このプレゼントで洋の頭が一心で いっぱいになり、ふみ への連絡が遅れ少女漫画的ドキドキが生まれた。

要するに、木曳野が女性編集者・畝田(うねだ)と食事に行った日、
そして ふみが木曳野の友人・悟郎(ごろう)の家に泊まった日はクリスマスイヴということになる。

そうなると畝田が木曳野を食事に誘ったことに一層の意味が出てくる。
が、先生はそんなことに気がつかない。
頭は江戸時代に生きてますからね。

でも、そんな日に着飾って出掛けようとするんだもの、誰だって怒るって…。
ふみが自分の幼稚さに呆れるエピソードとして描かれているが、
この推論を踏まえると、木曳野が絶対的に悪い。
畝田の自分への好意の有無は関係なく、ふみ と一緒にいるべき日だったのだ。


曳野の裏切りとも言える外出が原因で始まった悟郎との同居生活。

これは ふみが父と離れて暮らすことになった時に、最初に計画されていた同居でもある。
もしかしたら あり得た未来。
そして もしかしたら好きになったかもしれない人。
ふみ に少なからず好意を抱く悟郎にとっては、新たな始まり・大いなる希望に感じられたかもしれない。

ふみが悟郎の家にお世話になることに それほど抵抗がないのは、
ここ最近、怪我をした悟郎のために、何度か出入りしているからだろう。
一度入ったことのある家と、一度も入ったことない家では安心感がまるで違う。
無防備だと思われた悟郎との接近は、そのための布石だったのだろう。

悟郎が色々と気を遣って(または暗躍のために)、
ふみを家に入れた後、すぐに出掛けるのは『7巻』『ひるなかの流星』番外編の獅子尾(ししお)を想起させる気遣いである。
スマートで優しくて、報われない恋をしている彼らは やっぱり似ている。


田との食事を終えて帰宅した木曳野は、ふみが不在なことを確認する。
そして ふみ の駆け込み寺だと予想をつけていた洋ちゃんの家に 再び走るのであった(夏休みの家出以来2度目)。

ちなみに先生が洋ちゃんのことを「猫娘」と呼ぶのと、
洋ちゃんが先生のことを「木曳野 暁(あかつき)」とフルネームで呼ぶのが、らしさを感じて好きです。

ふみ を自宅に置いて、悟郎が向かった先は 木曳野の家。
そこで悟郎は ふみを匿(かくま)っていること木曳野に告げるが、
彼は「好きにしろ」と執着を見せない。
そんな友人に対して悟郎は宣戦布告をする。
無責任な木曳野に代わって、悟郎が ふみを守るという。

ここの悟郎も当て馬役を演じているのだろう。
半分は木曳野に喝を入れるため、だが もう半分は本気の忠告だろう。

しかし先生はなぜ「好きにしろ」と 責任を放棄するような言葉を吐いたのだろうか。
ふみが決めたこと、ふみ の人生を自分が左右すべきではない、という観点からだろうか。
後に悟郎も言っているが「去る者は追わない」のが彼らの共通点のように見える。
幸せになろうとすることに憶病なのかもしれない。


し、この日をクリスマスとするのなら、
先生は人生で二度目のクリスマスでの嫌な思い出が増えたことになる。

『5巻』で先生が過去の恋愛を回想する中で、
1つ クリスマス近辺で珍しく彼女にプレゼントを用意して、彼女の自宅を訪れるというものがあった。
しかし彼女の部屋の中から出てきたのは彼女と、彼女に寄り添う男性だった…。

これは木曳野の女性不信と自己嫌悪を強めるトラウマ的出来事。
木曳野が珍しく自発的な行動をしたと思ったら、この仕打ちである(因果応報とも言う)
あれから10年余り、再び彼の大事な人は、別の男とクリスマスを過ごすことになる。

クリスマスでの ふみ との仲直りは、
木曳野のクリスマスの苦い思い出を解消のためにも必要だったのかもしれない。


郎の家に一泊した ふみが やはり家に帰ろうと思案する中、
スーパーで書店員・桂(かつら)と遭遇する(with 諭吉@『ひるなか』)。

この日の桂は様々な面で武装していない。
服装もメイクも、そして心の壁も作っていない。
それだけ諭吉(ゆきち)の前では自然体でいられるということなのだろう。

桂から話題が振られたことで、2人の話は畝田のことに移る。

ふみ の姿勢は弱気で消極的。
先生には畝田こそが相応しいという論調で話を進める。

この時、ふみ は先生は最初から畝田に優しかったと言っていたが、
それは ふみ に出会って、彼が変わったからである。
その変化をもたらした自分を無視するから、自分の足りないところばかりに目がいく。

そんな ふみ に対して「もし暁先生が大人で仕事のできる女がいいなら 畝田より まず私を選ぶはず」
という桂の言葉は自信が漲っていて素敵である。

そして その上でも木曳野が ふみ を選んだのだから、
畝田もまた ふみ の敵ではない、という証明の論法が素晴らしい。

桂は、木曳野は ふみ の前だけで表情が豊かになった、というが
それは諭吉といる時の桂も一緒であることに気づいていない。
彼女の あんなに優しい表情 見たことないもの。

そういえば この日がクリスマス(25日)だとすると、やはり この2人は本当に特別な仲なのだろう。


にボロクソにこき下ろされる畝田だが、彼女も彼女で可哀想な人である。
純粋な気持ちで木曳野に惹かれていったのに、
彼には恋人がいないと騙され、挙句、その恋人に恋愛相談をしてしまった。
とんだピエロである。

