咲坂 伊緒(さきさか いお)
サクラ、サク。
第02巻評価:★★★★(8点)
総合評価:★★★★(8点)
憧れの人、亮介についに出会えた咲(さく)。でも自分を助けてくれたのは亮介ではなく、抱いていた恋心も勘違いだったことにショックを受ける。そんな時ずっとそばで支えてくれた陽希(はるき)に惹かれ始めるも、「好き」っていう気持ちの正体が分からなくなった咲はなかなか踏み出せず…? 新たな恋の予感が高まる春が来た――!
簡潔完結感想文
- 前半と後半で、相手へのトキメキが冷めて、すぐに次の恋に走り出す2人を描く。
- 少し前まで兄へのコネで弟を利用したが、今度は弟へのコネに兄を使う腹黒ヒロイン。
- 「いつか思い出した時に同じ温度の楽しい思い出」になるはずの遠足が一転して…。
もう いっそ琴乃がヒロインでいいんじゃないか、の 2巻。
『2巻』は全体的に輪唱のような構成に思えた。冒頭で咲は本来考えていた方向とは違う方向から自分に降り注いできた恋の流れ星に戸惑っているが、ラストでは次の人物が予想外の恋の到来に悩み始める。これまでは単音だった恋のメロディが重なることで物語に幅と波乱が生まれている。
『1巻』のラストで主人公・咲(さく)は自分の「神様」だと思っていた「桜亮介」が亮介(りょうすけ)ではないことが判明し、宙ぶらりんになった神様への恋心をスライドさせるように、亮介の弟・陽希(はるき)に神様への気持ちと同様の感情を彼に抱く。
これは亮介への想いが概念上の恋であるならば、陽希への気持ちは身体的な恋のように思う。「亮介」は善意の塊で、尊敬や信仰の対象だが、陽希には肉体的な部分も含めて好きになっているように見えた。
想像するに もしメモに残された「桜亮介」と、亮介が同一人物であって、更に2人の交流の中で亮介が咲を好ましく思う時がきても、咲は その亮介の中に人間的な欲望を嗅いだ時に彼に幻滅してしまうのではないだろうか。一種の「蛙化現象」のようなもので、自分が神様を好きでい続けることは出来るが、神様が自分を好きと言うのは身の丈に合わず、神が降臨した、というよりも堕落したように感じられるのではないだろうか。
その点、陽希への思いは彼の身体のラインを好ましく思ったり、その腕に抱き寄せられることに興奮したりと最初から人間同士の恋愛になっているように思う。この『2巻』は咲坂作品には珍しく分かりやすい胸キュンな展開が多く用意されているように思うが、それは肉体的な接触を多発させることで、陽希は亮介とは違い目の前にいる異性であることを強調させるためではないか。
もちろん そんな即物的な欲望だけでなく、亮介の件を通して一緒にいることで、彼の美質を咲が知っていったから行為を抱いた。それに『1巻』で言及した通り、作者は注意深く、咲が亮介に失恋状態になったから、次の恋の対象を陽希にした、と尻軽に見えてしまわないように亮介との初対面を前に、ちゃんと陽希への恋情が高まったいることを描いている。
こうして咲の中で亮介と陽希の地位が逆転するのだが、咲は自分の気持ちに戸惑っていることもあり、それを直ぐには認められない。そこで亮介と陽希を同時に観察して自分のトキメキの数値を弾き出す。新旧の好き・兄弟を並べて比較するなんて なかなか図太いヒロインである。そして兄弟は知らない間に利用する/される の構図が入れ替わっている。こういう人間的な狡さも咲坂作品のヒリヒリした感触に繋がるが、本書の場合、どこが「いい子ちゃん」やねん!とツッコまずにはいられない。
そんな くすんだヒロイン(笑)に比べて『2巻』で輝いているのはクラスメイトの琴乃(ことの)である。
今回の彼女は冒頭の名言(今回の感想タイトルでも流用)や、ラストでの毅然とした態度、そして自分以上に周囲のことを考えられる聡明さで彼女の芯(真)の強さが見えてきた。そして彼女がラストに見える赤面や戸惑いの中に恋の波乱が予測される。
