《漫画》宇宙へポーイ!《小説》

少女漫画と小説の感想ブログです

親に絶縁された孤独なJKが 沢山の人を喜ばす演技の才能を開花させる 新連載『スキビの仮面』。

声優かっ! 8 (花とゆめコミックス)
南 マキ(みなみ マキ)
声優かっ!(せいゆうかっ!)
第08巻評価:★★☆(5点)
 総合評価:★★☆(5点)
 

はじめてアニメの準レギュラーが決まって大喜びの姫。そんな中、千里から夕食のお誘いメールが! 千里の手料理を通して二人の距離は縮まっていき、料理を喜んで食べる姫に千里の心は揺れ動く。いままで猫にしか心を開いて来なかった千里の、複雑な生い立ちが明らかに…?

簡潔完結感想文

  • ヒロインにもヒーローにも その親にも実親から愛されない精神的虐待の連鎖が続く。
  • その人に好物を作りたいという気持ちは自発的な気持ちじゃないの? と思うのだが。
  • 恋愛や出産、子育てが演技の肥やしとなり女優は成功する。肥やしとなった家族は…。

技という単語がゲシュタルト崩壊を起こす 8巻。

『8巻』中盤からは久遠 千里(くどう せんり)がトラウマを爆発させる。先にトラウマを語った瑞希(みずき)よりも沈鬱なトラウマを語ることにより千里が少女漫画のヒーローの座に納まっていく。こと 白泉社においてはトラウマの大きさは勲章である。ただ本書においてはヒロインにもヒーローにも周囲の人間にもトラウマが用意されているから辟易とする部分にもなるのだが。

千里のトラウマには その生まれが大きく関係しており、ヒロイン・姫(ひめ)の憧れの人である千里の母・青山(あおやま)さくら が登場する。
この青山さくらの過去編は、それが一つの白泉社の新連載のようだった。親から家を追い出されたヒロイン・さくら(15歳)。彼女が辿り着いたのは新進気鋭の劇団。そこで彼女は四六時中 演技に没頭できる環境を手に入れ、その才能を開花していく。住む家のない さくら が劇団事務所の隅を借りて暮らすのも漫画的な展開で良い。さくらが そこで出会った劇団の創設者に猛アタックするのも、小さい世界のトップ オブ トップを狙う白泉社ヒロインらしい行動である。彼と恋をするために出された条件は1年以内に声優業界で主役の座を掴むこと。タイムリミットに怯えながら努力を重ねるヒロインは、遂に目標を達成し、最高権力者と恋に落ちてハッピーエンドとなる。男性との年齢差が10歳以上あるのも この恋の難攻不落を予感させる。年齢差を気にしてなかなか素直になれないヒーローにヒロインが猛アタックしていくというのも 少女漫画的ではないか。うん、この連載 読みたい。

細かい設定は省略して強引に話を進めるのも白泉社っぽい。親を死なせないだけ慈悲深い?

閑話休題。本書において それらは前置きに過ぎない。問題は「演技バカ」と評される青山さくら が演技のために恋愛し、結婚し、子供を産んだことにある。彼女にとって生活の全てが「演技の肥やし」なのである。その狙い通り、子供を産んだ後も青山さくら の仕事は順調。だが肥やしになった夫と子供は彼女に全てを搾取される。結婚生活も親子関係も彼女の狂気に呑み込まれていく。


山さくら個人では確かに彼女の演技への情熱(または狂気)は彼女の成功に繋がっている。だが芸能のために生きた彼女の生き方は、一般的な幸福を遠ざける。彼女が我慢せずに芸の道を追求できるのは家族の皺寄せを彼女が理解できないからだろう。
狂気との同居という観点では『8巻』の内容は宗教2世問題や、精神疾患を抱える家族を持つ家庭の苦悩のようにも読めた。

千里は自分の価値観が確立する前から さくら の狂気に晒されていたため「普通」が理解できなくなってしまった。普通なら演技と自己の感情は分離しているものだが、幼い頃から母親の演技に巻き込まれた千里には その2つに境界がない。こうして自我の発達、感情の成長の機会を与えられないまま育った千里は やがて周囲との齟齬や軋轢を感じるようになる。一度は自分の欠落を実感した千里だったが、演技の洗脳は解けず、また それを相談できる一番 身近な相手の両親も彼に無関心になっていく。更に千里は、小学校高学年から演技の世界に身を置くようになったため、彼は自分を見失ってしまう…。


