師走 ゆき(しわす ゆき)
高嶺と花(たかねとはな)
第15巻評価:★★★★(8点)
総合評価:★★★☆(7点)
愛情表現がズレがちな高嶺は、花の運動会にかこつけてプレゼント攻撃! 高嶺さん、もしかして欲求不満…⁉ さらに高嶺ママ・十和子(とわこ)がロンドンからやってきて大波乱! こじれまくりの親子関係を遊園地で修復できるか⁉
簡潔完結感想文
- 高嶺の母 襲来。ヒーローの家庭の事情に首を突っ込む少女漫画ヒロインの習性。
- 死ぬほど謝りたくない、守るために遠ざける、高嶺に人生観をインプットした人。
- 高嶺の性格は鷹羽ではなく才原の母の血が色濃いのでは…? 鷹羽が愛する血統か⁉
大切な人を守りたい男は、人から言われたことも きっちり守る 15巻。
この頃、一時期 鳴りを潜めていた 花(はな)へのプレゼント攻撃が再開する高嶺(たかね)。
プレゼントを用意できる期間は平和の証ってことでしょうか。
高嶺が自分がプレゼントを贈れば女性は全員喜ぶ、と思ってしまっているのは、
大学時代に友人・ニコラの教えを曲解してしまったから。
三つ子の魂百まで、ニコラから学んだことでしか愛情を表現できない恋愛不器用の高嶺さん。
それと同様に、どうして『1巻』時点の高嶺が出来上がったか、彼の人生が今回 語られる。
これを読めば、高嶺は素直な子なんだな、ということが分かる。
なぜ彼は死ぬほど謝るのが嫌いなのか、その理由が明かされる。
ニコラの件も含め、高嶺は時間と 言われたことは しっかり守る男、なのだ。
もしくは応用が利かない不器用な子とも言える。
それでも決して悪い子ではない。
悪気がないから多少の厚かましさも許されるのではないか。
本書も最終コーナーに差し掛かり、残りは1/4といったところ。
物語の終盤は高嶺の親族が総出で支える。
これは高嶺にとって避けられない道であることは序盤から仄めかされており、
交際が確定したことで、高嶺は覚悟を持って その道を進む。
今回 登場するのは高嶺の母・才原 十和子(さいばら とわこ)。
まず表紙がネタバレで、この女性が、高嶺の母とは確定できないものの、高嶺に近しい人だということは分かってしまう。
かといって『15巻』以外に高嶺の母がメインになることはないので、ここで表紙にするしかないのだろう。
ロンドンから来日した高嶺の母と最初に会ったのは花。
運動会の振替休日で公園を散策していると綺麗な女性と出会う。
花の落としたハンカチを雑巾みたいなボロ切れと表現し、勝手にゴミ箱に投げ捨てる その女性。
そして そのお詫びに100倍高いハンカチを購入してくれた人。
独善的だが放っておけない人と一緒に時間を過ごすことで、
段々と その女性のパーソナルなことが分かってくる花。
27歳の息子がいること、その息子は見目麗しい美丈夫であること、
いつぞや高嶺の祖父の会長室で花が見た、幼児の高嶺が抱いていた木彫りの熊を「タカネ」と呼ぶこと。
その情報の集積は、ある一つの結論を導く。
この女性は、なんと高嶺の母だった(意外な真相!)
