加賀 やっこ(かが やっこ)
一礼して、キス(いちれいして、キス)
第07巻評価:★★(4点)
総合評価:★★☆(5点)
「俺が勝ったらためらわない」「先輩のこと最後まで―・・・抱きたい」弓道の強豪校・東北の北徒大学から推薦入学の誘いが来た三神。北徒に行くべきだと考える杏と離れたくない三神は、気持ちがすれ違ってしまう。そんな中、三神は杏に弓道の勝負を提案して・・・?偏愛上等!弓道ラブ連載、遂に完結!!
簡潔完結感想文
- ヒロインは彼との遠距離恋愛を選び、無意味な彼の父親は息子と遠距離状態に戻る。
- 先輩の射を全国一にと言っていた彼が急に先輩を侮辱。幼稚すぎて言葉を失う最終巻。
- 愛が成就したら心臓がとけてしまう吸血鬼と、由木の心臓の運命は同じということ…?
息子のためラブホテル代わりに豪邸をプレゼントする父親、の 7巻(本編完結)。
巻が進むごとに心臓が高鳴るどころか、冷え切っていくことを自覚していった。短期連載、もしくは中期連載ぐらいなら面白いと思えたものを、長期連載にしてしまったことで読者の心に刺さるはずの矢を どんどん外していった印象を持つ。
特に この『7巻』で疑問に思ったのは、作者の集中力の欠如。
作者は弓道経験者であるにもかかわらず、作品の中で恋の鞘当てを弓道勝負で決めるという博打スタイルを採る。弓道をダーツか何かと勘違いしているのではないかと思うほど。それも問題だが、その中でも作者が間違えているのは、その結果にヒーロー・曜太(ようた)が従わなかったという過去を作ってしまった点ではないか。
もしも登場人物全員が、弓道という競技に敬意、を持っており、例え博打のような使い方でも その結果を甘受していれば、まだ作中における弓道の絶対性が確立した。だが曜太は勝負を受けたにもかかわらず、自分の意に沿わない結果に対して、その勝負ごと ご破算にする。
この描写で彼の幼稚性は見事に表れているが、この悪しき前例が出来てしまったため、『7巻』の最後の賭けの持つ意味も軽くなってしまった。そして曜太が今回は結果を受け入れることで、結局 曜太の気分次第で世界の形は変わっていくという印象になってしまった。作者は もう少し弓道に対する扱いを慎重にするべきだったのではないか。これらの点が弓道漫画としても中途半端な部分になっていると思う。
そしてヒロイン・杏(あん)と曜太の最終対決での描写に大きな疑問を持った。
私の読み方が間違っている可能性もあるが(その場合は指摘して いただきたい)、この勝負中に、杏が曜太の射を見て「インターハイの時より ずっと真っ直ぐ矢が飛んでる…」「あれからも…練習…してたんだ…」と感慨深く彼の弛まぬ努力を称賛しているが、いやいや、これインターハイの翌日の話でしょ!?と思った。
また、同じように絶対安静の由木も翌日には歩いているし、作者の中では作中の時間が どう経過しているという設定なのだろうか。
『6巻』で指摘したように、曜太の父親や桑原(くわばら)といった周囲の人間の行動が ほぼ無意味であることも そうだし、曜太を支配する歪んだ思想からの解放もカタルシスとは ほど遠いもので、長編作家としての作者の技量の無さが浮き彫りになるばかりだった。
初の連載で長編作品となった苦労は多かったと思うが、単行本化に あたって曜太の父親のことをギャグテイストにしているセンスは疑わざるを得ない。
この父親は12年前に息子を放置して弟夫婦に託し、海外から帰国して12年ぶりに息子と対面したのだが、それ以降、半年間の休暇を日本にいるだけという無様な過ごし方になった。この父親こそ作者が用意したけど扱いきれなかった要素の象徴であろう。
しかも息子と1回しか対面せず再び海外に戻る彼だが、この伏線の爆破のような状況で、無駄に父親を良い人設定にするセンスも理解しがたい。まぁ少女漫画において この手の同性同士の父子の すれ違いは、険悪な雰囲気を出して一瞬で解決するのは散見される手法であるが。本書も言葉が足りない似た者親子で済ませており、確かに好きになった女性への溺愛具合は よく似ているだろう。だが それで12年前の育児放棄が許されるはずもなく、またギャグテイストにしていいような設定ではない。捨てられた子=曜太を 無かった話にするような作者は鬼である。
それに彼ら父子が似ているのならば、父親の姿は曜太の未来像でもあるような気がした。
