松月 滉(まつづき こう)
幸福喫茶3丁目(シアワセきっさ3ちょうめ)
第11巻評価:★★(4点)
総合評価:★★(4点)
幼稚園で「なりたいもの」の絵を描くことになり、身近な人のお仕事調査をしている二郎くんとさくらちゃん。そんな2人の話を聞いたり、進藤さんのケーキを作る姿を見て自分の進路を考え始めた潤。中間テストも終わり、近づく三者面談。はたして潤のなりたいものとは…!?
簡潔完結感想文
- 残り4巻なのに新たなキャラ、新たな謎と余計なことばかり。伏線? なにそれ おいしいの?
- 潤が進路について考え始めるが、具体的な回答は本編では得られない。何が描きたいのか…。
- 唐突な学校編と同様に、唐突に聖域に女性客がOKになる。作者の意図が全く分からないよ。
作品が残り1/3になっても、これまで通り優雅な時間を過ごす 11巻。
作者の考えが分からなかったのが、ボヌールに関すること。これまで舞台となるカフェ・ボヌールには潤(うる)と同世代の女性キャラを一切 入れなかったのに(モデルの蜜香(みつか)以外)、急に それが解禁されたのには悪い意味で驚いた。夏休み明けでもなく、文化祭前だからといって急に学校編を解禁した時(『6巻』)と同じぐらい その意図とタイミングが分からない。『3巻』では同級生を徹底的に排除していたのに、今回は許可。作品内の王女である潤様の ご友人だからという理由はあるだろうが、これによって潤の聖域は聖域でなくなり、男を独占していた逆ハーレム状態も崩壊した。意味もなく、たった1回きり(多分)のために、これまでの お約束を破るような安直な展開には首を傾げずにはいられない。
話の流れとしては潤の友人である有本(ありもと)がボヌール内の雰囲気を実際に見る必要はあるのは分かるが、だからといって この話だけのために聖域崩壊は割に合わない。
というか、作者にはボヌールに女性キャラを入れないという縛りなんて最初から無かったのかもしれない。潤の唯一性・ヒロイン性を守るためには縛りが あった方がいいと思うのに、無意識とはいえ これまで積み上げてきたものを作者自身が簡単に壊してしまった。こういう感性の合わない部分が多すぎる。それが作品の評価に繋がっていく。
そして このところ表紙は誰なのか分からないことが多い。作者が思うほど、個々のキャラは立ってないんだから、大人しく人気キャラだけに しときなよ、と老婆心で助言をしたい。
全15巻という全体から見れば、この時点で残り1/3。ここからは作者が最後に設けたクライマックスに向かって話が進まなければ時間に余裕がないのに、この『11巻』は ほぼ日常回。ヒロイン・潤が私はシアワセだと再確認するだけの内容。夏休みの宿題と同じく早めにギアを上げるべき段階で何もしないツケが最後に回ってきて、それが結果的に読者にも悲劇となる。これは『11巻』で潤が、情けは人の為ならずとシアワセの循環を感じたのとは対照的だ。偉そうな人生哲学をキャラに語らせる前に、作者が作品のために将来を見通した行動に出るべきだったのではないか、と怒りすら湧いてくる。『11巻』でヒロインに将来を考えさせていても、結局 その答えすら本編中では何も出さないんだもん。完結した時に残った謎の多さが、読者の悲しみになるというのに。
もしかして作者は もっともっと長いスパンで作品を考えていたのだろうか。永遠を手にしたと思ったら、思いのほか早く作品をまとめなければならなくなって焦ったのだろうか。そういう構成力の無さも相まって、終盤戦は読み直すのも気が重いなぁ。せめて『10巻』で登場させた桜庭(さくらば)を暗躍させるなどの布石があればいいのだが、『11巻』では彼の存在を完全無視。どうにも話の広げ方が上手くない。
冒頭はボヌールの休日。『11巻』ではボヌールは土曜日という書き入れ時に定休日にする謎の設定が明かされる。週末にケーキを食べて贅沢をしようとか、家族で家でケーキを食べようとか そういうニーズに全く応えない。季節のフェアもやらないし、パティシエとしての腕は一流かもしれないが店長たち男性陣には経営者としての才覚はないのかもしれない。