の千里のトラウマに際して活躍するのが、ヒロイン・姫なのは明白。2人には親からの当たり前の愛情を与えられなかったという共通点があり、そして姫は男装した「シロ」として誰よりも千里の近くにいる。

それに千里は わざわざシロの好物を聞き出し、それをシロのために作りたいと思っていることが千里の友情の証のように思う。演技なら形だけだが、何回も彼のためにオムライスを試行錯誤するのは そこに彼の欲求があるからではないか。単純なようで単純じゃなさそうなのが、この命題の難しい所で、ちゃんと出口を用意できるのか心配である。

そして大きな矛盾が地雷になりそうで怖いのも事実。それがシロは決して実在する人物ではなく、姫が作り上げた演技の産物であること。シロを足掛かりに救われようとしている千里なのに、そのシロが友情を演じているだけと知ったら、これまでの千里の友情ゴッコとは逆に今度は千里が裏切られたと奈落に落ちるだろう。もしかしたらショック療法になるかもしれないが、姫は許されない可能性もある。ここも どういう出口を用意しているのか楽しみである。同じぐらい不安もあるけど…。


として動いていた時間が長かったため、作中では久々にシロの出番となる。そんな彼は千里から夕食に招待される。以前の千里は料理をしたことがなかったが、負けず嫌いが発動し、彼は料理に挑戦していた。だが意識だけは高いが実力は伴わない。

初めてのオムライスは決して美味しいとは言えないが、千里が自分のために作ってくれた料理だからシロは完食する。それはシロ=姫が母から自分のために料理を作ってもらったことがなかったから。あの家では妹のためにしか動かなかった母だという。うーん、なんだか姫を不幸にさせたいだけの不幸の後付けのように思えるなぁ…。不幸な生い立ちだからこそ姫にとって千里の気持ちが この上なく嬉しいという動機を作っているんだろうけど、トラウマだらけで作品が陰鬱になっていく。

それから千里は何度も試行錯誤を重ねてオムライス作りを追求する。飽くなき探求心も一流声優の素質なのだろう。そしてシロは千里の家に行く頻度が上がる。

ヒーローがトラウマを爆発させる前にヒロインも対抗。さすが負けず嫌いで性格が悪い姫ちゃん!

里の母親が青山さくら であることは知られているが、父親は演劇業界で脚本・監督業をしていることが明かされる。このマンションは千里の1人暮らしではなく、父子2人で住んでいる。だが父は3か月に1度帰れば良い方で不在がち。これまでシロが遭遇しなかったのは そのせいである。

父親は多忙なだけで千里に関心がないわけではない。今回も この家に出入りするハウスキーパーから千里の異変を知らされ駆けつけたのであった。父に心配されていることを知った千里は、括弧つきの完璧な演技で自分は大丈夫だということを伝え、父を安心させる。千里も父に感謝しているからこそだが、一方で心に立ち入れさせないという壁も感じる。

シロはハウスキーパーな完璧な質と量を誇る料理よりも、不器用な千里のオムライスを選ぶ。そのシロの態度で嬉しくなる千里だったが、それが彼の心の闇を開かせてしまう。それが自分には本物の友情を築けない、という彼の負い目・トラウマだった。

だから完璧なオムライスを習得した後、千里は近くなり過ぎたシロとの距離を遠ざけようとする。千里が自分の「気持ち」が分からない人だったのだ。完璧な演技ほど自然体に近くなるのだろう。幼い頃から演技をしてきた千里は演技をしているのか、それとも抱いた感情が自分のものなのか境界線が曖昧になってしまったのだ。


こから千里の両親の回想が始まる。それは千里がなぜ青山さくら に演技を教え込まれて育てられたかを紐解く話であった。

青山さくらは「演技バカ」で役に入り込み過ぎる。中学を卒業してすぐ千里の父親が立ち上げた劇団に入団してきた さくら。理由は不明だが彼女は実家から追い出され、住所不定のまま。親から見放されたという点では姫と同じだろう。どうして胸糞が悪くなる親子関係ばかり作るかなぁ。
さくら と同じように「演劇バカ」だった千里の父親は、さくら の冷淡な親との電話で喧嘩になり、売り言葉に買い言葉で さくらの入団を認め、そして彼女を事務所に住まわせる。こういう強引な展開での(半)同居ラブは、白泉社の演劇漫画の第1話という感じだ。

