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少女漫画と小説の感想ブログです

ケダ高の掟に穴はない。破天荒な事柄まで全て想定済み。完璧なリスク管理。

モノクロ少年少女 11 (花とゆめコミックス)
福山 リョウコ(ふくやま りょうこ)
モノクロ少年少女(ものくろしょうねんしょうじょ)
第11巻評価:★★☆(5点)
  総合評価:★★☆(5点)
 

黄苑と伊織の結婚式に出席するために再びクロヒョウ国を訪れた呉羽達。そこで目撃した奇跡。さらに黒蘭から受け取ったデータから“最後の審判”に関する掟を知った呉羽は、自分の進むべき道を見つけ、ついに一世一代の賭けに出る!!

簡潔完結感想文

  • 主人公の努力を鮮明にするためだけのルールの付加に白けてしまう。
  • 縁談・お見合い・結婚式、全て生徒会メンバーがご破算に致します。
  • 現実と同じく、試験勉強がメインの3年生は駆け足でお送りします。

れでなくとも期間限定の恋なのに光陰矢の如し、の 11巻。

学生生活の約半分にあたる高校2年生の文化祭までに10巻以上を要した作品ですが、
残りの学生生活は2巻未満で急ぎ足に描かれる。

多くの恋愛をメインとした少女漫画の場合、その成就を高校3年生の進級前に用意することで、
漫画の目的を果たして、物語を終えることが多い。
それは高校3年生に突入すると恋愛とは別の問題が持ち上がってしまい、
楽しいだけの恋愛が描けないからだと思われる。

本書の場合は恋愛の成就だけでなく、彼らの進路もメインに据えられているため、
しっかりと卒業まで描くことを前提としている。

高校3年生は、方向性を決めるまで悩んで悩んで、そして決めてからは目標に一直線の毎日となる。
ひたすら目標に向かって努力する日々は、あっという間に後ろに流れていく。
これは現実の高校生活でも同じである。

そして学生生活の前半が これ以上ないほどに濃密に描かれているからこそ、
後半が駆け足であっても、彼らの未来の選択の重さは十分に伝わってくる。

素早い場面転換、時間のスキップ、現実と重なる高校生活の流れなど、
やっぱり作者の構成力は光るものがあると思わせられる。

まぁ 勢いで誤魔化してるな、と思う部分がその長所を打ち消しかねないのですが…。


3年生になった主人公・呉羽(くれは)が自分の目標を見定めるのが『11巻』だ

その呉羽が叶えたい未来が、生徒会4人の未来であり、
そして4人が努力し続けて初めて叶えられるもの、という目標の設定が絶妙である。

誰かに譲るなど手を抜いた時点で、4人の夢は潰えてしまう。
気を遣うことなく、全力で切磋琢磨することで初めて可能性が生まれる。
これは4人が無二の親友でありながら、ライバルという関係がよく表れている。

これを叶えさせるだけでも十分にドラマティックなのに、
どうにも作者は呉羽の恋愛に断絶を入れなくては気が済まないらしい。

異種族の恋、期間限定の恋に続いて、最後の断絶は記憶のリセット。

特に理由も説明されないウサギの努力に見合わないルールに私は鼻白んでしまった。
またか、と。
ケダ高の生徒会長、通称キングにおける、様々な特殊ルールにはウンザリ。
漫画なので後出しになるのはしょうがないとして、
ルールを設置した経緯など合理的な説明を一切放棄する姿勢が許せない。

呉羽が最後まで苦しむ、それだけのドラマ性だけのルール。
これによって最後まで格好つけた漫画だったという評価になってしまった。


『10巻』に引き続き2回目の文化祭回。

右京(うきょう)と2人きりになりたくない呉羽が茅(ちがや)を利用したように、
呉羽に告白めいたことをしてしまい2人になりたくない茅は蝶々(ちょうちょう)を利用する。
自分が傷つきたくないからって、相手を傷付けていくなぁ…。

茅は失恋を確定させてくないために、呉羽に想いを告げずにいる。
口にすれば果ててしまう想い。
茅って、このまま交際や結婚も自分からは提案できない人っぽい。
どうにも恋愛に関してフワフワした お坊っちゃんになってしまったのが残念である。


ベントが終わると、時間がスキップするのが本書。
文化祭後は2学期どころか3学期まで跳躍して、2年生の終業式まで場面が飛ぶ。

そしていよいよ物語は卒業を見据えた話になる。

ウサギが卒業すると「ラビット」協力の報奨金として卒業後の生活費と学費4年分がもらえるらしい。
学費というのはケダ高の学費相当を4年分なのか、それとも進学先の学費が4年分なのか。
ケダ高の勉強じゃ、通常の大学には進学できそうもないが…。

人間に戻れて恵まれた生活をすることが約束されている自分が、
最後の審判』でケモノたちの生き方を左右することに納得がいかない呉羽。
そこで彼女が考えたのが、せめて彼らと同じ場所、つまり同じ1位になった上で決めたいという願いだった。

