咲坂 伊緒(さきさか いお)
サクラ、サク。
第05巻評価:★★★☆(7点)
総合評価:★★★★(8点)
琴乃に自分の気持ちを話して誤解を解き、改めて陽希(はるき)への想いを強くした咲(さく)。だけど井竜が自分を救ってくれた神様かもしれないと分かり、3人の関係性は大きく変化して…!? 過去と現在が交わり、三角関係が加速する――! 【同時収録】乙女のいたり
簡潔完結感想文
- 口は悪いが面倒見の良い井竜。そんな彼への お土産は本命の彼の ついで だお。
- 全知全能の神が本当に「神様」かもしれない。一般人の陽希は抵抗を試みる。
- 関係者全員が揃わないと始められない恋なんて作者の都合でしかないような…。
何の障害も無くなったはずなのに何の行動も起こさない 5巻。
『5巻』はページ数は いつもより多いが、巻末に読切短編が収録されているため、本編の話数は1話分少ない。その上、本編では咲(さく)と陽希(はるき)の間に何も起こらないにも等しいので停滞を感じずには いられない。
おそらく作者としては関係者と全員の恋心が揃うまでは咲たちの恋愛を足止めする必要があり、その上で全員が後悔の無い恋をしたと思わせてあげたいのだろう。その気持ちは分かるのだが、私が思うに学校の2学期が始まった時点で咲と陽希の間に恋の障害は無くなっているように思う。陽希の側は細かい引っ掛かりがありそうだが、咲に対して思わせぶりなアピールをする割に一歩を踏み込んでこないことが段々と狡猾な印象に変わろうとしている。ちょうど同時期に読んでいた別の少女漫画で、異性として交際するつもりはないが、自分の手元に置いておきたい男性キャラが出てくる作品を読んでいるので、陽希の姿と重なってマイナスイメージが募った。
恋って そんな周囲に気を遣って、お行儀良くしていなくちゃいけないものなのかな、と中盤の虚無展開に文句も言いたくなる。咲坂さんなら ここで もう一回 2人が動くに動けない理由を作ることが出来そうなのに、惰性で現状維持しているような展開になってしまっている。まるで新人作家が初連載中盤でネタ切れを起こした時に似ている。咲坂さんが本調子じゃないのかなと思ってしまうぐらい、作品の推敲不足を感じる。
私も年々 10代のヒロインたちに正しくあって欲しいと価値観を押し付ける傾向を自覚しているが、咲坂さんも どんどん登場人物たちに対して健やかに育ってほしいと願う親心のような感情が強くなっているように思う。だから作品が道徳的な印象を受け、全員が自分なりの正しさを獲得するまで物語を動かさなくなってしまっている。作品の進みや全力疾走の速度は遅く、走り切れる距離が短くなってはいまいか。現役の青春というよりも、過去を振り返ってのノスタルジーを感じる部分がある。
本書で咲坂さんは男性側に、親の圧力や離婚などの大きなトラウマを背負わせないで物語を成立させる という目標があるように思うが、それが陽希の背景の無さに繋がっているようにも思える。トラウマに頼らない少女漫画を作ることには賛同するが、そのせいで余計に こじんまりとした小骨を取り除くような作品になってはいまいか。恋愛に障害がないのにウジウジしているから、長編が続けば続くほどヒーローが評価を下げていく印象になってしまう。
それは咲も一緒。亮介(りょうすけ)から陽希へのスライドは良いとして、その後に琴乃(ことの)問題、井竜の神様問題と陽希への恋心よりも目の前に起きた問題に対処して、陽希への恋心を後回しにしているように見える。もちろん作者は理由を用意しているが、何度も恋愛を二の次に出来る咲には恋愛が必要ないんじゃないかと思ってしまう。
また私が過去作『アオハライド』を好きすぎるという要因もあるだろうけど、どうも そこかしこに『アオハライド』との共通点と言うか類似点を感じてしまう。大きなもので言うと陽希の周辺に1人の人物の影が見え隠れするという点。そして それが文化祭で召喚されようとしているのも『アオハライド』と同じエピソードに思えた。
今回、視界が開けた咲が陽希に告白しても良かったと思うが、文化祭で失恋状態になるんは、まさに『アオハライド』でやったこと。ネタ被りを意識して どんどんと取れる手段が少なくなって、結果的に何と戦っているのか分からない物語に迷い込んでしまったような気がする。
人の外見や配置も『アオハライド』『ふりふら』との共通点を感じて、場合によっては過去作の方が切なく見えたりしてしまうのも、本書の評価が煮え切らない点であろう。
