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アラビアの夜の種族〈1〉 (角川文庫)

アラビアの夜の種族〈1〉 (角川文庫)

聖遷暦1213年。偽りの平穏に満ちたエジプト。迫り来るナポレオン艦隊、侵掠の凶兆に、迎え撃つ支配階級奴隷アイユーブの秘策はただひとつ、極上の献上品。それは読む者を破滅に導き、歴史を覆す書物、『災厄の書』。アイユーブの術計は周到に準備される。権力者を眩惑し滅ぼす奔放な空想。物語は夜、密かにカイロの片隅で譚り書き綴られる。「妖術師アーダムはほんとうに醜い男でございました…」。驚異の物語、第一部。


文庫版全三部、読了。今となっては、この第一部は果てしなく遠い物語だ。現実時間ではたった2週間の出来事だが、初体験の出来事が多い子供の頃に時間の流れが遅く感じるのと同じように、今までにない読書体験が記憶を濃密にした。読書中、脳内で再生された見た事もない光景の連続、その圧倒的・圧巻の情報量の多さに魅入られ続けた。書に人を狂わす事が出来るのだろうか…!?
舞台は迫り来るナポレオン軍により危急存亡の秋を迎えた聖還暦1213年(西暦1798年)のエジプト。軍事力では対抗できないと踏んだ一人の指導者に、ある秘策が提案される。その策とは、読んだ者に破滅をもたらす『災厄(わざわい)の書』をナポレオンに読ませる事で『だれの目にも留まらぬ刺客、不可視の暗殺者となって』『軍勢を破滅させる』という前代未聞の内容だった…。
物語は昼間の現実世界でエジプトの地に迫り来るナポレオン軍の騒乱と、夜間の語り部・ズールムッドによって語られる『災厄の書』が交互に繰り返される。
日本推理作家協会賞受賞作。一般的な推理小説とは全く違うが、本書は多くの企みに満ちている。例えばこの第一部だけでもアイユーブのナポレオンに対する、アーダムの世界に対する、ジンニーアの野望に対する、そして作者の読者に対する企みが挙げられる。この中でもまず読者の目を奪い釘付けにするのは、アイユーブの企みだろう。何と言ってもあのナポレオンの暗殺、しかもそれが一冊の書物によってなされるのだから! 更に本読みの心をくすぐるのが、万人を魅了する物語を読める喜び。更にメタ視点から考えれば、それを作者の古川さん自らが小説における究極の目標を打ち出し、挑戦するという企みの成否も見届ける事になる。その企みが故に本書は多重構造を見せる。時間も空間も超えて、読者はその手に本を持ちながら、本を読み、本の中で本が出来る様子を見る。


この第一部は『災厄の書』の3つ俗称、『もっとも忌まわしい妖術師アーダムと蛇のジンニーアの契約の物語』『美しい二人の拾い子ファラーとサフィアーンの物語』『呪われたゾハルの地下宝物殿』の内、1つ目と3つ目の要素を含んでいる。
第一部の主人公・アーダムは意志の人である。とある王族出身ながら人類に、世界に嫌われる者として生を受ける。しかし彼は彼の野望を達成するために、その類い稀な精神力を以って人生を切り拓いていくのだった…。
アーダムの世界に対する復讐は正確無比の手順を踏みながらも冷酷無情。果たして彼は主人公なのか?と疑いたくなる残虐非道の行為の数々。しかし奸智を駆使して少しずつ確実に目的に近づく彼の姿に興奮は隠せなくなる。意志の人アーダム。醜い容貌の彼の中の克己心は美しく、その美点が彼に未来を与える。人類中最凶最悪の彼が、個人的な宿怨とは言え結果的に人類の救世主とも言える存在になる、この配置転換の素晴らしさにまた興奮。
エンターテインメントが人を魅了する。楽しいのが正義! 美しい言葉で装飾された入口付近こそ戸惑うかもしれないが、入れば時を忘れる竜宮城状態。人々は欲望に忠実で、コギャルの蛇神様はちょっと下品で、死と隣り合わせなのに人は活き活きしている。世の中には世界征服よりも楽しい事あるよ、ナポレオン!

アラビアの夜の種族 Ⅰアラビアのよるのしゅぞく   読了日:2009年11月04日