十和子は息子には会おうとはしないけれど、いい歳をした息子に懇意の女がいるかどうかは気になる。
どれくらい気になるかというと、
「どこの馬の骨ともしれない小娘にたぶらかされているようだったら 絶対に許さない」
「女を殺して 私も死にます」
これによって花は相手の正体は分かったものの、自分の正体を明かせなくなった…。
だが十和子は息子に捨てられた、と言っている。
「許せない 手塩にかけて育てたのに!! この母を裏切るなんて…!!」
いったい才原親子に何があったというのか⁉
帰宅した高嶺に事情を話しても、高嶺は母に会うつもりはないという。
ヒーロー側の家庭の事情に首を突っ込むのは、少女漫画ヒロインの習性。
終盤になって花が高嶺からヒロインの座を奪ってます。
花は翌日も出会った高嶺の母・十和子から、高嶺親子の来歴を知る。
(十和子の方向音痴設定は、町中を徘徊して約束なしに花と出会わすためなのだろうか)
高嶺がまだ小さい頃、夫を亡くした十和子。
そんな嫁を娘として扱う高嶺の祖父。
そして祖父は高嶺の父親代わりも果たそうとする。
高嶺が決して祖父に逆らえないのは、そんな恩義もあったからか。
だが嫁親子が最高権力者である祖父の庇護にあることが気に食わない人も多い。
そんな状況だから、母も不安定な立場の中で生きようと必死だったのだろう。
ここで母は、高嶺の人生を貫く ある教えを伝授する。
それが「本当にあなたが悪い時以外 謝ってはいけません」という教えだった。
初期の高嶺が謝ろうとするだけで、死ぬほど気分が悪くなったのは、この教えがあったからこそだろう。
段々と高嶺という人の人生のピースが埋まって、点と点が繋がる快感がある。
だが高嶺が その頭角を現したのと同じ頃、祖父が多忙で高嶺親子を しっかりと守ることが出来なくなってきた。
そこに親族の攻撃が入り込み、家を出て祖父と縁を切ることを母は決意した。
それは高嶺と、守ってくれた祖父を いわれのない誹謗中傷から守るためであった。
きっと周囲の人間は、十和子が夫亡き後、祖父に取り入って(端的に言えば身体を捧げて)、
祖父の寵愛を受け、生活の保証を得ていると噂をしたのだろう。
これは十和子自身だけでなく、祖父にも類が及ぶ話である。
詳しく語られていないが十和子が、夫の姓である鷹羽(たかば)を捨てて、
自分の旧姓の才原に戻ったのも この縁切りの際ではないか。
だが当時中学生の高嶺は逃げるような母の態度に反発。
これは 母のもう一つの教え、
「譲る必要のない道を譲る必要はありません」に反しているからだろう。
人に教えられたことを遵守する正義感の強い高嶺少年にとって、これが一番 許せなかったのではないか。
そこから似た者同士の強気な母子は、骨肉の争いをする。
高嶺は、夜通し母と取っ組み合いの喧嘩をして、その勝利の末に、鷹羽の家に1人 戻っていった。
中学生の高嶺と夜通し争う母の体力と気迫に恐れ入る。
親子が争う古典的な表現と、時間経過を示すコマに笑った。
最後まで制止したのに それが届かなかったことが、十和子が高嶺に捨てられた、という思いの発端らしい。
大切な人を守るために、鷹羽の家を出ていった母。
だが、考えてみれば高嶺は、母の教えを守るために鷹羽の家に戻ったと言える。
お互い守りたいものがあって、その守り方が違うことが親子の齟齬になってしまった。
高嶺が鷹羽ではなく才原の名を捨てずに、生きていくのは、
母の教えや生き方を否定していないからではないか。
一連の騒動を語り終えた母は、
「何かを手放すっていう選択肢を知らないのよ 我が子ながらなんて傲慢なのかしら」
と息子のことを総評する。
母は高嶺のことを深く理解している。そして愛していることが分かる。
母が高嶺に顔を合わせないのは、会ったらまた自分のもとに置きたくなるから。
ただ そうしてしまいそうになる自分が、あの日から茨の道を邁進している息子の最大の邪魔になることを、母は理解しているんだろう。
お互い遠ざけることでしか、その人を守れない。
これは かつての花と高嶺が通ってきた道である。
その経験があるから花は 彼らに お節介を焼く…。
そんな十和子の母としての背筋の伸びた姿勢を見た花は、
彼女を騙すことが出来なくなり、名乗り、高嶺と交際する馬の骨だと身分を明かす。
それを知った母は一言。
「この私の息子がロリコンのはず ないでしょう?」
いや、ロリコンなんっすよ…。
一方、そのロリコン高嶺は自分の足で母に会いに行っていた。
だが、母は体調不良を理由に高嶺とは面会謝絶。
これは花のカミングアウトが影響しているのかな。
会わない割に、十和子は、交際女性を連れて来いと、翌日に高嶺を遊園地に呼び出す。
相手の意向などお構いなしに、予定を組むのはさすがに似た者親子。
もしや高嶺のほとんどは、鷹羽の血ではなく、才原の血で構成されているのか…?
