水波 風南(みなみ かなん)
今日、恋をはじめます(きょう、こいをはじめます)
第14巻評価:★★☆(5点)
総合評価:★★☆(5点)
京汰と距離を置き、美容師という自分の夢を見つけるつばき。しかしそんな彼女に興味を持った美容師の花野井は――!?そして京汰VS花野井が!?ついに最終章突入の14巻は波乱の展開!!
簡潔完結感想文
- どちらの母親も子供に大きな影響を与えた割に、撤退は淡白で肩透かし。
- 洗脳が解けて無敵状態のヒロインなので、当て馬っぽい人で波乱を演出。
- 母親の洗脳は解けたけど、夢を叶えてくれる年上の男性の洗脳が始まる!?
トラウマ関連に直面している時だけ無敵状態のヒロイン様、の 14巻。
ほぼ2巻分、お別れ状態だった つばき と京汰(きょうた)もラストで元の鞘に収まって、いよいよ大団円へのカウントダウンが始まろうとしている。それぞれに相手と距離を置かざるを得ない状況を作り、これからの2人の関係のために悲しい決断をしたことはクライマックスに相応しい展開だった。
ラスト2巻の『14巻』で つばき は物語開始前から そうであった、母親の洗脳状態から ようやく解放され、彼女は自分の心の動くままに明日への一歩を踏み出すことになる。いつまでも つばき がグダグダしていたのは母親の洗脳下にあって、いわば京汰を好きな自分と 母の思い描く未来を進まなければならないと思い込む二重人格状態にあったからだと言える。ここで つばき が自分は母親とは違う別個体で、自分を取り戻したことで、彼らは真の幸せを掴むことが出来る。不器用で要領の悪い つばき だったが、彼女は大器晩成型で最後の最後に大きな成長を見せたと言えよう。
…と思っていたのだが、ちょっと違和感を覚える部分が多いかな、というのが正直な感想である。
まず大きく引っかかるのがラストで既に「本当の自分」を取り戻したはずの つばき が以前した失敗と同じことを繰り返している点。長きに亘る京汰との別離期間を経て、京汰と再交際を始めるためのデートの当日、彼女はドタキャンをする。それは彼女にとって将来の夢である美容師になった時に大きな財産となるイベントがあったから。自分の夢を追うという道中には、こうした公私の衝突があることは つばき にも理解できた。そして私は読者として、ここで1回すれ違うことで その後の再会がドラマチックになることが理解できる。
ただ問題は その経緯と過去の描写である。まず つばき が この日、美容師の夢を優先したのは何かと つばき に目を掛けてくれる先輩男性・花野井(はなのい)の存在がある。花野井の親切の動機はさておき 気になるのが つばき は花野井の言う通りに連続して行動を選択している、という点である。
どうも花野井は 椿 の性格と事情を熟知した上で、彼女が自分の望む方向を選ぶように誘導している。これによって美容師になる夢を取り戻させ、そして母親との対決に向かわせたのも花野井のように見えてしまい、つばき の自由意思が霞んでしまっている。それどころかデートのドタキャンのように花野井の言葉によって つばき は自分の意思を見失っているように見える。こうなると全体的に花野井が つばき を洗脳しているみたいに思えてきて、彼女の自立と自律が偽物のようになってしまっている。
結局、つばき は考えるスピードが遅いので、自分より頭の回転が速い母親・京汰・花野井と順々に洗脳されているだけではないか、と物語の根幹すら揺らいでしまう。
そして これが起きるタイミングも悪すぎる。折角 母親の影響下から脱したはずなのに、つばき は自分の力では何も選択できず、他人に誘導され、そして失敗していく。これでは洗脳前後で何も変わっていないではないか。どうして作者が ここで このエピソードを描いたのか私は疑問に思う。失敗するにしても花野井の影響からは逃れたように見えなければ、彼女の成長がリセットされてしまう。
また この問題は京汰が菜子(なこ)と知り合ってから宇宙関連の講義や研究会に顔を出していた時と鏡写しの構造となっている。つばき は夢を持つ置いていかれたことと 彼の近くに居る異性の存在で苦しみ悩む。そこで つばき は京汰に菜子との関係を断絶させ、彼の将来を少し濁らせてしまった。
