《漫画》宇宙へポーイ!《小説》

少女漫画と小説の感想ブログです

失恋の涙に濡れたアポロンは、人間の恋の橋渡しをするキューピッドとなる。

坂道のアポロン(7) (フラワーコミックスα)
小玉 ユキ(こだま ゆき)
坂道のアポロン(さかみちのあぽろん)
第07巻評価:★★★★(8点)
  総合評価:★★★★(8点)
 

千太郎は年上の女性・百合香への思いをようやく断ち切り、新たな生活を歩み始める。一方微妙な三角関係の中で揺れ動いていた薫と律子の関係が一気に動き始める…!?さらに千太郎の身辺に大きな動きが……?読み始めたら目が離せない60年代の熱く切なく不器用な青春模様。

簡潔完結感想文

  • 断ち切る想い 受け取る想い。街を去った女性への最後の言葉と、贈り物への感謝の言葉。
  • 勉強回。進級を前に千太郎の留年危機が発覚。そこから入浴回、風邪回と怒涛の連鎖。
  • 恋愛が成就すれば友情は崩壊する⁉ 人にばかり気をまわして自分のことに寡黙な男。

して誰もいなくなってしまうのか? の 7巻。

作中の季節は思った以上に早く動いており、
『7巻』のラスト付近では高校3年生の夏を迎えている。

1年生の時は主人公の薫(かおる)・千太郎(せんたろう)、
そして律子(りつこ)が同じクラスに在籍していたが、
2年生では薫と律子が同じクラスになり、千太郎は別クラスとなってしまった。

3年生の進級時のクラス分けは進学組と就職組、そして成績別でなされるため、
3人がそれぞれ別のクラスになる。

同じ学校の先輩であった百合香(ゆりか)も卒業を前に姿を消してしまい もういない。

そして卒業後には 今以上に大きな別れが控えている。
何もかもが高校生最後の季節。

あの坂道で君を待っている♪ のも、
夏の海で泳ぐことも、文化祭での共演も 最後の青春の輝きを放つ。

終りの気配を漂わせる不穏な『7巻』です。


合香が学校を地元を去った噂が校内を駆け巡る。

千太郎を心配した薫は、かつて百合香が千太郎をモデルにして描いた絵画の前で彼を見つける。

その絵は県知事賞を獲得したが、
不祥事を起こした生徒の絵は撤去するように学校側が生徒に指示を出す。

そのことに一番 反発したのは薫。
千太郎のために その絵の保管を目指し、
その薫の必死さを揶揄する生徒に殴りかかろうとすらする。
自分では声を出せない、拳を かかげられない千太郎に代弁する叫びだ。

しかしその拳は千太郎に止められ、薫は不満の声を上げる。
しっかりと薫の気遣いを受け取った千太郎は彼の向こう見ずな行動に呆れを表すことで感謝を示す。

私も薫ほどではないけれど、
千太郎を深く知ろうとしているので、
彼が冷静になればなるほど、物分かりが良い時ほど、
千太郎の心は涙を流していることを知っている。
冷たい眼をしている千太郎ほど、心は大きく揺らいでいるのだ。


強がりも含まれるが、これが千太郎の百合香への別れの儀式だったのだろう。

ギリシャ神話のアポロンがダフネに恋をしたけれど、
ダフネは逃げまどい、ついには月桂樹の木に姿を変えてまで彼の恋を拒んだ。

百合香というダフネは 絵画に姿を変えて、アポロン千太郎の前に物を言わず そこに在るばかり。
失恋の涙を流し、絵画も撤去されたことで、千太郎の初めての恋は本当に幕を閉じる。

アポロンであり、キリストの現身(うつしみ)でもある千太郎は、
その恋が成就しないことが運命づけられているのだろうか。


んな千太郎は恋の成就を願いキューピッドにもなる。

それが なかなか仲が進展しない薫と律子の恋。

律子から自分だけが手編みの手袋を貰うものの、
彼女の恋心は未だ千太郎にあると思っている薫は その本意を信じられない。

千太郎に比べた時、矮小な自分の面ばかりが見えてしまう薫は自信がない。
だから時に律子のことを冷たく突き放し、夢想をしないよう自戒する。
それが、律子を傷つけているとも知らず…。

離れかけた手と手を繋げるのが千太郎の役割。
他者など興味のなかった千太郎が ここまで気をまわすのは友情の表れだろう。

幼なじみで一番身近な異性の律子と、
高校生活で得た唯一無二の親友の薫。

彼らの恋だからこそ千太郎も応援したいという気持ちが湧く。
荒れて冷たかった彼の心が、人並みの感情を学んだようでもある。

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自分が俗世の恋の喜びと痛みを知ったから、アポロンは人間の恋にも気をまわす。

