- 作者: 天藤真
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 1997/05
- メディア: 文庫
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わたしは夫であるあなたを殺します。女であれば誰しもが夫に抱く憎悪が、殺意にまでふくれあがったからです……。五人の男に届いた妻からの殺人予告状。本命の標的はその内の一人なのだが、それが自分でないと言い切れない夫たちは戦々恐々、疑心暗鬼に陥りながらも対策に頭をひねる。追いつめられた男たちの前で事件は二転三転し……。
作家の作風の二面性を表す時、「白」と「黒」に分けられる事が多いが、天藤さんの場合は「白」と「エロ」だろうか。『わが師はサタン』を始めとしたエロ天藤作品、本書はそのレベルまでではないが、どことなくエロス漂う作品であった。といって、官能小説だと意気込んで読まれませんように。
ある日、5人の人の夫であり親である男性の元に届いた、夫を殺人する決意をしたためた殺人予告状。差出人は5人の男たちの内の誰か1人の妻だという。単純な確率は1/5だが、結婚以来の夫婦生活・家庭環境を顧みるにあたって、身に心に覚えのある夫たちの心は疑心で満ち、自分であるとの思い込みは100%近くとなる。もし差出人が自分の妻であった場合、死ぬのは自分である。その恐怖から逃れるために男たちは、手紙で指定された場所に赴き、緊急会合を開くのだが…。
本書はとても回りくどい殺人予告から始まる、いかにもミステリのために考案された非常に作り物めいた設定である。が、そこがまた面白く、秀逸なタイトル通りの作品であった。5人の男の取る行動の違いも性格を表していて導入部として最適だし、反対に5人共が同じ行動する様は、夫という、男という存在の弱さと、全員の妻に殺意が芽生えてもおかしくない身勝手さを感じる。そして、5組の夫婦の家庭事情が赤裸々に語られる描写はゴシップ的な下世話な興味を引き立てる。この予告状は中盤で作者も例に出しているが、「不幸な手紙」の亜種である。殺害予告とまではいかなくても「あなた、お天道様にやましい事はありませんか」「これから起こる全ての悪い事はその報いです」ときたら程度の差はあれ誰でも背筋が凍る思いをするはずだ。悪徳宗教のやり方でもありますね。複数に亘る条件面をクリアした狙い定められた男たちだからこそ、手紙の告発効果は覿面なのだ。
もちろん多少のご都合主義的な面はある。1人の人間の知人の中に、これほど同じ条件の者がいるのか(他の4人の接点無く)。また絶対に外れないとは言い切れない個人の行動を予見している点や、あの赤裸々な写真の撮影方法など、全ての真相を知った上でも疑問に思う点がある。
そしてミステリとしては不思議な事に、本書は大きな事件が起きる前の方が面白い。大の男(妻に恨まれる覚えのある男)5人が、あちこちで会議を繰り返す様、彼らの精神が大きく揺れ動く様子は、第3者から見れば滑稽にも思える。しかし事件が起きると、意外な形で起こった事件に虚を突かれたものの、地味な捜査描写、自殺か殺人かの論議が中盤まで続き、物語に動きがなくなってしまった。何より、一連の手紙におけるミッシングリンクが簡単に(そういう仕組みとはいえ)明かされてしまうのが面白くなかった。それが救われたのが、中盤以降で、本来は何も繋がりのなかった4人の男(と1人の女性)が段々と結束し、窮地に立たされた1人の男の為に行動するという姿勢に、利他的な人と人との繋がり、性善説を感じられた。
どんでん返しの真相は予想の範囲内だった。あのままでは天藤ミステリにしては切れ味が悪いと思ったし、読書中も疑問に思った箇所があったから。ただし真相には別の意味で衝撃を受けている。その人の独白で、たった数ページ前の美しい光景が、一瞬にして黒く塗りつぶされたからであった。本書は羽鳥とその人の、2人のプレイボーイが家庭を顧みる話でもあった。一方は遅きに失したが。光と影のような正反対な人物で、羽鳥が繋げる信頼の輪は天藤作品ならではの優しいものだった。しかし2人とも元気ねぇ〜。
昭和48年刊行の作品という理由もあるだろうが、驚くほど差別用語の使用頻度が高い。偏見もここまで偏るか、という感じである。反対に、本書の警察は大甘である。重要参考人の事情聴取もプライバシーの一言で片付けられていた。何も疑わない警察のお人好し加減に私は真相のヒントを見出した。
余談:本書も読了後、しばらく時間が経過すると事件の狡猾さや残忍さ、仄かなエロスは綺麗に忘れ去って、羽鳥を始めとした明るい登場人物と工夫に満ちたプロットといった印象だけが残るのだろうか。そして天藤作品=優しさとユーモアという認識だけが上書きされていくのだろう。それは、まるで本書における全ての黒幕と構図ではないか。恐るべしエロ天藤!