結婚が約束されている杏と曜太の間に、子ども、特に男児が生まれたら、曜太は杏にとっての一番大事な異性が自分以外になることを許せるのだろうか。許せない場合は曜太の父親と同じ運命を辿るしかないような気がする。まぁ子供が生まれる未来は確定じゃない。2人きりで過ごすのが彼らの場合、問題を起こさない秘訣のような気がする。
このように歪みが遺伝した父子を見ると、結婚こそがゴールでなくてはいけないだろう。子供を持つことが不幸の始まりと考えてしまうのは ある意味でバッドエンドに思える部分である。
最後に対決するのは杏と陽太ではなく、曜太と父親にするのがセオリーだろう。だが作者はそれを放棄する。扱いきれないことは描かない。それが作者の答えのようだ。
ヒーローの家庭の事情にヒロインが動くのは少女漫画の定石。だが それがないから本書のヒロイン・杏(あん)は動かないまま。果たして彼女は自分から動くことは あったのだろうか、と その行動力の欠如が気になる。曜太の狭い思考の解放もそうだが、杏が曜太から離れて別個の人間としての強さを持ったという確証も得られないままである。
最後の陽太との勝負で杏は彼を救ったとも考えられるが、この勝負も曜太からの挑発の口車に乗ったという誘導が認められるし、勝負中も曜太によって身体を支配されているから本来の実力差を埋められたと読める。しかも最後は曜太が勝手に絶頂に達して果ててしまったから、勝負にならなかっただけである。
杏が自ら動くべき場面は、曜太と別れる日だっただろう。あの日、杏が曜太のことを2年間見ていた、と今回の最終対決と同じようなことを言っていれば、こんな面倒くさいことには ならなかった。動くべき時に動かず、最後まで彼に誘導されている杏を私は好きになれなかった。
復縁から たった1日で遠距離恋愛の話が持ち上がる。
曜太が このまま杏と一緒にいたら その射は狂い続け、やがて壊れるというのが第三者の見方。だから曜太に彼の進路を どちらにするべきか、と聞かれた杏は、そばに いてほしいが、曜太のために東北に行くべきだと告げる。杏は復縁する際に たくさん好きって言われ、一緒にいるって約束したから大丈夫だと もう遠距離は怖くないらしい。一方的に別れを告げるような男だから ずっと不安だったのに、この無敵感は どこに由来するものなのだろうか…。謎だ。
でも曜太は杏の そばにいたい。曜太は弓道を捨てて杏のそばにいようとするが、杏は先輩として それを許さない。第三者に指摘されるまで曜太の射が変わっていったことを見抜けなかった、これまで とことん無能だった人が急に偉そうなことを言いだした、と豹変に驚くばかり。
それに対して曜太も、今更 先輩面、俺に弓道で一回も勝ったことないくせに、俺に嫉妬してる と急に杏をディスるのも意味が不明である。インターハイまで先輩の射を連れていくとか理想論かましていた人間が、離れたくなくて彼女自身を傷つけるとか支離滅裂で、恐怖すら感じる。
この膠着状態で始まるのが本書の名物、弓道で決着を付けようじゃないか、である。沢樹(さわき)・桑原、そして桑原と杏の対決に続いて、4度目の最終決戦は杏との対決になった。杏も これが彼からの挑発だと分かっていながら、彼の東北行きのために弓を引く。曜太は この勝負で性行為の達成を目標にする。とことん弓道を汚す漫画だなぁ。本書が映画化してもベストセラーになっても『ちはやふる』とは違い、弓道関係者は誰も喜ばなかったのではないか。
こうして2人は交換していた弓を本来の持ち主に返し、勝負を始める(この場面と設定は良かった!)。
しかし この夏の日に日が暮れても自由に使える高校の弓道場ってのは どういう設定なのだろうか。
この勝負では曜太が杏の前に立つのだが、曜太は後ろに立つ杏を見ずとも彼女の射形が手に取るように分かる。杏のことなら全部 見えてる。それは杏の射を模倣してきた、粘着質な男だから身につけた能力なのだろう。
杏は曜太を見ながら、曜太は杏に視線を送らず彼女を見ている。互いに見る/見られることが彼らの神経を敏感にさせ、杏は見る喜びと、見られる羞恥と悦楽を同時に味わう。確かにエロスを感じる場面ではあるが、本書の中で この視線のエロスが使われるのは何回目だろうか。最後までパターンが同じで残念だ。
