水波 風南(みなみ かなん)
今日、恋をはじめます(きょう、こいをはじめます)
第13巻評価:★★☆(5点)
総合評価:★★☆(5点)
母親に交際を認めてもらおうと、無理をしすぎて倒れてしまったつばき。そんな中、これからも一緒にいるために椿と京汰が出した答えは――!? さらにつばきにイケメン急接近!? そんな彼女に、京汰が初めての反応を!?
簡潔完結感想文
- 今は2人とも2つの物を同時に持てないから自分以外の大切な全てを手放そう。
- 好きなことに無我夢中になれる彼と並べるよう自分探しを始めるが五里霧中。
- 少女漫画はヒロインの側に1人以上のイケメン必須。男に頼ってない、よね…。
怪我をした彼が、明日が見えない私が、新しい道を歩くための 13巻。
ヒーロー・京汰(きょうた)の大怪我という いかにもクライマックスな展開を見せている本書だが、その上 今回2人は別れを選んで ますます最終回間近な雰囲気を漂わす。
しかし今回の別れは作者も言及している通り『7巻』での相手への不信が重なって別れを選んだ時とは違い、彼らは相手を信頼し、相手が大切だからこそ別れを選ぶ。本書では初めての性行為の際、完全に互いの同意を得てから実行されたが、それと同じような合意の上での円満な別れが演出されている。
痛切極まりない選択をしたのは2人が自分が相手を支えられないことを痛感しているから。京汰は大怪我で いつものように つばき をフォロー出来ないし、自分の怪我が回復しない限り、自分の存在が つばき の時間や将来を奪うことを理解している。そして つばき も今回は彼のフォローをしなくてはならない自分が、彼を支えきれないことを悟る。彼の看病のための条件として学校でのテストの好成績を母と約束したが、その両立は不器用な つばき には不可能であった。これまでの つばき なら その初めての恋愛で沸騰した恋愛脳に従って、力任せに問題を解決しようとしただろうが、繰り返される自分の失敗で ようやく自分というものを知る。自分には能力や限界があり何もかもを一気に持つことは出来ない。自分の頑張りと失敗が京汰の精神的な重荷になっていて、そうならないためには自分の建て直しが最優先であることを理解する。だから つばき も京汰への別れを選べる。
別れの際、2人はどちらから話を切り出す訳でもなく以心伝心で互いの出した結論を理解している。この心の流れに2人が積み重ねてきた時間や恋心を感じることが出来た。望まない別れの場面なのに清々しいのは そこに彼らが相手を大切に想う心があったからだろう。ずーーーっと本書に足りなかった思い遣りが ようやく感じられて長いループから抜け出した感覚を覚えた。
こうして京汰の助けがない世界で自分の道を探すことになった つばき だが結局 京汰以外のイケメンと お近づきになり、彼の力を間接的に借りることになる。つばき の成長描写としては残念だが、少女漫画はヒロインの側に常にイケメンを配置しないと読者の興味が低下してしまうのだろう。それに つばき が独力で問題を解決できないだろうことは読者だって嫌というほど分かってるし…。
そして今回の つばき は認識の甘さや失敗はあっても、彼女自身が間違えることはないので温かい目で見られる。将来的な再会を約束しているとはいえ京汰と別れるという選択をした重い内容の巻だが、全体的な湿度は低い。なので読者が不快感を覚えることはない。
ここに至るまで長かったが、不思議なことに この別れの場面で もう2人は大丈夫だなと確信が生まれた。京汰がトラウマを克服したように、つばき が自分の脳に巣食う他者の価値観から脱した時、2人には より良い未来が待っているはずだ。それが描かれるのは あと少し先のことである。
母親に京汰との交際、そして看病を認めてもらうためにも、つばき は好成績を取ることを誓う。だが無理がたたってテスト当日に倒れてしまい、学年1位という夢は潰(つい)える。
帰宅してからもリベンジに燃え、身体を酷使する娘の姿を見て、つばき の母親は京汰の前に現れる。そして京汰に つばき が無理をしないように、それとなく距離を取ることを要請する。京汰もまた つばき が倒れたことやテスト本番を受けられなかったことや、自分のために無理をしていた彼女の過負荷を知り その要請を呑み、つばき が病院へ来る頻度を少なくさせる。
ここで母親が京汰に別れを望んだり、京汰から つばき に残酷なことを言わせないのは彼女なりの譲歩のようにも思える。ただ内密に事を進め「お母さんは つばきちゃんのためを思って…」という言葉で娘を縛ろうとするところに支配欲求を感じる。母親に関しては自分の足で歩き始めた長女のことを少しずつ感じ始め、そんな彼女に自分の理想を押し付ける自分の罪を理解し始めているようにも見えた。
京汰は自分の回復が早ければ つばき を遠ざけなくても良くなると考えるが、足は複雑骨折をしており元の生活に戻るには早くても半年かかることに焦りを覚える。