咲の亮介 → 陽希への心変わりの早さに驚かされる部分があったが、丸々それは琴乃の際の布石であったことに感心する。一度あることは二度あるし、秒で到来する新しい気持ちが偽物ではないことは咲が証明してくれる。というか そもそも秒で到来したのではなく、出会ってから ずっと自分に向けてくれた眼差しや優しさがあったから咲は陽希を、琴乃は その人に惹かれていった。
今回、初の学校イベントが開催されるが、それが入学から入学直後ではなく2か月が経過した6月なのは、この2か月間の交流で人が人を好きになる準備期間を確保するためだろう。学校イベントの目的としては新入生同士の交流が目的なのだろうけど、2か月間、クラスメイトとして友達として交流してきた彼らは友情は確立している。それ以上に この時期には各自が誰かに好意を抱いており、現段階での四角関係は唐突に始まったわけではない。
抱き寄せられるなどの接触も もちろんキュンキュンする部分だが、個人的に好きなのは、直接的に描かれていない陽希側の描写。メインは咲が陽希にドキドキすることを描いているが、その後ろで陽希もまた着実に咲に惹かれているさまが描かれている。
例えば中学時代の陽希の心の棘(トラウマ)の一部を咲が声の限りに反論した後の陽希は耳まで赤い。咲には ぶっきらぼうな対応をしているが、それは照れ隠しで、咲が気づいていない耳の赤さや、描かれていない正面からの陽希の顔が どんな表情をしているのかを想像するだけで楽しい。咲坂さんは こういう細かい手法が本当に上手。
もう一つ想像して楽しいのは咲が陽希の飲み物を間違って飲んだ時、その前の心の高鳴りがあって味覚を消失させる場面。この後、陽希は咲の提案もあって損失の補填として咲の飲み物を飲むのだが、果たして陽希は この時、この酸っぱいはずのアセロラジュースの酸味を本当に感じられていたか、で彼の咲への気持ちが分かるだろう。ここで味覚を消失していたのは彼も同じではないか、と考えるだけで楽しい。しかも咲は陽希の飲み物を全部飲んでしまったが、陽希は途中までで止めて咲に飲み物を返却している。ここに どんな意図があるのかを考えるのは楽しいが、割と気持ちわるい陰キャな行動にも見える。俺の唾液のついたストローを咲が…、なんてポーカーフェイスで思っていたりするのだろうか。さすがモテたことのない男は やることが気持ち悪い(笑)
咲の人生を変えた神様「桜亮介」は陽希の兄の亮介ではなかった。咲の亮介の恋心は「神様」に対する思慕でもあったため、気持ちの持ち様が咲には分からなくなる。更に自分の中に陽希に対しても「神様」と同様の気持ちを抱いたから、咲は自分の感情に名前が付けられない。
彼氏のいる琴乃に実体験を聞くと、彼の嬉しそうな笑顔を見て気づいたら心臓がドキドキしていたという。その話を聞いた美斗士(みとし)は それは恋ではないと言う。美斗士は、琴乃と彼氏の関係性に琴乃の自発的な意思がないと くさすが、それも全部ひっくるめて「恋か恋じゃないかは 私が決める事でしょ?」と冷静に琴乃は答える。束縛彼氏と交際している琴乃は、確かに言いなりになっているばかりだと思っていたが、ここで一気に彼女が強い人であることが分かり、好感が持てる。そして読者以外にも琴乃に惹かれた人がいるみたいだが…。
亮介が神であるかどうかが分かる前から陽希に惹かれていた咲だが、亮介への感情の経緯があるから、彼女は自分の気持ちが掴めない。ただし陽希に惹かれる気持ちは止まらない。咲は自分の あっという間の心変わりに抗いたいだけ。だから表面上は陽希を避けるような行動ばかりしてまう。陽希は それを亮介の件で自分に迷惑をかけたから咲が気にしていると分析していた。