この勝負で曜太は自分の執念を ちゃんと見てと杏に言っているが、冬の日には自分の執念による恋の始まりに苦悩して、そこからの脱却がしたくて杏を苦しめていたというのに。この辺の彼の思考の変化が全く理解できない。おそらく作者にも分かっていないだろう。
それに対し杏は2年間ずっと曜太を見ていたと彼に告げる。これは あの冬の日に言えなかった言葉の一部だろう。その事実に曜太は矢を落とす。勝負は杏の勝ち。弓道の実力というよりも どちらが先に果てるかのエクスタシー勝負と言えよう。
こうして2人は遠距離恋愛を選んだ。曜太は杏に ずっと追っかけて もらえるような男になるために弓道を続ける。
ラストは2年後、杏の大学と曜太の大学が親善試合の場面となる。その試合の前、入場の前に彼らはキスをする…。
うん、よく分からない。遠距離恋愛なのだろうが、会うのが2年ぶり、そんな訳ないだろう。最後まで謎の多い描写である。
一方、半年の休暇で ロクに出番のなかった曜太の父はアメリカに帰っていく。最後に息子と その彼女のために、曜太の実家の鍵を由木(ゆぎ)に渡す。
父親は家が大きすぎるから処分して現金化することが息子のためだと思っていたが、息子が実家を同棲の場所、もしくはラブホテル代わりに使っていることを知り、その維持を決めたらしい。息子の恋愛(もしくは性欲)を応援してくれる、良い父親として彼は作品から去っていく。意味不明である。
曜太にとって この家の意味も分からなかったし、父親がメモ1つで意見を変えるのも謎の思考だ。
もしくは上述の似た者同士の親子の考えで言えば、曜太の父親は曜太を、自分の愛する女性=曜太の母親の人生の邪魔をする者だと敵視していると推測される。ならば息子に愛する女性が出来たことは、妻の自分への独占度が上がることになるため、その家を どう使おうと女性に溺れる息子は敵じゃなくなったから安心ということなのか。この辺も杏が お節介を焼いて、曜太の父親と接触をはかったら、早く問題が解決したかもしれない。
キャラの存在意義・登場理由が分からない本書であるが、一番いる意味が分からなかったのは やっぱり杏かもしれない。
「呼んで、キスして ー由木と奈智の恋ー」…
4年前に振られたが、そこから一歩も動けない奈智(なち)と由木の恋の決着。
この恋も年上の女性との恋の話で、彼女のことを好きすぎるあまり身動きが取れないのは由木も曜太も同じような悩みを抱えていたことが分かる。
20歳まで生きられるか分からないという設定の由木だが、この時点で20歳は もう目前である。そんな時、由木の母親が子供を身ごもり、彼は兄となるらしい。曜太・奈智それぞれの父親たち兄弟も とんでもない年齢設定だったが、由木の母親は いくつの設定なのだろうか。新しい命の誕生を見届けて由木が消えてしまわないか心配である。
少なくとも この話の後に由木は また体調が悪化してベッドに縛り付けられるのは確実だ。
私には、最後に収録の短編「僕の真昼の月」の結末が由木の結末に思えてならない。冷たい心臓を保持したから生きられていた由木だが、その胸が高鳴りを覚えてしまったら それが負担になるのではないだろうか。作者が作品を発表した時期も近く、この2つの作品に関連性がある可能性は低くないだろう。
「毎日、キスして。」…
曜太の大学卒業を待って杏は彼と結婚をする。その前に結婚式会場の下見をした際のお話。曜太の思考回路は独特だが、一定の方向性はあるから、すぐに不安になる杏と違って読者には彼の考えは理解しやすい。つまりは先が読めるということだ。
曜太にとって大学や弓道は世界を広げる機会にはならず、結婚式も本当は2人だけでいいのだろう。というか この結婚式に両親は呼ぶのだろうか。杏と両親との対面がどういう風になるのかは読んでみたい。だが作者はそういう面倒くさいことは割愛するだろう。
「僕の真昼の月」…
転校生の明城(あきしろ)は男子生徒の中で色っぽいという評判。同級生の鳴宮(なりみや)は ある日 彼女が吸血鬼だと知ってしまう。
本編の桑原かと思ったら桑原と同じ顔をした別の人の話であった。特殊な状況になっても、そこに興奮してしまう変態・鳴宮。エロいと言えばエロいが、描写が直接的で まだ本編の視線のエロスの方がエロく感じる。
この話が巻末に収録されているのは、本編と発表年月が近いという単純な理由と、この 恋の結末が、本編の由木の恋の結末と同じだからではないか、というのが私の考えである。