もはや呉羽も作品も、ケモノたちの同率1位以外の可能性を誰も考えていない前提で話が進む。


内イベントの次は校外イベントというのも本書のお約束の流れ。
今回は黄苑(きおん)と伊織(いおり)の結婚式。

この結婚のために、黄苑は王位の継承を辞退した。
出自不明の伊織が王妃に相応しくないと反対されたから、
自分の権利を放棄して結婚を優先したらしい。

ちなみに王位継承者は、第2王子の升麻(しょうま)ではなく、第3の実栗(みくり)となっている。
この経緯は謎です。

ちなみに、人間である伊織がクロヒョウの黄苑と結婚できたのは、
『8巻』で呉羽が黒蘭(こくらん)から飲まされ続けた種族固定化の薬が使われる。

ここで、このケダ高の努力を無にするような薬が不便であることが明かされる。
どうやら これは人間が人に戻れなくなる薬らしい。
そして「体質に合わないと最悪死ぬ」
伊織は「テストして平気」だったから固定化が完了した。

呉羽は合わなかったから体調に異変をきたした。
あの時の呉羽は死の一歩手前だったのか。
黒蘭のやったことは殺人未遂であって、罪がより重い。
このことで、呉羽がクロヒョウに固定化する道は閉ざされたということだ。

多分、作者は この薬が人間が人に戻れなくなる効果のみに限定しているつもりなのだろう。
ケモノが別種のケモノにはなれないっぽい。

でもそう考えると、なぜ黒蘭が、そしてケモノ社会が人間用の薬なんかを作っているのかは謎である。
そんな物より、ケモノが別種のケモノになれる薬の方が需要が高いだろうに。

まさか各ケモノ国の一定の人口は、この薬を使用した元人間だったりするのだろうか。
肉食獣になるならまだしも、ウサギに固定化されて食用に回されたりしたら…。

ケモノ国の食料の供給を人間界が担ってたりして…。
あっ、ケモノはウサギに変換しなくても、人間のままでも食うのか。
うーん、書けば書くほど恐ろしい世界観だなぁ。
本書の こういう点も苦手。

この薬は、伊織と黄苑を幸せにするための方策でもあったのだろうが、
やっぱりケモノ社会の価値観を変えるような薬で、出すべきではなかったのではないか。


婚式で、クロヒョウ国に入国したことで黒蘭と再会する。
粉(パウダー)を使って身分を偽り、変身していたらしい耳もクロヒョウに戻り、性格も猫を被ったりしなくなった黒蘭。

ここでの黒蘭の登場は、しっかりとお別れを言うためと、
最後の審判』に関する掟のデータを呉羽に渡すためでしょう。
これがクライマックスへの布石となります。

黒蘭自身はただの内通者で、彼自身に何の目的もなかったのが肩透かしだった。
もうちょっと彼の背景を描いてあげても良かったのではないか。
彼もまた使い捨てキャラのように退場させられるのが ちょっと可哀想。

そして『最後の審判』に関するデータを渡すのが、なぜ黒蘭なのか謎です。
確かに以前、その情報を閲覧しているシーンはありましたが。
その前に教師の上総(かずさ)が情報を開示しても良かったのではないか。
ケダ高の教師は聞かれなきゃ答えない隠蔽体質があるのではないか。


そして結婚式で呉羽は、同じウサギの境遇であった伊織に、
ケモノたちには明かせない『最後の審判』のことを相談することが出来た。
また、王妃が黄苑を思い出す奇跡を目の当たりにして、
呉羽は「超大穴当てにいく」ことを誓い、視界が開けるのであった…。


ベントから帰ると、またも時間がスキップ。
3年生も2か月が経過し、初夏に突入。

展開が早い。
呉羽は自信が立てた目標に向かって座学、座学の日々。

しかしケダ高の成績は「体育の成績が全成績の7割を占める」って時点で呉羽は詰んでると思うのだけど、
この時点では絶対に最終的な結末を考えているだろうに、どうしてこんな設定を今になって出したのか疑問だ。

呉羽がやるべきは座学ではなく、体育会の部活並みに運動をすることではないか。
何もしなくても人間学はほぼ満点だろうから、不得意教科を勉強するべきなのでは…?

もしかして『1巻』の時みたいに、勇気と知恵があればテストに合格できたりするのかな。
この辺も語られないまま、ひたすらに座学のみの呉羽さんである。


いてのイベントは蝶々の結納。
キャラの弱い婚約者でしたが、作品として婚約の事実だけが欲しかったのでしょう。

自分の未来に思い悩む蝶々に、呉羽は自分が獲得した強さを示す。

にしても呉羽は強い時と弱い時の差があり過ぎるなぁ。
簡単に他人の言葉に左右される一方で、人を鼓舞する言葉も持っている。
さすが少女漫画のヒロインである。
ともあれ、呉羽の言葉が蝶々に変革をもたらす。

そして本書においては、生徒会メンバーの結婚式やお見合いなどは全て破壊されるのが運命。

黄苑と呉羽の結婚式はともかく、茅と薊のお見合い(『3巻』)は、
確実に今回のための前座となっているだろう。

結納の日に、他種族の王子を自宅に連れ込む時点で、
蝶々も無意識で彼にヒーローになってもらいたかったのかもしれない。

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勘当されて人間になる障害がなくなった⁉ 家族を捨て愛に生きる不倫妻にも見えるが…。

