福山 リョウコ(ふくやま りょうこ)
モノクロ少年少女(ものくろしょうねんしょうじょ)
第12巻評価:★★☆(5点)
総合評価:★★☆(5点)
少しずつ距離が近づく茅と蝶々。一方、遂にお互いの気持ちを伝えあい、付き合うことになった呉羽と右京。でも呉羽は勉強ばかりで右京はちょっと不満気味!? そんな中いよいよ迎える最終試験!果たして奇跡は起きるのか!? 感動の最終巻!!
簡潔完結感想文
- 最終巻でも謎ルールがまかり通る。ケダ高で二度と使われない掟ばっかり。
- 学園のドS王子が 罵倒していた地味な女の子にゾッコン。少女漫画あるある。
- 何度でも 立ち上がり呼ぶよ きみの名前 声が涸れるまで。1%の光に賭けて。
最後まで主人公を苦しめ続ける作者のドSが冴える 最終12巻。
最終巻は一気読み。
結末まで一瞬たりとも目が離せない。
緊張感を保ちながら、最後まで楽しんで読むことが出来た。
何度も指摘しているが、章立ての上手さ、場面転換の早さは他に類を見ない。
部分と全体の構成力は目を見張るものがある。
1話の中での笑いと感動の配分にも感心する。
全体的にバランス感覚に優れた人なんだと思う。
…が、これだけ べた褒めしておいて総合評価は5点である。
これは主に本書の舞台、ケダ高の設定に関する部分と、
頭でっかちな私の感覚が合わなかったことに起因する。
ケダ校での学校生活は人型のケモノと人間の、食うか食われるかの異種族交流であり、
全校生徒から命を狙われるという前代未聞の特殊ヒロインを誕生させた。
ここで主人公は身分違いならぬ、種族違いの恋をするのだが、
その逆境を乗り越えるために作者が編み出した手法の雑な設定が気になって仕方なかった。
初読では勢いで誤魔化せていた設定が、再読して精読すると疑問に変わっていく。
物語の根幹に関わることだから、もう少しルールを熟考して欲しかった。
そしてもう一つの減点対象はヒーローの右京(うきょう)。
ドSなのはいい。トラウマが解消されるまでの男性キャラが粋がっているのは仕方ない。
ただ、彼は実質トラウマが解消された後も、彼女のことを罵倒し続けたのには辟易した。
好きでたまらない人をブスと呼ぶ人間性が私には分からないし、
それを許してしまう少女漫画読者と作者の感性も私とは異なるものだった。
これまで2作の長編を読んできて、作者の男性キャラの好みが見えてきた。
1つ、素直じゃないこと。
1つ、背が高いこと。人権は180cm以上の男性に与えられるものらしい。
素直じゃないことが罵倒に繋がるのかもしれないが、
こういう漫画の世界でしか生きられないようなキャラを私は好きになれない。
ケモ耳よりも、こういう感性にオタク度を感じる。
ネタバレになるが、結果的に右京が ああなったのは、
自らの意思もあるが、彼から記憶と共に罵倒の言葉を奪うためではなかったかと思ってしまう。
本書は少女漫画特有のヒーローのトラウマは別の人物に託されており、
右京は その人物のトラウマを解消することで、間接的に呪縛から解き放たれた。
直接的なトラウマの解消ではなかったので、
右京は人格が生まれ変わったかのような新しい自分を獲得しなかった。
だから その後もヒロイン・呉羽(くれは)に対して「チビブス」と悪態を取り続け、
更には自分が彼女に抱く好意を認め、恋人関係になってからもブスと呼び続ける。
そんな困ったヒーローの人格を矯正するには記憶のリセットによる一種の転生しかなかったのではないか。
そう邪推してしまう。
ま、実際はヒロインがリセットされてしまうと物語から一貫性が失われてしまうからでしょう。
呉羽の記憶喪失だと、絶対に彼女が記憶を戻さないと物語が完結しないもの。
でも右京にそれを引き受ければ、明るい未来を予感させつつ、リドルストーリーとして物語を閉じられる。