さくら の母は自分に想いを寄せる劇団員から恋愛が演技の肥やしになると聞き、その相手に千里の父親を選ぶ。この選択は決してヒラの劇団員ではなく、その世界の最高権力者を狙ったという白泉社ヒロインのような打算的考えではないはず…。


が さくら の演技には欠点があった。それが協調性の無さ。自分の演技に没入してしまい周囲に合わせない。

そんな時、千里の父親の知人のアニメ監督から声優候補を知らないかと尋ねられ、彼は さくら を推薦する。千里の父は さくら のアニメ出演によって、合わせることを覚えると直感したのだ。

ここで気になるのは、千里の父が周囲と演技の温度を合わせられる、ではなく、絵に合わせて演技をすることが さくら のメリットになる、としていること。それでは独り善がりの演技は変わらないような気がする。チームプレイを体得という方が彼女の課題になった気がするのに。
そして このアニメ監督が声優にビジュアルの良さを求めているのも気になる。この作品が顔出しのショーを前提としたラブリー♡ブレザーだったら まだ この条件も分かるが、どうも そうじゃないようにも読み取れる。


くら は その才能で自分の道を突き進む。千里の父との結婚も彼女の努力の成果である。そして20歳前後で千里の母親になった さくら だが、その子育ては一風変わっていた。それが毎日 違う役柄で息子に接し、そして千里もまた役を通して母親と1日を過ごすというものだった。
更に母親は千里に演技を勉強させることで頭がいっぱい。彼が おもちゃを壊せば「かなしい」という感情をインプットさせた。千里は子供が発達させる感情を演技と紐づけて覚えてしまった。だから その境界線が曖昧になった。千里の人格が上手く育たなかったのは さくら が原因である。

そんな千里だから幼稚園に入園しても周囲との温度差を生む。自分の植え付けた思想が人に迷惑をかけた際にも さくら は、迷惑を掛けない役どころを演じるように息子に命じるだけ。もはや演技バカというより ただの狂った人である。青山さくら は実親から愛されずに心が壊れてしまったのだろうか。そして その狂った思想が息子にも影響を与えていく負の連鎖となっている。

だが千里は、母が自分と演技をすることは彼女からの愛情だと思っていた。しかし彼女は自分の演技への渇望を息子と満たしていただけだった。ある意味で現実ではない 狂った世界でしか生きられない人なのだろう。


が青山さくら の女優業の成功と共に千里は家で孤独になっていった。それを埋めるのが父親が人から譲られた猫・ゴンザレスだった。自分に懐かない その猫に一方的に話しかけることで彼は孤独を癒していた。
青山さくら にとって夫との恋愛、結婚、そして子育ては演技の肥やしになったのだろうか。順調な仕事を見る限り そうなのだろう。彼女に取って夫や息子は自分に妻や母親という立場を与えてくれた人たちであり、いわゆる「家族」ではないのだろう。どこまでも個人主義であり、結局 彼女は周囲に合わせることを学べなかったように思う。

そんな さくら は千里が誕生日に熱を出しても自分の仕事を優先する。この時、千里は演技は人生で一番大切なものだと母に洗脳されている状態なので、母の行動に理解を示す(そう言うように誘導されているとも言える)。本当は千里は自分の中に湧き上がる「かなしい」という本音さえも隠しているというのに。

そして千里は小学校に上がっても演技を止めず、そして周囲も演技の中に生きていると思い込んでいた。親友になりたいというイジメられっ子の要望に応え、彼の前で完璧な友情を演じる。だが演技する者と そうではない者の違いが彼らの関係に破滅を招く。そして その破滅の中で千里は本当の自分を問われ、空っぽの自分を自覚する。

だが小学5年生の時に入った劇団で演技をすることを当たり前にする同世代の人と接することになる。そこで千里は再び友情の演技を始めてしまう…。千里が演技の世界に足を踏み入れるのは、そこならば自然と呼吸が出来るからなのだろう。こうして千里は名実ともに怪物「青山さくら」2世になりつつある。