《漫画》宇宙へポーイ!《小説》

少女漫画と小説の感想ブログです

木曳野流 護心術。取り敢えず全てに悪態をつきなさい。攻撃は最大の防御よ、暁。

椿町ロンリープラネット 13 (マーガレットコミックスDIGITAL)
やまもり 三香(やまもり みか)
椿町ロンリープラネット(つばきちょうロンリープラネット
第13巻評価:★★★★☆(9点)
  総合評価:★★★★(8点)
 

誕生日に暁と遊園地に出かけたふみは、敬語禁止の“同い年デート”を楽しむ。「誕生日の夜7時7分に観覧車でキス」という幸せのジンクスを実行しようとするが、偶然遭遇した暁の学生時代の元カノが不穏な動きを…!? 暁の過去も明らかになるクライマックス巻!

簡潔完結感想文

  • ふみ以外は全員どうでもいい、が本書のスタンス。女性キャラは最後まで不遇。
  • この人が…先生の お義母さん…。第一印象が最悪なのは木曳野家の伝統です。
  • 2人の関係が、木曳野の中に この言葉を生んだ。ある意味 本書最大の愛の告白。

いの親に ご挨拶編その2、の 13巻。

大雑把に言えば『13巻』は木曳野 暁(きびきの あかつき)の2つの過去の清算だろう。
そして それが少女漫画が最後にぶつかる障壁、男のトラウマの解消となる。

1つ目は恋愛の、そして2つ目は家庭内トラウマである。
こんなトラウマを2つも抱えていたから初登場時の先生は あんなにも性格が歪んでいたんだろう。

特に2つ目の家庭の話では何度か滂沱の涙で読むのを中断せざるを得なかった。
木曳野一家の家族小説としても大変 秀逸である。

そんな感動的な場面でも登場人物たちに多くを語らせないのが素晴らしい。
感動の場面では自己陶酔してしまいがちで、何もかも詰め込みたくなってしまう。

だけど本書においては どれだけ思いが詰まっていても、1ページあたりの文字量は抑制されている。
内容は小説的なんだけど、絵に託すところは託す、その引き算に美しさを見た。
熟考したエピソードを、厳選した言葉で語る その洗練さ。
これまで以上に作者の確かな筆力を感じる。

それに比べて見てご覧なさい、私の感想文の長さを。
まったく自分に酔っているだけで恥ずかしい、と木曳野の義母に怒られるところだろう。


そして この道を、この順番で辿らなくては、ここには辿り着けなかったという人生の妙味を感じる。
主人公・ふみ たちの歩みが奇跡的であることを感じずにはいられない。
そして この二人なら今後、何があっても大丈夫だという安心感も感じる。

私は こういう強固な関係を描く作品と、それを描ける作家さんが大好きです。
物語後半で内容が落ち着いてしまったと思う人もいるかもしれないが、
その分、奥行きが生まれていることを、再読する時に気づくのではないか。


の国で、大学時代に木曳野が交際していた元カノに遭遇する。

ふみ は木曳野に相当数の元カノがいることは知っていたが、実際に元カノを見るのは初めて。
しかし、それでも ふみ は木曳野が その女性と付き合っていた頃の先生に会ってみたかった、という変てこな感想を持つ。
ふみ にとって元カノは先生の若い頃を想像する要素でしかないのだろう。

今の自分と同じぐらい先生に会いたいという ふみ の願いを叶えるために、
「同じ年デート」を提案する木曳野。
先生は ふみ と同年代になる魔法をかける。
ここは夢の国だもの。

まぁ、具体的には ただの敬語禁止なんですが…。

注意深くタメ口で話す ふみに対して素直に「…かわいいな 今の」と言う木曳野。
これは同級生感覚を味わえたことより、困惑する ふみ の顔が見れた嗜虐心が反応したのだろう…。

しかし「同級生デート」の罠にハマるのは先生も同じ。
ふみが夢見た 猫耳カチューシャを木曳野が試着する羽目になる。
ふみ は あらかじめ店の場所を頭に叩き込んで心待ちにしていたのが分かり、
当日も満喫している様子に こちらまで嬉しくなる。