母親の干渉を知った つばき は京汰に会いに行き、彼を安心させるために振り替えテストの結果が良好で大学の推薦も「エリート大学」を狙えそうなことを笑顔で報告する。だが京汰は それが前進ではなく後退だと感じていた。つばき は大学名ではなく自分の志望を動機にしたはずなのに、恋人との交際を母親に認めてもらうために母の意思に沿う生き方を安易に選んでいる。つばき が自分のワガママで京汰の憧れる教授との接触機会を奪ったように、京汰は つばき の人生で自分の存在による改変が起こるのを望まない。
互いに自分の存在による悪影響を考える機会となった高校2年生の3学期。だから彼らは前向きな別れを選ぶ。これまでのような相手を信じられなくなって別れの危機とは違う、合意の上での別れなのである。
最後の思い出として、2人は動物園デートを楽しむ。怪我している京汰は車椅子での移動となる。これは別れの儀式だが、同時に そこには再会の約束がある。互いに自分を立て直す、という目標が達成されれば彼らは再び恋人に戻れるのだ。
最後に京汰は病室内で つばき に散髪を頼む。つばき は彼との接点に縋りつきそうになる自分を抑え、弱い自分を克服しようと努める。
2人が自分の「道」を歩けるまでメールも電話もしないし直接も会わない。そのぐらいしないとバランスを崩してしまうのは何度も経験していること。つばき は京汰から誕生日に贈られた「束縛」のアクセサリも返却して、京汰の心変わりの際には連絡してほしいと物分かりの良い彼女を演じようとするが、そんな連絡は京汰はしないだろう。彼は つばき にアクセサリは ずっと身につけ、毎日 自分を思い出すように伝える。相手の自由を奪う権利はないが、この先も相手に自分を選んでほしいという願望を愛おしさと呼ぶのではないか。
そして新しい春が到来し、つばき は高校3年生になる。今年は京汰も同じクラスになれたが、彼は学校に来ない。療養で夏頃まで登校しないという。学校への出席ぐらいできそうな気がするが、右手骨折でノートは取れないし、その他にも不便が多すぎるのか。まぁタイムリミットを夏に設定して、徹底的に会わない時間と、その時間で つばき の将来への道を探るのだろう。
最後の年なので他の名前付きのキャラも全員 同じクラスなのだが、いてもいなくても同じ。徹底的に2人の世界を描いた作品だが、世界が2人だけで成立しているような息苦しさを覚える。
この頃 つばき は毎週末、オープンキャンパスの予定を入れ、志望大学を決めようとしていた。だが目標を見つけられないまま時間だけが過ぎる。
京汰と離れている現実に苦しみつつ、それでも つばき は京汰に会いに行ったりしない。それが相手の信頼を裏切ることになるから。京汰の入院・リハビリ先の病院が つばき の家から電車で1時間かかるという立地は簡単に会いに行けない、偶然に会ったりしない距離のためだろう。
しかし別れを選んだからこそ、つばき は生半可な覚悟で進路を選べなくなる。ただ進学するだけでは胸を張って彼と再開できない。京汰が宇宙に どうしても惹かれるぐらいの強い気持ちが つばき には必要なのである。その必死さと裏腹に、ただスケジュールを埋めて時間を費やして何も考えられない自分を つばき は感じている。
ヒロインの側には1人以上のイケメンを付けるのが少女漫画の鉄則。京汰の不在の穴を埋めるように1人の男性が新キャラとして悩める つばき の前に登場する。彼は絶望のどん底で落ち込む つばき の顔を手先一つで上に向かせてくれた人。いつものようにバランスを崩しかけている つばき に自分の内面のケアの重要性を説いてくれた彼は美容師の花野井(はなのい)という男性だった。
そして彼に誘われるまま つばき は美容師の世界に足を踏み入れる。
一方、入院生活中の京汰の前に現れるのは菜子(なこ)。だが菜子の純情を京汰は冷淡に扱う。それが つばき に対する誠意らしいが、全世界に対して排他的な2人には やっぱり疑問を覚える。
ただし これは深歩(みほ)やユキ先輩のように京汰に徹底的に振られて、その先に彼女たちの明るい道を用意してあげるという作者の優しさなのだろう。菜子にも このままフェイドアウトするのではなく、ちゃんと京汰に自分の気持ちを伝える機会を与えられ、恋の喜びも悲しみも受け止めさせて成長していく。こういう敗戦処理は徹底しているけれど、深歩なんて親友役として残った割に活躍ゼロなのでキャラに対して冷たく感じられる。
花野井は新キャラなので彼がどれだけ価値のある人間かを説明する。学校一のイケメンの次は業界一のイケメンと関わり始める。そして そんな花野井に特別扱いされる つばき という構図が読者の自尊心を満たすのである。
花野井は京汰の代わりに つばき の心の根底にある願望を引き出していく。と同時に つばき の憧れに対する現実、そして そこに向かうだけの覚悟の不足を彼女に教える。自分の心が動くことを仕事にするのに必要なのは情熱や熱意である。そして つばき が それを完全に引き出すのには、自分の脳の中にいる他者を排除しなくてはならない。自分を完全に取り戻して、彼女の道は開けるのだろう。