咲坂 伊緒(さきさか いお)
サクラ、サク。
第06巻評価:★★★☆(7点)
総合評価:★★★★(8点)
井竜と過去に出会っていたことを思い出した咲(さく)。ふたりのキョリは確実に縮まり、井竜の中には新たな気持ちが芽生え始め…? いっぽう陽希(はるき)と文化祭で一緒に回る約束をした咲は、期待に胸をふくらませるが…!? 各界で話題沸騰の青春ラブストーリー、興奮の文化祭編!
簡潔完結感想文
- コンプレックスを解消させた あの子は俺の神様。全知の神と神話の恋!?
- このデバイスが「故障か故障じゃないかは 私が決める事」なのかな。
- いつもは優しい陽希が優しくなれない相手は、むしろ彼の特別な人?
ライバルがいるなら本気 出す、の 6巻。
幾つかルールがあると思われる本書だが、今回で「相手への告白の前に、恋のライバルかもしれない人間に自分の気持ちを話す」というルールが追加された気がした。『4巻』で琴乃(ことの)が自分と同じように陽希(はるき)を好きなのかもしれない、と思った咲(さく)は彼女のことが大好きだからこそ、琴乃との間に隠し事をしないよう、自分の気持ちを初めて誰かに伝えた(陽希以外の男性は咲の気持ちなど 見通しだが)。
それと同じように今回、陽希は客観的証拠も挙がり、いよいよライバルであると確認できた井竜(いりゅう)に対して自分の気持ちを初めて伝える。その勇気を咲に向けろよ、と思ってしまうのは当然なのだが、こうして正々堂々と相手と向き合い、同じ土俵で戦うことで彼らの恋愛は その結果にかかわらず、完全燃焼することが出来るのだろう。
それは恐らく、自分の恋心を叶えたいと言う欲求が、誰かを悲しませるかもしれないというジレンマのためだろう。恋愛という一面においてだけだが、彼らは自分が全世界に対して優しく出来ない、ということを痛感する。誰かに譲ったり出来ない、誰かの幸せを願えない、そんなエゴイスティックな自分を認めながら、それでも この恋に邁進する。自他の痛みを引き受けながら彼らは精一杯の恋をするのだ。
この2人のライバル宣言(咲は勘違いだったが)で、いよいよ本書が「似た者同士の恋愛」を描いているのではないか と思えた。そんな2人だから交際、ましてや結婚すれば相手のことに苛立つ可能性は低いと思われる。世界で一番 理解できる人が、自分を確かに好きでいてくれる。そこに不安や不満は生まれにくいのではないか。
…が、似た者同士だからこそ交際に至るまでが面倒くさい。本書は そんな面倒くさい経緯を丁寧すぎるほど丁寧に描いた作品である。
2人は どちらも臆病で、どちらもネガティブ妄想を膨らませるタイプ。自分では決定打を打たないのに、ライバルが登場すると本気 出す という なかなか こじれた性格をしている。今回、陽希は井竜と言うライバルの存在を正式に認め、彼がいるから咲に対するギアを一段 上げる。
恐らく それは今後の咲も同じだろう。上述の通り『4巻』で琴乃に対して誠実で本気だった咲だが、琴乃は仮想敵であり、本当のライバルではなかった。だが今回、咲の前に本物のライバルが登場して、ここから彼女も尻に火が点く状況となる。だからこそ2人はライバルの登場まで何もしないのだ…。
でも『5巻』でも言及したけれど、心の わだかまり が まだ残されているであろう陽希はともかく、咲が動けない理由は見当たらず、彼女が動かない のは作者や作品の都合でしかないように思う。
ただ、咲が文化祭で告白すると(そして失敗すると)、過去作『アオハライド』と同じ展開になってしまう。どうも作者は本書と『アオハライド』を似せている部分と、似せない部分を調整しているようにも思える。特に文化祭で新しい女性キャラが召喚される展開は意図的に似せているように思う。
『アオハライド』のヒーロー・洸(こう)は成海(なるみ)を助けられると思ったし、助けたかったが、一方で陽希は葉月(はづき)を助けたくないし、目を背けたい という違いがあるような気がする。
彼が彼女に付きっきりで不安になるのは当然だけれど、優しいはずの彼が彼女に対してだけ冷淡だと それはそれで他の人とは違う、彼の中での彼女の特別性が浮かび上がる。こうして ただでさえネガティブな咲が、実体を伴うライバルを前にして、また苦労していくのだろう。でも咲も陽希もライバルいたら本気 出す人たちなので、ここからが本番だと思いたい。
宣伝の惹句としては「最終章開幕」が相応しいだろう。登場人物たちの複雑すぎる恋の矢印を作者が どう一つ一つほどいていくかが ここからの楽しみとなる。そして その ほどき方に作者の一人一人への愛情を感じられた。
