桃森 ミヨシ・鉄骨 サロ(とうもり ミヨシ・てっこつ サロ)
菜の花の彼(ーナノカノカレー)
第01巻評価:★★★☆(7点)
総合評価:★★★☆(7点)
中学時代のトラウマがもとで素直に恋ができない菜乃花。でも街で男の子のやさしい言葉を耳にした菜乃花は思わず告白してしまいます。顔を見る前に―。恋に傷つき、恋に癒される、これは、そんな物語。
簡潔完結感想文
- 声と性格と、同じ傷を抱えている親近感で顔も年齢も知らない人に告白する。
- 初めて人に恋をして知る自分の大胆さや感情の乱高下は必死さや執着を意味する。
- 彼女のピンチでスーパーヒーロータイムの準備完了。だが そこに現れるのは…。
ドラマだったら絶対に視聴継続、の 1巻。
掲載誌「マーガレット」は やはり少女漫画雑誌の中でもダントツでスピード感がある。その関係で特に三角関係との相性が良いように思う。一進一退のトライアングルストーリーが隔週で読めるのはリアルタイムで雑誌を購読している人だけの特権だろう。
秀逸な構成や小道具の使い方にうならされた本書だけれど、まず最初に驚いたのが『1巻』のラスト。それまでは作者の桃森さんの初長編『ハツカレ』のような少しずつ相手を知っていき、少しずつ相手に惹かれていく男女を描いているのかと思いきや、最後の最後で意外な人物が顔を出す。と言っても読者にとってハジメマシテの人ではない。読者は その人のことを よく知っている。どんな人なんだろうという興味も持っている。だが顔は知らなかった人。そんな人が最後に姿を現し、そして これからの波乱を予感させる。
ヒロインの菜乃花(なのか)は顔を知ることなく彼の声と、その声が震わす誠実な言葉に惹かれ隼太(はやた)に告白した。そんな印象的な出会いが第1話だったが、『1巻』の終わりに もう一人の重要人物の顔と名前が初めて発表されるというサプライズ構成に驚かされた。温厚だけど意外にガッシリした隼太のような作品の骨格である。
早くも『1巻』で菜乃花が感じているように、本書は恋愛を通しての自己の再認識が何度も繰り返される。そこで発見するのは恋をした自分から湧き出る無限のパワーだけではない。そういう美点も描きながら、その逆も描く。
読書中には「清濁併せ呑む」という言葉が浮かんだ。菜乃花は決して綺麗なだけのヒロインではないし、その他の登場人物も性格に長短を抱えている。綺麗だと思っていたものが実は汚かったり、その逆で汚く見えるものの中に綺麗なものを見つけたり。簡単には割り切れない人の心を恋愛を通して照射している。
時に物語が濁流に呑まれて、読者が呼吸が出来なくなったりもする。しかし それでも少女漫画に散見されるヒロインだけが不幸に巻き込まれて、だからこそ健気に輝くというヒロイン中心の物語ではなく、どのキャラにも幸福と不幸があって平等性を感じた。簡単にジャンル分けすれば三角関係モノで、だからこそ人気が出たのだけれど、単純にヒロインが2人の男性の間を蝶のように舞うだけの話ではない。
近年流行りのの溺愛系や人との衝突がない物語と違って本書のキャラたちは生々しい傷を何度も追う。だが その心の傷跡は人生経験に繋がり、その痛みが成長の養分となることもある。傷を癒す物語を描けるのは、きちんと傷をつけることが出来る作品だけである。漫画世界に重い話を求めない風潮は理解できるが、こういう作品も世界には絶対に必要である。
ヒロイン・綾瀬 菜乃花(あやせ なのか)には女友達が2人いる。だが そんな3人組の1人に彼氏が出来て、友達間での話題が これまでと一変する。これまで恋人のいない もう1人の友達・優子(ゆうこ)は その変化に不満を持っているようだが同じ境遇の菜乃花が意見に賛同しないのを見て立腹してしまう。初登場の菜乃花は事なかれ主義に見え、頼りなく思える。
菜乃花にとって彼氏が原因で女友達との仲が こじれるのは これで2回目。1回目は中学時代に初めて菜乃花に彼氏が出来て、これまでの友達との時間を彼氏に費やすことになり、友達が遠慮して菜乃花と距離を置くようになってしまった。彼から告白してきたことが嬉しく交際した2人。彼の中にぎこちないけど優しい一面も垣間見れて、菜乃花は彼を好きになりそうだった。しかし その彼氏は男友達に見栄を張ってばかりで、キスしただのエロいだの菜乃花に関する偽りの情報を喧伝していた。そのことを静かに責めた菜乃花に彼は逆上して無理矢理 キスの事実を作ろうとした。それを拒絶したことで2人は距離を取り、そして彼は自分が菜乃花を振ったと再び彼女を傷つける発言をする。
