山田 南平(やまだ なんぺい)
紅茶王子(こうちゃおうじ)
第07巻評価:★★★★(8点)
総合評価:★★★★(8点)
交通事故で3年前に亡くなった奈子のパパ。奈子の胸には今もパパの思い出が大切に刻まれている。でもパパは奈子に、紅茶の精のおまじないを教えてくれなかった。複雑な心境の奈子の前に…。 解説/高殿円 2007年3月刊。
簡潔完結感想文
『泣かない女はいない』の涙なくしては読めない 文庫版7巻(TSP.79~90)。
作中の時間の流れは ゆっくりだ。それはまるで紅茶王子たちの世界と主人公・奈子(たいこ)たちのいる世界の時間の流れが違うみたいに。現実世界では連載開始から4年以上が経過しているが、作中では約2年間の経過となる。当時のリアルタイム読者の中には、当初は奈子たちよりも年少だった者が年長者になった人もいるだろう。
そんな ゆっくりとした流れでも時は動き続けている。1話から ずっと登場してきた1学年上の生徒会長は今回をもって この学校を卒業する。そして それに合わせるかのように本書の中で初めて紅茶王子との別れが描かれている。それは いつか来ることだと繰り返し描かれていたし、複数いる紅茶王子の中でも一番 可能性が高いペアの別れなのも分かっていた。メタ的に考えても、奈子以外のペアはヒロインの彼女が回避する多くの悲しみを先行して引き受けなければならない。その役割を担うために彼らはいるといっていい。それでも悲しい。その別れに私も予想以上に心を揺さぶられた。
そこまでの話の持っていき方も素晴らしい。その布石となっているのが『6巻』での そめこ とホンムータンの2つ目の願いごと だろう。そめこ はハプニング的に2つ目の願いを叶えるか叶えないか選ばなくてはならなくなった。それは魔法の使用に自制をしているホンムータンという紅茶王子だったから起きたことで、彼の性格と そめこ が一番大切にしている場所を守るという目的があり、穏便に事を済ませるには時間的な余裕がなかったからこそ それを願いごとに せざるを得なくなったという一面もある。その時に別の紅茶王子がいたら違う未来があっただろう。そこに居合わせたことが運命としか 言いようのない出来事だった。
それと似たことが今回 起きる。その場にいる人たちの中で それが出来るのは生徒会長とオレンジペコーだけだった。他の誰にも出来ないという状況とタイムリミットの設定が素晴らしく、そして彼女も自分にとって大事な場所を守るために願いごとを使う。それが3つ目の願いごとで、自分の心の置き場所だった大切な人との別れを意味しても、彼女は それを選ぶ。
その時のオレンジペコーの毅然とした態度も何度 読んでも感動する。それは とても悲しいことだけれど、とても誇らしいことだということが伝わるからだ。彼女は彼女の信念通り、主人のことだけを考えて共に時間を過ごし、その最後の一瞬まで主人のために尽くした。自分の叶えた願いごとが主人を笑顔にしたことを見届けて彼女は元の世界に帰っていく。その場に居合わせた奈子やアッサムは紅茶王子が消えていく場面を目撃したことに動揺するが、当人にとっては充実した仕事を達成した喜びが大きいのではないか。ペコーだって悲しくない訳ではないが、父母に会ったら こんな素晴らしい出会いがあったと喜んで報告するのではないだろうか。そういう人との出会いをペコーは幼い頃から願っていたのだから。
そして割愛された部分にも思いを馳せる余地がある。この別れの後の描写は ほとんどない。奈子やアッサムがショックを受けた描写はあるが、生徒会長が どのようにして家に帰ったのか、それからの日々を どのように過ごしたのかは描写がない。作者が生徒会長のことを描かないことも彼女の尊厳を守るようなことに感じる。わざわざ弱った姿を描いて悲劇のヒロインに仕立て上げるのは彼女のためではないだろう。
でも もう眠る人のいないベッドを見て彼女は何を思ったのか。話しかける人のいない部屋で彼女は何を考えたのだろうか。彼女は卒業式の日まで泣かなかった、泣けなかったのだろうが、そんな どこまでも冷静な自分を嫌悪したのだろうか。紅茶王子は元の世界に帰っただけであって決して不幸が訪れたわけではない。だが やはり彼らとの別れは疑似的な死のように感じられる。主のいないベッド、もう返されることのない宙に浮かんだままの言葉たち。金城一紀さん『対話篇』の中で「いくら親しい人がいたとしても、会わなくなったらその人は死んじゃうのよ」という言葉があったが まさに それである。本書が忘れられない感触を持つのは、楽しい物語の陰に いくつもの死が潜んでいるからだろう。高校生活も、人との出会いも、自分の人生も永遠ではないから、その中にいる自分が大切になる。
