《漫画》宇宙へポーイ!《小説》

少女漫画と小説の感想ブログです

オレは妹に性的暴行をする、を 綺麗な言葉で言い換えてみました。

僕は妹に恋をする(1) (フラワーコミックス)
青木 琴美(あおき ことみ)
僕は妹に恋をする(ぼくはいもうとにこいをする)
第01巻評価:★★☆(5点)
  総合評価:★★(4点)
 

妹の郁(いく)と兄の頼(より)。幼いころはとっても仲のよい双子だったのに、15歳の今、なんでもできる頼と、なんにもできない郁は似てない双子。そんなとき、頼が郁に突然キスを!「子供のころからずっと、一番大切な女の子だった」と言う頼は、「オレを選ぶなら郁からキスして」と郁に迫るが…!?

簡潔完結感想文

  • ある夜、兄が突然 私のベットに入り込んできて、私に覆いかぶさってきて唇を重ねてきた。
  • 自分の罪を巧妙に軽減しようと卑劣な兄は私に選択を迫る。私に罪を共有させるために。
  • 兄と作者に思考能力を奪われた私は唯々諾々と要求を呑む。その意味を深く考えないまま。

600万部売れたという少女漫画は男性側の欲望を形にした漫画でした。

妹への劣情を抑えられなくなった兄は、ある夜、妹のベットに入り込み、身体をまさぐる。
…って、どこの成人向け雑誌・動画のオープニングだよ、と顎が外れる内容の連載1回目。

2003年前後の小学館少女コミック(当時)は、どういう意向でこんな漫画ばかり掲載していたのでしょうか。

私の中で史上最低の少女漫画という位置づけの『レンアイ至上主義』が始まったのが2002年の後半、
そして年が明け2003年になってすぐに連載が開始されたのが本書。

『レンアイ至上主義』が私的評価3点なのに対して、本書は4点。
ただ、ヒロインの陰部に魔の手が迫るだけのヒーロー漫画『レンアイ至上主義』と、
本書を同列に語るのはさすがに申し訳ない。

本書の評価が低いのは中盤の登場人物が右往左往するだけの内容の無さが原因。

どうやら当初の連載は1巻分の予定だったが、少女漫画連載によくある、
読者から好評を得て連載が続行されたらしい。
なるほど、話を伸ばすだけの構想がないから、中盤の中身があんなにも ないのか。

本書の内容を3巻ぐらいで まとめてくれれば、評価は また違ったはず。

本書「俺は妹に欲情する」で、問題行動ばかりの双子の兄・頼(より)の行動についても、全てが肯定できるものではないが、
読了すると私なりの解釈が生まれたので、その点は私は納得している(多分『9巻』で考察します)。

『1巻』のラストも実は大きな意味があったりして、物語全体の構造はしっかりと考えられてある。
安易な安息の場所を与えずに、苦悩させ続けてもなお愛を貫いた登場人物と作者が嫌いではない。


題は、その描き方です。

本書の兄弟関係は断じて恋などではないと思ってしまう展開なのだ。
「僕は妹を支配する」
そう思えるほどに、兄は妹の心理を巧妙に誘導している。

主人公である兄・頼に真摯さや、誰かを思い遣る優しさがまるでないのが恋愛漫画としては大きな欠点だろう。

ずっと秘めていた想いを妹に語る頼。彼女に選択を迫る言葉に精神支配の影を感じる。

私が、本書の内容で最初に躓(つまづ)いてしまったのは、兄・頼の言動と、その順序です。

頼が妹を想う気持ち、それは間違いなく本物、その前提は呑みましょう。

ただ、突然、寝ている妹のベットに闖入し唇を奪い、胸をまさぐった後、
目を覚ました妹の郁に自分の純愛を説いても説得力がまるでない。
最初に同意が無かったことが作品の品格を大きく落としていると思う。

そして続く、頼の言葉にも嫌悪感が湧く。

「選べよ オレのものになるか 今日のことを一生悩んで ほかの男のものになるか」
「どのみち もう元には戻れないんだ …オレを選ぶって言うなら 郁からキスして」

言葉のチョイスが最低ですね。
何が「今日のことを一生悩んで」、だ。
お前が欲情をコントロールできずに一方的に吐き出したのではないか。
私の中では痴漢や性的暴行の後、お前だって喜んでたじゃないか、と言い放つ男と同じぐらい卑劣です。

まず妹の郁はこの時点で冷静ではない。
なぜなら睡眠中に兄に性的行為を一方的にされたから。
混乱と恐怖の中にいるだろう。

頼は、それに乗じて郁に選択と行動を迫る。
私はここに再度、卑劣さを感じますね。
郁の方からキスさせることで、自発的な態度を取らせる。
それは全ての罪の免罪符となる。
これは一方的な行為ではない、同意の上だった、と。

