福山 リョウコ(ふくやま りょうこ)
モノクロ少年少女(ものくろしょうねんしょうじょ)
第06巻評価:★★☆(5点)
総合評価:★★☆(5点)
“同族のフィアンセ”という決められた未来がありながら、学園にいる間だけでも右京を想い続ける蝶々。その想いの強さを知り、応援すると約束した呉羽だったが、自分の中に芽生えた右京への恋心を自覚し、約束との板挟みに悩む…。そんな呉羽の気持ちを知った茅は !?
簡潔完結感想文
- 『6巻』はケモノ設定が ほぼ関係ない、一方通行の恋たちの物語&文化祭。
- 主に男女4人の4角関係。男同士・女同士、正々堂々闘うことを誓います。
- 素直なセリフは意識がない or 無意識でしか言えない右京。ブス=かわいい?
だいたいのケダ高のルールには抜け道があると思え、の 6巻。
例えば『1巻』の生徒会選挙で主人公の呉羽(くれは)が、
選挙ルールの裏をかくように生徒会長に当選したように、
ケダ高での規則には抜け道の存在がある。
『6巻』の抜け道は文化祭 最終日でのダンスパーティー。
リボンの柄が同じ男女がペアになることを決めた生徒会メンバーが規則を破る。
男女を拡大解釈したのまでは許されるが、
リボンについても企画者当人たちが無視する始末。
生徒会メンバーがやっぱり好きだと読者に思ってもらえば、
細けぇことは、どーでもいいんだよ。
なんたって、ケモノにおける人間の価値すらも説明しない漫画なんだから。
この「ダンパ」のシーンは前夜のものを含めて本当に良いシーンなんですが、
最後の最後でルール無用であることが気になって仕方ない。
その前の学校全体の高揚感や、個人の心の変遷を だいぶ帳消しにしている。
個人の心の動きを縛ることにかけて微に入り細を穿って描き込んでいるのに、
世界そのものは大雑把に扱っていることが残念すぎる。
力技で感動させにかかっている気になるのだ。
そして これまでとは打って変わって、恋愛に特化しているのが『6巻』の特徴。
ただし『5巻』の感想文で書いた通り、呉羽の恋は自覚した途端に八方塞がりになっている。
従来なら最後に扱うトラウマ話を、前半に持ち込んででも成立させたかった、
始まった時から終わりや叶わぬことが分かっている悲しい恋たち。
必死で目を背けて耳を塞いでも、当人が目の前に来ると抵抗の全てが無駄に終わる。
そんな恋の破壊力を呉羽が思い知らされている。
まさか本書で こんなに恋愛成分が高くなるとは思いもしなかった。
一方で右京(うきょう)は改めて「お気に入りの人間の女の子を守るため」に人間になることを誓う。
これまでと同じ言葉で説明できる彼の目的だが、対象者が違う。
そして右京は、彼女を守るために自分の好意を口に出来ない。
気持ちを伝えることは、彼女に類が及ぶ。
だから彼女を守るために、気持ちから彼女から遠く自分を置こうとするが、
やはり彼も恋の破壊力を思い知らされる。
好きになってはダメなのに、好きになってしまう。
そんな恋の禁止事項がかえって、好きを鮮明に浮かび上がらせる。
さすが前半に状況を整備しただけあって、切なさが他の漫画とは段違いです。
恋を自覚すると同時に、ライバルの存在を認知する。
でも、この恋には胸を張っていたい。
だから この気持ちからは目を背けない。ライバル上等だ。
さて この恋のルールには抜け道はあるのだろうか…?
