《漫画》宇宙へポーイ!《小説》

少女漫画と小説の感想ブログです

君は春に目をつぶる。君が後悔なく眠りに就くことが 私たちを過去から解き放つだろう。

君は春に目を醒ます 9 (花とゆめコミックス)
縞 あさと(しま あさと)
君は春に目を醒ます(きみははるにめをさます)
第09巻評価:★★★★(8点)
 総合評価:★★★(6点)
 

7年の人工冬眠から目覚め、妹のように可愛がっていた年下の幼なじみの絃と同じ年になり、恋をした千遥。しかし、「このままでいたい」という絃の気持ちは揺るがず、季節は春を迎えようとしていた。そんな中、千遥は人工冬眠後のカウンセリングの一環で、これから人工冬眠することになる同級生・尾白しほりの相談役を務めることに。しほりとの対話を通じて、自身のことや絃への想いを見つめ直す千遥。絃と弥太郎もまた、曖昧にし続けていた自らの想いと向き合う――。やがて春を迎える第9巻!

簡潔完結感想文

  • 本編が あと8話という段階で新キャラ投入。春に眠る貴方の姿を見届け隊。
  • 自分を大事にして欲しいと思う相手への気持ちこそ愛。三者三様の愛の形。
  • 真綿で首を締めるような現実に当て馬のメンタルは崩壊し、屋上で愛を叫ぶ。

巻までの酷評を恥じるぐらい傑作の予感すらしてくる 9巻。

全10巻の内の『9巻』で新キャラが登場する。ただ私は この新キャラの意味は深いものであり、作者が ここで彼女・尾白(おじろ)しほり を登場させることにセンスを感じた。

本書における第3の人工冬眠者だが、しほり は これから人工冬眠者(コールドスリーパー)になる者である。そして しほり はヒロイン・絃(いと)、そして男性陣の千遥(ちはる)と弥太郎(やたろう)にとって約8年前の千遥の人工冬眠開始時を再現する者だと思われる。

これから眠りに就く しほり を前にして、彼らは人工冬眠の意味を もう一度 実感する。そして後悔の多かった8年前の千遥の時とは違い、しほり の眠りを穏やかに見届けることが、彼らを8年前の後悔や悔恨から解き放ち、もう一度 生まれ変わらせるのではないか。
冬眠だけでなく眠るということが その人の人格のバージョンアップに繋がってきたように思える本書だが、最後に しほり を見届けることは最大のアップデートとなり、それが彼らに今、同じ時間を生きていることを再認識・再定義させるように思う。

しほり の存在で絃や千遥たちは初めて冬眠を見届ける側になる。それが8年前の後悔を解消していく。

び作品内で脚光を人工冬眠というシステム。本来は現在の医学では治療法が発見できていない病気の患者を最大10年間の人工冬眠につかせ、治療法が確立した段階で患者を覚醒させるという延命のための措置である。

ただ『9巻』を読んで思ったのは延命措置ではあるものの、やはり人工冬眠は一種の「死」であるように感じられた。主な意味では社会的な死で、人工冬眠をすることは人間関係の全てと別れを告げることである。人が社会の中に生きることの前提にはやはり、同じ時間を過ごすという面が大きいように思う。

そう考えると納得がいくのが、当人の千遥だけでなく絃(や 弥太郎)が8年前の人工冬眠から時間が凍結しているように思う点である。もしかしたら それは千遥が上手く死ねなかったからではないか、と考えた。そのことが彼らを8年前の感情に固執させている。

葬儀は死者との別れが目的で、送る側の心の整理に役立つセレモニーである。だから残された者が望む葬儀を行わなかったり、行えなかったりする状況になると、彼らはいつまでも喪失感を抱えて生きることになる。震災やコロナ禍で大切な人を失った人たちの悲しみが長い間 癒えないのは その点に起因するのだろう。

さて千遥の場合、千遥は上手く絃に別れを告げられなかった。それが絃を傷つけることになり、顔を合わせての別れを不可能にした。そして絃は その時の千遥との別れが不完全だったから「兄」としての彼の幻影を いつまでも彼の中に見出してしまうのではないか。憧れのお兄ちゃんと一度さよなら していれば、絃は目覚めた千遥を恋愛対象として認識し直したのではないか。

また弥太郎に関して言えば、絃に別れを告げられなかった千遥のトラウマを目撃していることで感受性の高い彼は引きずられたように思う。千遥の暗い表情を見たことで弥太郎は いつまでも その時の幼稚で横暴な自分に囚われる原因となったのではないか。この世に未練を残した亡霊のような千遥を見たことが、弥太郎に千遥への苦手意識を強めさせる。
そう考えると弥太郎にとって千遥は まさに「ゾンビ」に見えたのではないか。現世と上手く別れを終えられないまま、その7年後に ひょっこりと生還する千遥は、弥太郎にとって復活を望まなかった恐怖の対象である。そんな千遥が学校で、自分の席を横取りするように前の席に座り、視界に入る状況は弥太郎にとって地獄だっただろう。そりゃメンタルも崩壊するよね…。