更に ふみ は 「お誕生日様」の権力を振りかざし、木曳野を操る。
彼が嫌がるお絵描き教室に一緒に入り、マスコットキャラの絵を描くことに。

ふみ は相変わらず、何でも 子供の頃に覚えた少女漫画の手癖が出てしまうらしい。
そして木曳野は いわゆる「画伯」。
なぜ二本足で立って服を着ているキャラが、四本足の貧相な野良猫になるのか…。
ホント、不器用ですね。
ふみが想像した同級生バージョンの先生も可愛い。
10年以上前でも あんまり見た目が変わらないであろう悟郎(ごろう)との
同級生縛りのガチガチの三角関係も見てみたいなぁ。

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ふみ の千里眼は、過去においても未来においても木曳野の隣にいる自分が見えるようになる。

うして1日を楽しく過ごす中で、ふみ の大本命の観覧車を乗る機会が訪れる。
「誕生日の夜7時7分に この観覧車の中でキスをすると その2人は未来永劫 幸せでいられる」というジンクスがある この観覧車。

飲み物を買いに列を離れ、1人で並んでいる ふみ に、
この日の最初に入場口付近で会った木曳野の大学時代の元カノが声をかけてきた。
観覧車に乗るまで一緒に居ていいかと聞いてくる。
元カノは女性同士で来園していたはずが、もう1人は先にホテルに戻ったらしい。

順番待ちの中、この元カノは自分の交際時の話をして ふみ にマウンティングを かます
自分は努力して交際を勝ち得たこと、
文句も言わず耐えてきたけど、木曳野が冷たく破局したこと。

そんな元カノの話しぶりを見て、この人は ふみ が快く思わない唯一の人となる。

これまでの女性ライバルたち(桂・かつら や 畝田・うねだ)は、
例え自分の恋が破れても、木曳野(そして ふみ)を悪く言う人たちでは なかった。

しかも この元カノ、自分が最後まで我慢していたように言うが、
寂しさに耐えかねて、まだ木曳野と交際中に男を連れ込んでいたというのに、それを言わない狡猾さがある。

木曳野を悪し様に言う元カノにふみ は我慢の限界に達し、強く反論する。
それは この元カノだけではなく、彼女のように木曳野を表面しか見てこなかった女性たち全てに対しての怒りである。

そのような一方的なレッテル、一方的に吐き出された不満や欠点の列挙が、
呪いとなって先生を呪縛させたのだと ふみ は感じている。
本来、先生には優しさや愛情深さがあったはずなのに、
その言葉の呪いが のしかかって、先生自身も 自分が そういう人間だと思い込んでしまった。
それは女性たちの自己弁護を利用した、悪意のある刷り込みであった。
(勿論、先生にも反省すべき点はあるのだろうが)


うした ふみ の反論も「なに、マジになってんの」的に受け流し、
もうすぐ観覧車に搭乗できるという直前で、3人で乗ることを提案してくる元カノ。

一度はそれを承諾する先生だが、元カノだけ乗り込んだところで足を止め、ふみ を自分の側に抱き寄せる。
「ふみ以外は全員どうでもいいんだ」

元カノは1人で観覧車で運ばれていった。
これは観覧車が木曳野の過去を意味するのでしょう。
今の木曳野は決然と決別して、ただ それを見送るだけ。
もしかしたら少しだけあった先生の未練、植え付けられたトラウマも、
彼女の言い分を聞いたら全て雲散霧消したと思われる。

だから扉は彼らの前で閉じられ、世界は隔てられる。
これによって木曳野 暁の現在過去未来すべては ふみ だけのものになりました。

そして ふみ もジンクスに頼らないで、木曳野の言葉を支えにすることが出来た。
たとえ割れ鍋に綴じ蓋であっても、2人には お互いしかいない。


この元カノのことは私も嫌いだが、
本書の ふみ以外の女性に対する扱いの悪さは、ちょっと疑問に思う。
何も ここまで悪い人に描く必要はなかったのではないか。

大学時代はともかく、10余年で嫌な女性になってくれたことで、
木曳野が ふみ と共に次の段階へ進むステップなのは分かるが、これこそ描写が一方的だ。

そして やっぱり全体的に説明過多な気がする。
もう少し 読者に委ねる余地があっても良いのではないか。


後の女性問題でも何の波風が立たなかった2人。
季節は少し進み6月となる。

届いた郵便物から、ふみ の進路の話題が出る。
でもなんで ふみ の志望する大学の資料が木曳野の家に届くのだろうか。
さすがに こういう物は父と暮らす家に送られるのが当然ではないか。
ふみが資料を請求したのが 別居騒動の前だったとか? …謎です。