小学校4年生当時、井竜は実家が和菓子屋であることが少しコンプレックスだった。子供の誕生日の定番のケーキに対し、同年代は和菓子に興味がない。華やかな存在の影に隠れがち、と言う意味で、これは陽希の亮介に対するコンプレックスと似ていると思われる。
そんな頃に出会ったのが和菓子屋に大事なカバンを忘れた咲だった。井竜がカバンを届け、そこで井竜は いつも一緒にいる祖母の不在について尋ねる(同年代だから ということもあるだろうが、咲への興味がかなり高い)。この日、咲は祖母の誕生日に祖母が大好きな井竜の家の和菓子を買いに来ていた。そして小学生ながら この時の咲も井竜の家の和菓子が好きだと笑いかけ、それが井竜の心に潜んでいたコンプレックスを拭い去った。要するに井竜が咲の「神様」なのではなく、咲が井竜の神様だという話なのである。
咲の井竜との接近を快く思わない陽希と琴乃は、この思い出を過大評価する美斗士に不機嫌を隠さない。モテモテヒロインに対する恋愛コメントをするにも美斗士は全方向に気を遣わなければならないのか…(笑)
いよいよ文化祭当日。
咲たちのクラスは来場者が心拍数が100を超えないよう驚いたら負けなゲーム、を出し物にする。心拍数は腕時計型のデバイスで計測。実際の客入れの前にデバイスの最終チェックをするために陽希は「3番」のデバイスを装着する。彼の心拍数が上がるのは咲が接近した時、そして何気ない振りをして彼女と一緒に文化祭を回ろうと提案した時。咲坂さんの この辺の心理描写は本当に天下一品で、思わず机や床を叩きながらニヤニヤしてしまう。
ただし この現象に咲は自分の希望的観測も入っていると分析する。デバイスの故障かもしれず、本当に心拍数が上がったのかは陽希にしか分からない。それでも咲は願望を込めて、デバイスは正常に動いていると「3番」のデバイスを備品として活用する。
約束通り文化祭を一緒に回る2人は、他クラスで以心伝心ゲームに挑戦する。陽希は お友達コースではなくカップルコースでの参加を決めるのだが、これが彼の願望なのか、それとも商品のプラネタリウム鑑賞券を欲した咲に合わせたか。またも答えが分からぬことが咲の前に提示される。
だが以心伝心どころか全問不正解。そして咲は最後の問題「キスしたことがある」に対しての陽希の答えが〇であったことが引っ掛かる(咲は×)。咲は陽希が過去に別の女性とキスの経験があり、その経験があっても自称「モテない系男子」と言っていると陽希の認識を改める。相手を信じ切れずネガティブ妄想をしちゃうのは咲の悪い癖だ。
それでも陽希は プラネタリウムぐらい行きたければ いつでも付き合うと咲に対する好意を滲ませているように見える。飼い殺しとは このことか。
休憩時間が終わり、咲はクラスの出し物の驚かせ役となる。
そこへ入ってきた井竜だが、彼は咲の脅かしにも平常心を保つ。だが覆面をしていた咲がコケると、怪我の有無を確かめてくれる(優しい)。そこで初めて井竜は この間抜けが咲だと分かるのだが、顔面を強打した咲の顔を見つめると彼のデバイスは鳴り響く。つまり心拍数が100を超えたのである。この時、井竜は無意識に咲に顔を近づけ、キスをしようとしていた。デバイスのアラームで我に返ったが、それが無ければキスをしていたかもしれない。そんな自分の隠れた欲望に気づき、井竜は動揺する。この時、井竜が装着していたのが陽希が試験した「3番」の物。ここで読者は「3番」が正常に作動していることに確信を得る。
しかし咲は井竜が心拍数を上げる理由が分からないから、このデバイス自体が故障=陽希は自分にドキドキなどしていなかったと結論を出し、落胆する。だから咲は陽希には自分への好意がないのに 咲のリアクションを見たいがために かわれていたように感じられた。その上、キスの経験者であることが発覚し、彼と恋愛経験に差があると思い込み、彼への態度をキツくしてしまう。なかなか面倒臭いヒロインになってるなぁ。
咲の一方的な劣等感で険悪になている2人の前に登場するのが、大(だい)ちゃん、そして もう1人の幼なじみの葉月(はづき)という女性だった。そして葉月の姿を確認後、陽希の態度はおかしくなったと咲は感じる。
葉月は、陽希と大ちゃんと亮介の、もう1人の幼馴染。咲は陽希のキス問題を引きずっているため、葉月が その相手かもしれないと思い込む。葉月の容姿が整っていることもあり、自分の自惚れが居た堪れなくて、咲は その場から逃げ出す(典型的ヒロイン行動)。でも咲は、この後すぐに陽希が葉月の手を振り払って自分を追っていることを知らない。
