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赤朽葉家の伝説 (創元推理文庫)

赤朽葉家の伝説 (創元推理文庫)

「山の民」に置き去られた赤ん坊。この子は村の若夫婦に引き取られ、のちには製鉄業で財を成した旧家赤朽葉家に望まれて輿入れし、赤朽葉家の「千里眼奥様」と呼ばれることになる。これが、わたしの祖母である赤朽葉万葉だ。 千里眼の祖母、漫画家の母、そしてニートのわたし。高度経済成長、バブル崩壊を経て平成の世に至る現代史を背景に、鳥取の旧家に生きる3代の女たち、そして彼女たちを取り巻く不思議な一族の血脈を比類ない筆致で鮮やかに描き上げた渾身の雄編。


本書は作者という過去から現代までを俯瞰できる能力「千里眼」によって綴られた日本の戦後史である。もちろんこれは物語の外側、読者側のメタ視点で考えた場合の「千里眼」なのだが、作中にもこの時間を超えて物語を俯瞰する「千里眼」を備えた登場人物が二人登場する。それが主人公の祖母・万葉と主人公の瞳子の二人。祖母の万葉はこれから起こる未来の出来事を、瞳子は既に起きた過去の出来事を予め知っている。創造主である作者と時代を超える登場人物たち、合わせて3人の「千里眼」の視点よって物語は「時代」を捉える。祖母たちの人生を辿りながらも「千里眼」によって視られるのは個人の生と死、家の物語、そして戦後から現代までの日本の、日本人の、女性の変遷が捉えられている。
本書で最初に衝撃を受けたのは第一部の万葉の出産シーンだった。未来を視る万葉は出産前に自分の子の人生の全てを先に視てしまう。ここには母としての圧倒的な悲哀があった。『まだ生まれてないのに。とつぜん死んだ。』。凄い文章だ。そしてそれを誰にも言わず胸に留めておく万葉の精神的な強さに頭が下がる。万葉の全てを「視た」上での生き方と、万葉のもう一つ前の世代である義母・タツの生来からの直感的な生き方の違いがまた一つ世代の違いを表しているように思えた。万葉とみどりの長く続く奇妙な友情が万葉の救いになったのかな。
第二部、毛鞠の章はまさに「漫画」的な展開。毛鞠の全速力の人生が物語を強く引っ張っている。万葉の子、瞳子の母である毛鞠は彼女たちとは違い、唯一「今を生きた」人なのかもしれない。毛鞠の牽引力の一方、宿命の子、毛鞠の兄・泪の耽美で悲壮な人生がヒリヒリと引き締めていた。みどりの兄といい本書では美しい男が早く去る。そして愛した者に去られた残された者たちが良い味を出す。
第三部では世代的に一番近い瞳子の描き方に感心した。あらゆる物の浮遊感はきっと誰もが感じているはず。過去から行き着いたのは集団から個の時代、そして共通の未来の喪失。瞳子が一人っ子というのもなかなか象徴的か。瞳子はすこしは「千里眼」というよりも、すこしは「夢見」かしら? 瞳子の父・美夫が目立たないながらも良い。彼も愛する者に先に去られた者だ。 第三部で突如、提示されるミステリ要素は、ミステリ読みには凡庸。むしろ謎自体よりも、第二部までの流れの中にミステリ要素を隠していた事に驚愕。推論の数々は面白いけれど、問題の提示とともに死亡者、動機、場所もピンとくる。しかし、ここですぐに解答を示してしまうと、ただでさえ薄い存在の瞳子の存在価値が益々減るので良しとしよう(笑) 瞳子の瞳が向く方向が過去から未来になるラストシーンには胸を打たれた。
しかし全体として圧倒的な時代の奔流が見えなかったという不満も残る。時代・世代を捉えているようで、作者の「千里眼」は表面を目で追っただけの浅薄な印象がある。リーダビリティの高さもキャラクタの濃さ(または薄さ)に依存している様に思えた。もう少し細やかなエピソードの積み重ねがあったらな、と欲深く思った。

赤朽葉家の伝説あかくちばけのでんせつ   読了日:2007年08月30日