咲坂 伊緒(さきさか いお)
思い、思われ、ふり、ふられ(おもい、おもわれ、ふり、ふられ)
第09巻評価:★★★★(8点)
総合評価:★★★★(8点)
朱里と和臣、由奈と理央はそれぞれのペースで距離を縮めていきます。ところがバレンタインが近づいて由奈の胸に思いがけない気持ちが湧きあがってきて…。朱里と和臣にもトラブル発生!? 新展開の第9巻!
簡潔完結感想文
- バレンタイン編。計算する女の子 期待してる男の子。和臣の弱めのアピール(笑)
- 初めてのケンカでも、一度 背中を向けた理央は由奈を振り向いてくれる法則発動。
- 自分では速く走っているつもりでも平凡な速度の和臣。それを猛追する爆速の亮介。
誰もが自分が一番 不幸だと思ってしまうのは人間の性(さが)、の 9巻。
本書の登場人物たちは、自分が一番 不幸だと思って生きている節がある。
由奈(ゆな)は自信のなさ から、理央(りお)との交際中も自分を認めることが出来ない。
そんな理央は かつて、家族の幸せを成立させるために自分の恋心が犠牲になったと思い込んでいた。
朱里(あかり)は、母親の行動に対して文句を言えないから自分が擦り減り、弱っていく。
和臣(かずおみ)は、兄の勝手な行動のシワ寄せが全部自分にきていると思い込むことで思考を放棄している。
そういう人の陥りやすいドグマがしっかり描かれているのが本書である。
本書の構成が巧みなのは、由奈という典型的な例を最初に出して、
最手品の視線誘導のように、彼女に焦点を当てることで、読者から広く共感を得る。
その後に、由奈だけではなく飄々と生きているような他の3人にも悩みがあり、
そして その中には共通点があることが描かれていく。
やや特殊な個々の事情も、読者は1度 由奈で共感していることで深く没入しやすくなっている。
そうして4つの視点で、4人ともが自分の不幸に凝り固まっていることが分かる。
そして それは拡大すれば読者自身の考え方の狭さの自覚に繋がるだろう。
多くの読者は本書を読むことで、自分以外の考え、という視点が得られるのではないか。
特に家庭の事情を深く描く本書だから、
子供であることの息苦しさを一方的に訴えるのではなく、親の事情や考え方などを理解した上で、
自分も家族の一員として、どういう視点を持つべきかを考えるキッカケになる、はず。
これがキャリアと年齢を重ねた作者からの、既存の作品にはなかったメッセージではないか。
作中では『8巻』のクリスマスから、気付けばバレンタイン直前で月日が結構 流れている。
またもや恋人たちのイベントである。
この時間経過を考えれば、
和臣がどれだけモタモタしているのか、と朱里の元カレ・亮介(りょうすけ)が考えても不思議ではない。
前作『アオハライド』中盤と同様に、
和臣と朱里の距離は、あと1ミリのような気もするが、なかなか縮まらない。
ようやく和臣のトラウマというか、乗り越えるべき壁も見えてきたが、
こんなに お行儀のよい恋愛をしなくてもいいのに、と思うのも正直なところ。
間違っても亮介と交際して、『アオハライド』の菊池(きくち)くんパターンは止めて欲しい。
由奈と理央は冬はイベント満載。
クリスマスにお互いの誕生日、そしてバレンタインデーとホワイトデーと幸せに過ごせる日々が待っている。
だが、このところの由奈は胸に不安が渦巻いていた。
その契機となったのは『1巻』1話で引っ越してしまい、それ以来の登場となった さっちゃん との再会。
久々に会った親友は由奈の彼氏が理央だと知り、カップルの格差にだまされている、と心配する。
こうして由奈の心に、この交際が分不相応なのではないかという気持ちが生まれていく。
そこから由奈はネガティブ思考になる。
さっちゃん、罪な女…。
その上、かつて再婚を機に朱里への気持ちを胸にしまった理央だったが、
ここにきて両親の離婚問題が議題に上がり、姉弟は、ただの男女に戻る可能性が出てきた。
これが形を変えた元カノ問題となる(付き合った事実はないが)。
交際後の典型的なパターンとはいえ、
由奈を不安にさせる追い込み方がユニーク。
確かに朱里と理央の姉弟は ただの他人であり、
しかも理央にとって消えた 初恋になってしまったのは家庭問題が影響していた。
その問題が除去されれば、理央と朱里に交際の機運が高まるのも不思議ではない。
私は初読時は、なるほど、ここで理央は朱里へ戻るのね、と思ったものだ…。
じっくり再読して、理央の朱里への気持ちの固執は、彼の幼稚性でもあったことは分かるのだが。
負のスパイラルに陥った由奈は、
自分が理央と交際できていることで、他の女性の、
