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甲賀忍法帖 山田風太郎忍法帖(1) (講談社文庫)

甲賀忍法帖 山田風太郎忍法帖(1) (講談社文庫)

家康の秘命をうけ、徳川三代将軍の座をかけて争う、甲賀・伊賀の精鋭忍者各十名。官能の極致で男を殺す忍者あり、美肉で男をからめとる吸血くの一あり。四百年の禁制を解き放たれた甲賀・伊賀の忍者が死を賭し、秘術の限りを尽し、戦慄の死闘をくり展げる艶なる地獄相。恐るべし風太郎忍法、空前絶後の面白さ。


本書は後のバトル系少年漫画に多大な影響を与えた作品らしいが、確かに登場人物に固有の技・能力を与えて、1対1のタイマンバトルを繰り広げる様子は現在の少年漫画の礎といって差し支えはないだろう(更に本書自体も40数年後に漫画化もされている)。私がこれまで読んだ少年漫画の中では『幽☆遊☆白書』の「暗黒武術会編」の団体戦も近いのだが、歴史物という共通点もあり脳内イメージは『るろうに剣心』の「京都編(VS十本刀)」だった。主人公側は正式なチームではないが10対10±αの戦いになっていた(はずだ)。
ただ本書が少年漫画よりもやるせないのは絶対的な主人公と正義が存在しないという点にある。伊賀一族と甲賀一族は四百年来の対立関係にあったが、両派の若き男女が恋仲になった事でその関係の融和をはかる過渡期にあった。しかし将軍家の世継ぎを忍法対決で決しようとする家康の計画によって、当事者たちの与り知らない所で両派の融和への道は不条理にも閉ざされてしまう。残るのはただ闘争の世界。競技場は日本全土で、四六時中休む暇もなく彼らは生死を賭けた忍術合戦に、闘う訳も知らずに巻き込まれていく。本書ではそもそもの発端である三代将軍の座をかけた死闘などなど、所々で史実を絡ませている。しかし史実があるからこそ、その闘いの虚しさが一層に際立っていた。家康に慧眼があれば、世継ぎに迷いがなければ彼らの未来は違っていたのに、と激化していく闘いの興奮の裏に、絶えず哀しみを覚えずにはいられなかった。
史実の他にも医大卒の作者らしく、忍者たちの技・能力(主に伊賀側の特異体質)に医学的説明がなされている。この医学的見地は作品にリアリティを与えているようで奪っているのが気になった所。総勢20人の忍術では伊賀側に悪役っぽさを感じるが、そうではないのが本書の肝。また「それは忍術なのか?」とか「先鋭でこの能力?」とか「およそ闘いに不向きだけど…」と思う忍術もあったが、本書で出色の出来なのはその組み合わせの妙である。満身創痍が逆に起死回生の一手となったり、個々人の能力が判明していないから(判明しているから)罠に掛けたり掛けられたりと豊富な展開に息をつく暇もない。多分、この20個(正確には18個)の能力を一番上手く駆使したのは本書だという事は間違いがない。そのぐらい良く出来ている。登場人物の中に一人だけ完全に「それは反則!」という能力を持つ者がいたが、その反則までも見事に処理していたのは天晴れだった。
連載小説らしく、次号を早く読みたくなる怒涛の展開が用意されていた。展開が進むほどどんどん魅了されていく点は、まさに週刊連載の少年漫画の手法と同じである。1話1話が新鮮で、なおかつ全体として構成の工夫も考えている。ただ一つだけ気になったのは、後半に進むにつれ作者の自制の箍が緩んだのか、官能方向に加速していくのが気になった。一応、闘争の毎日で冷酷な忍者に芽生え始める人間の本能や感情という説明はあるのだが…。これだけは淫靡過ぎて少年漫画には取り入れられない。連載時の読者層は幾つだったのだろうか。
最後の一文が忘れられない。史実を知っているから結末も知っているという勘違いを見事に打ち壊す、二重写しの美しくも哀しい終劇。ヒーロー物ではないから絶対的な正義は存在しない。あるのは絶対的な不条理だけだった。

甲賀忍法帖こうがにんぽうちょう   読了日:2011年01月30日