び、元ケモノ現人間の姫菱(ひめびし)が登場。
姫菱は高1の時に最下位で、卒業時にトップに上り詰めた伝説的な生徒。
呉羽も状況は同じ。
ただ体育が成績の7割なので、かつてはケモノだった姫菱より分が悪い。
そして今は3年生の1学期なのだ。

ここで姫菱から『最後の審判』の掟について説明がある。
なぜ部屋に入ってきたばかりの姫菱が、呉羽がPCで見ていたものが分かるのかは謎だが。

最終的な成績でウサギが単独1位になったら、もともと人間なのでギフトは譲渡か拒否。
しかし単独1位のラビットがキングだった場合、2位のケモノを全員人間にする事が出来るというもの。

何と言う抜け穴。
そして平均2週間で逃亡するウサギが単独1位になる場合まで掟を作っているなんて、ケダ高は優秀な所だなぁ…。
姫菱の言う通り可能性ゼロのことまで考えるなんて、リスクマネジメントどころの話じゃない。
ケダ高に電力会社のリスク管理をして欲しいものだ。

でも、姫菱の代で『最後の審判』が校長からキングへと権利が移った割に(数年前?)、
そんな例外中の例外まで想定するかね。
校長が『最後の審判』をしなくなった理由もないままに、
学校の制度だけは不備がない(ということにしている)。


ここで大きな流れが明かされるわけですが、
人間になりたい右京と茅と違って、蝶々まで人間になる可能性が出てきた。
それは家族との永遠の別れを意味する。

私には救いのようで、救いじゃなく思える。
月一で帰省している蝶々が、家族と永遠に別れることを割り切れるのだろうか。

茅はまだ人間になることを望んでいたが、蝶々はそれほど積極的じゃないまま高校3年生まで過ごしてきた。
家族の大反対などあって当然だと思うのだが、その辺は都合よく割愛されている。

一応、今回の結納騒動で勘当されており、蝶々は前向きな未来を選択したと言えるが…。
それでも4人でいられれば、あとはどうでもいい、という大雑把な印象を残す。


独1位のラビットがキングだった場合、2位のケモノを全員人間にする事が出来るという奇跡は、
「人間に不利な環境でラビットとして3年間在籍すること」
「キングとして3年間務め上げること」
「これらを考慮したら妥当なギフト」らしい。

とはいうものの、これってウサギ自身に対する論功行賞ではない。
この「スペシャルギフト」を使用するかどうかの選択権はあるけど、ウサギ自身が何も得をしない制度である。

まるでキングが2位と懇意なのが当たり前のような言い分なのも気になる。
全て呉羽を想定しているとしか思えないのが、気持ちを白けさせる。

しかも、2位が同率で複数いることも非常に稀な出来事なのだ。
確率は本当にゼロに近いだろう。
それなのに、その「スペシャルギフト」には代償が必要だそうだ。

それが「スペシャルギフトを受け取ると 人間になったケモノはウサギに関する記憶を失くす」というもの。

…もはや これってウサギのためじゃないよね?
苦しめるためだよね。
ウサギに対するイジメだよね。

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努力したウサギに何の得もない「スペシャルギフト」。呉羽に合わせたとしか思えないぞ…。

茅と蝶々が『最後の審判』の制度を立ち聞きしてしまい、呉羽の苦しみの一片を知る。
そして右京も呉羽の覚悟を知ることになる。

ここでは彼らを同時には幸せにさせないという作者の強い意志しか感じない。
このルールの必要性を全く理解できない。
せめて理由も併せて示せなかったのか。
どんな無茶苦茶なのでも、あるのとないのでは大違いなのに。

やはり「ギフト」制度を もっとちゃんと設計しとくべきだったのではないか。

多大なエネルギーが必要とか、原料が限られてるとか、
じゃなきゃ、粉(パウダー)かけるだけの儀式にしか見えないのに、
複数人いると、どうしてウサギの記憶まで失くさないといけないのか。

感動させようとしているな、と作者が透けて見えた時点で、本書に興味を失くした。


かし黒蘭と同じように、雛菊(ひなぎく)が完全に空気になっていて可哀想だ。
本当に ただの当て馬だったようです。
茅の気持ちを方向転換させたら出番、激減。

彼を退場させて、茅が出しゃばっているのを見ると正直、嫌な気持ちになる。
茅は蝶々が人のものになるのが嫌だから、何とか手を繋ぎ止めようとしているだけにしか見えない。

これは幼なじみを初めて異性として見るのと同じ経緯なんだろうけど、
右京に負けたくないから呉羽に接近してみたり、茅は自分の価値を持たないんじゃないかと思える。

罵倒でしか喋れない右京も嫌だが、気持ちを貫けない茅も同様に嫌だ。
格好つけた男どもを描いているけど、格好良く感じられない。
本書に熱を持てなかった理由の一つはそこにある。