《漫画》宇宙へポーイ!《小説》

少女漫画と小説の感想ブログです

何でも許容してくれた夫との間に初めての相違。これは対等な関係になるためのステップ?

PとJK(14) (別冊フレンドコミックス)
三次 マキ(みよし まき)
PとJK(ピーとジェイケー)
第14巻評価:★★☆(5点)
 総合評価:★★★(6点)
 

養護施設でボランティアをはじめたカコ。失敗もあるけど大張り切りで、職員の”ちい先生”とも仲よし(?)に。だけどある日、彼の顔を見た功太の表情が一変して...。カコが未来に描く夢に向かって歩みだしたとき、功太は囚われた過去に引き戻されていく―。新章スタートでドキドキの連続!! 2人の夫婦生活に嵐の予感!? ポリス&女子高生ラブ第14巻!

簡潔完結感想文

  • 3度目の功太のトラウマ。少女漫画のクライマックスは男性のトラウマが相場ですが…。
  • 妻の安全を確保するためなら どんな権力の行使も許されるのか? それともモラハラ
  • 価値観の違いで夫婦の危機。カコは違う場所に立ったまま功太を救うと信じたいが…。

ラウマの反芻(はんすう)も3回目だと味がしない、の 14巻。

『13巻』で1巻丸ごとイチャラブを見せた後での、この温度差。あんなにカコを優しく見つめていた功太(こうた)の瞳が こんなに冷たくなってしまうなんて想定外の展開だった。
作者によると これが本書のラストエピソードで、少女漫画の定石通りに、男性のトラウマが最後のテーマとして扱われている。ただし本書においては功太のトラウマは、カコが彼の過去を知った回(『3巻』)、そして第三者の視点から事件の前後の功太の様子が語られる(『5巻』~)に続いて3度目の登場である。功太のトラウマは相当 根深い。

ただし、功太の過去同様に暗い内容が続いた大神(おおかみ)編、唯(ゆい)編では彼らを苦しめてきた張本人との対決があったが、功太にはそれがなく、完全にトラウマを払拭したという確証がなかった。だから今回、ラストエピソードとして作者は功太の「過去」との直接的な決着を用意したのだろう。

そこで登場するのが この巻から登場する かつての少年。現在20歳になった彼は、7年ほど前、自分の家族と、そして功太の父親を殺した人物であった。その人物を目の前にし功太は これまで保っていた心の平穏を一気に壊される。そして彼が余裕をなくすことが、カコとの夫婦関係に大きな影響を与えていく…。
大神たちの場合は子供(未成年)が被害者で、功太は大人の罪を告発し逮捕することで彼ら未成年を苦しみから解放していった。だが今回の場合は功太が出会った かつての加害者は法による罪には問われており、功太が彼を逮捕することは出来ない。彼に対してあるのは功太の中の憎しみ そして生理的嫌悪。功太は彼を端(はな)から否定する。

その人格否定が、ヒロイン・カコの聖母属性と相反してしまい、そこから この夫婦に亀裂が発生する。功太の気持ちも分かるし、全面的に功太に寄り添わないカコへの苛立ちも確かに感じる。だが本書ではカコは独自の立ち位置を確保する。それがカコが見てきた かつての少年、現「ちぃ先生」と呼ばれる人への評価。功太が全否定しようとする今の彼をカコは否定できない。夫婦と言えど同じ人間ではないのだ。

作者は敢えてカコを その場所に立たせる。カコが功太の味方でいることは簡単だが、そうしないのは大袈裟に言えばカコが盲目的に功太の味方になることが夫婦や更生などの社会システムの否定になってしまうからではないか。
功太がカコを「ちぃ先生」との交流から遠ざけるのは自然な考えだろう。だが、カコが感じたように「ちぃ先生」なら傷つけて良いと思っている被害者特権を持っている功太に、恐怖を感じて同調することは夫婦間のモラハラになるのではないか。これは唯の父親が自分を子育てによる被害者だとすることで、唯に恩をきせ、彼女の思考や肉体を支配しようとした恐怖での支配に近いのではないか。だから功太が「ちぃ先生」と会った日の帰り道、功太の意見をすぐに肯定しなかったカコは とても強い人間なのかとも思う。
功太の気持ちに寄り添う、と言えば聞こえが良いが、カコが彼の機嫌を損なわないように自分の意見を曲げてしまっては、その経験が小さな悔いとなり やがて小さな違和感を持ちながら彼と生活しなければ ならなくなる。もちろん功太が この件以外でモラハラを発動させる可能性は低いが、こうして1回でも前時代的な夫唱婦随の隷属的な関係が出来てしまうことを作者は回避したのではないか。

車内という密室で、逃げ場のない恐怖を演出してしまう功太。彼の根底には こんな顔が潜んでいた…。

更に言えば、社会的に許された人間を一方的に排除しようという功太の考え方は、『14巻』ラストで「ちぃ先生」の正体を知った周辺住民が養護施設の壁に「出ていけ」とメッセージを描いたような不寛容の象徴と重なる部分があるような気がする。
どの問題も自分がその立場だったら、と考えると迷ってしまうが、罪を償うことすら許されない社会が正しいのかという疑問も残る。コロナ禍の自粛警察と同じく、自分が巻き込まれるかもしれない恐怖から人は他者に不寛容になる。カコの考え方は、とても楽観的なのかもしれないが、社会の中にカコのような考えを持つ人がいなければ、人は息詰まる相互監視の社会に暮らすことになり、やがて行き詰まる気がする。