そんな恋の嵐が吹き荒れる中、ケダ高祭が開幕。
そこに蝶々(ちょうちょう)のフィアンセ、オオカミ国の連玉(レダマ)が登場。
彼は蝶々の不自由な未来の象徴。
この7,8年余、蝶々が努力で獲得してきた自由は、あと2年強で終わりを迎える。
彼は登場が1回きりじゃなかったけど、連玉もキャラが弱いなぁ。
象徴でしかないから仕方がないのだろう。
作者としては どの登場人物も一癖ある変人にしたいんだろうけど、無理矢理感がある。
こういうキャラ付けはハマれば面白いんだけど、ハマらないと わざとらしく映る。
この婚約者は未来を縛るもの。
呉羽はそんな蝶々を解放しようと、文化祭の劇中で、
セリフを自分の言葉に変えて、蝶々に想いを伝える。
呉羽の言っていることは間違っていないんだけど、綺麗事が過ぎる。
もちろん決められた未来にばかり囚われてしまった蝶々に、
もう一度 学園生活を楽しませる効果はあったと思う。
でも これだけ がんじがらめの世界のルールを示しといて、理想論を語られても、言葉が軽くて響かない。
一般の婚約者ならまだしも、彼女たちは王族なのである。
駆け落ちした自分の両親と同じレベルで語っているような気がする。
そして これまで示されてきたルールにおいては、蝶々の恋に成就はないのだ。
蝶々の絶望を全て理解しているとは思えない言葉だ。
自分の恋心を理解しているはずの右京がこの期に及んでブスだのチビだの言うのは、
彼のトラウマ(兄弟問題)が解決していないからだろうか。
素直になれない男性キャラはまだしも、だからといって罵倒する人を好きになれない。
私は こういうので萌えられないなぁ。
行き過ぎたキャラを好む一部の人に迎合していると、
いつの間にか誰も共感できない作風になってしまいそうで怖い。
前作『悩殺ジャンキー』のウミとも被っている。
次回作も同じ男性キャラだったら、作者との付き合いを考えよう。
そんな右京が、一部ファンから黄色い声援を受けるのが、飲酒イベント(マタタビドリンク)だろう。
これまでもずっと寝てる時、高熱の時、自分のシッポでしか本音を表せなかった右京。
今回もまた平常心を失っている時に、素直な言葉を吐く。
あざとい。もはや狙ってやっているとしか思えない。
一方で自分の恋心を自覚した瞬間に、友情と恋愛の板挟みで苦しむのが呉羽。
そして そのことを洗いざらい茅(ちがや)に相談して彼を傷付ける。
どこをとっても、誰の視点でも苦しい恋愛なのが辛いですね。
そんな呉羽のために ダンパの夜、蝶々が前言をスマートに撤回した場面が素敵だった。
茅といい蝶々といい、人への気の遣い方が上手い。
これが王族の気品なんだろうか。
この蝶々が男装しているのはコスプレすることで気持ちが男前になり、
自分ではない誰かになりきることで、蝶々も気持ちが素直に表すためでもあったのかも。
卑怯な手を使わずに、全力で勝ちに行く。
それが男同士、女同士の恋愛のルールとなった。
抜け道はない、はず。
文化祭の後は、すぐに3学期。
人間界と違い、クリスマスなど季節のイベントがありませんね。
あるのは学校イベントのみ。
新年になっても、勘違いし続ける右京。
茅が、交際を迫る女生徒を諦めさせるためにキスの場面を見てしまった呉羽。
それに衝撃を受けているところに、茅のことをどう思うか右京に聞かれ、思わず赤面してしまう。
また勘違いが1つ増えていく。
右京といい呉羽といい、普段は強気なのに、
純情な二面性を持っていると話を作るのに便利である。
そんな中、生徒会に、人間界に脱走した3年生の浅葱(アサツキ)を連行するよう指示が出る。
そうして再び舞台を人間界に移す。
本書では世界が主に3つあって、それを順々に巡っていけば背景が変わるので、
話が動いているように錯覚させることが出来ますね。
これまでも ケダ高 → 人間界 →生徒たちの母国 → ケダ高 → 母国 → 人間界と、
舞台は変わり続けている。
しかもケダ高では学校イベントを開催すると、お祭り騒ぎが出来るから特別感が出る。
お話が動き続けているように見えるのは(実際、巧みに話題が推移しているのだが)、
舞台が変わっているからでもあるのか。
浅葱は人間に恋をしたケモノの例だろう。
これは右京にとって考えさせられる事例になるはず。
ちなみに今回はクシャミをしても変身が解けていないのが気になった。