そして郁は、兄に嫌われたくない、
家族への情を、自分と兄とを繋ぎとめる手段として使わされて頼の言いなりになる…。


の一連の流れは、家庭内性暴力としか読めません。

また、ヒロインである双子の妹・郁(いく)が兄の頼と同じ年齢に見えないだけでなく、
年少の子供、もしくは書き方が難しいが、知的な障害を持った人に見えるのも問題だ。

作者としては、同じ双子なのに一方は成績優秀、眉目秀麗な兄、
もう一方はバカでドジ、でも純粋な ほっとけない妹像を演出したかったのだろう。
しかし郁は『1巻』はまだしも、話が進むにつれ、その演出が過剰になり、知性が欠落していく。

そうして年齢や思考といった頼との同等性が崩れてしまうことによって、一層、性的暴力を加えられ、その後も従属的な関係を強いられている人のように映る。

幼いがゆえに深く考えずに、ただ大事な人との関係を失いたくないから、その人と一緒にいる。
それは自発的な行為や恋などではなく、やはり性的な暴力の拘束力なのだ。

双子ということで ぼかしてあるが、15歳の兄と10歳の妹でも頼は同じことをしただろう。
そうやって対称性が崩れると、頼の卑劣さが浮かび上がるはずだ。

妹の郁に、もっと問題に向き合う場面や思考能力が与えられていたら、
本書は もう少し違う展開を見せただろう。

だが残念ながら間違った方法で親(作者)に愛されてしまった郁は、
猫可愛がり、ならぬ犬可愛がりされ続け、おバカでも愛されるヒロインを体現する。


親に隠れての家庭内情事、恋敵の存在、そして兄妹の別離の予感、
様々な問題を盛り込み過ぎなぐらいに盛り込んだ『1巻』。
モラルはともかく、やはり次へ次へと読ませる内容になっている。

このモノローグ、頼の言葉ならまだしも、郁の言葉。彼女を快楽に溺れさせてはいけなかったのではないか。

が、この場面は大きく作品の品位を落としました。
妹への恋情を我慢が出来ない頼を描くのは良いが、このような公衆の面前で欲情を我慢できないのは違う。

この場面は作者が過激さを はき違えましたね。
しかも郁が快楽に溺れて、痴漢行為の継続を望んでいる形にしている。

新人作家が連載継続したいがために、どんどん過激な方向に走る。
これでは小学館の編集部の思う壺ですね。
「どのみち もう元には戻れないんだ …連載を望むって言うなら 自分から過激にして」

そして問題になったら編集部の偉い方はこういうのだ。
「私は作家たちに選択肢を与えただけ。自発的に動いたのは彼らですよ」

そう、こうやって逆らえない相手から巧みに誘導されて、本来はしたくないこともさせる、それが搾取。
頼が郁にやったことと同じことを社会の中でされているだけなのかもしれない…。


に関しては、ちょっと苦言を呈したいですね。

外見もそれほど似ていない双子の設定である頼と郁が、かなり似てしまっている。

更には男性キャラが全員同じ顔、同じ分け目という、もっと大きな問題がこの後、待ち受けている。
双子どころか5人以上同じ顔をした人が登場します。

特に目の描き方が全員一緒なのが致命的。
男たちを見分けるのは髪色だけという大変な作業が読者を待ち受けている。

実際、何度、混同したか分からない。
しかも結構大事な場面で間違えるので、話の流れに支障をきたす。
髪といえば頼の髪型が塗るのに時間かかりそうだなぁとは思うけど。

後年の作品を開いても、どうやら本書から10年以上経っても描き分けは出来ないみたいなので諦めます…。

顔に奥行きがあり過ぎるんですかね。男性キャラはエラが目立つ。
好きな絵を一生懸命真似して、理想の男性の顔を描きすぎて、それしか描けなくなったのでしょうか。
個人的には『赤ちゃんと僕』などの作品がある羅川真里茂さんの絵を連想します。


そして本書最大の謎は、思春期の男女の子供部屋が一つということ。

(右上)4人家族が暮らすには十分な広さの家。(左)ただし年頃を迎えた子供たちの部屋は一つ。

部屋数が足りないのではない。
一軒家で家族の人数は4人。
他の部屋は何に使っているのか、とっても気になる部屋割りだ。

もちろん話の流れ上、同じ部屋である方が何かと便利だとは推測できますが、
ここは少しでいいから説明が欲しかったところ(郁が猛反対したとかでもいい)。

欲情するほど性的に成熟し始めた彼らに個室を与えない親が悪い。
だから、あんなことになるんだ、と完読した者の感想が浮かびます。

しかも、あんな事情があるんだから尚更…、と読了後は更に不自然さばかりが悪目立ちする。