そんな停滞感の中、1人 気を吐いているのが井竜(いりゅう)だろう。本書において「恋愛相談が恋の始まり」も一つのルールだろう。亮介のことの相談相手の陽希を相談者・咲は好きになり、束縛元カレのことを相談した琴乃も相談者を好きになった。逆に男性陣は、咲に相談され陽希は彼女を、そして同じく井竜は咲を好きになった。そう考えると咲は「××くん、相談があるの(上目遣い)」と言って男性を頼りにすることで彼らの自尊心を満たし、恋の罠にはめる恋愛巧者のようにも見えなくもない。
井竜は咲が陽希との関係が良好になったことに苛立つ自分に気づき始める。2人の仲が険悪であれば自分の出番となり咲を苦しみから救える。だが咲が苦しまなければ自分は部外者なのである。自分の役目が終わったことの喪失感は、おそらく亮介の件が終了して用済みになったと思った陽希の心持ちと よく似ているだろう。
だから亮介からバイト帰りに咲を駅まで送ってと言われた時、口では拒否しつつも、結局 外で待っているのも、自分が彼女の役に立つ場面が出来て嬉しかったのではないか。極端なことを言えば井竜は咲に「もっと苦しめばいいんだ(そうしたら俺が助けるから)」と思っていそうである(妄想)。
この帰り道、咲は独立独歩の井竜には珍しく亮介を慕うことの理由を聞く。井竜は中学時代にバスケットボールで有名だった亮介にあこがれの気持ちを抱いていた。だから彼には敬意を払っているらしい。
逆に咲は亮介との関係を聞かれ、亮介に告白めいたことまでしたことを自白する。これでまた井竜は全知全能の神になるのか。その後、夏休みの予定の話になり、咲は お盆に祖母の家に里帰りし、その間は井竜が彼女のシフトの穴を埋めるらしい。助けてくれる井竜に咲は お土産を約束するが、井竜は和菓子以外でと指定する。これは井竜の実家が和菓子屋だから。
その話から咲は お土産を用意すれば夏休み中に陽希と連絡が取れると自分のアイデアに浮かれる。井竜へのプレゼントと言うべき お土産話が、話の前振り・踏み台にしかなってなくて彼の当て馬人生が憐れを誘う。
こうして お盆明け、咲は陽希と2人で会う約束を取り付けた。土産を渡せば用は終わるのだが、陽希からの提案で2人で少し話す。琴乃の束縛元カレの目を気にして不倫のように逢瀬を重ねていた1学期末とは違い、もう2人は一緒にいても誰からも非難されない。そういう解放感の中の会話は久しぶりなのではないか。
陽希は夏休み中は引っ越しのバイトをしているという。意外と肉体派である。そして実家は かなり大きいのに勤労少年である。特に お金がかかりそうな趣味などもなさそうに見えるが、何か目的はあるのだろうか。
咲のお土産に自分は返せる物が無いと言う陽希は咲に何か お願い事があるかと聞く。『私の事 好きになってください』と咲は言いたいが、花火がしたいと願い出て、2人で楽しむ。火薬と陽希から漂う石鹸の香り、これが咲の高校1年生の夏の思い出になるだろう。咲坂作品は世界の中に ちゃんと五感が存在しているのが良い。
その後、咲は久々に井竜とバイトのシフトが重なる。そこで彼にも約束通り お土産を渡す。本来は自分と約束した物なのに先に陽希が(2人きりで)手渡されたと知ったら彼は どんな顔をするのだろうか…。その時、咲は祖母宅への里帰りのために手直しした祖母の手作りのカバン=「桜亮介」に拾ってもらったカバンを使っていた。そのカバンを見て井竜は とある反応を見せるのだが…。
新学期が始まる。再び琴乃の元カレ問題に直面すると思いきや、彼は新しい彼女が出来て琴乃に興味を失くしていた。かなり早い段階から登場していた束縛男も お役御免となったか。
1学期と違うのは琴乃が陽希への対抗意識を燃やし始めたことか。1学期末は偽装とは言え交際していたとは思えない マウント合戦を繰り広げる2人である(陽希が一方的な被害者だが)。
井竜は夏休み中に見た咲のカバンについて彼女に聞き、それが咲の祖母の手作りで一点ものであることを確かめ、自分が あのカバンを届けたことがあると咲に伝える。もし全知全能の神が「桜亮介」と一体化したら もう宇宙一である。このコンボには陽希も敵わないだろう。
もし井竜が「桜亮介」ならば、彼が亮介の名前を書く可能性はあるだろうか。井竜が「神様」の名前を知っている可能性を少しでも残すための、井竜が中学時代から亮介に憧れていたというエピソードなのだろう。なので井竜が もし駅にカバンを届けていても、その時 自分が一番 格好いいと思う亮介の名前を書く可能性はゼロではない(発想が飛躍し過ぎだが)。
だから咲は一刻も早く井竜が自分の神様か確かめたい。その情報は琴乃・陽希にも回り、陽希は心中 穏やかではない。だからは陽希は井竜との接触の前に、咲に井竜が神様であった場合の彼女の対応について聞く。陽希の心配は神様=亮介だとストレートに考えていた時のように、咲が新たな神様候補の井竜に恋をしてしまうのではないか、という部分にある。
