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梨木スチューデント滞英録。ここに流れるのは豊かな時間、ここに広がるのは多様な世界。

春になったら莓を摘みに (新潮文庫)

春になったら莓を摘みに (新潮文庫)

「理解はできないが、受け容れる」それがウェスト夫人の生き方だった。「私」が学生時代を過ごした英国の下宿には、女主人ウェスト夫人と、さまざまな人種や考え方の住人たちが暮らしていた。ウェスト夫人の強靭な博愛精神と、時代に左右されない生き方に触れて、「私」は日常を深く生き抜くということを、さらに自分に問い続ける、物語の生れる場所からの、著者初めてのエッセイ。


1ページ目からの異国の雰囲気に私は戸惑う。知らない土地の名前、道路の名前、慣れない外国人の名前、それらがさも当たり前のように書かれていて、私の外国アレルギーが反応しそうになる。けれどここには押し付けがましさや、海外かぶれの自己顕示欲はない。見誤ってはいけない。ここに流れるのは豊かな時間、ここに広がるのは多様な世界。
本書は梨木さん初のエッセイで、彼女が20代のはじめに英国での暮らしを始めた時の、下宿の女主人・ウェスト夫人を中心に、彼女の博愛精神の下、世界各国から集まる個性が豊か過ぎる下宿人たちのエピソードが語られている。一つ目のエッセイでウェスト夫人と彼女の下宿の在り方を掴んで、そこから連想したのは梨木さんの小説で、私の大好きな『村田エフェンディ滞土録』だった。場所も英国とトルコ、流れる時間も100年違うけれど、本書と『村田』は同じ精神が流れていると考えて良いだろう。出版年月日や連載期間などの近さもあるが、何より『村田』の下宿先も女主人だったもの。
他の下宿では到底受け入れられない風変わりの人々を受け入れるウェスト夫人の下宿や、梨木さんが旅先で出会う人々との交流の中で、時には英国人同士でも、時折、文化の擦れる音が聞こえる。各人の人生のある程度まで一時も交わることのなかった者同士が、しかも互いにとっての異国の地で、一つ屋根の下で暮らすというのは多くの問題を孕むだろう。しかしウェスト夫人や梨木さんは静かにそれを受け入れる。その姿勢に敬服する。前述の『村田』では第一次世界大戦が、そして本書の後半では同時多発テロにより世界は国家や宗教の違いを鮮明にしていった。だが、時代の動乱の中でも彼女は彼女らしさを失わない。その生き方に、自分の持ち方を会得している人に私は強く憧れた。数年経過した後の結果論ではなく9.11の直後の手紙からこういう考え方が出来るのは本当に勇気があり、そして何より聡明なのだろうと感嘆する。小説上の、理想的な存在だけではなく、現実にこのような人がいる、という事実だけで胸が震える思いがした。
下宿に集う、または梨木さんの幾度の海外渡航の中で(お金持ち!と何度思ったことか)出会う人々の、様々なエピソードを紹介しながら、時折ウェスト夫人の人生も綴られていく。その中で私たちは彼女の生い立ちや父祖の話、宗教、離婚した夫とのエピソードなどを知っていく。本書の中心にいながらウェスト夫人に下宿の女主人以上の情報をなかなか得られないのは、決してもったいぶっている訳ではなく、彼女の人となりを十全に理解してもらおうという作者の意図なのだろう。それは本書のエッセイが、短い間隔で現在と過去が交互に語られる場合が多いのと似ている。慣れないと少し読みづらいが、その時間を超えた2つのエピソードが最終的に二重螺旋のように収斂し、テーマとなって現れていく様子に、作者の力量を見た。そうやって、情報を一方的に与えるのではなく、正しく理解できる筋道をつけようとするところに、梨木さんらしい真摯な表現方法を感じる。私が最初に感じた違和感も異文化に触れた感覚であり、やがてその感覚によって梨木さんを通じて様々な(理解できない言動も含めて)人に出会えたような満足感が生まれたのだった。
本書ではこれまで知りえなかった作者自身というものも少し見えた気がした。これまでの作者の作品で感じていた空気が、作者本人の周囲にも流れていて安心した。「子ども部屋」というエッセイのテーマの一つに「日常を深く生き抜く」という問題が提示されるが、梨木さんはこの問題を常に考えながら生きている。だから梨木作品の登場人物は一本筋が通っているのかと納得し、そしてそれが小説だけではなく作者の生き方そのものなのだと嬉しくなった。限られた空間や一つの事象から世界を俯瞰するような小説が描けるのは、梨木さんの会得した眼によるものだと分かった。梨木さん生来の気質もあるだろうが、もし英国での暮らしがウェスト夫人の下宿でなかったら、彼女の小説は今のような手触りではなかったかもしれない。そう思うと夫人に重ねて感謝である。

春になったら莓を摘みにはるになったらいちごをつみに   読了日:2013年05月05日