自分が避けられたことじゃなく、自分を避け(ていると思って)る咲の負い目を軽減するために彼女にフォローする陽希は確かに優しい。だが彼は それを自分では認めない。咲は 彼の幼なじみも知らなかった その理由を改めて陽希に尋ねる。
陽希が亮介関連で咲に尽力してきたのもフォローするのも彼に負い目があったからだった。中学時代に彼は女性から亮介の手紙を預かって、でも それを亮介に渡せないまま兄に彼女が出来てしまった。泣き面に蜂で手紙を陽希に託した女性に非難され泣かれたことで陽希は、手紙を預からない と言う決意と、渡さなかった後悔が ないまぜになった。だから今回、亮介に咲の手紙を渡そうと動いたのは、自分の過去の失敗を取り戻すことでもあった。だから咲への協力も、その裏で自分の都合があった。だから彼は これが善意100%だとは胸を張れない。
また陽希が優しさを認めないのは、自分がそれしかないと言われているみたいだから。過去に純粋な善意での行動だったのに、それを友達に亮介と比べて自分の売りにしなけならないからだと言われた事も心の棘になっているようだ。
それに対し咲は そんな心の棘自体、陽希が背負わなくてもいい種類のものだと強く反論する。そんな咲の必死さを陽希は軽く いなすが、その反面、彼が耳まで真っ赤になっていることを咲は気づいていない。陽希からすればトラウマの解消で、咲は ちゃんと亮介と切り離して自分を見てくれているという充足を感じたことだろう。
でも そんな陽希の心の推移こそ彼の優しさの証明であると咲は思う。だから咲はハッキリと陽希への感情に名前をつける。
咲は陽希との接点を保ちたくて、今度は亮介を出しにして、一緒に亮介のバイト先のカフェに行くことを頼む。心変わりうんぬん よりも、兄に会いたくて弟をダシにした直後に、弟と一緒に居たくて兄を出しにすることの方が罪深い気がする。陽希の後悔と優しさに付け込んでいる気もするし。亮介と陽希、2人の兄弟を視界に捉えて自分の気持ちを確かめる というシチュエーションも なかなかヒロイン仕様の贅沢である。
「神様」だった頃の亮介と初めて会った時は、亮介のバイトが始まるまでの制限時間があったが、今回は亮介のバイトが始まるまで時間を潰さなければならない。そこで2人でゲームセンターに行って時間を潰し、2人はまるで恋人同士のような時間を過ごす。咲は、自分が好きな「陽希の肩から腕のライン」に続けざまに、2回も抱き寄せられている。お前ら、もう付き合っちゃえよ と冷やかしたくなるが、終盤は さっさと付き合って欲しいと冷ややかに思ったりした…。
この時の咲がUFOキャッチャーで取った ぬいぐるみ で彼女の「いい子ちゃん」が発揮され、そして陽希の優しさが爆発する。咲は陽希との思い出よりも目の前の泣いている子を助けたかった。素晴らしい滅私の精神だが、彼女は親切で身を滅ぼしそうで怖くもある。
そして善意の連鎖は本書のルールで、咲が身を切れば、陽希は彼女の傷を塞ぐ。以前は絆創膏だったが、今回は ぬいぐるみ の補填である。善意は連鎖するのは良いことだが、大怪我と治療の連鎖も続くような気がしてならない。
だが結果的に情けは人の為ならず、で望外の喜びを得た咲は満面の笑みを浮かべる。そんな彼女の笑顔に陽希はテレる。これは咲が陽希の笑顔に心臓が高鳴ったのと同じ仕組みだろう。そういえば どちらも亮介に会いに行く直前の出来事だ。亮介は神様と崇められていた時期もあったが、その反面 この2人の踏み台にしかなっていないような気がする(笑)
早くもヒーローのトラウマが解消された状態で2人は亮介のカフェに入る。実際に咲は亮介にトキメクことはなく、こうして2人は早くも恋愛を始める準備が整ったように見える。それぞれに心惹かれる笑顔や相手の本質を見ているし、陽希の嫌な記憶も軽くなっている。