そんな彼女が告白できたのは、自分の敗戦を知ってからというのも悲しい。
すがる気持ちで伸ばした手も、先生に冷淡に「離してくれ」と言われる始末。
そういえば桂の時も、伸ばされた手から木曳野は すり抜けていきましたね。
彼が自分から手を繋ぎたいと思う人は たった一人なのだろう。

でも、先生も優しくなったのなら、ここで冷たくあしらうようなことを しないでほしかったなぁ。
他者の恋情など迷惑だ、とばかりの豹変は結局、これまでと同じではないか。

その直前に、悟郎が ふみ の肩に手を回し、2人が歩いていくのを見た動揺はあるにしても、だ。
ま、この辺は後で ふみ によって正されるのであるけれど。

そして、木曳野は畝田の気持ちを知って初めて自分の過ちに気づくのであった…。


法にかけられたシンデレラが、慣れない靴で靴擦れができてしまうのは少女漫画あるある。

その手当てのために出版社の謝恩会会場であるホテルの一室に入る ふみ と悟郎。
そこで語られる悟郎の恋愛遍歴も、実は木曳野と大きく変わらない。
「来る者は拒まず 去る者は追わず」。
木曳野ほど落胆されることはないだろうが、
女性側の愛情が冷めた時に、その恋愛は終わるのだろう。

そんな人生の中で出会った、本当に恋する者が放つ恋の輝き。
横恋慕体質なのか、理想の恋愛像に対する憧れなのか。

そんな「本気だけど本気じゃない 嘘だけど嘘じゃない」ラインを狙った
「暁やめて オレにしない?」という ふみ への提案。

それを ふみ は冗談として流し、
今度は ふみが魔法使いになり「次は絶対 幸せな恋ができる魔法」をかけてくれた。

それだけで悟郎の心は満たされる。
それに相手にされていない。もしくは本当に上手く かわされてしまった。

でも何度も言うようだけど、悟郎の次の恋って6年後ぐらいだよね…。
また いつか、作者の次の作品以降で、その後の悟郎が見られるのだろうか。


うして悟郎の想いに 一区切りついたところで、扉が開かれる。
扉の向こうには息を切らした木曳野。
そしてシンデレラの靴擦れを治療するのは、本当の王子様の役割。
これは残念ながら悟郎には その資格がない。

もし悟郎が治療していたら、理性が吹っ飛んで、友情も信頼関係も全て壊してでも、
ふみを奪おうとしたかもしれませんね。
それはそれで見たかったが、そうすると木曳野唯一の友情がダメになり、
大団円にならないので、本書では決して選ばれない未来となる。

靴擦れの治療中に聞けたのは、木曳野の久々の「ばかめ」。

f:id:best_lilium222:20220116211908p:plainf:id:best_lilium222:20220116211904p:plain
あの人の物だと思ってしまった「ばかめ」が私に返ってきた。罵倒で愛を感じる危ない女子高生。

それを聞いた ふみ は、素直に先生への想いを口にする。
「私は先生のこと 一生 好きなんだと思います」

そこからはイチャラブの領域に突入する。
私の予想よりも早くキスを交わす。
そして先生は久々に彼女を名前で呼ぶ。

この時、先生が結わえていた髪を ほどくのはナゼなんでしょう。
自分の解放? 眠るための準備? 小説家・木曳野から私人へのギアチェンジ?
私には上手く読み取れない場面である。


うして健全に朝チュンを迎える2人は、
ホテルのルームサービスで朝食を取ることにした2人。
先生が京都に出発してから約1週間ぶりに2人で食べる食事だろうか。
やはり本書はこうでなくっちゃ、と思わせる幸せな食事風景である。

食後の休憩で畝田のことが議題に出る。
そこで木曳野から見た人間関係が語られる。
畝田と ふみ は似ている。だが似て非なるもの。
もっと似ているのは ふみ と木曳野なのである。
2人は孤独なのだ。

畝田は性格こそ ふみ に似ているが、6人兄弟で大家族で育ったという背景がある。
そこに孤独の影が入り込む余地はない。
だからこそ6人兄弟という極端に多い兄弟構成が用意されているのだろう。

先生と畝田の関係に終止符が打たれたことを知った ふみ は、
畝田への ちゃんとした返事を先生に させようとする…。


んな畝田が木曳野の留守を狙って、ふみ を訪ねる。
冷徹にも見えた木曳野の拒絶だったが、
畝田からすると「はっきり突っぱねられ」て、
「隙があるなら頑張りたいっていう邪な思い」も、「気持ちも一瞬で消えてしまった」らしい。

桂に続いて女性ライバルは、退却が潔い。
勿論、ふみ への謝罪がメインだから、畝田は気を遣っている部分もあるだろうが。

そこで語られる先生の畝田へのフォロー。
今回の先生の持参の果物はメロン。
やっぱり先生は女性に対して果物を送っておけば良い、という思い込みがあるらしい(笑)
しかも今回はリボン付きだ。
先生にとっては最大級の謝罪なのだろうが、
畝田としては重いし食べ切れないしで困ったのではないか。

ただ詫びの品としてはインパクトがあったらしく、畝田の心は更に諦めがついた。
果物の効果は絶大である。

きっと もう二度と会う機会がないであろう畝田が頭を下げて帰り、
ふみ は彼女が選んだからと不機嫌になったマニキュアを爪に塗る。

それは ふみが畝田を、そして かつての小さな自分を受け入れた証拠であろう。
騒動が一段落して、『11巻』は新展開の予感である。