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少女漫画と小説の感想ブログです

遺伝子は ささやく。僕が妹に恋をするのは、生まれる前からの宿命なんだ。

僕は妹に恋をする(9) (フラワーコミックス)
青木 琴美(あおき ことみ)
僕は妹に恋をする(ぼくはいもうとにこいをする)
第09巻評価:★★☆(5点)
  総合評価:★★(4点)
 

禁じられた関係に悩むふたりに『血がつながっていないかもしれない』という疑いが持ち上がる。双子の出生に様々な憶測や疑問が浮かぶなか、ついに咲が家族の前で衝撃の告白をする!すべては16年前に起こった、咲と裕吾、そして俊平のせつない三角関係から生まれた悲劇だった。

簡潔完結感想文

  • 母の不自然な行動から自分の父親が同級生の父親でないかと推理し、調査する頼。その結果は…。
  • 諸悪の根源が母にあると決めつけ 辛く当たる頼。挑発に乗るように部屋を訪れた母が見たのは…。
  • 母から語られる真実。それは頼が信じたかったこととは少し違った。大団円かと思いきや大崩壊。

たちでは出来なかったことが 次の世代では叶いますように、の9巻。

今回は『9巻』までの内容を踏まえて、全面的にネタバレ感想文になります。ご注意を。

3人の男女と3人の子供。私たちの間にどう補助線を引けば、正しい形なるのだろうか。

私は本書は、一種の「転生モノ」だと思っている。

転生前の姿は、双子の頼(より)と郁(いく)の母・咲(さき)、そして頼たちの同級生・森 杏沙(もり あずさ)の父で、頼たちの両親と同級生だった裕吾(ゆうご)。

惹かれながらも結婚できなかった(一度きりだが結ばれてはいる)2人が、来世では結ばれることを祈った2人の想いは男女の双子となってこの世に生を受ける。

そうした一種の転生で誕生したのは、
1人は男の子。今度こそ生涯ただ一人愛した人を愛しぬく決意をもって生まれた子。
1人は女の子。今度こそ一番愛する人と ずっと一緒にいられることを願って生まれた子。

そして生まれた子は頼と郁と名付けられ、両親の願いをそれぞれに宿し、惹かれ合った。

ただし彼らの転生は早すぎた。
なんと自分たちが生きている間に、自分たちの子供として生まれてしまったのだ。
ラノベ風にタイトルをつければ「転生したら兄妹だった件」だろう。
百人一首でいえば「われても末にあはむとぞ思ふ」だろうか。

そして、それが頼の不幸の始まりだろう。
なんで、よりにもよって頼なのよ!
母親の咲はこう叫びたいだろう。

郁と頼の兄妹の間に生じる情動は、倫理観など吹き飛ばすほどの生まれる前から 彼らに宿った願いだったのだ。


くの読者が嫌悪する『1巻』1話の、寝ている郁に性的暴行を加えた頼の行動。
これも頼を擁護するならば、頼自身よりも大きな力、遺伝子の囁(ささや)きが作用していると考えられる。

兄妹という間柄で15年間ずっと郁を愛してきた頼。
肉体的にも成長したことで、頼という人格が裕吾の遺伝子に乗っ取られたのではないかと考えると理解の一助になる。

また、それは『9巻』の後半、言動に疑問の多い荒ぶる頼の姿にも適応される。

51話以降の頼は なぜあんなに母に挑発的な態度を取るのか、自制してきたリミッターを解除し、欲望のままに行動したのか。
もちろん自分の母の疑惑や浮気心、息子として御しがたい感情が湧くのも理解できる。

ただそれもまた遺伝子の囁きではないかとも考えられる。

母の監視の目があると知りながら、家の中で遂に2回目の性行為を始める頼。

これは51話冒頭で、咲(頼たちの母)が自分たちの過去やその結晶を思考と家庭から排除しようとするのを目の当たりにした裕吾の怒りや、遣る瀬無さが頼に伝播したのではないか。

だから、家庭を守る良き母として保守的な態度を貫く咲を挑発し、そして事件を誘発させるよう仕組んだ。
そして兄妹間の性行為を見てしまう母親という衝撃的な見開きのページが生まれる。

母に疑惑の目を向ける息子。息子に疑惑の眼を向ける母。頼は想いを貫き通す。

確かに頼の中の遺伝子がささやいている時は、頼の知能が上がっている気もする。
『1巻』で言葉巧みに郁を誘導し、合意の下で性行為をしたという事実を作った際や、母に全責任を押し付け、郁を誘惑するように部屋に誘うことで母の暴発を誘った知能犯の頼は、頼でありながら裕吾であったように思われる。

まぁ、表面上の行動は、お年頃の頼が反抗期を爆発させ、家の中で妹に欲情しただけにしか読めませんが…。
私も自分の考えにすがらないと、今巻の後半の頼の心理は理解できませんね。
この後の展開に繋げるために、無理矢理 逆ギレしているようにしか思えない。

しかし、そう考えると長い間(『3巻』中盤~『9巻』中盤まで)、頼が郁に結ばれなかったのも納得がいく。

つまり頼が性衝動に駆られるのは頼の中の裕吾が顔を出した時だけ。
それは頼にとって郁が妹か、それとも一人の女になるかの変わり目でもある。

頼の人格の大半が頼である時は、精神的な愛が大きくなり、妹に手を出すことは能(あた)わない。

それが顕著なのが『7巻』で、ホテルで一夜を過ごしたにもかかわらず、頼が「緊張しすぎてキスすらできな」かった場面ではないか。

頼が精神的な充足はさておき、性的に興奮している場面は結構少ない(特に中盤)。

とすると冗長だった「遠距離恋愛期」「セカンドバージン期」にもそれなりに意味があったのではないかとも思えてくる。

もしかして、裕吾の発する精神コントロール波は距離によって受信感度が違うのかも。
県外の進学校を退学になった後、初めて裕吾と直接対面をする機会を重ねることで、頼は頼という受信機に成り果て、どんどん裕吾の思考に乗っ取られたのかもしれない。

