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少女漫画と小説の感想ブログです

大切な人が3人 この手から零れ落ちてしまった私たちに残った たった1人の大好きな人。

紅茶王子 第12巻 (白泉社文庫 や 4-20)
山田 南平(やまだ なんぺい)
紅茶王子(こうちゃおうじ)
第12巻評価:★★★☆(7点)
 総合評価:★★★★(8点)
 

アッサムとの再会を果たし、ダージリンの正体を知った奈子。大急ぎで後を追うがダージリンの真意はどこに? 番外編「フォーゲットミー・ノット」「金のクピド」さらに、文庫にあたり特別に描きおろした巻末ショートを収録! 「紅茶王子」、ついに感動のクライマックスです!! 2007年7月刊。

簡潔完結感想文

  • 大切なものを そばに置いておきたい王様への交換条件は、自分と彼の願いの交換。
  • 紅茶王子が人間になるために必要なのは3人の王の承諾と「紅茶王子」の存在の消去。
  • 3つの願いごとをすれば消えてしまう存在だが、3つの代償を払えば人の願いは叶う。

3の倍数話と、文庫版は3の倍数巻で終わるのが美しく思う 文庫版 最終12巻(TSP.136~144)。

今更ながら作品としては「3」が大事なのかな、と感じた最終巻だった。

例えば主人公・奈子(たいこ)が中学時代に作った お茶会同好会も最後の最後まで部員が、奈子・そめこ・美佳(はるか)の3人で固定されていたのも「3」の守りの1つだろう。
ここから色々とネタバレになるが、奈子が失った男性たちも 父親・おじ の怜一(れいいち)・アッサムの「3」人だ。父が亡くなり、遺された家族の数も、奈子・母親・弟の健太(けんた)の「3」人。
また紅茶の国の国王・ゴパルダーラは、ダージリン・アリヤ・その子ども の「3」人を自分の手元に置きたかった。だが そんな彼の執着によって命を落とすのが、セイロンの父親・ホンムータンの母親・アッサムの母親の「3」人なのである。

そしてゴパルダーラは その全てを失う。これが奈子との共通点ではないかと思う。そしてゴパルダーラ(またはダージリン)に出来なかったことを、その子供であるアッサムが叶えたことが世代の転換、またはゴパルダーラの言う「鎖」を断ち切った象徴となるのだろう。

もちろん紅茶王子が叶える ささやかな願いごとも「3」つである。そして そんな紅茶王子が人間になるために必要なのは代償と「3」人の国王の了承である。どうやら紅茶の国の世界は「3」で できている。


を断ち切るのに必要なのが、3つの代償なのではないかと最終巻を読んで思った。紅茶王子の叶える願いは ささやかな3つだが、犠牲を3つ捧げると得られるものが大きな1つの願いなのではないか。

上述の通り、奈子は この人生で3人の大切な人を次々に失う。それは彼女の誕生から今日の日までを見守ってきた3人の男性と言えよう。最初は父親。そして彼が召喚していたのがダージリン紅茶王子。奈子の父親の存命中からダージリンは奈子の人生に時折 現れ彼女を見守っていた。そして奈子が中学生の頃にマスターが死亡した後は おじ という父に代わる保護者のような地位を手に入れて、彼女を一番近く見守ってきた。
そんな彼が立場を手放してもいいと思えたのが、アッサムの登場である。奈子にとってアッサムが この世で一番大切な男性であることを見届けて、怜一はダージリンへと戻る。それは身内として奈子を見守り、閉じ込めるのではなく、彼女に自由に愛に生きてもらいたいという怜一の愛情であろう。ここが愛を知るダージリンと 愛を知らないゴパルダーラの違いになり、そしてダージリンの帰還が王たちの鎖を断ち切る要素となったように思う。
だが奈子は自分の大切な「アッサム」を失う。たった一人の最愛の「アッシャー」と出会うために彼女の最後の代償がアッサムの存在であろう。

