小玉 ユキ(こだま ゆき)
坂道のアポロン(さかみちのあぽろん)
第03巻評価:★★★★(8点)
総合評価:★★★★(8点)
66年、九州。転入生の薫(かおる)は、不良の千太郎(せんたろう)と、ジャズを通じて友情を深めていく。その中で、薫は律子(りつこ)を想い、律子が恋する千太郎は、百合香(ゆりか)に夢中で…。友情と恋が交錯し、彼らの青春は予想外の方向へ転がりだす…!?
●収録作品/坂道のアポロン(3)/バグズ・コンチェルト
簡潔完結感想文
- 孤独の共鳴。裕福でも家族に囲まれていても たった一人の自分が鳴らす音。
- 恋愛と疎遠になれば友情が密になる。寄り添ってくれる人がいれば立ち直れる。
- 深夜特急。幼い頃 別れた母に会いに東京へ。母を追う経験は千太郎にもある。
母を訪ねて三千里(実際は400里)の 3巻。
ここまで各巻末では人と出会う場面で終わっている。
『1巻』では千太郎(せんたろう)が百合香(ゆりか)に、
『2巻』では百合香が淳一(じゅんいち)に、
そして『3巻』では主人公の薫(かおる)が母に出会う?という場面で幕切れとなる。
いつも続きが気になって仕方がない。
単行本化を意識した構成をしているのに、話の運びに全く無理がない。
しかも初の長期連載だというから驚きだ。
安定した作品作りをしていることが凄い。
作画の線の綺麗さと同様に、
物語の筋の通った話の運びが秀逸である。
地頭が良いとか、客観性を持てるとか、
多くの作品に触れてきたとか そういう背景があるんだろうなぁ。
恋と友情は、決して二者択一の問題ではないが、
本書では そのどちらかしか手に入らない ような節がある。
恋を失った薫は、一生もんの友情に厚くなります。
その原因は自分。
好意を寄せる律子(りつこ)の心の中に いつも千太郎がいることを察し、
そして千太郎への劣等感も持っている薫は街中で突然彼女にキスをする。
これは驚きの行動。
恋には奥手で清い関係のままラストまで行くのかと思っていたら、
勝気でせっかちな薫の一面の方が先に顔を出したらしい。
『2巻』で律子の気持ちを踏みにじり傷つけた反省から、
自分の好意を伝えることで彼女に自信を回復してもらったのに、同じことを繰り返す薫。
優等生であるが、実は鬱屈した気持ちを抱え、
そして私生活では間違い続け、上手くいかないのが薫という人間か。
前日の叔母一家によるストレスも原因かもしれない。
孤独とストレスによる一種の破壊衝動なのだろうか。
薫にだって楽観的な一縷の希望以外は、結果は見えていたはず。
眼鏡を外したのは、
顔に当たらないようにもあるだろうが、
彼女に褒められた素顔で彼女に触れたかったからか。
そう考えると、衝動というよりは割と冷静な判断を下したキスだったのか。
彼女に近づく前から眼鏡を外して、決意を固めている。
キスの後の律子の涙の理由を痛いほど知る薫は、千太郎に当たってしまう。
これも『2巻』の百合香のハンカチ事件と同じ心の推移である。
薫は成長しませんね。
律子の心の大半を占め、
そして自分とは違い、優しい母も千太郎を心から慕う弟妹もいることへの嫉妬と羨望。
「家の中に居場所がない人間だっているんだ」
そう千太郎を撥ねつける薫だったが、その言葉は千太郎の心をえぐる。
千太郎は薫を教会の事務室に連行し、自分の過去を語り始める…。
それは千太郎がジャズ・ドラムと出会ったキッカケでもあった。
ここは全方位で涙が出ますね。
千太郎自身の苦しみや悲しみはもちろん、
彼の父が千太郎の手を握った/払った、優しさと残酷さ、そしてそこへの理解に涙が出る。
手を払うなど、千太郎の立場から考えれば あってはならないことだが、
自分がその立場にある時、彼の手を握り続ける寛容さを持ち続けられるか自信がない。
実の母の突然の死を前にして、平素のような振る舞いが出来るか、
私が自分の弱さを少なからず知っている今は、父の行動を一方的に責めることが出来ない。
そして父は絶対に そんな自分に失望したはずだ。
