- 作者: 辻真先
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 1995/03
- メディア: 文庫
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推理作家同士が果たし合いを。新進作家佐々環が先輩作家若狭いさおを批判したことから、両者は剣呑な間柄となり、とうとう決闘宣言に。心配した編集者たちが小島にある若狭の別荘に駆けつけてみると、密室状態の室内で絶命している若狭を発見した。犯人はやはり佐々なのだろうか。二人の書いた短編ミステリを作中作として織り込むという趣向も楽しい、著者会心の長編推理小説。
先日読んだ北森鴻さんの『闇色のソプラノ』の解説の中で『世の中には二種類のミステリー作家がいる。トリック派とプロット派である』という分類法が紹介されていたが、初読書の辻さんの作風まで語れないが、少なくとも本書はトリック派の最たる作品だ。あらすじに「著者会心」という言葉があるが、多分それに偽りはなく、作者は嬉々として書いたに違いない。余計な装飾で飾り立てることもしない、心理を深く掘り下げることに執心しない。全てをトリックのために奉仕した作品である。1行目に「大変だ!」と唐突に始まるミステリ作家2人の因縁の決闘と死体の発見、何編も登場する作家たちの作中作品、最後の1行まで読者を驚かせる趣向を凝らした作品である。
本書には派手さはないが賑やかさがある。前述の1行目からのドタバタ劇を始め、本当に読者が息をつく暇がないぐらいに次々と事件が起こる。トリッキーな本書の中でも特徴的なのが作中作の存在だろう。やや唐突に始まるミステリ作家2人の争いの原因や、作家2人がどういった作品を書いていたのかをプロファイリングする材料として彼らの短編や詩が掲載されている。思いもよらなかった『文章探偵』の登場(「文章」というよりも作品丸々使った「短編探偵」だけど)は興味を惹く作用とともに、口中で味が変わるキャンディのような面白さが生じて病みつきになる。この作家歴は長いが数だけを稼ぎ粗製乱造に陥っていた作家・若狭いさおと、新進気鋭の作家で本人にファンが付くぐらい若く甘い顔立ちをした佐々環の2人の作品は、小ネタが満載でそれ単体でもなかなか楽しく読め、後々の展開にも大いに影響するもので(作品の質や、ヒントとしての分かりやすさは置いといて)、ここでも1粒で2度おいしい効果を生み出している。
作中作では佐々環の『幻覚館の惨劇』は、若狭作品よりも面白くなければいけないという難題も見事にクリアしていて、面白かった。前述の通り、現実の事件の手掛かりになる要素も入れながら、登場人物たちの背景やトリックなどかなり力の入った作品である。この短編に関わらず、どの作品も登場人物たちのその後が気になった。作中作がゆえにスパッと断絶する彼らのその後が気になった。作中作では(ネタバレ→)両者の作品、特に若狭の作品は妙に男性の描写が多く、逞しく男らしい人物像だったので彼が同性愛者なのかと疑った。佐々環の作品もその手の話があり、そういう自分に苦悩していたのかと考えた(←)。意欲的な作品に挑戦する辻さんらしいので、今度は作中作の出来が異常によい(年末のミステリランキングの上位に入るぐらいの)、贅沢で勿体ない、そして粋な作品も作ってほしいなぁ。
(ネタバレ:感想→)表紙はこれで良いのでしょうか。2人に見えて1人というメイントリックの1つをこうも表現したイラストは問題はないのだろうか。作品にマッチはしているが、ミステリとしては最もミスマッチな選択ではないか。そして読者の度肝を抜く最後の一行。私は依然読んだ深水黎一郎さんの某作品(ネタバレしたらごめんなさい)を思い出したが、解説を読みますと辻さんはこの手の作品に多く着手しているみたい。今後読もうとしていた他作品のネタバレをされた恐れもありますが、どんな手法を使われるのか楽しみだ。(←)
私は本書を作中に登場する簡素で味気のない若狭の別荘みたいに思っていたが、感想を書くとその読みどころの多さに改めて気づかされた。広さはないが部屋や収納場所の数がかなりあり、その一つ一つに作者の遊び心が詰まっている。そうすると本書は若狭の別荘ではなく、作中作に登場するトリックアートを始めとした錯視・錯覚を起こす数々の仕掛けが施された『幻覚館』こそが作品の象徴的な建物かもしれない。確かに読者は読了する際に、ある種の眩暈に襲われる。なんだか本書が凄い本に思えてきた(笑)
本書はどこまでも稚気に富んでいる。「こんなトリック思いついちゃったんだけど、どう?」といった雰囲気を、読者も「あぁ、変なミステリだった」と笑って楽しむのが正しい読み方だろう。過大に評価するのは私の実感とも他の読者の評価とも離れたマニアックな読み方だろうし、かと言って稚気を理解せず過小に評価されるのも勿体ない。ミステリにはこんなバリエーションもあるのか、と変格ミステリを楽しむのが良いのだろう。