新旧の紅茶王子のバトンタッチ。人間に惹かれた父親、人間の母親の血を引いた彼の人間との恋愛は必然か。

パルダーラも同じである。そして彼の場合、自分の執着するものを手元に置いておきたいという固執によって3人の人間が彼の元から去っていく。ゴパルダーラは、いつも自分の望むものを手元に置くために彼らに条件を用意する。というか そうすることでしか人を縛れなかったのが彼の不幸だろう。そして それらを手放さないように鎖が必要になる。だが結果的には彼によって自由を奪われた人々が彼の元から消えていくという彼の望まぬ結末になる。

ただし3つの大事なものを失ったことで、1つ大切なものが手元に戻る。ゴパルダーラの場合、それはダージリンとなる。彼は、誰とも離れて暮らすことを選ばないダージリンの一家を この紅茶の国に留めた。そのためダージリンを幽閉し、アリヤと結婚をした。ダージリンが望んだものを所有・支配することでゴパルダーラはダージリンの人生全てを内包したかったのかもしれない。そうすることが彼の愛なのだろう。

だが最初にアリヤを、そして偶然に鳥籠から奪取したダージリンを失い、今「息子」であるアッサムも自分の人生を歩もうとしている。最後に残った1つを手放したくないから彼は息子を縛ろうとするが、それでも固い息子の決意を見て、ゴパルダーラは何もかも失う。だが空っぽになったゴパルダーラの心の鳥籠にダージリンが戻るという。それは上述の通り、ダージリンが全てを見届けたからだろう。ダージリンは鳥籠に入れておきたかった3つの大切な存在を全て失った「気の毒な王」であるゴパルダーラの心を埋めに戻る。そうするのは自分の行為が 姪である奈子の幸せに繋がるからでもある。

その妄執から人を不幸にしてきたゴパルダーラ。彼に対する罰はなにも描かれていないが、彼は人生をかけた自分の執念の虚しさを思い知ったのではないか。アッサムという世継ぎを失った彼は気力を失ったのではないか。国王としての威厳もなく、自分の国ではない、どこかの国に力のある3人の王の座を譲るような道を選ぶかもしれない。そして自分が飼っていたと思っていたダージリンに今度は同情されながら隠居という名の魂の幽閉生活が始まりそうな予感すらする。愛を、人間を信じられなかった彼が、愛と人間に完膚なきまでに叩きのめされたのだ。自尊心の回復は難しいだろう。

それでも3つの代償と引き換えにダージリンは残った。ただ無理矢理考えるのなら、アッサムがアッシャーにならざるを得なかったように、ダージリンは本来、ゴパルダーラが望んでいたダージリンでは もうないだろう。きっとゴパルダーラはダージリンに自分と同じ意識でいて欲しかったはずだ。人間という脆く壊れやすいものを二度と愛さないように、そして何なら愛情が反転して自分と同じように人間を憎悪して欲しいと願ったのではないか。だがダージリンはアリヤを選び、そして奈子を自分の全存在をかけても守り、そして愛した。
それはゴパルダーラが鳥籠に閉じ込めたかったダージリンではないだろう。その違和感を抱えながらゴパルダーラはダージリンと共に生きなければならないのではないだろうか。

最大の理解者であったホンムータンの母親も失い、ゴパルダーラの妄執は止まらなくなったのか。

、ここまでが私が納得できる範囲である。何となく大団円感を出しているが、最終盤は疑問点や伏線の未回収など、不満の方が多いぐらいだ。

まず不満なのがヒロイン様が紅茶王子を失わないこと。ある意味で とても辛い結末なのは分かるが、奈子だけ紅茶王子継続というのが不平等に感じる。まぁ 最後の最後で帰っても、主題がブレるのは必至だからなんだろうけど。
でも そめこ も美佳も別れたのに、彼女だけが紅茶王子を保持しているのがモラトリアム継続の象徴のような気もしてくる。ってか奈子は紅茶の国に行った記憶は保持しているのだろうか。アッサムの記憶以外あるのなら自分がアールグレイを縛る限り、彼が母国に帰れない状況を考えたりしないのだろうか。そういう意味では やっぱり奈子とゴパルダーラは よく似ている気がする。自分から何かを手放せない、鳥を籠に入れておきたい人なのかもしれない。