そして以前も書いたが複数人の登場人物たちが それぞれに動いている感覚が素晴らしい。これによって話が複数の個所で それぞれに動いている。例えば冒頭では奈子が自分の記憶の謎を探りつつ、美佳(はるか)が生徒会に入るために同好会を辞めるかもしれないという話が同時進行している。その上、アッサムの父親が何やら画策していて次の物語の布石が打たれる。1つのエピソードに集中して単体でしか処理しない作家さんが多い中、並列処理をしている所が作者のキャパシティーの大きさを感じる。紅茶王子の仕事に対する考え方で性格の違いを表しているところだけでも本当に感心してしまう。
しかしタイミング的に考えれば、生徒会長は外部の学校に進学するから紅茶王子とは一緒に居られない、という感じを どうしても受けてしまう。ここまで紅茶王子が1つの学校に集まっていると、もはや紅茶王子とは この土地の精霊のように思えてくる。そういえば白泉社の別の作品、呉由姫さん作画『金色のコルダ』の妖精・リリは その学校・土地に生きる妖精だったなぁ。生徒会長も外部の大学ではなく この学校の大学に内部進学していれば違う未来があったのだろうかと思ってしまう。
奈子の弟・健太(けんた)は3歳になった。アールグレイは彼の前では自由に姿を見せているが、紅茶王子の存在に疑問を持ち始める年頃になり始めている。彼の成長が原因で同居生活が厳しくなるということもあるのだろうか。
そんな健太の成長に接し奈子も、自分が子供の頃に寝かしつける父親の代わりに自分が眠るまで誰かがそばにいたような記憶を思い出す。一度は おじ の怜一(れいいち)だと考えたが、彼自身から否定される。確かに父が存命中は怜一の存在は母から隠すような状態で、奈子の家に上がったことがなかった。では奈子の記憶の中にいる長い髪の男性は誰なのか。
その話を そめこ にすると彼女は それは紅茶王子だったのではないかと推理する。その男性のことは母の記憶にもなく、父親は交友関係が狭かった。そして奈子の父親は紅茶王子を召喚する方法を知っていた。これらの条件に合うのが紅茶王子ではないか、と。奈子が健太にアールグレイの存在を隠さないように、父親も(子供への油断もあって)紅茶王子を奈子に見せていたのではないか、というのが そめこ の推理。
だが奈子は改めて父親のことを考えると、彼の知らない部分ばかりが気になる。そして何より生前 父が経営していた喫茶店の常連客であった 後輩の熊笹(くまざさ)は その話を聞いていた、だが紅茶王子の召喚の おまじない を奈子は聞いたことがなかった。
そこで熊笹に聞くとマスターであった奈子の父親は、けっこう お店のお客さんにおまじないを教えていたという。誰にでもという訳ではないが「必要だな」と感じた人に対して彼は教えていた。といっても本気で紅茶王子の召喚を教えていたのではなく、そうして自分と向き合う機会を用意することでマインドフルネスのように自分の心理状態を把握する儀式だったようである。
その話を聞いて そめこ は奈子に父親が教えなかったのは娘に必要だと思わなかったからだとフォローする。
更に そめこ は奈子の父親のそばにいたのが永久欠番の紅茶王子「ダージリン」だという自分の推理を補強するために国の内情に詳しいシャマリーから情報を引き出そうとする。
そこで彼らはシャマリーからダージリンは主人を殺した紅茶王子だという話を聞く。そして その話が王子たちに伝わってないのはアッサムの父親による方針だった。それは王子、特にアッサムが頼りないと言われているようで怒りへと変換された。更にアッサムが怒りで部室から離れた後、泥酔したシャマリーに代わって話を進めていたベルガモットは口を滑らせる。それがダージリンとアッサムの母親の関係。ここも何かがあるらしい。ダージリンの謎は まだ序の口らしい。
一方、生徒会副会長への立候補を打診されている美佳は、現生徒会長から立候補の正式な書類提出以降の同好会への部室の入室が禁じられる。もちろん当選後も継続である。これは生徒会が公明正大であるべきだという考えからだろう。
彼が同好会と完全に決別することにアッサムは納得がいかない。そこで喧嘩状態になった2人は奈子に出会い、アッサムは美佳の生徒会入りの目的を話してしまう。
それを聞いて奈子は怒る。そして両手で美佳の顔を挟み、彼の居場所は生徒会なんかじゃなく お茶会同好会だと教える。奈子から その言葉を聞きたかった彼は それだけで立候補の気持ちが消失する。母親を心配させたくて、彼女の関心を惹きたくて家出をする子供のような心境と言えばいいのだろうか…。