そういえば千太郎がお節介を焼く 3度目の夏の海、
木陰に隠れていた千太郎が出てきた時、頭に葉っぱが巻きついている。
それが「アポロン」の月桂樹のように見えるのは必然だろうか。

失恋のせめてもの証として、姿を変えた彼女の一部を冠にする。
こうして神話が完結した彼は現世の人間たちの恋を応援するのだ。
まるで 最後の置き土産のように…。


かし千太郎には現実的な大きな障害が待ち受けていた。

それが高校3年生への進級問題。
3日後の追試をクリアしないと留年になってしまうという。

更には大家族で しかも実子ではない千太郎に留年の選択肢はない。
その事情を知る薫だからこそ、
落第回避のためのスパルタ授業を開始する。


安易なBL連想は作品に対して失礼だとは思うが、
薫と千太郎の間に起きていることって少女漫画における男女交際イベントばかりである。

例えば今回の勉強回も、少女漫画の定番のイベント。
留年危機の恋人のために一緒に勉強したり、あれこれとお世話するのは王道である。

また同日の、千太郎の家で粗相に巻き込まれて入浴の流れになるのも少女漫画お決まりのイベントだ。
家人のサイズの合わない服を着るのも一連の流れ。

ちなみに少女漫画の恋人同士では、頭が賢いのも入浴イベントが起きるのも男性の方が多い。
…ということは意外にも千太郎が彼女役なのである(笑)
妄想は ほどほどにしましょう。

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もう二度と同じ痛みを味わいたくないから 淡い期待を自分で切り裂くような言葉を吐く。

の流れから風邪回も始まる。
これもまた少女漫画の定番ですね。

しかも この時代に異性の部屋に上がり込むのは、
現代よりもはるかに意味を持ち、それゆえハードルが高いことだろう。

薫の家に上がるだけでも律子は相当な勇気と覚悟があったはず。

そういえば律子は薫の家庭の事情を知っているのでしょうか。
千太郎には話す場面があったが、律子に話している場面はなかったような…。
うーん、やっぱり千太郎 彼女説は正しいのかもしれない。


薫と律子の家の前のシーンも素敵ですね。
特に律子は誰かを直接的に傷つけることのない言葉を使える人で素晴らしい。
本当に賢い女性だなと憧れる。

彼女に やんわりと煽られ、薫の中の恋情が熱となって燃え上がる。
誰に聞かれても構わない、自信のない自分が自信を持てる面で勝負をかける。
ちょっとSな薫はギャップがあって色気が出ている。


そうして薫に、この世に春が来る。

…だが、ちょっと待て。
友情と恋愛が両立しないでお馴染みの本書である。

ということは、薫と千太郎の間に…。


校卒業後の進路は、
薫は当初からの予定通り東京の大学の医学部、
千太郎は就職、
そして律子は先生になるべく教育学部へ進む予定である。

律子は自分が先生の道を進むのは
いつぞやの薫が「サウンド・オブ・ミュージック」の映画を見る機会を与えてくれたからだと言う。

だが、薫は律子と恋仲になれたばかりで、
遠からず離れる未来を律子に伝えられずにいた。
ここにも別れの予感があります。


そういえば律子はクラス委員長になったりするだけあって、
成績は優秀なんでしょうかね。

女性の大学進学率が高くないであろう この時代に大学進学を当然のように話している。
律子が働くことは新時代の象徴でもあるのだろうか。
女性の就職率も そんなに高くはなかろう。


て、前述の通りのこともあり、
主に千太郎に幸不幸が交互にやって来る本書。

黒い影を落とすのは一家の父親の帰還である。
幼い弟たちは喜ぶが、過去にわだかまりのある千太郎は浮かない。

千太郎以外にも浮かないのが、彼の すぐ下の妹の幸子(さちこ)。
2人には仕事を失い、酒に溺れ、周囲に暴力を振るっていた記憶があるのだ。

公園で ふさぎ込む幸子を見かけた薫が彼女に自分から話しかけるなんて、
よほど千太郎(と その弟妹)に胸襟を開いている証拠だろう。

誰よりも千太郎と家族の事情を知る薫は心配する。
が、千太郎は努めて平静に父の帰還を待つ。

けれど冒頭の百合香の絵画と対峙した時と同じく、
千太郎が冷静である時ほど、彼の内心は動揺しているはず。

千太郎は悲しみや苦悩を直接 吐き出せないタイプの人間なのだ。
彼は静かな決意を持って その日を迎える…。

出会いか別れで終わる本書の巻末。
今回は、最大の別れを予感させて終わる。