ただ2023年の段階で別れは用意されている。紅茶王子シリーズと言える『桜の花の紅茶王子』の『1巻』にてアールグレイが国に帰る場面がある(ちょっと読んでしまった)。その描写から彼女が大学を卒業するぐらいまでは一緒に居たと思われる。

そして何より最終盤の舞台となる紅茶の国のルールが あやふやで全てが弥縫策(びほうさく)のように思える。紅茶王子という王の育成手段も効率的とは言えない。しかも彼らは外の世界で許されない恋をする。相手の自由を願うことが愛ならば、条件なく人間にするぐらいのルールを作れないのだろうか。
またアリヤが他の王妃と親しくなる期間が短すぎる気がした。アッサムを妊娠しながら紅茶の国にやって来た彼女は、最初に倒れるまでの間に王妃たちの多くを魅了したというのは無理があるような気がする。その割に長い彼らの人生でアリヤがもたらした影響が大きすぎやしないか。

たとえゴパルダーラを理解しても、全然 理解できなかったのがアリヤという女性が選んだ選択である。例えばダージリンが死んでしまったのなら、ゴパルダーラと生きる道を選ぶのも母としての選択に感じられると思うが、同じ国に幽閉された愛する人を置いて、新しい男性と夫婦になるというのは私の理解を超えている。
ただ良かったのはアッサムの肌の色のミスリードである。無意識に物事を単純化して見る癖がついているのが人間なんだな、と思わされた真相であった。

またダージリンとゴパルダーラの関係も想像に任せると言った感じで何も描かれていない。彼らの関係性を過去と、物語の最終盤の核とするのならば ある程度は読者にも その特殊な関係を理解させるのが作品のマナーなのではないだろうか。
ただ大きく言えば歪んだ愛なのだろう。もしかしたらゴパルダーラとダージリンは、子供世代のアッサムとアールグレイのような兄弟のような親友のような関係だったのかもしれない(あっ、でもアールグレイの父親が そのポジションなのか)。ってかダージリンって若いのか同年代なのか? もしかしたら紅茶の国では すごい年の離れた関係で、ダージリンの若々しい肉体と精神にゴパルダーラは惹かれ、そして性別や年齢の差から権力でしか彼を縛る手段を持たなかったのかもしれない。性別や年齢差による照れから愛を囁くことも出来なかったからこそ、ゴパルダーラは こじらせてしまったのか。

あとはダージリンがアッサムを自分の子として認識しているのかという大きな問題も放置されている。ここは描こうと思えばドラマチックになる部分だろう。せめてダージリン側の認識を描いて欲しかったが、私の読む限りは どこからも それを読み取れなかった。奈子は結局、ダージリンに恋をし、アッサムに恋をして、この遺伝子が大好きということも分かるけど…。

子供世代ではセイロンの恋心の行方も尻切れトンボである。まぁ最終回の様子からするとセイロンの場合は、まだまだ逆転のチャンスはある。色々と理由をつけて彼女に近づくことは可能だろう。
あとは元生徒会長とヒゲゴリラの関係も もう少し先まで描いて欲しかった(これは まだ描かれている方ではあるが)。

学校関係ではケビン先生の登場の意味がなかった。通常通りアッサムが帰った時のために用意されていたのは分かるが、結末的には いてもいなくても同じであった。せめて そめこ の時にでも別れを経験した人間として登場してくれれば良かったが、まるっきり存在感が消えていた。
また新聞部の暗躍も半端だった。アッサムの素性がネタになるかと匂わせた割に何もなく肩透かしだった。

エピローグが長くなるのは蛇足にも感じられるかもしれないので、2人の新たな出会いでスパッと終わらせたのは英断でもあるだろう。ただ ここまでの大長編になった割に、雑であるようにも感じられた。ハッピーエンドなんだから文句は言わせないぞ、という作者の、ゴパルダーラ並の「圧」を感じた最終回だった。

