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トスカの接吻 オペラ・ミステリオーザ (講談社文庫)

トスカの接吻 オペラ・ミステリオーザ (講談社文庫)

プッチーニ作曲の歌劇『トスカ』上演中、主演女優のナイフが相手役の首筋に突き刺さった!「開かれた密室」である舞台に、罠を仕掛けた犯人の真意は!?さらに前例のない新演出の予告直後、第二の犠牲者が…。芸術フリークの瞬一郎と伯父の海埜刑事が、名作オペラゆえのリアリズムを逆手に取った完全犯罪の真相を追う。


「前作」の好評を受けてか、めでたくシリーズ化した芸術探偵シリーズ。前作は絵画を題材にしていたが、本書はオペラとその演出方法を巡る事件。冒頭10ページで本書を貫く題材のオペラ「トスカ」の大まかな粗筋を読者に示しながら、更に舞台上の衆人環視の中での殺人というセンセーショナルな幕開けになっている。この演出方法は読者への強烈な「目覚まし効果」がある。そのうえ事件は演出家から、本当に人を殺す気迫と力で頚動脈を刺すよう指示されていたトスカ役の女優が、小道具の刃の引っ込むナイフとそのモデルにした本物のナイフが入れ替わった為に起きた事が判明。この舞台上のトスカを罪人に仕立て上げたのは一体、誰なのか…。
得てして傑作後の第2作と言うのは高評価を得る事が少ないが、本書もご多分にもれず…という出来。私は無知だから芸術論(今回はオペラ論)部分は大変勉強になったのだが本書の場合、その勉強が勉強で終わってしった事が前作の評価との大きな違い。今回は「お勉強部分」がなくても犯人の心情やトリックはある程度理解出来てしまうため、勉強により読者をより深い部分に導くという効果はなかった。一つあるとすれば、「芸術」の理不尽にも思える結果主義だろうか。鑑賞者の喝采を受ける事や時代を超越する力を持つ事と、本人の人間性は無関係という事は瞬一郎の講義を聞いて理解できた。
芸術論と乖離してしまったミステリ部分が前作にもまして地味なのも問題だ。第1の事件は犯人の衝撃度はあるのだが、トリックが序盤の仮説通りなのは面白みに欠ける。また2つの死の側にある「トスカの接吻」という符号も、書名の割りに効果的な演出が施されずに終わった。芸術とそれに魅せられた者の業とは関係なく淡々と事件が解決するので余韻は少なかった。心情面での揺さぶりを期待しただけに残念。ミステリとして一番面白かったのは、演出家の新解釈によって浮かび上がる「トスカ」の真犯人だったかも。
私が思う本書の欠点は、前面に押し出されているのが事件や物語でなく、作者の主張である点だ。作中で演出家によって語られるトスカの新演出方法は、あとがきで舞台での実現化を願っているから著者もかなり自信のある演出法なのだろう。確かに、新解釈として見応えはありそうだが、作者の鼻息の荒さには鼻白んでしまった。海堂尊さんの『バチスタシリーズ」でも思った事だが、作家の主張を小説と言う形で訴えると言う手法は、主張の為のトリックという作為性が前に出すぎてしまい、ミステリとして歪で美しくない。まぁ、海堂さんの主張は国の制度をも動かしているらしいが…。
オペラの演出でも『台本作家の残した台詞と、作曲の残した総譜』の改変は基本的には許されないという話は、その不自由度が故に演出家の腕が重要となる。これをミステリでも出来ないだろうかと考えた。登場人物(犯人も?)やトリックは同じだが、「読み替え」によって事件背景が大きく変わるのはどうだろう。うーん、倒叙ミステリなら出来なくもないか? どうでしょう、出版社さん(作者の真似)。
欲を言えば、2章立てにして、本書部分を前半に、後半は本書を「解釈」した上での黒幕の存在、という構成にすれば、テーマと一致度も高く、ミステリとしてはどんでん返しのある起伏に富んだ構成になったのでは、と思わずにはいられない。もしかしたら本書にも解釈次第で真犯人が浮かび上がってくるのかもしれない…? そんなミステリは嬉しいような、解釈の余地を残すなんてミステリではご法度だと思ったり、でも作者ならやりかねない、というかそれが用意されてるからこんなに事件がスカスカなのかと思ったりした。本書にはもう1人スポレッタがいるのか…!?

トスカの接吻  オペラ・ミステリオーザトスカのせっぷん               読了日:2011年08月30日