本書では夫婦の立場を敢えて違う場所に置くことによって、一方的な価値観に染まることを防いでいる、のではないか。功太が一方的に「ちぃ先生」を否定することは、彼の未来、そしてカコの思考や思想も一方的に否定することに繋がる。今回の夫婦の亀裂は、功太が かつて望んだように、カコが自分で自分の将来を見つめ、拓いていこうとするからこそ生まれる齟齬とも言えよう。彼らの意見が合わないことは悲しいことではなく、本来は喜ばしいことなのだ。これは これまでのようにカコが功太の庇護にいるだけでなく、彼女が自立した一人の人間として功太と一生を添い遂げるために必要な通過儀礼になるような気がする。きっとカコのような存在がいるからこそ、功太は救われる、という展開が待っている、はずだ…。作者が大きな流れすら考えずに話を作っているらしいことが心配でならないが。


が暮らす養護施設でボランティアを始めたカコ。そこで背の小さな男性職員・ちぃ先生と交流を深める。カコの長所も、そして この仕事のことも熟知している良い職員の ちぃ先生にカコは好感を持つ。通常の少女漫画なら彼が新しい当て馬となるところだろう。

だが功太は彼の姿を一瞥した瞬間に顔色を変える。そう「ちぃ先生」は功太の父親を刺殺した あの少年だったのだ。
2人の男性は一瞬にして事件の加害者と被害者になり、功太が彼を見る目は冷たい。施設の中では良い先生だが、功太にとっては憎しみの象徴。カコはそんな功太の様子を見て、未だ実感の湧かない「ちぃ先生」の犯罪よりも功太に恐怖を覚える。

功太はカコにボランティアの停止を願い出る。これは命令に近く、有無を言わさぬ態度である。だがカコはカコの目から見た「ちぃ先生」と、功太が一方的に否定する少年犯とのギャップに苦悩する。カコは更生した大神と「ちぃ先生」を重ねて、どんな人も新しい人生に踏み出せると訴えるが、功太は彼を許すことは出来ない。どうしても功太の全否定の態度に反発してしまうこともあり、カコは功太よりも「ちぃ先生」に味方をしてしまう構図となってしまう。どんな人にも分け隔てなく接するのがヒロイン=聖母の役割だが、功太には その線引きの無さも苛立ちになっていく。

人はやり直せる、警察官を目指し、日々 変わっていく最近の大神を見てそう思うから、その延長線上に「ちぃ先生」も置いてしまう。そうカコに指摘したのは当の「ちぃ先生」。唯に続いて、ヒロインは否定されまくりなのだ。功太に恐怖を覚え、「ちぃ先生」には甘い考えを見透かされて八方塞がり のカコ。この際、「ちぃ先生」は自分の味方をしようとするカコを自分の陣営に取り込もうとするのではなく、彼女とも一定の距離を置き続けるフラットな姿勢が見える。

カコは功太に否定されても、自分の進みたい道、信じたい道を進もうとする。功太はそれを表面上は受け入れるが、心の底からは納得していない。溝は深まるばかり…。


一方、余裕のない功太はトラウマが再発して不眠に陥る。功太が頼るのは、姉だけ。同じ痛みを共有する彼女にだけは、弱くいられる。
だが姉が結婚するという おめでたい話を聞き、功太はそれに水を差したくない。だから具体的な話はしないが、姉は弟の中で憎しみの炎が燃えていることを感じる。
功太もまたカコが自分の支持者にならず、姉にも甘えられずに八方塞がりとなる。ここで姉が急に結婚する運びとなるのは、ここで同じ痛みを持つ姉と全てを共有してしまうと、カコが功太にとって「家族」でなくなってしまうからだろう。カコが功太に違和感を覚えたように、功太にとってカコが自分の心を安定させる存在ではないと思ってしまったら結婚している意味がなくなってしまう。姉の結婚がなければ弟夫婦は離婚の危機だったのではないか。

顔を見ただけで悩みを見抜く、これが本物の家族の距離感。カコと功太にも そんな日があったような…(遠い目)

の頃、施設では どこから話を聞きつけたのか「ちぃ先生」が かつて世間を騒がした少年だということが分かり、施設の壁に彼への誹謗・中傷が描かれる。
その行動に怒りを覚えるカコだが、当の「ちぃ先生」は感情を揺るがすことなく、ただ起きた現実を受け入れる。またも理想論の中に生きる自分との違いに呆然とするカコ。そのカコを立ち上がらせるのは、口の悪い唯。彼女は態度では表さなくても、間違いなくカコに救われた1人である。カコは自分のしてきた行動によって立ち上がったと言える。

それでも功太はカコの決断を受け止めるだけ。彼らはもはや夫婦というユニットではなく個として生きている。名ばかりの夫婦を行為をもって本物の夫婦にしようとする功太。だが それでは何も変わらないだろう。彼らにとって夫婦とは何なのか。
本書のクライマックスはトラウマだけでなく夫婦の離婚の危機という見方もできる。