それでも単純に読んでよかったと心から思える作品なのは間違いない。物語や登場人物たちとの出会いは きっと長い間 忘れれないだろう。これぞ白泉社作品を読む楽しさ、と思わせてくれた作者には感謝しかない。きっと ずっと応援するんだろうな、と思える作家さんとの出会いは貴重である。


子たちはダージリンが連れ去ったセイロンを探す。ダージリンが誰かを この国から脱出させる力を発揮できる場所は限られているから一行は そこを目指す。この仲間のために駆け出す疾走感が あの学校での元・高校生同士の友情といった感じで好ましい。

こうして怜一と初めて奈子は この国で会話をする。怜一は奈子を元の世界に帰すというが、アッサムが その責任は自分が追うとダージリンを拒否する。それは奈子を守るナイトは自分一人でいいという男の自負と、怜一への猜疑心からの発言だろう。

そこにゴパルダーラとセイロンの母親が登場。主要な関係者が一堂に会する。ゴパルダーラはアッサムに かつて王の世代が体験した人間の娘の老衰を見せようとしていた。そのために奈子を この国に、アッサムのそばに置かせようとした。そうやって彼に絶望を植えつけて人間への興味や執着を二度と起こさせないようにするのが国王の狙いか。国王は息子が自分が忌み嫌う人間なんていう存在になることは絶対に許さない。

セイロンの母親は愛しい者たちが自分より先に死ぬ運命を持っている。それは やっと恵まれた子供=セイロンも同じ。その元凶は全てダージリンにあると彼女は思っている。だから彼を憎む。その感情は、怜一の記憶から読み取った人間の母親とよく似ているとダージリンは評する。激しすぎる感情が自他の破滅を呼んでしまうのだろう。


の時点でダージリンは もう人間になることを望んではいない。人間界への執着は もはやなく、そして逃亡を企てなければ鳥籠に「鍵」=セイロンは必要ない。それが彼の理屈となる。どうにか子世代に自分の業を担わせたくないという彼の願いからの行動であり、そして この10年以上 見守ってきた かつてのマスター・奈子にアッサムという男性が現れ、彼が奈子の家族たちにも受け入れられることを実感したからだ。彼が人間界での自分の役目だと思ってきたことを、アッサムがバトンタッチしてくれる。こうして人間界では世代交代が起きる予感がするから、ダージリンとして この国へ戻る決意が生まれたのだろう。

そして今のダージリンを最も必要としているのはゴパルダーラである。だから彼のそばにいる。その交換条件としてダージリンはアッサムを人間にするようゴパルダーラに進言する。人間の血が半分流れている彼には選択権があるのではないか、というのがダージリンの言い分だった。

そんな自分の存在価値を軽んじるような怜一の態度に奈子が異議を申し立て、場が荒れそうになる。そこに最後の関係者・ペコーの両親が現れ、この日は一旦 お開きになる。

そしてセイロンは母親に部屋に帰るように命じられるが、母に無理に感情を殺さないでと息子として切に願う。こうして母は使命への固執をやめる。ゴパルダーラと同じぐらいに確固たる意志があった彼女だが、それを放棄し、その後は他の者に追随することを宣言する。エキセントリックな人だが、彼女の思考は その人生を考えると理解できるし、そこに愛情があるのが分かる。分からないのはゴパルダーラである。


の夜、アッサムは奈子の滞在する部屋を訪問する。そして自分の奈子への特別な感情、条件によっては人間になって奈子のそばにいることを選ぶかもしれないと言う。そう思うのは奈子のことが好きだからである。

突然の言葉に唖然とする奈子だったが、自分も彼が好きだと伝える。それを確かめたアッサムは人間になる条件を聞きに行く。アッサムには奈子を この世界で老いさせることは毛頭 考えていない。