それなのに、その経験があるのに、自分は自分の夢を優先させ、そして近くの男に寄りかかって夢への近道を通ろうとしている。ここで問題なのは つばき が京汰を悲しませたことや公私のバランスに悩んだ時に自分が かつて彼の世界や未来への扉を壊したことへの反省の無さだと思う。京汰にとって菜子は宇宙関連のコネを持つ人で、彼女といると知的興奮を覚える体験が出来る。それは つばき にとっての花野井も同じ。彼の近くに居るからコネで貴重な経験が出来る。
ここで つばき が自分が京汰に大損失を与えていたこと、自由を奪ったことを もう一度 猛省して欲しかったところだ。自分がされて嫌なことを、相手にしてしまうという成長の無さが非常に残念。特に今回は2人が別離の終了を迎える大事な時で、上述の通り つばき は本当の自分として生き始めているのだ。これが彼女の不器用さというエクスキューズも理解できるが、京汰の時にされて嫌なことをした時点で この別離や脱洗脳の意味まで消失させてしまっている。ここは作者の意図を問いたいところ。
物語として大事な場面なのに私は つばき への不信感で溢れてしまったのが残念だった。京汰が苛立って無視しているのも彼特有の幼稚さが戻ってきたように感じるし、つばき は結局 京汰の寛容さや有能さにフォローされているのも気になる。花野井の存在と言い、この世界(学校や美容師界)の中で1番の男性の お気に入り(愛人枠)になったことで優遇される女性を描いているように見えてしまう。
つばき の自立のための別離って、そう見えないようにするために あったと思うのだが…。こういう部分が本書が最後まで信用ならないところである。もっと話を洗練できるのではないか。
まだ仮登校の段階だが京汰が学校に顔を見せ、つばき は久々に彼と直接 顔を合わせる。
しかし つばき は京汰に顔を逸らされたこと、京汰は つばき が雑誌にヘアアレンジで掲載されていることが気にかかっている。当初 京汰は学校に現状の報告と留年問題について聞いて帰る予定だったが、つばき が隣の席と知り、一緒に授業を受ける。3年生になって初めて机を並べて受ける授業で、2人は それぞれに聞きたいことを筆談で伝え合う。そこで互いに相手を大切に想い合っていることを確認し、つばき は前へ進む勇気をもらう。
京汰に貰った勇気を前進するパワーに変え、つばき は美容師への道を踏み出す。
それから花野井の誘いとコネを使って美容室でのアルバイトを始める。アルバイトを始めたことは母親に秘匿したままだが、彼女は自分の進路を変更することを母に伝えていた。だが母親は その現実を受け入れず、つばき が学年一位の成績を収めたことで「エリート大学」に進学すると思い込んでいる。母親は つばき の進路変更を高校受験失敗のトラウマに起因する逃避だと決めつけ、娘の決断を彼女の弱さのせいにする。ここまでくると母親は完全に病んでいる。新興宗教を信仰するように、彼女は自分だけの世界に生きている。色々と現実を直視しなくてはならないのは母の方ではないか。この家の父親は以前、家族会議が開かれても一言も口を利かなかったが、それも夫婦関係や母親の「病気」に対して諦念しているからかもしれない(この後の、母親不在のシーンで口を開いていて驚いたが(笑))。
つばき が夢に向かって着実な一歩を踏み出したことを彼女の妹・さくら から知らされ、京汰はリハビリに熱が入る。
話を受け付けない母親だったが つばき は それでも自分が出来る実力行使を続け、予備校をやめる。そして受けるはずだった模試から美容師学校の体験入学へと その日の予定を変更する。この際に お節介を焼くのはイケメン補充枠の花野井。その交流の中で つばき は彼が菜子(なこ)と同じ、つばき が熱望した高校の卒業生だと判明する。それでも彼は「エリート」の道ではなく、自分の心が ときめく道に進んだ。それは母親から美容師を逃避だと言われた つばき にとって頼れる先輩の進んだ道に思えただろう。
だから帰宅後、改めて母親に予備校をやめたこと、そして美容師への道を進むことを宣言する。それは母親からの長年の洗脳の脱却への道への第一歩である。そして今の つばき は母親の言葉による支配を振り切れるだけの言葉と熱意がある。だから母親も再洗脳を完了する前に、彼女の前から立ち去る。