右京は彼女のためだけでなく、物語の犠牲になったのかもしれない。
そう考えると なかなか良い男なんですが…。
一応(笑)、恋愛要素もある『12巻』。
ドSな人間が最初は興味がなかった女性に、いつの間にかに夢中になっているというのも少女漫画あるあるです。
素直な右京は少し可愛く思ってしまう。
しかし これは麻薬で まやかしだ、と気を引き締める。
ツンとデレの振り幅で笑いと萌えを生み出しているだけに過ぎない。
上げて落とす、落として上げるが胸ドキや胸キュンの基本。
それが簡単に表現できるから、ドSは漫画家からも支持されるのだろう。
しかし使いすぎると この手法でしか漫画を描けなくなるのではないか。
以前も書いたが、作者の次作が同じ造詣のヒーローだったら、
これは作者の手癖だと思い、その作品で読むのを止めるかもしれない。
でもキャラに慣れてくると、やっぱり可愛さと愛着を覚える。
ましてや本書において右京が素直な時間はとても短い。
レアでピュアな彼を十分に堪能しようではないか。
最終話の記憶を失くした右京は、憑きものが落ちたというか、
クロヒョウがすっかり白く漂白されたかのようなキャラになっている。
にしても それまでどうやって生きてきたのだろうか。
他の3人の記憶はないけど、クロヒョウ国の王子で会った記憶はあるのだろうか。
ルールとしてはあるんだろうけど、それすらも消去されているような印象を受ける。
本当に転生して、生まれた時から人間界で生きてきたパラレルな右京のようだ。
ちなみに人間界での右京の名字が黒平(くろだいら)なのは、
黒平(くろへー)→ くろひょー から由来するのだろうか?
あっ、平は そのまま、平仄(ひょうそく)の ひょう として読めますね。
出会い直して、早くも恋に落ちているように見える。
彼らが、人間界でも追う者と追われる者、
捕食者と被食者という関係であることは、何よりも胸キュンだ。
右京が引っ越してきて、隣同士で暮らす築年数が相当経ったボロいアパート。
そのアパートの壁が、寝相の悪い右京によって壊されて、
1つの部屋として使用して暮らすのも時間の問題か。
呉羽が毎日、右京の名前を抱きしめながら囁けば、改変された記憶は戻るだろう。
それは黄苑(きおん)が母親との実例が示してくれた可能性。
不可能を可能にしてきた呉羽だもの、何年かかっても実現することは間違いがない。
そうして また時間が経過すれば、
今度は新しい表札が必要になるだろう。
きっと書かれている名字は一つだけ。
黒平として2人は生きるのだ…。
あぁ、本当にルール以外は良い話なんだけどなぁ…。
以下はルールに関しての疑問点を挙げていきます。不平不満です。
物語のクライマックスを担うのは、ケダ高の卒業式で行われる「ギフト」の授与。
卒業時の成績がトップの者、1人だけが受けられるケモノを人間に固定化する儀式。
そして その中でも主人公・呉羽が狙うのは「スペシャルギフト」というもの。
これは「ウサギ」が成績トップの場合にだけ許される、2位を人間に出来る制度である。
この制度で大事なのは、2位が複数人いても良いこと。
これによって生徒会の4人が揃って人間界に足を踏み出せる可能性が出た。
この厳しい条件をクリアするには誰一人として手を抜いてはならず、
その上で呉羽はトップにならなければならないという最難関の試練である。
だから呉羽の高校3年生は現実の受験生と同じく勉強漬けになる。
物語も勉強以外は割愛しており、3回目の文化祭も丸々カット。
そこまではいい。
4人が最大限努力して獲得する奇跡。
それを描きたいのだろう。
だが、そこに新たな条件を加えたことに疑問が溢れる。
そもそも「スペシャルギフト」は特例中の特例で、
主人公が針穴に糸を通すような困難を乗り越えながら獲得する奇跡なのに、
そのギフトが彼女自身への恩恵ではなく、他者へ与えるものであるという価値観が謎である。