そんな過去を思い出し、引きずられていた菜乃花がファストフード店で背中越しに聞いたのは男女の別れ話。別れを切り出した男性側の声に菜乃花は強い印象を受け、その会話を聞く。どうやら彼女が彼を試すために浮気をしたようだ。だが彼にとっては自分の都合で浮気するような無理らしく、それが2人の決定的な亀裂となった。逆ギレして店から出ていく彼女の背中に、彼は 耳を赤くして「ちゃんと好きだったんだけどな…」と呟く。分かりにくくても自分の気持ちは誰かに判断されるものではない。
一連の流れを聞いて、菜乃花は自分の後ろに座る男性と自分の共通点を見い出す。自分なりの誠実な恋が相手の不誠実さによって壊されてしまった悲しみ、虚しさ。菜乃花は昔の傷が癒えないままだから、彼氏がいた事実も周囲に言えないままになっている。だから見た目の悪くない男性から告白されても恋愛する気分になれず お断りしてしまう。
ただ それが またも優子の気分を害してしまう。恋をしたいのに相手がいない・望めない彼女にとっては、男性から好かれるような容姿を持つ菜乃花が恋愛に興味ないような態度が、自分のコンプレックスや劣等感を刺激するのだろう。だから その子は苛立ちを菜乃花に ぶつける。
こうして菜乃花は学校で1人になってしまう。だが それは3日ぐらいの話。その子に彼氏が出来たことで事態は急転し好転する。孤立はなくなったが、菜乃花の抱える孤独は続く。最初の交際が終わったのは自分の責任でもあるのではないか、と菜乃花が街中で涙を流した時、聞き覚えのある声が耳に入る。
それはファストフード店で別れ話をしていた男性の声だった。彼は菜の花の元彼とは違い自分が振られた体裁を取り、そして恋が終わったのは「気持ちの あるく早さが合わなかっただけなんじゃないか」と総括する。その達観した考えは、中学時代の終わった恋の傷口に手をそえてもらうような、やさしい答えに思えた。トラウマである傷口が癒えないから次の恋に踏み出せない菜乃花だったが、その答えを聞いて次の恋に進む。
だから彼女は振り向いて男性にこう言う。「私と つきあってもらえませんか」。
菜乃花は顔も見たことのない声と考え方に惹かれた男性に告白した。そこにいたのは かつて自分が通っていた中学校の学ランを着る男子生徒だった。その名前も知らない年下の男性に菜乃花は恋をする予感を抱いた。
魅力的な1話だ。彼の容姿を徹底的に排除して、どうしてヒロインが彼に惹かれるのかという理由を しっかりと用意している。彼が格好いいのは漫画的な記号と考えても良いだろう。実際 その男性が どんな容姿であるかは菜乃花には関係がないのだ。そしてヒロインの中で何かが動き出す予感を確かに感じさせた始まりで、これからが楽しみになる。
菜乃花にとっては理由があって思わず告白するほどだったが、相手からしてみれば女性は全く見知らぬ年上の人。そして声を掛けた菜乃花も これまでの経緯や自分の中の変革を全て話す訳にもいかず、どこから切り出せばいいか逡巡していた。だが彼は立ちすくむ菜乃花を通行の邪魔にならないように端に誘導し、そして菜乃花の心の準備が出来るまで待っていてくれる。そこも自分を力任せに引っ張っていくような中学時代の元カレと違う。
そんな点にも安心感を覚え、菜乃花は自分の名前を伝える。相手の名は桐山 隼太(きりやま はやた)という。だが隼太は菜乃花が話を切り出す前に、自分は今 誰かと つきあうことは考えられないと頭を下げる。彼の心境や状況を考えれば それは当然の判断と言える。数分前の菜乃花と同じで隼太は恋が終わった傷が癒えていないだろう。自分と同じように彼が前へ進むキッカケがなければダメなのだろう。
こうして菜乃花の初めての告白は終わり、隼太は背中を向けて帰ろうとする。だが ここで終わりにしたくない菜乃花はメモを取り出し自分のアドレスを書き、隼太に友達からでも、気が向いた時に思い出して欲しいと願って渡す。そんな菜乃花の真剣さに隼太も感じ入り、メモを受け取る。