ふみ は栄養士を志望し、そのために大学の入学を目指す。
父にも木曳野にも了解を取り、ふみ は自分の未来に向かって歩き出す。

それにしても少女漫画の料理上手なヒロインは、大体 栄養士や調理師を目指す未来が多いですね。
そして その家庭的な女性たちは大体が、高校生で早くも結婚を前提として彼氏と交際をしている。

私が これまで感想文を書いた76作品中で料理関係を志望するのは7作品目ですかね。
女子高校生の9%以上が同じ職種を選ぶって、さすが少女漫画は狭い世界だ。

リンクも無しで書名だけ列挙しますと、他6作品は
『ハチミツにはつこい』『ういらぶ。』『ぽちゃまに』『ミックスベジタブル』『L♥DK』『影野だって青春したい』です。


閑話休題
ふみ はもう、先生の隣に自分以外の女性がいる未来を描けないほど、
自分が木曳野とともに人生を歩むことを確かに感じている。

ここからは恋愛編ではなく、その未来へ向かって物語が進むのは自然なことなのである。


み の大学案内と一緒に届いていたのが、木曳野の義母からの手紙。

これらが同時に配達されるのも運命的ですね。
そして29歳の木曳野も また新しい一歩を踏み出すことになる。

懐いていた義父の物を処分するという内容にも木曳野の関心は薄い。
だが、ふみ は自分も手伝うと申し出て、実家への帰省に同行する。
まさか遺品売却の金銭が目当てではあるまい。

友人・洋(よう)ちゃんの母に協力してもらって、勝負服を決める ふみ。
その格好を見て先生が80年代の歌手みたいという感想を持つのが意外だった。
テレビなどエレキテルな物は見たことないと思っていた(笑)

だが、その恰好を初対面の木曳野の義母は「ふざけた格好」と一蹴。

出会いは最悪。
それは この親子に共通する印象かもしれない(笑)
しかし第一印象が最悪から始まれば、後は良くなるしかない。

どうも義母は素直じゃない。
どうしても嫌味を乗せてしか自分の気持ちを伝えられない節がある。
ふみ の印象は「厳しくて そっけなさそうだけど 冷たそうには見えな」い、であった。
これは元カノを きらい と一刀両断した時とは違う反応だ。

早くに母を亡くした ふみ にとって、義母は「おかあさん」を感じる人である。
そして年齢的に言えば祖母にもあたる人かもしれない。
生まれながらに祖父母と疎遠だった ふみ にとって、欠けていた家族のピースであったのではないか。

これは木曳野側も同じ。
『12巻』でふみ の父・大野 秀男(おおの ひでお)に対し、
「恰幅と人当たりが良く 先のことは深く考えず いつも楽観的で
 …今 思うと あなたのような人だったかもしれません」と述べている。

これもまた郷愁と欠けたものを補うピースなのではないか。
もしかしたら 大野家と木曳野家の欠落のある家族は2家で1つの十全な家族となるのかもしれない。
配置、という言葉を使うのは大変 失礼だとは思うが、
この配置が 2人の失われたものを補完するのも確かだろう。


付けをする中で、ふみ は義母が、息子たちのために料理を用意してくれたことを察する。
そこで気を回して、夕食を頂くことを ふみ は独断で決めた。

こうして食卓を囲む3人。
本書において食卓を囲むことは大きな意味を持つ。
もう この時点で、万事は解決したも同然である。

義母が この日のメニューをカレーにしたのは木曳野のため。
この家にいた頃の少年・木曳野は このカレーだけは おかわりしていたから。

下準備が面倒臭い このメニューを作っていたことが、義母の心を表していると料理を通じて ふみ は推察する。
息子がおかわりしたものを覚えていた義母が、木曳野のことを本当に快く思ってないわけがない。


