《漫画》宇宙へポーイ!《小説》

少女漫画と小説の感想ブログです

原動力の渇望と希望が消失したイノハリは、やがて活動限界を迎える。音が 途絶える…。

覆面系ノイズ 13 (花とゆめコミックス)
福山 リョウコ(ふくやま リョウコ)
覆面系ノイズ(ふくめんけいノイズ)
第13巻評価:★★★(6点)
 総合評価:★★★☆(7点)
 

いまだ歌声の戻らないニノ。それを解決する「モモと別れる」という答えを分かっていながら言いだせないユズ。そんな中で始まるライブサーキット「トーキョーセーリング」で、それぞれの想いが抑えきれなくなった先には…!?ライ ブシーンでは衝撃展開が!!大人気読み切り「墜落ゼリー」も収録の第13巻!!

簡潔完結感想文

  • 泣く姿や みっともない姿を見られたら その人には いつでも素顔でいられる。
  • 渇望が消えてしまったのなら、今の内臓エネルギーが枯渇するまで歌うだけ。
  • ミューズへの信奉を止めたユズも枯渇していく。彼も一世一代の賭けに出る。

の洪水の中の、とある静寂について、の 13巻。

再読必至の『13巻』と言えるのではないか。
今回のテーマはスランプの脱出法。昔のような声が出なくなった仁乃(にの)のスランプの向き合い方を前面で描きながら、それに ちょうど重なって見えないようにユズのスランプが描かれていると分かった時には鳥肌が立つ思いがした。
いつも音で溢れている作品だから、これまでと変わらない読み方をしていたが、今回のラストでユズの周囲だけ無音であることが分かった。そこから『13巻』のユズの言動の全てに、最初に感じた意味とは別の意味が生まれていった。そこで世界が反転していく印象を受け、そして その反転の後には何もかもが消失した宇宙の終わりのような「無」が待っているような恐怖すら覚えた。

そしてユズが音をなくした世界であることが分かってから冒頭のユズの家庭でのシーンの意味の重さを徐々に痛感していく。冒頭では、ユズの母が認めたくない夫の死が「遺骨」という現実となって現れたことから、母親の精神状態が一層 悪化する。それによって高校在学中に母親の前で歌うことを条件に許されてきた音楽活動に再び母が干渉してきた。母はパソコンに収めていたユズのこれまでの作曲データをバックアップまで消去してしまった。

ユズはトラウマ解消どころか大きな嵐に呑み込まれている。彼の周辺から全ての音が消える。

この冒頭の事件とラストの真実が繋がると どういう意味を持つのか。それはイノハリに新曲は生まれない、というバンドの終焉である。約1年の仁乃との再会でユズの中に音が溢れ出したが、仁乃がモモと交際した現実により、ユズの中から音が消えた。こうして彼は1年前の姿に戻っていく。あの頃は、ユズの中の仁乃=アリスへの想いと思い出を反芻することで年々 曲数は減っていったが作曲を続けていた。だが、今回は それよりも最悪の状況である。音は消え、そして溢れていた音の記憶さえも消失してしまった。

元々、高校卒業までに結果を出さなければならなかったユズだが、これによってバンドの寿命は更に縮まったと言えよう。
それが分かっているからなのか、ユズは自分の身に起きたことを誰にも言わない。仁乃への想いが叶わないと分かり、彼は世界に対して覆面をしてしまったように感じる。「ほんとのこころ」を隠し、「ほんとのこと」さえも誰にも話さない。仁乃よりも酷い状況とも言えるのに、彼は自分だけで抱えてしまう。スランプを抱える仁乃に対し、本番前にユズが「今のままのアリスが一番輝く曲を僕が必ず作るから だからきみは安心して うたって」というのだが、今のユズには曲を必ず作ることなど出来ないという残酷な事実がある。仁乃が顔色の悪いユズを自分よりも心配するように、ユズは仁乃のことを最優先に考えている。これは恋愛ではないかもしれないが、深い愛には違いない。2人とも優しすぎるよ…。

イノハリが既存の曲でしか勝負が出来ないのと同じように、スランプ中の仁乃もまた既存の自分の中の生命力を歌声に換える事しか出来なかった。彼女は自分の音楽活動のリミットを決め、その制約の中で歌声を捻出していく。

こうしてイノハリのタイムリミットは夏のフェスまで持つか、という余命宣告状態に陥る。様々なリミットを用意して、読者の焦燥感を煽ってきた作者だが、ここにきて一層 厳しい縛りを設けたような気がする。ラストのユズの行動は、イノハリの未来を照らすものになるのか、またまた次巻が気になる終わり方である。


ライブ前に、もしくはライブの途中まで仁乃の調子が悪いのは もはや恒例行事なのだが、その割に毎度 観客が仁乃の調子の悪さに気づかないのが気になる。どんな状態の仁乃でも観客は盛り上がっているが、もしや誰も歌など聴いてないのではないかと疑うほど。仁乃の好不調はライターの東雲(しののめ)によって冷静に分析されることにはなっているが、なんだか観客は鈍感で何も分かっていないような描かれ方が気になる。
そもそもがイノハリのメンバーチェンジに対して何も言わないファンなのだ。それに関しては「覆面ルール」があるからいいとしても、生音で実力勝負のライブという戦場を描いておきながら、本来の実力を出し切れなくても喜ぶバカみたいにファンが描かれているのはモヤっとするところである。