菜乃花は女友達に好きな人ができたと告げる。恋愛を拒絶していた菜乃花からの突然の恋バナに無理して話を合わせているのではないかと女友達は疑念を抱くが、菜乃花の表情が嘘ではないと物語っていた。これはメモを受け取った隼太も同じだろう。菜乃花の表情が恋をしていることが見て取れるのだ。
菜乃花からの初めての恋バナは突拍子もなく友人たちは呆気にとられる。だが3人揃って初めて同じステージに立っての会話は確かに彼女たちの距離を縮ませた。波乱万丈の恋愛だけでなく ちょっとヒリヒリとした友情も作者の特徴である。
メモを渡した3日後、隼太から初めてメールが届く。隼太のメールは直接 会って話したいというもの。文章と内容に隼太の誠実さが読み取れる。そして待ち合わせにも おそらく最短距離を全速力で来てくれたらしい。
だが隼太は改めて交際できないことを伝える。菜乃花が追い縋ろうと言葉を紡ごうとした時、隼太のバレーボール部仲間と遭遇する。彼らは菜乃花が声を掛けた時にもおり、告白の顛末を興味本位で探って来る。そこで改めて隼太は菜乃花とは付き合わないことを宣言するが、菜乃花が惨めにならないように自分が振られたと嘘をつく。
それに声を上げて反論するのは菜乃花。隼太の優しい嘘は、まるで菜乃花が自分の気持ちを絶ったように聞こえる。それが嫌で菜乃花は自分の中の隼太への気持ちを嘘にはさせなかった。それは自分を庇う嘘よりも辛く響いた。菜乃花は自分が声を荒げたことや、これまでの隼太に対しての自分の無鉄砲さに困惑する。
一方、隼太は元カノから再交際を持ち掛けられていた。それは隼太の今の傷を手っ取り早く癒す 最速の治療法だろう。だが それは最善の治療法ではない。そして隼太の中には菜乃花の必死な言葉が鳴り響いていた。
菜乃花は再度 隼太に振られる形になり意気消沈。声を上げた自分の非礼を詫びたいがメールの文章では伝えきれないと思い 直接 謝りたい。それは隼太と同じ種類の誠実さだろう。直接 会うことが彼らの誠実な姿勢の表れになる。
だから菜乃花は自分の母校でもあり隼太が現在 通う中学校に出向く。しかし来る日も来る日も会えない。なぜなら隼太もまた菜乃花の高校で菜乃花と会えることを願っていたから。そして隼太は一秒でも早く菜乃花の高校に到着するために近道を利用していたため、校門で待つ菜乃花とは会わなかったのだ。
この すれ違いを埋めるのは菜乃花の大胆な行動だった。自分の母校である中学の制服を使い、学校内に潜入を果たしていた。ある日、部活帰りに財布を忘れたことに気づいた隼太は教室まで取りに戻り、そこで菜乃花の姿を見つける。
この際、初めて2人は自分たちの年齢差が1つであることを知る。最大で5歳差だが、それはないにしても中3の隼太の方は2つ3つ離れていることも覚悟していただろう。しかし年齢差は1つ。つまりは2人は去年まで2年間も同じ学校に通っていたのだ。
隼太は年上の人ばかりが集う高校と言うこともあり菜乃花の高校の前で怖気づいているばかりだったが、菜乃花の方は こうしてリスクを冒して自分に会う確率を高めてくれたことが隼太には嬉しい。そういう菜乃花の誠実さや切実さを ちゃんと感じ取れるのが隼太だろう。
2人で学校内を並んで歩き、隼太は下駄箱の前で菜乃花との これからの付き合いを約束する。下駄箱の前は菜乃花が元カレの別れに関する嘘を聞いた悲しい思い出のある場所。だが隼太は その記憶を上書きしてくれた。それが菜乃花には嬉しい。その夜、2人は初めて電話で話す。菜乃花は友達である優子の良いと思う所も少し苦手な所も隼太には素直に話せる。
そして隼太との出会いや自分の行動が菜乃花を変えていく。
しかし優子の彼氏が菜乃花に目をつけ、優子を理由に彼女をカラオケボックスに誘い込む。優子は彼氏が嘘の通話で自分と話している演技をするのを下駄箱で聞いてしまう。これは中学の菜乃花が彼氏の嘘を聞いたのとダブる光景である。
彼氏の強引さを知っている優子は、前日に会っていた隼太を頼りに彼の中学校へと走る。どうにか隼太を呼び出すことに成功し、菜乃花のピンチに隼太がヒーローとして駆けつける準備が整う。だが菜乃花を実際に助けたのは、菜乃花の元カレである鷹人(たかと)だった…。最後の最後に顔のない人が顔出しで登場する。こんなインパクトのある登場方法は なかなかない。
そういえばヒーローがカラオケ店に走るという展開は『悪魔とラブソング』でもあったなぁ。