もしかして才原の血は、鷹羽に愛されずにいはいられないのではないか。
当然のように、才原十和子を見初めたのは、高嶺の父の鷹羽××(現時点で名前不明)。
そして高嶺が従兄弟の大海(ひろみ)や八雲(やくも)から溺愛されるのも、
彼の中に流れる才原の血が、鷹羽を魅了して止まないからではないか。
その影響力は性別も超える。
もしかして本書に高嶺と釣り合う妙齢の鷹羽の女性が現れないのは、
絶対に高嶺を好きになってしまう運命から逃れられないからかもしれない。
そうなったら その女性は花を全力で潰しにかかるし、絶対に失恋するし本気で悲しむ。
それを回避するために鷹羽の女性は最初から用意されないのだろう。
しかし当日、母が姿を現さないので序盤は遊園地デートとなる。
ドレスコード、といえば猫耳でも何でも身につけてくれる高嶺は便利ですね。
これもマナーに守ろうとする高嶺の一つ覚えか。
高嶺の母がいつの間にかに猫耳を着用しているのは、息子に近づきたい願望か 親子の証明か。
賢い花は、やがて高嶺母子の共通点を見抜く。
高嶺は今度は自分に続いて、いや自分よりも長い間の母と息子の意地の張り合いをしている。
お互い素直になれないから、時間ばかりが経過するのは花も経験済みの事象だ。
だから花は自分の本気の覚悟を十和子に示し、高嶺との話し合いの場を設ける…。
仲直りの方策として遊園地巡りを提案する花。
こうやって人のことに積極的に介入する花が珍しいですね。
少女漫画における観覧車は男女の仲を近づける重要なツールと言える。
きっと楽しい一日のシメに丁度いいんですよね。
邪魔者が介入せず、ゆっくり2人だけで語り合うことが出来るし。
そもそも密室に2人で乗ること自体が、パーソナルスペースの近さの証明でもある。
観覧車の効用は母子であっても男女ならば同じらしい。
母には そもそも自分が上手く立ち回れなかったから鷹羽での居場所がなくなったという自責の念があった。
自分の失敗で、息子に茨の道を歩む選択をさせてしまった。
もっと上手くレールを敷設していれば、息子に不必要な辛さや悲しみを除去できた。
それを申し訳なく思う母。
母が高嶺と目を合わせないのは、息子への罪悪感の象徴であろう。
かつての母の謝罪に関する教えには続きがある。
「ただし 謝るべき時は誠心誠意 謝罪しなさい」。
母にとって十余年の歳月が流れた今こそが、立派に成長した息子への謝罪の時なのだろう。
一気に決壊した母の誠心誠意の謝罪は、抱擁と涙に形を変える。
これによって笑える場面になっているが、十分に泣ける話である。
この猫耳親子の抱擁、花は動画に残してくれてはいないだろうか。
何度見たって笑えるし、高嶺をイジる材料になるはず。
そうして花自身も成長を心に決める。
高嶺が一人で突っ走らないように、自分が出来ることを模索し始める。
2人のどちらかが犠牲になることなく、共に並んで人生を歩む。
それが2人の理想形なのだろう。
お墓参りをもって両家の顔合わせとなる。
いよいよ2人が婚約者であるかのようなイベントですね。
この顔合わせが墓地なのは、草葉の陰にいる高嶺の父を含め、両親に紹介する、という意味合いもあるだろう。
主に母親同士の挨拶となり、花たち一家も、鷹羽の墓に、高嶺の父に手を合わせる。
そうしてロンドンへ戻っていく高嶺の母。
今度は共同生活をする家に十和子を招きたい、と告げる花一家。
高嶺も「いつになっても いいから来いよ」と言葉を掛ける。
これは喧嘩別れで、戻らないことを決意して家を出た十余年前とは対照的な出来事。
高嶺は いつでも あの家で母の訪問を待っている。
この時の高嶺の表情は いつにも増して大人っぽい。
流石 アラサーといった貫禄がある。
高嶺が自分の感情に のまれることなく母との対話で冷静でいられたのは、
この1年半に得た彼の柔軟性があるからこそ だろう。
年齢も立場も違う人々の様々な価値観に触れて、彼は変わった。
高嶺の成長を何よりも感じる場面となったことが読者の私も嬉しい。
そして この高嶺なら、今後 予想される暗雲も見事に雲散霧消してくれるのではないか、と期待が高まる。
高嶺の母は、別れ際、息子のことを花に託す。
この強情で意地っ張りの親子が、その人を名前で呼ぶ時は、自分にとって特別な人だと認めた時であろう…(泣)