また理央自身の気持ちを踏みにじっているのではないか、という気持ちが湧き上がる。
理央に対して「叶わぬ恋の相談相手」という立場を利用したのではないか、
そんな由奈は自分のことしか見ていない。
理央の自分に対する真摯な気持ちも、そして朱里の現状も見れなくなっていた。
幸福な悩み、と言えばそれまでだが、
由奈の思考過程も しっかり分かるから、問題の落としどころが気になって仕方ない。
そんな由奈の不安は、2人にとって初めての喧嘩と形を変えてしまった。
文化祭から3,4ヶ月余だろうか、幸福なだけの時期は過ぎた。
よりにもよってバレンタインデーに初喧嘩。
一度は由奈の不安が理解不能で背を向けて歩き出した理央。
だが、本書の理央は、由奈に背中を向けたままにしない。
理央は、謝ろうと追いかけ始めた由奈に対し、後ろを振り返り、彼女との対話をする。
どんな時でも理央はナイトだし、ケンカも2人で乗り越える姿勢が良いですね。
この時の理央の「それ以上 俺の好きなコの悪口 言わないでくれる?」という台詞が良い。
そしてこれは『3巻』の朱里が聞き出した理央の女性に求める性格、
「人の悪口ばっか言ってる人はムリ」というのに、対応しているように思う。
理央が由奈を好きになったのは、「目の前で どんどん かっこよくなってく」から。
下を向き、後ろ向きで、自分の悪口ばかり言う由奈を理央は好きにならない。
ありがちな喧嘩なんだけど、こういう所まで考えると良い喧嘩である。
理央は自分の想いの証明として、由奈の家に行き、自分たちの交際を由奈の母親に報告する。
この理央の行動も素晴らしい。
本書全体は子供であることの息苦しさを描いている面もあるが、
こうやって子供であることの自覚を理央が もっていることが かっこいい。
由奈の母親は、理央の意見に女性側からの視点で娘を擁護するところは擁護し、
娘に対しても交際のマナーを伝授する。
でも年長者として言えることを言ったら、話題を変えて聞きたいことを聞いているのが良い。
本書の中で唯一 優しい親かもしれない。
そんな良好な親子関係を見て、理央は ちょっと呆然とする。
朱里と 彼女の母との関係とは違うからだろう。
ここで理央は由奈に、両親の離婚危機について初めて伝える。
まだ息苦しさの中にいる朱里を、理央は家族として心配になったのだ。
そして由奈も、朱里の苦しさを見過ごしていた自分に気づく…。
朱里と和臣のバレンタインデーも様々なことが起きる1日となる。
友人たちとの会話で、バレンタインデーを前に和臣は1個チョコがもらえそうだと話す。
その後で意味ありげに朱里の方を見る和臣。
いやいや、これこそ「だって… だって乾(いぬい・和臣の名字)くん 私の事 好きじゃないですか?」である。
ちなみに これは和臣なりの、細かすぎて伝わらないアピール。
肝心なことは言わないのに、伝われ、というのは卑怯である。
これは かつての朱里が陥った罠だろう。
感性が似ている2人だが、欠点もまた似ているのかもしれない。
クリスマスを機に、あの見晴らし台での会話は和臣に自信を与えた。
朱里もまた同じで、和臣との距離は縮まっていると考える。
が、自分に自信のないままで渡すわけにはいかないという悩みもある。
しかも和臣には自分の尊厳を根本から奪う出来事が待ち受けていた…。
バレンタインデー当日。
学校到着後、早々に和臣が女生徒からチョコを渡されたことを知らされる朱里。
もしかして これが和臣が言っていた もらえる予定のチョコだったのか。
友人たちから冷やかされる和臣だが、彼の態度は固い。
この周囲へ少しの怒りを込めて対応する態度に見覚えがあると思ったら、
『5巻』の、理央と朱里のキスを見て以降にの自分の気持ちに蓋をした和臣だった。
この時も友人に冷やかされた時に、彼にしては機嫌の悪い対応をしていた。
そこから推察するに、今回も気持ちに蓋をしてしまっているのだろう。
ちなみに和臣の友人たちが明らかに あか抜けていないのが好き。
モテないけど悪い人ではない彼ら。
彼らも彼らで、男らしい顔つきに変わっていく和臣に対して焦燥を覚えたり 成長を誓ったりするのだろう。
明らかに様子のおかしい和臣に対して、学校からの帰り道、朱里は事情を聞く。
すると和臣は両親によって映画のソフト 全部 捨てられた、という。
2人目の息子も1人目と同じく自分たちの望まない将来に進むことを、
一方的に案じた親は、先手を打ったということなのだろう。
それに対し、和臣は抗議の声を上げない。
彼は自分が抗議の声を上げることは、
意見の表明であり、それが家族を崩壊させると思っているから。
ここは これまでに語られてきた彼の心理。