…って、どんどんSFやスピリチュアル的な方向に向かってますね。
なんたって本書は一種の「転生モノ」ですから。

しかし仮にもし本当に裕吾の「転生」だとしたら、生涯ただ一人愛した女性を母親に持ち、育てられるのは、どういう心境でしょうか。
裕吾の遺伝子だと、興味が郁ではなく母・咲に向きそうですけどね。
「僕は母に恋をする」ってか…。おいおい…。


書の中では、頼たちの結城家、そして裕吾たちの森家、2つの家族は外見が似ている、似ていないで分類できるらしい。

頼に似ているのは頼、杏沙、その父・裕吾のグループ、そして、その他の結城家の人々は頼とは あまり似ていないというが…。

ここは作者の描き分けが全く機能していないため、外見上は全員同じ顔をしているから説得力がまるでない。
輪郭の描き方が一種類しかないのは大きな問題。

その代わりの記号として、髪の色が見分ける方法として残されている。
黒か白か。
まさに毛色が違うことが血縁者の証明になる。


た、あと少しが我慢できないのが裕吾の遺伝子の影響だろうか。

ずっと気持ちを秘してきたにもかかわらず、結婚式当日になって、花嫁衣裳の咲を抱いてしまう裕吾。

同じように高校進学を機に別離を決めながら、妹に手を出してしまう頼。
本当に似た物親子なのかもしれない。

にしても母親の咲の強心臓にも恐れ入る。
裕吾と結ばれたのは結婚式当日、そしてその夜は、裏切った夫と初夜をしっかり迎えているのだ。
罪の意識があれば「疲れた」といって断ることも、出来なくはないはずだ(夫婦のマナーとしては問題だが)。

そして男性2人とも、避妊をしていないことに驚く(咲からも訴えない)。
男性2人の精子は優秀なようで、しっかりと仕事を果たす。

母の言いようや、本書の記述だと性行為をした順に、兄と妹として生まれたみたいな書き方だが、そう単純に順序良く生まれてくるわけじゃないでしょうに。
ましてや兄弟以上に他人の関係。
発育に差が出るだろうに。

もちろん科学的な根拠として血液型の違い、夫婦間では生まれるはずのない血液型を頼が持つという傍証はつけている。
また高校生の頼の髪の毛を採取して裕吾が行ったDNA鑑定も根拠の一つ。

ただ、もしそんな証拠が一つも無くても、母・咲は同じ母体から生まれた2人の父親という自説に固執しただろう。

根拠がない内から咲は頼に裕吾の影を、そして裕吾は頼に咲の面影を見出す。
どこにでも愛する人の面影を見つけようとするのが人なのだから。

そういえば『8巻』で会食の際に裕吾が、「3年の終わり頃 咲と俊平(しゅんぺい・のちの夫)がつき合い始めた」と言っていたが、今巻の裕吾の回想では裕吾と咲の初対面の時から既に交際していた雰囲気がある。
(大人のアイテム・タバコを吸っていた裕吾に咲は「未成年」と注意しているから2年生以下である)


城家の真実は、驚くべきもの。
誰もが安直に想像していた結末から外れた事実であった。

ここで安易な逃げ道を作らなかったことは良かったと思う。

ただ、いくつかの伏線かとおもわれた部分は、全てミスリーディングの種であった。
いつぞや頼たちの父が呟いていた誕生日が違う問題もただ日付が変わる前後に産まれただけだったし、一時的に頼がすがった、親友・矢野(やの)家の美人女医の的外れな推測も全ては読者の誤誘導のため。

謎の存在感を見せる矢野家の主治医。
彼女は「それしか考えられないわ」とタバコをくゆらせながら、医学知識ゼロの推理を開陳する滑稽な名探偵でしたね。
しかしタバコは作者の中で大人の雰囲気を出す最上級の小道具なんでしょうか。
タバコシーンは全てが滑稽に見えます。


にしても郁は物語から排除され過ぎじゃないでしょうか。
描かれるのは頼の葛藤のみ。

兄妹間の情事にしても、複雑な家庭事情にしても郁は蚊帳の外。
世俗から切り離された無垢な存在として扱いたいのでしょうか。

そして家の中で 事を致してしまう神経は分かりませんね。
頼は母を挑発中だったが、郁には配慮や常識がないのでしょうか。

一番、快楽に溺れていたのは郁かもしれませんね。
そして郁もまた母の願望を託された一人であるから、郁=母の構図が出来る。
常識的に振舞ってはいるものの、ずっと好きな男と結ばれたかったのは母なのかもしれない。


また寛大な姿勢を見せた双子の父、咲の夫・俊平の不自然さも否めない。
頼が誰の子か知っていた事実と寛容に受け入れていた真実はともかく、頼と郁が、ただならぬ関係であったことに何も反応がない。

なぜ妻が急に取り乱しているのか、
子供たちが半裸の状態で一緒にいるのか、
持って当然の疑問を一切無視して、理解のある父親を演じられてもピンとこない。
もっとページを割くべきところだったのではないか。