乃の不調にもユズは声を掛けない。なぜなら仁乃にはモモがいるから。
それにユズは家庭の問題に直面している。行方不明だった父の遺骨が見つかったことで母の様子が悪化した。行方不明という状況が彼女に希望を見出させてきた部分があったが、こうして死が現実になったことで不安定になった。
そんな母はユズから再び音楽を奪い去ろうとしている。その母に「諦めればいいだけなんだよ!」と告げるユズの言葉は、自分にも向けた言葉になる。認めたくない現実は見ない振りをする、それがユズ親子の処世術なのか。

気になるのが、この時のパソコンのフォルダが「2013」~「2016」の4つのファイルになっていることと、今回のライブが20XXと年月を特定させない手法と相いれない点。パソコン上で4つとも20XXだと同じファイル名の意味が年別ということが分かりにくくなっちゃうからなのか、単純なミスなのか。

ここで大事なのはバックアップも含めてデータが消されたことである(上で解説済み)。

そんなユズのギリギリの心理を仁乃は見抜く。だが それに対しユズは仁乃にも言ってはいけない言葉を吐いてしまう。渇望が満たされた仁乃のスランプの脱出法は簡単で、「…モモと別れればいいだけじゃん…」。こうしてユズは全てを めちゃくちゃにしてしまう。


番前日、仁乃はモモから電話を貰う。
「そのままでいいんだ」と言ってくれるモモに仁乃は自分の歌を聴いてほしいと素直な気持ちを伝える。めちゃくちゃでみっともなくても、モモに聴いてほしい。それが仁乃の願いとなる。

みっともない姿と言えば、この日、他の軽音部部員とは別行動を取っていたクロは杏と行動していた。そこで杏の元カレと遭遇し、杏は自分が彼に遊ばれたことを知ってしまう。
その事実に杏は号泣。泣きたい時には思いっ切り泣けばいいというクロの態度は、自分も失恋した時の心境が分かるからこその優しさだろう。そして これで2人は、それぞれ失恋して泣いている姿を相手に見られていることになる。
みっともない姿を見せられるのは、もう格好つける必要がないということでもある。これからお互いの素顔を見た自然体の2人が どうなっていくのか楽しみだ。


ノハリのライブ当日。メンバーはライブの直前に今年もフェスに出場が決定したことを知る。

いつも通り「これが最後」のつもりで臨む、という言葉に触発された仁乃は駆け出し、モモに今まで言えてなかった「好き」という言葉を伝える。これまでモモが急に優しくなるのは 彼がいなくなる前兆であったが、仁乃が素直になるのも不吉な予感がする。そして そのせいでモモは身動きが取れなくなり、仁乃のために作った曲のデータを渡せないままでいた。この曲は いつか仁乃に渡るのだろうか。

ライブで仁乃は「絶唱」する。なぜなら これが「最後」のライブだから。
今回は暴走とは違う、意図的な全力疾走である。なぜなら仁乃は夏のフェスを最後の舞台と決めた。自分で自分の最後の舞台を設定することで、その制約によって自分に残存するエネルギーを歌に変換していた。こういう展開は少年漫画っぽいですね。命を燃やしてパワーに換える、そして特定の条件をクリアすることで自分の能力を飛躍的に向上するという能力バトルみたいだ。

モモとユズにとって仁乃の歌は どんな言葉よりも雄弁である。その歌声は ほんとのこと しか伝えない。

の意図を見抜くモモ、そしてユズ。
モモは舞台袖まで駆けていって、どうにかライブを中止させようとする。そしてユズはセットリスト(曲順)を変更することで、仁乃に翻意を促す。

ここで、ユズが仁乃との再会後、彼女がモモと交際しているのを目の当たりにしてから、音が溢れてこなくなったことが明かされる。夢の中の仁乃もモモの曲を歌っている。彼女自身も仁乃の声もモモに奪われたという認識がユズにあるのだろう。その絶望がユズに声も音もない世界をもたらす。

そしてユズは、今度は自分が「絶唱」の用意をする。それは7年前、ユズが仁乃を助けるための絶唱と同じ。自分の大事なものと引き換えに仁乃を守ろうとするユズの自己犠牲の精神の賜物であった…。


「墜落ゼリー」…
カメラマンとして休業中の25歳の榊 黒江(さかき くろえ)のもとに、従妹と名乗る女子高生・蓮見 紅(はすみ べに)が現れる。彼女は黒江の叔母の再婚相手の連れ子だという。こうして少しも血が繋がっていない奇妙な同居生活が始まる。

ハイテンションな福山作品とは一線を画す、文学的な静かな作品。
人間関係のいざこざによって失敗を経験したカメラマンが、純粋な芸術の心を取り戻す過程にも読める。自分の心が動くような綺麗なものを撮るという本来の仕事の醍醐味を思い出していく黒江。
紅との生活で、黒江はシャッターを切れるようになった。そして何枚も何枚も撮る。それ自体が好意の積み重なりのようにも読める。

紅にキスをされ、同居生活に恋愛を持ち込まれて2人の生活は終わる。だが、残されたフィルムには黒江がシャッターを切りたいと思った紅の姿があった。そうして自分の撮った写真から黒江は自分の紅への気持ちが浮かび上がってきた。

黒江が紅に引かれていく様子は分かるが、紅が黒江のどこに惹かれたのかが分かりにくく、結末ありきで話が進んでいる気がした。

この黒江の「榊」という名字はモモの関係者、という可能性はあるのだろうか。そして素直になれないイケメンカメラマンという特徴は『悩殺ジャンキー』の堤(つつみ)を連想させる。