そうして何もかもに折り合いが付けられない弥太郎は人工冬眠を望む。それは見たくない現実 = 絃と千遥が両想いになることや、弱い自分を見なくて良いからという現実逃避である。人工冬眠して数年後に目を覚まして、その世界で絃が千遥の隣に立っていても諦めがつくのだろう。それも やはり人工冬眠が一種の「死」だからだと思う。自分が死んでいる間に何が起きても自分には無関係な事象という悟りの境地なのだろう。そう考えると弥太郎は緩慢な自殺を望んでいるぐらいメンタルが壊れてしまっているのだ。


からこそ、彼ら3人にとって しほり との出会いが 8年前の再現となり、しほり が未練なく眠りに就くことが自分たちの過去を浄化してくれる作用を持つのではないか。間違った方法で冷凍保存されてしまった あの時の感情を溶かすのは、春の暖かさと あの時の自分を追体験することではないか。

今回、経験者の千遥だけでなく、絃も弥太郎も未来の人工冬眠者=しほり に自分たちのトラウマなどの個人情報を それぞれに語っている。しおり を未来に起こりうる後悔から回避することが、彼らの願いとなり、自分たちが出来なかった安らかな眠りを見届けたい。その成功体験が過去の失敗をカバーすると本能的に察知しているのではないか。

そして会って間もない しほり に対して彼らが ここまで明け透けに心の内を語るのは、やはり しほり が一種の死を迎えるからではないか。間もなく彼女が世界と断絶され、何も因縁を残さないことが分かっているから、彼らは素直になれる。彼女が第三者であることが心を軽くし、やがて この社会から消える存在だから優しさを提供できる。

もはや誰にも解きほぐせないように思えた絃の強情や3人の人間関係だが、人工冬眠という一種の時間跳躍と同じように、しほり の存在が彼らに8年前を想起させるという構成が非常に素晴らしい。絃への好感は なかなか回復しないが、作者への信頼感は回復した気がする。

『9巻』は自分を大切にして欲しいというメッセージが詰められた巻でもあり、溢れる愛を感じた。それは ここまで死ぬほど冷え切った空気になってしまった この世界に温かさをもたらすもので、春になり暖かさを感じられる作中の季節の変化ともリンクしているように思えた。


と弥太郎のデートの日、尾行をしながら千遥は絃に楽しんでほしくなかった。自分が絃を一番幸せにするというのが今の千遥の独占欲の形。
だが絃はそんな真摯な千遥の気持ちを知っても、誰とも恋仲にはならない現状維持を望む。その絃の願いを聞き入れ、千遥は これまで通り、恋愛感情のない関係を保持する。なんだか絃が この世界の神様になっているなぁ…。彼女が願えば、男たちは それに従うだけ。結局、博物館で絃が人工冬眠装置に入っても彼女は何も進化しなかったようだ。頑固な性格を こじらせたまま。

この回で いきなり千遥のカウンセリングの場面が初登場する。どうやら人工冬眠者のアフターケアのために最低半年のカウンセリングが推奨されているらしい。これまで そんな話は一切 出てこなかったが。
千遥は目覚めて約1年になるが、カウンセラーは現在の千遥が危ういと判断しカウンセリングを継続しているようだ。多くの例を見てきているカウンセラーは人工冬眠者と周囲には摩擦があるのは当然という考えを持っている。千遥の摩擦がゼロに近くなるまでカウンセリングは続くのか。摩擦の減少が恋愛解禁とリンクするだろうか。


してカウンセラーは最後に千遥に尾白 しほりという17歳の女性を紹介する。同じ年の彼女は これから人工冬眠者になる人であった。千遥は人工冬眠の先輩として しほり の相談役になることになる。人工冬眠に入る前の心の準備をするのが千遥の役割。

そこから千遥は しほり と多くの時間を過ごし、自分の体験を伝える。そこで千遥は自分が周囲の人に恵まれていることに気づかされる。1年前を回想することで、千遥の視野も広がっていくのか。

絃は、千遥と しほり との時間を目撃した後輩・杏(あん)から情報を提供される。このところ杏は お節介に情報を伝達してばかりである。千遥に近づく美少女というのは杏の初登場と同じパターンだ。だが千遥を慕っている澪(みお)の直接 問いただしたところ、今回も人工冬眠がらみの話だということが発覚する。

しほり は偶然にも絃が通っている塾の生徒で2人は話をする。そこで絃は しほり が現在の人間関係に煩わされていて、人工冬眠によって一度 彼らとの関係が終わることを僥倖とすら思っていることを知る。