潤は学校もバイトも休みの土曜日は暇。そこで店長が気を回して、潤を進藤宅に呼ぶ。潤は無警戒だから、男の人の家にもズカズカと入り込む。2人きりになり、進藤の頑張りを潤が分かっているように、潤の生き方を進藤は しっかりと肯定してくれる良い雰囲気が流れる。
この回で店長が颯季(さつき)という進藤の咲月(さつき)と読み方が同じ謎の人物の名前を出すが、ずっと謎のまま終わる。作者には どんな計画と勝算があって、この期に及んで新しい謎を作ろうと思ったのだろうか。
有本と潤の出会いが語られる回で、ボヌールという聖域は聖域でなくなる(上述)。有本もまた潤が平気じゃない時にも笑う性格をよく知っていて 彼女を遠くから見守っていた。両親の再婚で潤は無理をしていたが、それが変化したのはボヌールでバイトするようになってから。彼女のことを見えてくれる男性たちがいることが心の余裕に繋がったらしい。
イケメンたちが潤の人生に重要という話だけではなく、1人暮らしをする潤に対して、羨望ではなく彼女の内心を心配するのが有本だったという彼女の特異性が語られる。
ここでは潤に明確な心境の変化があってボヌールに友人を招待するなら分かるが、何もなく約束事が破られたのが本当に残念でならない。
続いては子供回。幼稚園で「なりたいもの」を考えるように先生から言われた さくら。そこで二郎(じろう)と一緒に お仕事を調査する。最初は安倍川(あべかわ)家の和菓子屋。そしてボヌール。そこでパティシエの仕事を見学。
さくら たちに「なりたいもの」を聞かれて、潤は「誰かをシアワセにできる人になりたい」と答える。さすがシアワセ教の教祖である。そんな潤の教えに子供だけでなく進藤も胸を打たれる、という いつものパターン。間口を広げて、多くの読者に刺さる台詞を、と作者は考えているのかもしれないが、どうも抽象的でボンヤリしている。
続いても子供回で、『3巻』で迷子になってボヌールに迷い込んだ加藤(かとう)少年が再登場。その時は両親が離婚し兄妹がバラバラになってしまったが、今では月に1度なら会えることになったという。進藤に借りた交通費やケーキ代を返却しに来た加藤少年に対して、ボヌールは再度ケーキをサービスする。
加藤少年の妹が艶花とかいて「よしか」と読むのは作者の趣味か。蜜香とか そういう響きと漢字のバランスが好きそうだなぁ。というか白泉社作品の女性キャラの名前は(無駄に)凝っていて、画数が多かったりする印象がある。
この話は過去の自分たちの優しさが誰かを強くし、それが戻ってくるという情けは人の為ならず、という教訓めいた話となる。結局、渡された お金を黙って加藤少年のバッグに入れて、受け取らないのはボヌール流だ。
でも考えてみれば、進藤は親と一緒にいる子供には正規料金を徴収し サービスしないが、両親のいる さくら でも単独で来店するとサービスしてくれる。何だか進藤のトラウマによる選別が働き、逆差別のようにも見えてフェアじゃない。
進路や将来の話は続き、潤は学校で三者面談が近づく。潤はボヌールのバイト継続のためにテスト勉強に熱が入り、そして今の努力が いつか誰かの力になれるというシアワセの循環に気づいてからは やる気が漲る。
一緒に過ごす時間が家族よりも長いからかボヌール組は潤の心理状態の機微を簡単に見抜くらしく、テストや進路相談など潤のメンタルを きっちりケアしてくれる。
そして潤が進路に悩んでいると聞いて心配で駆けつけたのは義父。漫画の中では潤と会うのは いつ以来になるだろうか。義父は年長者らしいアドバイスをして潤の心を軽くする。連れ子として何の責任も果たさない潤に優しい義父が本当の聖人なのではないかと思う。
そして面談当日、潤は亡き父と同じ「先生」と呼ばれる仕事に就きたいと話す。具体的な職業は決まっていないが、大きな方向性は決まった。あとは それに向かって努力を続けることが必要なのだろう。
潤は小さい頃、夫を亡くした母親に対して、自分が おとうさん になると言っていた。小さい娘に そう言わせてしまった自分の弱さを後悔していた母だが、三つ子の魂百まで、娘は変わらずに優しい気持ちを持って育ったことに安心と感謝を覚える。
どこへ向かうか分からない浮かぶ風船のようにフワフワした内容が続く…。