アッサムは話し合いを続けていた国王と王妃たちの前に現れる。
人間となる代償にアッサムが引き渡す物は「記憶」だという。それは彼の記憶ではなく アッサムと かかわった全ての者がアッサムの記憶を忘れるという周囲の記憶。そして紅茶王子・アッサムの存在は もともとなかったことになる、という。

その条件を聞いてアッサムは1つだけ王に尋ねる。母も自分を忘れるか、と。死者からは何も奪うことはできない、母・アリヤは お前を忘れない、という答えを聞き彼は条件を呑む。
このアッサムには痺れますね。この世界では長くはない命と分かりながらも自分を生み、育ててくれた母の思いを無駄にならないのなら、その条件を受け入れるという。自分の命が誰かから望まれ、託された者であるという自覚が、彼に そう質問させたのだろう。そういう決断が出来るアッサムに確かな愛情のもとに育てられた正しさを感じた。そして彼は自分を形作る世界の全てと言ってもいい他者の記憶の中の自分と、奈子への愛情を天秤にかける。そして奈子への想いは世界そのものよりも重いと結論付けた。世界でたった一人の人のために、自分が世界で一人ぼっちになることも厭わない。これが愛である。


パルダーラが口を開く前に異議を唱えるのは奈子。彼女にとっては怜一との別れも、今回の別れも受け入れられないのは当然の感情である。なにより大切な人との別れは彼女のが この世で一番嫌うものだから。
でも別れるとなったら好きだった、ずっと好きだったと、その直前に語尾を濁した告白よりもハッキリとドラマチックに言っているのが なんだかズルい気がしたけど…。

だがアッサムは人間になっても奈子を見つけ出し、そして また自分を好きにさせると断言する。きっと忘れてしまうが、その約束を聞いた奈子は納得する。ちっとも論理的じゃないがアッサムの覚悟を感じ取ったのだろう。

奈子が反対する理由は、きっとアッサムの母・アリヤの時と同じだろう。ダージリンの人間への転生(?)の条件を聞いた彼女は、既にお腹に命を宿していた。彼女は自分が人間界で一緒に暮らすことを選べば、愛する人を忘れるのに、ただ妊娠の事実だけが残ることを危惧する。産んだ子の父親を分からないことを彼女は拒んだ。だから彼女は自分が老いることになっても、お腹の子のために この国で家族3人が生きていること、記憶を共有するを選んだ。アッサムが全てを投げ出せたように、彼女も全てを投げ出せたのだろう。


が まとまりかけた所にゴパルダーラが異議を唱える。アッサムの人間への転生は彼が最も望まないことだから。

そこへ奈子の体力の限界が来る。ここへきて まだ2日あまりでも、人間の彼女にとっては半月寝ずに奔走しているような状態で身体に負担がかかっている。だから翌朝、奈子はセイロンの母親によって あちらの世界に帰されることになった。もしかしたらセイロンの母親や国王たちは、人間が衰弱し、老化することを見ないようにするために、奈子を早く帰したかったのではないか。同じ過ちを同じ道を歩まないためにも、奈子を見たくないというのが彼らの心理ではないか。


過去、ゴパルダーラは一度 アッサムの母・アリヤが倒れた時(奈子と同じく、この世界の時間の流れで身体に負担がかかったのだろう)に、彼女のお腹の子が死産であったと発表した。そして その後 生まれた子は内密に どこかで育てさせることをゴパルダーラは計略していた。

だがアリヤはそれに反対した。そこで彼女は この世界を選んだ。そしてアッサムの誕生後、ゴパルダーラはアリヤを めとり、その子を自分の子として育てた。
それが彼の中での せめてもの妥協策だったのではないか。この本来の親子3人で考えれば、ダージリンが人間界に行くことが最も幸福な手段と言える。だがゴパルダーラはダージリンを手放したくない。自分の愛情に固執する気の毒な王が招いた事態と言える。