臆病と言われようとも家族思いの優しい子なんです。
一度は そんな和臣に落胆したかのように その場を離れた朱里だが、
彼女は和臣へのプレゼント、映画のソフトを用意していた。
捨てられた彼の自尊心をまた集めるために。
和臣は何も悪いことをしていないことを行動で示すために。
その最初の一本目は朱里から渡される。
そんな朱里の優しさと行動に、和臣は笑顔を取り戻す。
こうして和臣はまた、自分の世界を取り戻せた。
家庭の不和があろうとも、自分が自分でいられるシェルターを確保したと言える。
それが本人曰く適当とはいえ朱里が選んでくれた世界だから一層 輝いて見えるだろう。
朱里にしても適当に選んだと言っているが、もしかしたら彼女は真剣に悩んだかもしれない。
描かれてないからって、言葉は軽いからといって、その事実が無かったと断言はできない。
少なくとも彼女は和臣のことを思って映画を選んだ事実は残る。
以後、和臣は それを家族に奪われないようにそのソフトを学校に持ってきている。
和臣は好きになって何回も見た映画を、朱里に渡す。
以前も自分の頭の中の朱里にお薦めする映画を紹介していたが、
今度は自分の好きな映画を朱里と共有する。
感性が似ているということなのだろう。
が、映画ソフトを渡した時に朱里は和臣の机の上に女性からのチョコがあるのを見つける。
そして言い方は悪いが、本書はライバルの存在で成長する。
顔も名前も出ない和臣を好きかもしれない女性がいることが、朱里を動かす。
それは離婚の危機に対しても、ちゃんと自分の意思を伝える決意を朱里に固めさせた。
母の行動に対して諦めるのではなく抗うことを初めて試みようとする。
だが、腹を割って話すつもりの由奈との会話で、
由奈が自分にやきもちを焼いたことを知った朱里は、自分の決意を語れなかった。
彼女の決意は「離婚しても父側についてここに残る」というものだったが、
母のいない理央たち男性との生活は由奈を苦しめてしまうことになることになってしまうからだ。
こうして朱里の決心は、自分の外に出られずくすぶり、和臣へ渡すために買ったチョコは自分のお腹に納まる。
自分がダメダメだと弱る朱里に対して、亮介が動く。
菊池くんといい、恋の勝者になろうとする人は、
相手の心理状態を逐一把握しているから、願望の成就に近くなる。
しかも亮介が動かなくても朱里の母は離婚すれば、転校前の場所へ戻ってくるつもりらしい。
全ての状況は亮介に有利に動いていると言える。
怒涛のバレンタインデーが終わる。
文化祭以降、お灸を据えた和臣が動いていないことを察知して、亮介は動き出す。
亮介は、破局に終わった2人の交際の反省から、朱里の性格を見越した行動を取る。
彼女の負担にならない程度のお節介を焼いて、
彼女の不安を聞き流すようにして聞く。
今の彼は朱里が心の底で求めるものを、彼女に提供することが出来る。
ここで初めて2人の交際の馴れ初めが語られる。
亮介は、朱里が親の再婚で今の名字・山本(やまもと)になった際に、初めて名字で呼んでくれた人。
亮介の性格を考えれば、朱里を朱里と呼ぶことで所有欲みたいなものが満たされそうだが、
彼にとっては朱里ではなく山本と呼ぶことが彼らの絆なのだ。
そして 再び朱里の名字が変わるのならば、自分が最初に その名前を呼びたいと考えているだろう。
バレンタインデー後日談としては、
和臣が女生徒から渡されたチョコは、彼の兄へのものだった。
彼は中継地点に過ぎなかった。
こういうこともあって和臣は、プライドが傷つき あの日 機嫌が悪かったのだろう。
兄との会話で分かるのは、
和臣は自分が不幸を一手に引き受けていると思っていること。
そして自分がバランスをとることで、自分が動かないことの理由にしていること。
前者は理央の抱いていた感情と似ていますね。
全てを承知して「家族」でいることを選んでいる朱里の配慮も分からないまま、
自分だけが初恋を滅茶苦茶にされたと怒っていた かつての理央。
男性たちが同じ道を辿るのならば、和臣にとって必要なのは視点の転換・拡張であろう。
兄の行動に対して、彼の勇気を、自分には持てない情熱を感じた時、和臣はまた成長するのだろう。
朱里と亮介が再会したその日、亮介と和臣も再会する。
そして和臣は今度は亮介から朱里を託されるのではなく、宣戦布告をされる。
朱里が見えないライバルの存在を感じて動いたように、
ライバルこそ自分を動かす原動力たり得る。
いよいよ亮介の脅威が目の前に迫る時、和臣は動くのだろうか。
もう、いい加減に全速力で走って欲しい所である。
いつまでも自分のペースで走っている場合ではない(マラソン大会)。