更にその上、恩恵どころか代償まで払わなくてはいけないという意味不明な論理が押し付けられる。
そこに説明は一切ない。
そこまででも等価交換にならない価値に辟易していたのに、
よりにもよって、そのルールを当事者(呉羽)以外が勝手に曲げられることには失望しかなかった。
ケダ高で初めて「スペシャルギフト」を実現させたのも、
訳の分からない代償を受け入れることを決めたのも呉羽なのに、
第三者が介入できる余地を残し、それが適用されたことに怒りすら覚える。
第三者に何の権利があるというのだ。
この第三者=右京が、呉羽のために出来たことは、彼が単独1位を取ることだったのではないか。
親友たちとは別れることになるが、
右京が ケダ高での記憶と共に呉羽と一緒に人間界に戻るにはそれが最善の道だった。
しかし右京は呉羽にトップを奪われた。
この時点で負け犬なのである。
その彼が呉羽の決断や学校のルールに口を挿む権利など どこにもない。
人の感情の機微を繊細に描いてきた本書なのに、
この越権行為は乱暴な論理で台無しにしてしまっている。
記憶の消去は絶対という謎の前提は崩れず、
3人が呉羽1人の記憶を失くすシステムを、右京は自分1人が3人の記憶を失くすことを提言した。
これは記憶容量としては合理的な考え方だ。
でも誰が どうやって記憶を消すのか、なぜ記憶が消さなくてはならないかなど、説明が一切ない。
ここは多少 無理矢理でいいから説明を加えて欲しかった。
どうしてそうなるのか という理由や背景を考えることを作者が放棄しているとしか思えない。
クライマックスで主人公を苦境に立たせるためだけにルールを恣意的に運用して、
その上で感動を作り上げるためという作者の目的ばかりが悪目立ちしていた。
そして呉羽がどうやって成績を上げたのかも謎です。
都合の悪いことは徹底的に描かない。
例えば、体育の成績が全体の7割を占めるケダ高のシステムの中で、
呉羽が 体育の成績をそこそこ以上に取ったであろう背景が何も描かれていない。
でなければ3割の人間学がいくら満点でも勝てないのは明らか。
呉羽が悪知恵で姑息な手段を使ったとかでいいから、少しは触れて欲しかった。
作者が大好きな4人の登場人物を救うために物語を土台から崩してしまったようで悲しい。
そもそも なぜ4人とも救わなければならなかったのかという疑問も浮かぶ。
確かに本書は恋愛と同じぐらい、友情についてもページを割いていた。
だが前述の通り、4人全員を救おうとして、物語はしっちゃかめっちゃかになった。
作品としては、蝶々と茅の恋愛も可能になるようにした配慮だろうが、
ここは呉羽と右京だけでよかった。
そして蝶々と茅が一緒の世界にいることは どうにか出来るはずだ。
その1つの案が、彼ら2人がケダ高の教師になればいいというもの。
姫や王子として国務だか国政に就くよりも、自活して生きている。
これは彼らが獲得した自由として悪くない生き方だ。
それに異種族の恋愛の具体的な罰則は描かれていない。
例えば法律違反で罰せられるとか、性行為が出来ない仕組みになっているとかなら別だが、
治外法権のケダ高なら どの世界にも跨って生きていくことも可能ではないか。
そして友情に関しても、同じ。
卒業生で元ケモノ現人間の姫菱(ひめびし)が、ケダ高に出入り出来ていた(『10巻』の文化祭準備)のなら、
呉羽たちは蝶々たちに会いに行くことも可能だと思われる。
学校関係者は、人間界とコンタクトを取れるみたいだから、
まずは学校側が2人の居場所を追跡すればいい。
最後まで4人ともを同じ環境にするために、
よく分からないルールを持ち出して、それを更にキング以外が私的利用するぐらいなら、
少し冷酷さを出して、2対2に分けた方が まだましだったのではないか。
やはり作者のキャラ愛が作品を歪めたと思う。