そしてアッサムはダージリンの子である。ゴパルダーラは、ダージリンと彼が愛するアリヤと その息子の計3人を手中に収めることで自分を慰め続けていたのかもしれない。ダージリンを愛した記憶を忘れたくない その気持ちがアリヤにあったように、ゴパルダーラもまた彼を忘れることが世界の終わりに感じられたから彼を鳥籠に閉じ込めた。

ただ ゴパルダーラに関しては そう考えることが出来るが、そうなるとアリヤがゴパルダーラと夫婦になること、そして彼を心から信頼して生きたことが分からなくなる。自分の愛したダージリンは姿は無くても同じ世界に生きている。それが彼女の慰めになるのは分かるが、なら それをした張本人のゴパルダーラを なぜ憎まなかったのか。社会的地位に魅力を感じたわけではあるまいし、アッサムのために疑似的な家族になったとしても、ゴパルダーラへの信頼は そう簡単に生まれないだろう。ゴパルダーラを理解できない私にはアリヤも理解できないことになる。そしてダージリンも謎である。親世代が問題の根本なのに、親世代の描写が不足している。


が育ててくれた父とは違い、アッサムは自他を信じ、全てを捨てようとしている。皮肉にも それは、アッサムが両親(ゴパルダーラとアリヤ)から愛情深く育てられたからではないかと思う。いつぞやホンムータンがコンプレックスを抱いたような強い自己肯定感がアッサムにはあると思う。

奈子は翌朝帰るが、アッサムはゴパルダーラが首を縦に振るまで この世界に留まる必要がある。そして時間の流れの違いから それが長期間になる恐れもある。しかも遠距離恋愛が終わって、念願かなってアッサムが人間界に来る時は もう自分は彼を忘れている。見えない未来が怖いだろう。

翌朝、アッサムは奈子にメッセージを託す。美佳には 願いごとを2つまでしか叶えてやれなかったことを詫び、そしてアールグレイには「人間になるけど、それは逃げてるんじゃない」という言葉を伝えて欲しいという。
最後に2人はキスをして別れる。

奈子と一緒に怜一も人間界に帰る。それは怜一が人間界から穏やかに消える準備をするためだった。人間・怜一の終活だろう。そして怜一はゴパルダーラの固執を解きほぐすことをダージリンとして約束する。だが それもまた奈子が大切な人を失くすことを意味している。


間界では主人を失ったアールグレイは美佳の家で お世話になっているらしい。基本ヒモの紅茶王子は、主人が不在だと食料不足に悩まされるのはアッサムの家出の時と同じだなぁ…。

夏休みも終わりかけの頃、奈子と怜一は戻ってくる。
ちなみに戻った奈子が一番に駆け寄ったのはアールグレイ。気持ちはわかるが、『11巻』といい そこで大事な局面で そめこ を選ばないで、男に縋るのが奈子らしいというか、いやらしいとと思う…。

奈子はアッサムから ことづかった言葉を美佳に伝える。そして皆にアッサムが人間になって戻ってくることを伝える。ただし本当の代償は教えない。その代わり怜一と取りかえっこ というある意味で真実を突いた偽の条件を そめこ たちには伝える。ちなみに猫のダージリンは奈子の家で飼うことになりそうだ。

だが紅茶王子が人間になる条件と困難を誰よりも知っているアールグレイは奈子を問い詰める。条件を知って許したのか、と。奈子は それを肯定し、奈子はアールグレイにアッサムからの伝言を伝える。互いに自分が選ばなかった/選べなかった親友同士は、互いに選んだ道を、自分の選んだ道を信じることで前へ進む。


うして奈子の帰還によって長かった夏休みが終わる。

2学期からは お茶会同好会に待望の新入部員が現れる。それが美佳の妹・唯(ゆい)。そして元生徒会長の妹・皐月(さつき)も、生徒会執行部員の兼部が可能になったからと来年度からの入部を伝える。血縁コネクションで集まった人々で、読者の反論の声が最も少ない人たちと言えよう。そして お茶会同好会の存続のために生徒会改革をしたのが、現・生徒会長の堀内(ほりうち)である。彼の柔軟で贔屓の入った決断が、この後の奇跡を呼ぶ。というか奇跡を起こすための生徒会の改革だろう…。