そして咲と陽希の仲が険悪になると出てくるのが井竜という男だ。だが咲は彼からも逃亡し、井竜は結局 咲を追ってきた陽希と出くわす。男性たちは自分たちが装着した「3番」デバイスが壊れていないことを知っている。そして陽希は井竜の気持ちを確認し、そして自分も同じだとライバル宣言をする。ここまでの『6巻』で陽希が自分の気持ちを表明したのは初めてである。デバイスのアラーム音が旧来の「嚆矢(こうし)」となるのが、非常に現代的で、これが開戦の合図となる。
その後、陽希は咲を見つけて話し合うのだが、今の咲は自暴自棄状態で陽希の話を きちんと聞かない。全てを説明させればいいのに、聞きたくない話を聞くかもしれないからと咲が逃げているのが残念。それに陽希が どういう気持ちであれ、咲が彼を好きなのは変わらないし、今は周囲に気を遣わなくていいのだから、自分の気持ちを伝えるという選択肢もあるだろう。だが結局 自分が傷つきたくないから自分の気持ちは秘匿したまま陽希の気持ちだけを引き出そうとする不平等が残念すぎる。
一方、陽希は井竜と言うライバルの存在もあって、咲が気になっている誤解や認識の違いを全て白状する。
それが『3巻』の時の事故チュー。咲は自分の口が陽希のどこかに当たったと思っているが、陽希は それが口同士で、キスをしたという認識があった。だからこそ以心伝心ゲームでキスの経験を〇にした。だが咲が×と答えたことで ようやく陽希は咲は分かっていなかったことを確認する。咲は自分のファーストキスが事故チューだったことに落胆する。その姿を見た陽希は その「やり直し」を提案し、2人は見つめ合う。
そこに邪魔者が入るという定番展開が起こる。ちなみに咲たちが外のベンチから保健室に移動したのはキス展開のためだろう。カーテンが目隠しになって、時間を稼げている。慌てすぎて どこかに身体をぶつけたであろう陽希が冷静な振りをしているのが笑える。
葉月の乱入で、咲は陽希の真意が分からなくなり、また彼の気持ちを掴み損ねる。そして葉月への陽希のらしからぬ冷淡さがまた彼への距離を感じさせる。それを指摘すると陽希は、以前 亮介に手紙を託したが自分が渡せなくて こじれてしまった相手が葉月だと教える。その負い目があって陽希は葉月に冷たく接すると言うが、咲は彼らの間に何かしらあったのではないか と邪推を始める。
しかも陽希が、葉月から亮介と比べられたことで彼女の手を振り払い、そこに見られる感情の強さに咲は陽希の葉月への想いを読み取ってしまう。自分の気持ちは言わないが、相手の気持ちは推測で思い込む咲。そこに亮介(りょうすけ)が遅れて登場して、場は混戦模様。これで文化祭に関係者が全員 召喚されたのかな。
しかし亮介登場直後に文化祭が終わって、陽希は打ち上げで咲に話したいことがあったが、咲は病欠の人に代わってバイトへ行く予定だと言う。
この時の陽希の不機嫌で、美斗士は陽希の恋心を初めて知る。何となく美斗士は全てを お見通しなのかと思ったが、意外にも初めて陽希の心に接したようだ。これで美斗士は自分以外の3人の気持ちを把握したが、両片想いの陽希と咲については何も言及しない。それでは琴乃が可哀想だからだ。いよいよ美斗士は全方向に気を遣い気軽に発言できない。胃を痛めなきゃ いいけど。
陽希の気持ちや嫉妬などを知らない咲は、人助けのバイトに向かい、バイト後に井竜と2人きりで打ち上げをすると言う。陽希の恋心を少しも察知していない訳ではないのに、他の男の名前を出すなんて、男性のナイーヴさを全く理解していない。
ただ嫉妬を原動力にしている陽希を動かしたようで、最後の最後に、陽希は咲と、翌日の代休でのプラネタリウムを一緒に見る約束をする。
バイト後、咲は約束通り井竜と2人だけの打ち上げをする。これは井竜が咲の誘いだから乗った。もう彼は咲の全ての願いや相談を面倒臭いなんて思わないだろう。
季節的に夜は肌寒くなってきており、井竜は寒がる咲に上着を貸す。自分は上着を脱ぐと半袖にもかかわらず、咲に上着を着せたいのだろう。そんな井竜に気遣って早く帰ろうとする咲だが、井竜は この時間が一分一秒でも長く続くように願う。
そして咲もまた陽希との距離を感じている時で、これまでのように井竜を相談相手にしたい気持ちがある。そこで咲は陽希との間の全てを話し、明日 一緒に出掛けることも伝える。一緒に出掛ければ全ての誤解は解け、それどころか陽希が咲に告白する可能性は高い。それは同じ気持ちを抱える井竜には よく分かることだろう。
だから彼は明日なんて来なくていいように、咲を自分の側に置きたがる。