陽希は咲を井竜の元に行かせたくないが、その妨害にも限界がある。すぐに咲は井竜と話し合う場を持ち、咲は逸(はや)る気持ちを抑えて井竜に真相を聞く。だが井竜がカバンを届けたのは電車ではなかった。彼の実家の和菓子屋に忘れられたカバンを持ち主である咲に届けた。井竜の家は咲が祖母とよく行っていた和菓子屋さんだと判明する。
しかし咲の方が覚えていない。それが井竜は不満気。しかも咲を迎えに来た陽希に神様ではなかったと落胆を隠さずに伝えた咲を見て彼の苛立ちは増す。しかし その神様より、昔会ったことのある2人が高校で再会するという縁を強調し、陽希に圧を掛ける。いよいよ少女漫画の王道三角関係が成立し始めている。
それから井竜は ずっと拗(す)ねたように咲に冷淡に接する。自分は覚えている彼女との接点を彼女が忘れている。自分の方が彼女への思いが強い、そんな気持ちの不平等が彼を苛立たせるのだろう。
2学期の学校イベントは文化祭。
その準備の際に咲が陽希と話すと、不機嫌になりながらも接触を続ける井竜の態度を聞いた陽希は こちらもまた拗ねるような態度を見せる。続くバイト先の話で、亮介に会いに大(だい)ちゃん が誰かを連れて来たという話に陽希は反応する。どうやら その人物に思い当たる節があるのだろう。その時は亮介と会えなかった大ちゃんのために、咲は亮介を文化祭に招待することを提案する。こうして外部の人が自由に学校に入れる日に、関係者全員が召喚されれようとしていた。
咲の居ない所で陽希は井竜の策の態度について彼を問い詰めるが、陽希と同じぐらい井竜もピリピリを隠さない。ヒロインの居ない所で始まる男同士の戦いが繰り広げられようとしている。しかも本書では そこに琴乃の気持ちまで乗っかっている。
本書で善意が連鎖するのはいいが、善意の連鎖が いつの間にかに好意の連鎖になっていて、正直いまいちパッとしない咲が、善意を加点にしてモテまくっているだけに見える。容姿などではなく善意が咲の大きな長所になっているのは、咲がなりたい自分が達成されていることでもあり喜ばしいことなのだが、「桜亮介」と言う神の子である咲、その咲の影響を受ける孫世代と、段々と小粒になっている印象が拭えない。
そんな陽希と井竜の険悪なムードを知らず、咲は2人の男性を視界に入れたまま1人の男性の方に駆け寄る。今回 選ばれたのは井竜。文化祭の日が祖母の誕生日と言う話から、子供の頃の自分が井竜の実家の和菓子屋に行った時の話を咲が思い出したからだった。そのことを ちゃんと思い出せた咲は安堵から大輪の笑顔を井竜に見せる。その笑顔は井竜の知っている昔の彼女の顔そのものので、思い出の不均衡が解消されたこともあり、彼の口角は上がる。いよいよ当て馬の完全覚醒である。
「乙女のいたり」…
ある雨の日、傘のない柏木 小羽(かしわぎ こはね)は、同じクラスの桐生(きりゅう)から傘に入っていくかと尋ねられる。それが2人の初めての会話。桐生は教室で いつも本を読んでいてクラスメイトとの交流が少ない人間。だから人嫌いかと思ったのに、彼は自然と話しかけてきた。そんな彼に興味が出て小羽は彼を追う。
独自の価値観を持つ彼に触れ、一層 興味を引かれる小羽。だが周囲の人は桐生を快く思っていない。そんな時に彼に薦められた本の感想から、他人からどう思われるかが自分の基準になっていると指摘され、小羽は改めて自分と向き合うことになる。そして自分とは正反対に他人の評価を気にしないで好きなことに夢中になっている桐生を好ましく思う気持ちが好意だと気づく。
そこから小羽の変革が始まる。一度は失敗して桐生を傷つけることもあったが、彼女は周囲と自分を切り離し、自分の好きなものを胸を張って好きと言える自分になろうとする。それは簡単に言えば恋が彼女の生き方を変えてくれて、世界からの評価よりも重い、たった一人を大切にしたいと言う気持ちが芽生えた。
雑誌掲載の時期が前作『ふりふら』と本編の間ということもあり、共通するテーマを感じる。万人受けするヒーロー像ではなく、分かる人にだけ分かる価値観や、その価値観に触れたことで変わっていくヒロイン。相手の美質を見つけた2人の深い愛情を描こうとするところも本編に繋がる。
小羽の変革をメインにしているが、小羽だけでなく桐生も10代の成長途中の高校生で、特に桐生が持ち前の読解力で小羽の自分への好意を類推してから、グッと小羽との距離を縮めようとするところに青春の甘酸っぱさを感じた。自分が人に対して こんなに前のめりになるなんて、と桐生も自分の変化を感じていることだろう。
咲坂作品でも こういう空気の読めない独特なヒーローの長編を読んでみたい。でもカップルを取り巻く友情は描きにくいし、ずっと変人設定なのも読者の方が疲弊しちゃうので この手のヒーローは長編化は難しいのか。やっぱり読切短編だから描けるヒーロー像なのかな。