怜一は早々に店を畳む。これは彼が早く母国に帰らないとゴパルダーラの説得がそれだけ遅くなり、奈子とアッサムの再会が先延ばしになってしまうからだろう。そして怜一が店を畳んでもオーナーは奈子の母親なので この場所が完全に使えなくなるわけではない。どうやら奈子の母親は ずいぶん前(この春ぐらい)から この店のマスターを続けられなくなると母に伝えていたようだ。それはきっと、奈子の中でアッサムが、自分に代わって特別な男性になったことを怜一が認識した頃なのだろう。


後に奈子は怜一を通して、アッサムから彼の母親の形見の指輪を貰い、怜一に指輪をはめてもらう。それがアッサムの目印になるのだろう。

こうして身辺整理をしたら、一気に高校卒業である。ただし高校卒業時点でも奈子はアッサムのことを覚えている。遠距離恋愛期間は半年にも及んでいるということになる。

この頃には紅茶の国ではダージリンが戻ってきている。容姿は かつてのような長髪の王子である。彼は封印されておらず、自由に国内を歩いており、毎日のようにゴパルダーラのもとに参じて、彼への説得を続けている。ということはセイロンも無事だということだろう。

ゴパルダーラは愛を信じられない人なのだろう。アリヤを めとっても、そこにはアッサムやダージリンという人質がいるような偽りの生活に思えたことだろう。本来なら愛で離れられなくなる関係を、物理的に縛ったり、交換条件を出すことで人の自由を奪うことで実現し続けたのが彼という男なのである。

そのように自分の弱みを吐露したゴパルダーラに、ダージリンはアッサムが奈子に託したアリヤの形見の指輪の話をする。それはアリヤがアッサムに父親から贈られた品だから、花嫁になる娘に贈るよう亡くなる前に託された、という。それはダージリンの覚えのない指輪。つまりはゴパルダーラがアリヤに贈った品であり、そしてアリヤはそれを贈ったゴパルダーラをアッサムの父親だと教えていた。そうして彼は「息子」を失う決意をする。どうやら大切なものは複数同時に持てないらしいが、その代わりに今の彼にはダージリンがいる。3人の犠牲というのは本書にとって大事な数字なのは上述の通りである。

でも このアリヤが 亡くなる前とはいつなんだろう。以前の描写だと、アッサムは母の老いた姿を覚えていないぐらい ずっと母親とは面会謝絶だったような気がするのだが…。エピソードが偽造されている気がしてならない。


イロン、そしてオレンジペコーは仕事を再開した その日、彼らはアッサムの記憶を忘れる。それはつまりアッサムが人間になった日、ということになる。人間界では新年度に入った時であるから、あの奈子とアッサムの別れから8か月ほど経過していると考えるのが妥当か。約240日、紅茶の国では24日、ということはゴパルダーラはアッサムを手放すのに1か月弱 悩んでいた ということになるのかな。

ちなみにセイロンとペコーを呼び出したのは、奈子の指示で新体制の お茶会研究会と紅茶研究会が合同で満月の夜に紅茶を飲んだからだった。こうして この学校の下の世代にも紅茶王子が現れる。本当、紅茶王子たちは この学校に現れる地縛霊みたいな存在だなぁ(笑)

ちなみに紅茶研究会の部長・熊笹(くまざさ)がセイロンの主人、そしてお茶会研究会の部長・皐月がペコーの主人だという。ということはペコーは元生徒会長と再び同じ家で暮らせる可能性が高いということだ。でも ご主人様至上主義のペコーからすると、愛する対象が2人もいるのは悩ましいのではないか。その辺のペコーの葛藤も見てみたかった(元生徒会長は一度も登場しないままである)。
そしてマイナーな茶葉であろうホンムータンの次の召喚はいつになるのだろうか。暇そうである(笑)