その証拠に、しほり は同級生たちから鞄の中身を川にバラ撒かれる。絃は病気であり冬眠前の大事な時期の しほり に代わって、水の冷たい川に入り彼女の荷物を回収する。ワガママとしか思えなくなった絃の、久々のヒロイン的行動である。
絃は しほり の思い出の詰まったハンカチを探す。それが唯一 しほりにとって今と未来を結ぶものだという直感があったのだろうか。


の中で絃がバランスを崩し転んだ際に千遥が現れる。さすがヒーローだ。怪我をした絃を お姫様抱っこで抱え上げる千遥だったが、羞恥が勝った絃にビンタされ、共倒れになる。やっぱり絃は自分の都合ばかりである。

こうして2人は近くに住む しほり の家に呼ばれ、濡れた体を温める。絃が しほり に積極的に関わり、お節介ともいえる世話を焼くのは、人工冬眠を通した時間の断絶に自分が悩まされたからだろう。そして上述の通り、しほり を無事に見送ることが過去からの解放になるからだろう。

しほり は自分の脳裏に1人だけ浮かぶ相手に、自分に近々起こる人工冬眠のことを話すかどうか逡巡していた。千遥は必要なのは自分側の勇気で、相手の受け止め方は相手に委ねるという後悔のない方法を勧める。それは勇気のなかった自分の過去の反省から生まれる言葉なのだろう。

しほり の家からの帰り道、足を痛めているにも関わらず、絃は おんぶをするという千遥の心遣いを拒絶する。説得する千遥を無視して歩こうとする絃だったが、千遥は絃の身体を思って意地を張るなと大きい声で起こられる。
あの優しい千遥に怒鳴られたことで絃はビックリして涙を流す。感情が揺れるのは絃の中では千遥は優しいお兄さんだからなのだろう。

だが おんぶ の件は受け入れる。少々ヨロヨロで恰好つかないが、2人は本音で話す。もしかしたら千遥は絃の体重に彼女の成長を改めて感じたかもしれない…。

絃は千遥に怒られたことがショック。でもそれは絃が自分を大事にしていないと千遥が感じたからであった。例え絃に嫌われても絃のことを大事にする。それが千遥の覚悟なのだろう。

絃もまた怒るし嘘もつくし自分を子ども扱いする千遥が大嫌いだと連呼する。こうして遠慮なく物を言えるのも2人の関係が対等になったからかもしれない。

千遥は絃にどれだけ嫌われても絃のことが大好きだと言う。それは千遥からの初めての告白だった。以前の千遥の告白の決意は絃によって一方的に遮られたが、今回は千遥は絃に何と言われようと告白を完遂した。千遥の気持ちの強さを感じられる場面である。


太郎は、新年度の到来と共に絃とクラスが別れるためか情緒が不安定。それが自分のタイムリミットにも感じられるのかも。

だから絃が自分を受け入れるつもりがないのに自分と自然に会話することにも苛立つ。そして一方的に苛立ち、一方的に涙を流す。メンタル崩壊である。

そんな弥太郎が向かったのは お気に入りの人工冬眠装置のある博物館。そして自分は苦しい現実逃避するために装置で眠れたらと願っていた。
だが装置を覗き込んだ弥太郎は その中で眠る しほり を発見する。しほりが人工冬眠予定者だということを知り、弥太郎は自分の浅はかさを反省する。

好きなものを好きと言えることが自己肯定感の第一歩かもしれない。未来を見つめてよ、弥太郎…。

翌日、絃に会った弥太郎は自分の醜態を思い返し彼女を避けてしまう。
だが、絃が部活動を始める弥太郎を待ち伏せることで、弥太郎は観念する。
絃は昨日 涙を流した弥太郎との関係を修復したいだけだったが、弥太郎は この日、千遥が自分の存在が周囲に影響を与えていることを気にしている風だったこともあり、絃の意識を千遥に向き合わせる。

弥太郎は、絃が本心ではなく千遥を遠ざけている現状が苛立つ。しかも その上 絃が暗い顔していることが我慢ならない。これもまた自分を大事にして欲しいということだろう。

だが そんな弥太郎は未だに自分が許せない。絃をイジめていたことも、そして千遥に対して目覚めなければ良かったと思ってしまうことも。そんな自分を優しいと評する周囲とのギャップに悩んでいた。

絃は弥太郎を肯定する。自分のこと嫌わないでという言葉は弥太郎に染み込み、彼は自己嫌悪から解放される。

自分が赦されることで弥太郎は本心が溢れ出す。絃のことが好き。今回は、以前の告白を邪魔するような邪な考えがない、純粋なる気持ちの表現である。
だから絃も、彼の告白に対して真摯に応える。弥太郎は一番大事な友達。ただそれ以上には なれない。
ただ弥太郎には自分を好きになってほしいと絃は切に願っている。これもきっと、自分を大事にして欲しいという温かな気持ちである。

人工冬眠が好き、それを可能にする装置が好き。絃が好き。友達が好き。
自分の好きを素直に言えるようになった弥太郎が次に好きになるものは自分自身だろう。そうであって欲しい。