そのことに気づき始めた ふみ は、またも独断で宿泊をお願いする。
その唐突な要請に義母は非常識だと一刀両断。
でも布団はクリーニングに出してある。

段々と、この人の性格が見えてきましたね。
初期ver.の木曳野と同じで、言葉の裏にある優しさを汲み取るのがコツですね。
その内、木曳野の「ばかめ」と同じぐらい、
義母のキツい物言いの全てが温かく反転する時がやって来るだろう。

先生は先生で、母に甘えることを禁ずるように生きていたため、
記憶を自分で封印してしまっている節がある。

だが、ふみ との幸福な時間と、かつての自分が感じた幸福がリンクする時がある。
記憶喪失の人のように、ポツリ ポツリと浮かび上がる光景。
思い込んでいた記憶と、思い出す光景に齟齬があり、木曳野は困惑する。

これは過去の女性たちの言葉が木曳野の性格を硬直させてしまったように、
木曳野は悲しい・辛い記憶だけを自分に上書きしてしまったのではないか。

それを ふみが一つ一つ丁寧に剥ぎ落として、本来の木曳野の愛情を剥き出しにさせた。
そのための1年。そのために12巻の物語が必要だった。


付く決め手を欠く膠着状態の親子を動かしたのは、義母が隠していた事実。
病院の診察券を見つけた木曳野が、義母に問うことで事態は動く。

病気になっても自分の存在を無視しようとする義母に
木曳野は今も自分は義母にとって他人だと思われていると傷つく。

その思いを怒声に変えて浴びせようとする木曳野に対し、ふみ は自分の所感を述べる。

ここは『12巻』で木曳野との交際を頭ごなしに反対する ふみが暴走しかけた時に、
木曳野が彼女を制止したのと同じ構図ですね。
同席していなければ、亀裂が入ってしまったかもしれない関係。
その空気を丁寧に ほぐすのは、第三者であり恋人でもある人の役目となる。

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親子だからこそ不躾に傷つけ合ってしまう。寸前で止めるのは その人の不幸を見たくない人間であった。

義母は夫の遺品の整理ではなく、自分の人生の清算をも しようとしていた。
そのために最後に息子に会って、心残りがないようにするのが今回の再会の最大の目的。

義母が木曳野に会いたい気持ちは、間違いなく肉親のそれである。

そこからは義母目線で、夫や息子・暁と共に歩んできた木曳野家の歴史が語られる。

義母の木曳野に対する厳しい態度は、第一子に どうしても厳しくしてしまう 親あるある の一種かもしれない。
更に もしかしたら義母は、大好きな夫を新参者の家族に取られた気分だったのではないか。
これは例え実子であっても、家族の形態が変化する中で起こり得る摩擦である。

そして少年・木曳野が聞いていた夫婦の口論と、義母の「よその子」発言には、その先があった。

妻の孤独に気づいた義父は、双方とも丸く収まる道を模索していた。
木曳野が覚えていた義母の優しかった時は、
義母が息子の味方でいようと思い、寄り添った時に集中していたことが分かる。

木曳野の義父は妻に言う、
「似た者同士っていうのは 反発しあうけど お互いの気持ちを一番 理解できるんだよ」
だから(きっと息子・暁と)うまくやれる。
「君はとても 愛情深い人だから」

だが、その矢先に夫が他界。
その現実に際して、まだ少年の暁が言った一言が痛切である。

こうして義母は自分が嫌いになったのだろう。
それは女性との交際を通して、相手に そう言わせてしまった、と感じる木曳野が自分の欠落を自覚したのと似てはいないか。
欠落を自覚するから、もう自分から手は伸ばせない。
一度 離れてしまった手を、手繰り寄せる術を、執着や愛情を見せる勇気を彼らは持っていないのだ。


かし互いに年月を経たこと、そして木曳野は大切な人を得たことで、
親子の状況は これまでとは違うステージに立つことが可能になった。

最後の木曳野の台詞は、この1年間の ふみ との時間がなければ絶対に彼の中から生まれなかった言葉だ。
これまでの軌跡に感謝するしかない。

この一言を言うために本書はあったのではないか。


木曳野は、今 住む家に、読書家だった義父と だいたい同じ本を揃えている。
彼の趣味趣向は義父が由来で、少しニヒルで不器用なところは義母に似ている。
間違いなく木曳野の中に、彼らは息づいているのだ。