終話は大学生活が始まった お茶会同好会のオリジナルメンバーの夏の頃のお話になる。この回の冒頭で そめこ に告白しているのは近隣の男子校の生徒会長だった人だろうか。彼と一緒に居たセクハラ男・朝比奈(あさひな)は帰ってこなかったなぁ…(安堵) 一方、美佳は元カノとヨリを戻したという驚愕の設定が用意されている。まぁ当て馬になる資格も奪われたから当然か。

大学のサークルとなった お茶会同好会に現れたのは人間となったアッサムだった。しかし紅茶王子ではなくなったからか人間界での名前はアッサムではなく「アッシャー」となっている。ちなみに生まれはシンガポールという設定。これは母の生まれた地域である。

なので自然と 奈子も彼のことをアッシャーと呼ぶようになる。もう奈子が彼のことをアッサムと呼ぶことはない。その記憶はアッサムだけが持っている。初対面の振りをしているが、彼は この同好会の関係者のことをよく知っている。そして奈子が贈ったはずの指輪をしていなかったことがアッサムにはショックだった。

この頃、奈子の父親のお店には新マスターが来るという。店先に中型バイク(?)が止まっていた。免許の取得とバイクの運転は、彼が人間になったら やりたかったことの一つだろうか(『10巻』バーベキュー回)。アッサムが人間になったのは新年度の4月5月ぐらいの話なのに、奈子の前に現れたのは6月7月頃だろう。このタイムラグの間に彼は免許取得に励んでいたのだろうか。

ただし店長は奈子の母親で、アッシャー君はバイトだという。奈子は いきなり現れて自分の心と生活範囲にズカズカ入って来る彼に苦手意識を感じる。でも それは戻れなくなるという自分の中の強烈な警戒心と興味が表裏一体だからだろう。
逃げようとする奈子をアッサムは止める。そこで奈子が彼に蹴りを入れ、そこでアッサムが「ゾウ足キック」と言ったことで奈子は自分のバックからストラップの付いた携帯電話を取り出す。そのストラップには奈子の記憶にないまま持っていた あの指輪が付いていた。それをアッシャーのかと確かめる。すると彼は奈子を抱きしめ、お前のだと告げるのであった…。

ここで終わり!?という場面で終わるが、紅茶王子という題名からして、そうでなくなった2人の物語は別の お話なのだろう。

想像すると面白いのが、魔法の使えなくなったアッサムが色々と不便を感じてそうとか、事情を全て知っているアッサムに、アールグレイの存在を どう誤魔化しているのかとか、その辺の記憶に関する すれ違いはコメディになりそうである。

「番外編 フォーゲットミー・ノット」…
アッサムが紅茶王子だった頃の一編。再読必至の物語である。ちょっと上手くいきすぎ、というか、どこかで矛盾や齟齬が生まれるきがしてならないが。

作者がその気になれば、本シリーズの人気ならば、このような過去の話や別の紅茶王子を主役にオムニバス形式で作品を発表し続けることは可能だろう。小説なら一層、シリーズ化しそうな感じである。
決して悪くない話なのだが、本編終了後に読みたい話かというと別なのである。それは次のアールグレイの話も同様。

「番外編 金のクピド」…
アールグレイの過去の一編。これはアールグレイが人間になりたいと願った時の話とは違うんですよね。そもそも そこから「コレジャナイ感」があるし、しかもアッサムの特別性を霞ませるような人間になった紅茶王子の話だしで、読みたくなかったような内容である。

しかも その内容が私には ちっとも理解できなかった。一気に対象年齢を引き上げすぎたような大人の物語である。
しかしアールグレイが少年のような容貌だった頃の話で、人間世界なら数十年は前の話だと思われるのに、溢れる現代感に幻滅した。キッチン周辺とか どう考えても20世紀末~21世紀仕様である。

人気の紅茶王子2人で話を作ったのだろうけど、人気だからこそ読みたくないないような気がした。オレンジペコーやホンムータン辺りを掘り下げてくれる過去編なら素直に読めたと思うが、本編の後に この2人はいいかな、という感じを受けてしまった。