こうして2人は気を遣わないのに気遣える元の関係に戻っていった。だがアッサムは この騒動を通して奈子への特別な気持ちに気がつきそうになる(何度目の描写だという感じもするが)
ようやく お茶会同好会に美佳が戻り、改めて全員でダージリンの謎に挑む。主人を殺す紅茶王子という話で そめこ は、奈子の父親の死に疑念を抱くようになる。ずっと学園ファンタジー一色だったのに急にサスペンス風味になって来た。
だが その推理は頭脳明晰な美佳によって簡単に否定される。ダージリンの事件と彼の封印は こちらの時間で何百年前の話。それでは3年前に亡くなった奈子の父親の事とは無関係である。美佳が戻ってきて良かった。ここで美佳が戻ってこなかったら そめこ が勢い余って奈子の過去の悲しみを ほじくり返してしまうところだったかもしれない。この3人は3人でバランスが取れているのだ。
美佳がいることで現実路線に舵を取った同好会はダージリン探しを止める。だが その瞬間、真実は読者の前に現れる。どうやら怜一はアッサムの父親と昔からの知り合い、それどころか紅茶の国の住人であることが匂わされる。更に彼は現役で魔法を使えるのではないかという疑惑が湧き、そしてアッサムたち紅茶王子のことは「見えないフリ」をしていることが発覚する。完全に関係者である。そして そめこ じゃないけれど、これら手掛かりを組み合わせると出てくる答えは1つだろう。
部費を増やすために わざと買い物をしたため いつかと同じように部室の模様替えがされる。最初の時は魔法で小さくして運ぶという手法を編み出していたが、今回は魔法を使わないのは、魔法を使わないホンムータンがいることや、アッサムたちも魔法に対する考え方が変わってきたからだろうか(違った。ただアホなだけだった(笑) これは作者の うっかりミスで次の回でようやく気づいたということなのか?)。
そして結局、奈子は部員を増やすために部室を改造している。『6巻』で少数先鋭の お茶会こそ この同好会の目的だと自覚したかと思ったら、結局 同じ場所に戻っているだけだった。この描写は本当に もういいって…、と思ってしまう。
その散らかった部室に久々にセイロンがやって来る。彼は同好会と距離を置いたためか初期の頃のような毒舌とカリカリした部分を見せる。良き兄貴分のアッサムからすると それは彼の怖がりな部分からの強がりだということが分かっているらしい。これから起こる未来に対しての恐怖や自分の自信のなさが他者を見下して安心を得ようとするのだろうか。
この頃、セイロンはアッサムの父親と行動をすることが多くなる。そしてアッサムの父親は人間界のことを盗み見る能力と権力を持っているためシャリマーたちがダージリンについて奈子たちに話したことも知っている。そして彼はセイロンにわざと ダージリンの紅茶王子が人間界で暮らしているという情報を漏らす。
そして怜一こそダージリンだという確定情報をセイロンと読者に伝える。セイロンがイレギュラーな存在でも人間界にとどまれるように、ダージリンもまた紅茶王子でありながら人間界にいる。ダージリンは奈子の父親に召喚されたが その主人の死後も人間界にとどまっている。これが可能なのはアッサムの父親の強い力があってこそのこと。アッサムの父親は早くに王になった。それは彼が一刻も早く人間に奉仕する紅茶王子の仕事から逃れるためだった。人間ほど強欲で我儘で身のほど知らずな生き物もないから、王になり人間との関わりを断とうとした。毒舌なセイロンでも効率的に仕事をするが、人間を嫌悪したりはしていない。アッサムの父親は紅茶王子の中でも新しいタイプと言える。
そしてアッサムの父親がセイロンに真実を次々に伝えるのは彼に何かしらの役割を担わせるためであるようだが、それが何かは分からない。
オレンジペコーにとって美佳が同好会を去らないことで心残りなく生徒会長と共に学校を去れると安心していた。その満足がペコーを逆に嫌な胸騒ぎを覚えさせたのだろうか。もはや成仏に近い心境だろうか。
高校3年生の生徒会長は内部進学ではなく外部の大学への推薦が決定しており、受験もない。そして授業もなく、多くの時間を費やしていた生徒会室でも彼女の居場所はなくなりつつある。そこで彼女の足が向かったのは かつてイトコのヒゲゴリラが管理していた園芸部の温室だった。そこに現れたヒゲゴリラによって この温室自体が老朽化していることを知る。
その温室の前で新しく部室に置くテーブルのペンキ塗りをした奈子は乾燥のために温室のある屋上に放置した。だが その夜に雹まじりの雨が降り、風も強く一緒に乾かしていた園芸部に譲ったロッカーが倒れ、温室のガラスが割れてしまう。
