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絶叫委員会

絶叫委員会

町には、偶然生まれては消えてゆく無数の詩が溢れている。不合理でナンセンスで真剣で可笑しい、天使的な言葉たちについての考察。


一昔前に病院などで市井の人々がつぶやいた「死」に対する言葉をまとめたのが永六輔さんの『大往生』だったと思うが、本書は穂村弘が町中や書籍でつぶやかれる数々の「詩」を取り上げたものである。
「詩」といってもリリカルなものではない。穂村さんが『偶然性による結果的ポエム』と呼ぶ、ナマモノの言葉である。本書は『才能やセンスや知識や労力が必要になる正規のルートの詩ではない、世界に偶然生まれては消えていく無数の詩』(「結果的ポエム」冒頭より)たちに穂村さんが詩とその背景にある社会までを考察するという構成になっている。
などと書くと難しそうに思われるかもしれないが、周囲に大爆笑をもたらす言い間違い、反対に凍りつかせる禁句の言葉、アホみたいだけど説得力のある言葉、サービス過剰で嫌味に聞こえる言葉、極限状態の中で紡がれる論理を超越した咄嗟の言葉、そういうものたちをを本書では「詩」としている。そんな経験を誰しも一回はした事があるはずだし、明日突然隣の人から「詩」が生まれるかもしれない。予測の出来ない世界は怖い、けれどそれが現実で、だから面白いのだ。
私がとても共感したのは、本書の中で幾度も出てくる宣伝広告における実体のない「詩」たちと、サービス業における迂回に迂回を重ねて相手に有無を言わさず行動を強制させる不思議な「詩」たちへの疑問である。
「うっかり下手なこと」では宣伝広告における日本最大級の「級」、手打ち風の「風」などの、店の売りを数文字で前面に押し出しながらも本当は最大でも手打ちでもないから虚偽にしない為の漢字一文字を足す現象を考察している。わたし的には姑息な手段だと思うが、このわたし的の「的」も責任逃れである。
「美容室にて」「サービストークでの美容室での洗髪時の言葉の進化/退化のエピソードにも嘆息する。「おかゆいところはございませんか」という問いへの返答も見出せないまま、「気持ち悪いところはございませんか」の登場を経て、最新のものでは「流し足りないところはございませんか」というツッコミ待ちのボケとしか思えない「詩」が生まれたらしい。お客様に不快な思いは一切排除します、というサービスがお客様に受け入れられていないという皮肉な構造である。
また町中に溢れる『「ありがとう」たち』への考察も秀逸である。トイレや公園での「いつもきれいにご利用いただきありがとうございます」。それは行為に対する返礼ではなく、礼に対しての相応の行為を強制する人工的な「詩」。
上記の3つの事例はどれも「言わんとしている事はわかる。その言葉の真意も、本音も」という共通点がある。けれど色々な意味で悲しい。これらは守備に徹した言葉であり、またこんな迂遠な言葉を使わなければ攻撃する者たちがいるという苦肉の「詩」なのである。自分の世界をこじ開けるような鋭利な言葉が取り上げられる世の中はきっと平穏だけど、心が揺さぶらる事もない退屈な世界だろう。

絶叫委員会ぜっきょういいんかい   読了日:2011年08月30日