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13 (角川文庫)

13 (角川文庫)

一九六八年、橋本響一は左目だけが色弱という特異な障害をもって生まれた。高い知能指数と驚異的な色彩能力に恵まれた少年響一は、従兄の関口と共にザイールに渡る。そこで彼が出逢ったのは、片足の傭兵「13」を通じ、別人格を育んだ少女ローミだった。驚異の体験を経て渡米した響一は、二十六歳の時にハリウッドの映画製作現場で神を映像に収めることに成功する。溢れ出さんばかりの色彩と言葉、圧倒的なディテールが構成する、空前絶後のマジカル・フィクション。


圧倒的。その一言に尽きる。最初の数ページから私の培ってきた読書センサーが警告音を発した。「刮目せよ。傑作の予感」、と。その後も警告音は大きくなる一方。そして150ページを過ぎて予感は確信に変わる。人には見えない運命の歯車が回り出すのを神の視点で見た時、大袈裟ではなくゾクリと震えた。しかしその歯車は個々人の暗い欲望を動力にして無理矢理に回転しており、歯車は悲鳴にも似た軋みを発し続ける。その音にまた震えながら私は物語を読み進めた。
本書は色彩の物語である。主人公・響一は生まれつき左目だけ色弱で五歳の時に、右目と左目が見せる色覚の違いを自己認識し、そこに異次元の世界を見出す。響一にとって色彩こそ異次元の入口であった。けれども小説の読者である私は響一の体験を精密に描く作者の文章に目を奪われた。私には本書こそが、私の精神を異次元へ導いてくれる入口に思えたのだった。
読了し心地の良い虚脱感から復活し本書全体を改めて考えると、巧緻を極めたこの作品の構成が見えてくる。本書は二部から成るのだが、視覚を中心に据える他は、第一部/第二部は何もかも正反対に配置されている。第一部の舞台は部族・宗教・信仰の対立が続く中部アフリカのザイール。中学を卒業した主人公・響一は20世紀後半の世界でも4000年前と同じ生活をする最も原始的な部族・ジョ族の民と行動を共にする。その経験の中で響一は原始的な色の洪水、そして異界を目の当たりにする。続く第二部では響一は26歳(13の倍である)になり、地理的にも文化的にも正反対のアメリカはハリウッドでSFXの技術者として働いていた。それも「神を映像化」するという目的ために。同じ色彩の世界ながら10年余りでアフリカの原始的な色からアメリカのデジタルの信号に変わる技術革新も興味深い。
また本書は「奇蹟」の物語でもある。しかしその奇蹟も正反対の過程を通り成立していく。第一部は間違って、そして第二部では正しく「奇蹟」は成立する。
第一部ではキリスト教の妄信者たちが一人の少女を奇蹟の「聖女」として祭り上げる過程が描かれている。「白人としての前世の記憶」「真の名」「処女懐胎」などの聖女が起こす数々の奇蹟。しかし我々読者は合理的な謎解きが先に述べられ、その後、他の登場人物には不可解な謎(=奇蹟)として捉えられる「倒立ミステリ(解説による)」という形式によって先に奇蹟の種明かしがされている。偶然にも成立する瑕疵の無い完璧な奇蹟。だが読者はその危うい成立の仕方から、やがて訪れるであろうカタストロフィも同時に予感する。後にこの砂上の楼閣崩壊の始まりとなる決定的な事実も衝撃的。また第一部では観念の対立構造も非常に興味深かった。土着の信仰からの恐怖を西欧型の現代文明やその宗教・キリスト教を以って制するという「霊的な武装」という考え方。それは信仰の変化だけでなく部族間の衝突も加速させていく。その転換期のダイナミズムが好きでした。
代わって第二部では一転し、才能溢れる者たちが一つの映画の下に集うという運命の歯車の回転が心地良く楽しめる。巧緻を極めた第一部に比べると第二部はやや大雑把な感じを受けるが、最後にとっておきの奇蹟が…。文章の持つ空気も濃厚な森のモノから、西海岸の爽快な海のモノに変化しているように思えた。
初・古川作品。やっぱり圧倒的の一言。中盤からの頭の揺さぶられ方は『グールド魚類画帳』を連想した。現実が異界に繋がり、異界が現実に連なる。これがマジックリアリズム? この手法、多大なエネルギーを必要とするけど私好みです。

13じゅうさん   読了日:2008年10月07日