学校では3回目の学園祭が近づき、今年も つばき はヘアアレンジでクラスの戦力となる予定だった。しかし つばき はアルバイト先の美容室で京汰との現在唯一の絆であるブレスレットを落とし、その心理的動揺から学園祭で失敗が続く。この子は どうして こうも恋愛脳なんでしょうか。京汰と本当に別れたのなら動揺するのも分かるが、いくらアクセサリーが愛の象徴だって、今の彼女には それ以上に信じられるものがあるのは明白なのに。
つばき が不安を抱えた中、京汰・花野井、そして母親を招待した学園祭が始まる。
やはり つばき は集中しきれず、数えきれないミスをする。その上、母親が来校したことを知ると更に動揺し客に火傷を負わせる事故を起こしかける。それをフォローするのは花野井だった。彼は つばき に いつも彼女の中途半端な状態を指摘し、そこから つばき を脱却させる。それはプロになるための心構えや資格を つばき に備えさせるための厳しい愛の鞭でもある。
つばき は花野井の数々の難題に対して覚悟を見せ、いつも難しいけれど美容師への道をまっすぐ進む彼女の姿を見た花野井は自分がブレスレットを拾っていることを彼女に教える。
イケメンのフォローのお陰で つばき は本領を発揮し笑顔と共に最高のサービスを提供する。その姿に母親は娘の知らない一面を見る。事情を知る花野井も母親に声をかけ、彼女側の事情を聞く。母は生真面目すぎるから失敗も多い娘の心配をしていた。それに対し花野井は ひたむきな努力と情熱を持つ つばき の職業適性を彼女に伝える。花野井の間接的な協力は残念だが、母親は こういう一流の人の言葉に弱そうだから、彼女の態度が軟化するためには必要な人材なのだろう。
その言葉と娘の輝く笑顔を見て、母親は最終的に つばき の進路変更を許す。もっと母親が精神崩壊を起こすような修羅場になると思っていたが、思いのほか つばき母子の決着は冷静さを保ったまま終わる。これは京汰母子の時にも感じた印象で、ある種の呆気なさを覚える。つばき の母親に関しては何度か娘の成長や頑張りに目を見張る場面があるから ちゃんと布石は打たれているか。それでも どうして母が娘を支配するようになったのかなど もう少し設定以上の、母親の内面にも迫って欲しかったと思う。
この学園祭では他にも京汰と花野井の初対面が果たされる。つばき の知らない所で勃発する男同士のバトル。花野井は全てを承知で京汰を動揺させようとしているが、トラウマを克服し溺愛モードの彼は少しも動じない。花野井が京汰に対して意地悪をするのは単純に男として気に入らないからだろう。この後、花野井は自分が間接的にアシストしたことで若い2人が復縁してしまうことを知る。さすが花野井はトップ高校の卒業生だけあって頭が良いからか、自分の言葉一つで人の感情を揺さぶられることを楽しんでいるように見える。つばき や京汰が どうこう ではなくて、自分の言葉が他者にどう どこまで影響するかに愉悦を覚える変態なのではないだろうか。最終的な つばき との関係などを考えると そういう一面がないと この辺りの動機が よく分からない。
進路問題に決着をつけた つばき は、母親に正式に携帯電話の返却を願い、京汰との連絡手段を復活させる。
つばき はテスト明けに京汰と再会する約束だった。しかし2人の関係性を全て掌握する恋の邪魔者・花野井の勧誘に乗り、彼とのデートではなく、美容室での勉強会を優先する。
上述の通り、これが つばき の成長の無さに見えて非常に残念。つばき には最後まで京汰のことを考える余裕や思い遣り、相手の立場に立つという普通の優しさが欠落しているように見える。本書は「俺様ヒロイン」の物語なのかなぁ…。
それでも つばき は無邪気に京汰との学校での再会を楽しみにするが、つばき が花野井と並んで歩く場面を目撃してしまった京汰は不機嫌を隠せない。京汰も大人げないが、これは つばき に自分の仕打ちを考えさせるためには仕方がないか。つばき は今後の人生も自分の道と京汰と歩く道、どちらかしか選べない時が到来する可能性に悩む。どちらを選んでも後悔する日々が続くなら自分は自分しか持たない方が良いと考え始める。
ただ そこでネガティブ思考に陥らず、自分本位の結論を出したりしないのが今の つばき である。到来していないことを悩んでいても仕方がない。自分は今の自分が背負える荷物を持てる範囲で生きるしかない。だから つばき は今度は自分から京汰の好きそうなイベントに彼を誘い、歩み寄り、彼の笑顔を見るための努力を欠かさない。そんな彼女の性格を熟知している京汰は、前日に下準備をする つばき の前に現れて…。