更に彼の場合、宗教的苦悩も加わるのだろう。
千太郎を預かった時の決意や、
実子を授かった時の喜びや感謝、
しかし あの時、自分の苦しみにだけ囚われるあまり、
それらも払いのけてしまった、罪の子である自分を意識せざるを得なかったのではないか。
人を不用意に傷つけてしまったという点で、
千太郎の父と薫の行動は似ている。
自分を強く恥じるのも同じ心の動きだろう。
仲直りの印とばかりに、並んで弾く教会のオルガン。
やがて連弾する2人は子供の姿になる。
これは あの頃、薫が千太郎の傍にいてくれたら、という夢が見させる幻か。
千太郎の髪が まだ長めだから、彼が完全に孤絶する前の頃か。
千太郎は、閉鎖的で旧弊な地域社会の中で、自分に付けられたレッテルに付きまとわれる。
でも薫は世界の外から来た異邦人だからこそ千太郎を千太郎として偏見なく接することが出来た。
見せた幻のように子供の頃の薫に同じことが出来るかは不明だが、
互いの奥底にある孤独は きっと共鳴する可能性が高い。
そんな千太郎が、今度は異邦人となる上京編。
かつての家政婦からの手紙で母の所在を知った薫の父。
彼は薫に母親に会いに行かないかと提案する。
即答しない薫の心を押すのは千太郎。
母の手掛かりを追った経験は千太郎にもあるから、
薫が母と再会できる可能性があるならさせてやりたいと思ったのだろう。
1つの巻で2つの出来事が連関している構成が素晴らしいですね。
千太郎が薫に協力的な理由にもなっていて、2人での状況も自然な流れとなっている。
また父親という共通項があり、この件では薫の父の誠実さも見える。
どのような理由か不明だが、自分が離婚した妻に子供を会わせるのはリスクがあるだろう。
妻や薫が一緒に暮らしたいと言い出すかもしれない。
かつての妻が自分のことを薫に悪し様に吹聴するかもしれない。
そんな否定的な感情も巻き起こっただろうが、彼は薫に全てを正直に話す。
手紙の存在自体を薫に隠し通すことだって可能だったはずなのに。
その上で行く行かないの選択権を彼に与え、旅費は全面的に出すと言う。
そして彼の進路にも自由を与える。
本当は律子との気まずさから足が遠のいていたジャズの世界だが、
千太郎には受験から逆算したら勉学に手を抜くわけにはいかないと話す。
しかし父は そんな肩ひじ張った息子の生き様を知ってか、彼の肩の力を抜く言葉を掛ける。
これは父親が医者の家系/息子でありながら、船舶関係の仕事に就いているのと関係があるのだろうか。
彼自身が人生を自分で拓いてきたから息子にも同情と寛容が生まれるのか。
体調を気遣い窓を閉めるようにと助言する最後の言葉まで優しい。
この会話を聞いていた千太郎は どんな気持ちを抱いただろうか。
薫が救われることで、千太郎が傷つくことがないことを願う。
幸福だって二者択一じゃないのだから。
千太郎が献身的なのは、友情はもちろんだが
自分では叶わなかった母との再会を擬似的にでも経験したいからだろう。
淳一の部屋を訪ねる場面も好きですね。
淳一の部屋のポストに投函される「~堀 百合香」さんからの手紙の数々。
漫画だと何度も確認できるから便利です。
交友関係の広い淳一の周囲でも この名前の人は限られる。
淳一が不在で落胆する彼らを迎え入れる住人の朗らかさも良い。
また淳一の東京での活動は今後の伏線か。
そこで飲酒した2人の姿も興味深い。
笑い上戸になる薫だが、これが本来の彼の姿なのだろうか。
千太郎が下戸なのは意外だ。
もしかしてタバコも吸えないのかもしれない。
本当、身体が大きくて乱暴者に見えるけど どこまでもピュアな人ですね。
「バグズ・コンチェルト」…
羽虫が耳の中に入ってから声が聞こえるようになった女性。
その羽虫が慕う高校野球部員に会いに行くが…。
これもまた運命の出会いなのか。
これで出会えるなら虫ぐらい耳にウェルカムだ(笑)
虫の言うことを無視しない優しい彼女のことだから、
共生することを願っても不思議ではない。
もはや2人(?)のどちらかの想いか区別はつかないだろう。