そうして内部もメチャクチャ。ヒゲゴリラが大切に育ててきた職ぶてゃ全滅の危機となる。美佳に助けを求めるが彼はバイト中、そこで駆けつけるのはアッサムの役目となる。いつもなら奈子を助けるヒーローとしての登場になるはずだった。
同時刻、ペコーとの遊びから帰宅途中の生徒会長は学校の温室付近から明かりが見えるのを確認する。恐らく それは奈子が中を確認した懐中電灯の光であろう。かつては園芸部員であった生徒会長は一目見て、植物たちの壊滅状態を察知する。遅れて到着したアッサムたちと一緒に応急処置をしても元には戻らない。そこでペコーは主人に3つ目の願いごとをするように進言する。
奈子はペコーが願いを叶えようとすることを阻止したい。温室を破壊してしま
ったのは自分たちがペンキを塗った家具を屋上に放置していたからで、生徒会長たちに非はない。だから奈子は生徒会長とペコーが願いごと を消費することなく、自宅で弟の面倒を見ているアールグレイの到着を待って自分の願いごととして処理すると申し出るが、ことは一刻を争う。生徒会長はヒゲゴリラに温室の異変を伝えており、植物を救いたいと願うのなら彼の到着前に願いごとをしなければならないタイムリミットがあるのだ。
ここで奈子とアールグレイ、そして美佳とアッサムのペアを離れ離れにする自然な流れが上手い。召喚した/された関係ではない奈子とアッサムでは何も起こらないのだ。
だから生徒会長はペコーに願う。そうして一瞬で温室は元通りになり、彼らは短い挨拶の後、永遠に別れる。
生徒会長は覚悟を持って願ったが、奈子は それが3つ目の願いだということを知らなかったため動揺する。目の前で紅茶王子が消える場面に遭遇したのも混乱に拍車をかける。だが生徒会長は奈子に責任を負わせない。それは奈子への心遣いの意味だけではなく、自分の決断としてペコーと別れたという実感と その尊厳を誰にも傷つけさせたくないからである。
遅れて到着したヒゲゴリラとアールグレイに奈子は異常がないことと これまでの経緯を、嘘を交えて精一杯 報告する。
帰宅してから奈子は落ち込み熱を出す。同時に紅茶王子が帰る場面を初めてみたアッサムもまた落ち込んでいた。自分の仕事が終わった後の人間の悲嘆を見た精神的動揺は大きい。そして彼は自分の仕事の制約に疑問を持つ。ペコーの代わりに自分の魔法でなら温室を直せた。だが そこに命令がない限り紅茶王子は自由に動けない。そんな もどかしさがアッサムの仕事に対する疑問に変わる。疑ってはいけない仕事の慣例を疑い始めるアッサムは紅茶王子という制度を壊しかねないのではないか。
それにしても、人の存在を否定するようで申し訳ないが、ペコーが登場するのなら生徒会長には妹はいらなかったのではないかと思ってしまう。当初はペコーの登場の予定がなかったから先に妹の皐月(さつき)を用意してしまったのだろうけど、ペコーの登場後は彼女が妹的なスタンスでベッタリしており、皐月の抱える淋しさが消えないような気がしてならない。
それに長女だから しっかりしている生徒会長は一人っ子でも しっかりしていただろう。そこに家の中で本音を語り合えるペコーが現れて、新しい自分を発見する、という話で良かったはずだ。言っても仕方ないことなのだけど、何となく皐月が不憫である。
そして卒業式。次期生徒会長は堀内(ほりうち)が無事に選ばれたみたいだ。
奈子が風邪を引いていたため元生徒会長と話すのは あの時以来となる(そのための風邪だろう)。そして その際にアールグレイは元生徒会長から そちらの世界に戻るときに渡して欲しいと制服のリボンを渡される。
元生徒会長はヒゲゴリラの前で泣く。自分がペコーとの別れの際に流せなかった涙がヒゲゴリラの言葉で流れてくる。ペコーじゃないけどヒゲゴリラの人間的な大きさが実感できる お話である。あの会長がここまで心を開いているということは やっぱり特別な感情があるのだろう。この後に2人が交際しても不思議ではない。どこかで そんな場面が見られたら良かったのだが。
そして そめこ もまたペコーの帰還の顛末を聞いて悩んでいた。彼女は2つの願いを叶えてもらっているから、最後の願いについて考えていたようだ。自分の2つ目の願い、そして元生徒会長の3つ目の願いのように いつアクシデントが発生するか分からないと心構えなしの お別れになってしまう。だから そめこ は自分が納得できる願いを先に用意して別れに挑むことを考えていた。そめこ は3つ目の願いごとを言う時期を定め、自分の主導でホンムータンと別れを決めようと覚悟していた。
最後の最後で悲しいこともあった2年生の終わりだけれど、3年生の5月にはシンガポールへの修学旅行が予定されているという。学校イベントが戻って来た。