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もしもし、運命の人ですか。 (MF文庫ダ・ヴィンチ)

もしもし、運命の人ですか。 (MF文庫ダ・ヴィンチ)

間違いない。とうとう出会うことができた。運命の人だ。黙々と働く昼も、ひとりで菓子パンをかじる夜も、考えるのは恋のこと。あのときああ言っていたら…今度はこうしよう…延々とシミュレートし続けた果てに、“私の天使”は現れるのか?人気歌人穂村弘による恋愛エッセイ集が、待望の文庫化。


穂村弘さんの文章に初めて出逢ったのは今から1年と3ヶ月前(06年02月)、本書収録のエッセイを連載していた雑誌『ダ・ヴィンチ』だった。そしてそれ以来、穂村弘さんは私の「運命の人」になった。とうとう見つけた、運命の人…。
一目惚れだ。その頃は穂村さんの顔も経歴も知らず、私は彼を好きになった。もちろん恋愛感情とは違うのだけれど、本書のエッセイの「愛は細部に宿るか」ではないが、愛は文字に宿っていた。そして既刊のエッセイを全て読んだ。…しかし私は無知だった。彼は既婚者だったのだ! ラブ・イズ・オーヴァー(号泣)。


…と、穂村さんへの横恋慕はこの辺にして本書のお話。本書は恋愛考察エッセイである。穂村さんは恋愛をいつまでも、そしてスムーズに継続させる方法をいくつも提案する。例えば「『ときめき』延長作戦」、「第一印象対策」、「好意の数値化」、「性愛ルールの統一」などなどだ。どの提案も確かに頷ける。こうすれば恋愛が上手くいく、こうなれば人生はもっと楽しくなるはずだ。
だけど、この提案は全て「この世にない」ものばかりなのである。例えば「好意の数値化」ではお互いに対する好意が数値でおでこに表示されれば出会いも別れも容易になるだろうと穂村さんは言う。それはその通りだろう。しかし人間にそんな機能は、ない。でもきっと本書の提案全てが現実化したら人間は恋愛に興味を失ってしまうだろう。予測不可能なドキドキがないからだ。始まりも終わりも分からないからこそ恋愛は楽しい。けれど同時に苦しく悩ましい。
もしかしたら現代に生きる私たちは、穂村さんが「もうおうちへかえりましょう」の中で述べていた「戦後民主主義的価値観」の所為で恋愛に重きを置き過ぎているのかもしれない。現代人は自意識が過剰に拡大し、自分を価値のあるもの、特別な存在だと思い過ぎている傾向がある。特別な自分だから、特別な誰かがいるはずだ=「運命の人」論。そして戦後に広まった自由恋愛という思想においてもその自由が拡大しすぎたため手に負えず、今度は規則やルールの存在を欲している。自己中心的で自己矛盾を抱える私たちには、恋愛は極度の幻想と幻滅をいっぺんに与える危険物なのかもしれない。
穂村さんは何度も「ワイルドさ」に憧れている。私も穂村さん系統の人間なので、その憧れは分かる。ワイルドや危険で訳が分からなくて厄介という属性は「自分にはない」ものなのだ。けれどワイルドとは正反対である穂村さんの持つ繊細さや文章力に惹かれる人も確実にいるのだ。現に穂村さんだって結婚し(てしまっ)たじゃないか。だから私にも「運命の人」がいる。いるはずだ。いてほしい。いて下さい。もしもし。もしも〜し、運命の人ですか。私の声、聞こえてますか〜。

もしもし、運命の人ですか。もしもし、うんめいのひとですか。   読了日:2007年05月04日