だが そんな時に別の事件が起きる。そのカフェに琴乃の束縛彼氏が、琴乃以外の女性と同席しているのを目撃してしまったのだ。咲は感情的になり彼氏に批判的だが、陽希は、恋人でもない自分たち男女がここにいるように、何か理由があるかもと慎重な姿勢を見せる。ちなみに この回で初めて登場するのが、亮介と同じカフェでバイトする、咲たちと同じ学校で同学年の井竜(いりゅう)である。
この学校での初めてのイベント・遠足(バーベキュー)が行われる。
新入生の交流イベントが こんなに遅いのは本書の特殊な構造ゆえ なのだろう。咲の恋は神様に向いていたし、友情が深まるのも琴乃の指輪探しで消化されている。亮介の件が一段落するまで学校イベントに頼らなくても話は進むから無かったのだろう。
咲が気づいたばかりの恋心を楽しむターンだからか、この前後は陽希との胸キュンシーンが多い気がする。咲坂さんが こういう分かりやすい恋の喜びを描くのは珍しいように思う。そして相手に半歩 踏み込んで その行動を自分で後悔したり報われたりするのが恋をする人の心情を上手く切り取っている。
バーベキューの片付けの際、咲は琴乃の束縛彼氏(浮気疑惑)の隣の蛇口で洗い物をする。会話の糸口としてカフェで目撃した話を振るが、彼は それを否定。姉ではないかとエサのような助け舟を出すと、彼は それに乗っかる。だが彼の話は二転三転しており、そして段々と彼の機嫌が悪くなる。この場面、咲の会話の持ち出し方や墓穴を掘るのを待つ問い詰め方も未熟だと思うが、彼氏の開き直りと間接的な口封じも感じが悪い。威圧される咲を護りに入ったのが陽希だった。
その険悪な3人の側にいたのは、反対側の蛇口で しゃがんで洗い物をしていた井竜、そして琴乃だった。琴乃に揉め事かと聞かれ咲は どう返答すればいいか逡巡する。その膠着状態を打破したのが完全に第三者の井竜。彼は浮気現場となっていたカフェでアルバイトをしており、咲と束縛彼氏の一連の話を聞いていたため、自分が見た真実を話す。「たまたま」と言い訳をする彼氏に対し、複数回 同じ女性とカフェに来ていたことを証言し、立ち去る。
自分は琴乃に異性との交流を制限するのに、自分は自由である不平等を咲は責める。だが彼氏は一方的に話を打ち切り、コントロール下に置こうとする。でも「恋か恋じゃないかは自分で決める」琴乃は強い女性だから、この時も即断即決をして、彼氏への不満を的確に口にして、自分にメリットのない関係性は清算する。
そう言って琴乃は その場を立ち去る。彼女が恥ずかしいのは自分だけ蚊帳の外で何も知らされてなかったことではなく、この楽しい遠足で咲たちに余計な気を遣わせたこと。自分より相手のことを先に考えられる。その気遣いが琴乃の優しさである。
遅れて2人に合流する男性陣。今回、本当に蚊帳の外だった美斗士だが、琴乃に思いを寄せつつある彼は、束縛彼氏のことが許せず乱闘騒ぎになったらしい。琴乃の心を間接的に助けた半分ヒーローだろうか。ここで直接的な暴力を描かず、事後だけを描くのが良かった。心身共に興奮している美斗士は琴乃に「元カレ」との思い出を捨てさせようとするが、琴乃は拒否する。陽希も琴乃のタイミングに任せるべきだと言うが、琴乃の拒否は、このペンダントには咲と陽希の優しい思い出が乗っかっているから大事な物だと言う。
捨てるのも捨てないのも琴乃が決めること。何が大事な思い出かを決めるのも琴乃自身。そう言ってくれる陽希に対し琴乃は頬を染める。失恋直後に別の人を好きになるのは咲の実例がある。だから この日以降の琴乃の描写は伏線がいっぱいなのだが…。
翌日、琴乃は遅れて登校する。彼女の回復が早いのは恋を終えた心の整理と学校には会いたい人がいるという葛藤で後者に軍配が上がったからではないだろうか。今の琴乃の視線の先にいるのは誰か…。