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皇国皇太子チャグムの誓い。安楽椅子探偵チャグムの冒険。チャグム、はじめてのがいこう。

虚空の旅人 (新潮文庫)

虚空の旅人 (新潮文庫)

隣国サンガルの新王即位儀礼に招かれた新ヨゴ皇国皇太子チャグムと星読博士シュガは、〈ナユーグル・ライタの目〉と呼ばれる不思議な少女と出会った。海底の民に魂を奪われ、生贄になる運命のその少女の背後には、とてつもない陰謀が―。海の王国を舞台に、漂海民や国政を操る女たちが織り成す壮大なドラマ。シリーズを大河物語へと導くきっかけとなった第4弾、ついに文庫化。


読むのすら惜しい大好きな「守り人シリーズ」第4弾。ただし今回はシリーズ本来の主人公である女用心棒・バルサは登場せず、新ヨゴ皇国皇太子・チャグムがメインに据えられている。作者曰く『チャグムが主人公となる物語は、シリーズの中では外伝という位置づけになる(文庫版あとがき)』ので、「〜の守り人」ではなく「〜の旅人」という書名が与えられているらしい。バルサと同じぐらい好きなチャグムの、成熟しぶれることのないバルサとは違う成長の喜びと、それと同時に増長の不安も感じるチャグムの姿はスリリングに映った。
本書はチャグムの「はじめての外遊・外交」である。といっても父帝の正式な代行である皇太子の立場で他国に向かうので一挙手一投足に気を配らなければならない。これまで描かれてこなかったチャグムの皇太子生活は、私たち庶民にとって、そしてバルサたちとの擬似家族の温かさを知っている読者には窮屈に思える。しかしチャグムは相談役でもある星読博士・シュガの下で着実な成長を遂げていた。このシュガもまたバルサとの出会いの中で世界の広がり(もう一つの世界や呪術)を知り、立身出世を目標にするだけの冷血漢ではないのが3年間の変化。この2人の心の通った関係性がなければ、今回の危機は乗り越えられなかったのではないか。
チャグムが招かれたのは海の王国・サンガルの新王即位儀礼。サンガル王国はチャグムの住む新ヨゴ皇国のある大陸の南の半島と島嶼部から成り立つ。この地理的な要因に起因する王国と国民性の関係性が考えつくされており、本書は南国特有の自由さを持ちながら、だからこそ脆い国民の結束がある者に付け込まれていく。民俗学の研究者である上橋さんの作品は登場人物のキャラクタだけでなく、その国の性格や生活、つまりは文化まで詳細に描写されているのが特徴だろう。世界観、という言葉はこんな時に使うのだろう。高貴な皇太子チャグムの活躍や王国の騒動を描きながら、その国の市井の人々まで描き切ってしまう筆力には感服するばかり。市井の人々の代表であり本書の陰の立役者が、一生を船の上で過ごす民<ラッシャロー>のスリナァである。彼女の双肩に過酷な運命と、そして国の滅亡回避の情報が重く圧し掛かり、時に潰されそうになりながらも、精一杯歯を食いしばって行動する彼女の姿は、身動きの取れないチャグムと対照的に物語に動きと、そして絶望の中での希望を与えてくれる。
そしてもう一人、重要な登場人物がサンガル国王の次男のタルサンである。同じ年齢であるが、次男であるために自由に生きることを許され、姉弟仲の良い彼にチャグムは羨望を感じながらも彼に親近感を抱き、そして彼を襲う出来事にその叡智を以って対処していく。タルサンとスリナァによって50ページに1度大きな驚きがあり、彼らを呑み込む黒い権謀術数に立ち向かう叡智の物語となっていく。他国の皇太子の手出しが憚れる状況の中、限られた情報・手駒で真相に近づくチャグムの姿はまるで安楽椅子探偵のようだった。その中でチャグムがシュガにそうで在りたい自分の姿を語るのをみて、またチャグムが好きになった。
皇太子としてのチャグムがシュガ以外には一挙手一投足に気を配っているのと同様に、作者の文章も一文一文心がこもっている。視線や表情の描写、言葉の選び方一つに人物の言い表せない心情が込められていた。特にこの3年間でチャグムが身に着けた所作や叡智など変化を見せるべきところでしっかりとそれが出せている上手さに唸る。もちろん彼の変わらない強さや優しさに溢れる場面にもホッとする。またタルサン(とその姉・サルーナ)との交流も、順を追って丁寧に互いの心を許していく様子が描かれていた。一方で思春期であろうチャグム、そしていい年齢であろうシュガが同伴する女性にドギマギするのには笑ったけど。
本書でチャグムは(最小限に止めたとはいえ)血のにおいを嗅ぐことになる。そして南方の大国からの侵略と戦争を予感する。終盤、新ヨゴ皇国の隣国の国王たちと対話し、策を講じる場面は今後の布石になるのだろう。「あらすじ」や「あとがき」にもある通り、本書ではこれまでのシリーズでは感じたことのなかった広大な物語への転換が予感された。チャグムは自国や、友人のいるこのサンガル王国を守るために、相手の策略を完全に見通す、今回以上の叡智を、争いの始まるまでに身に着けていなければならないのだ。成長と共に自国民のみならず、大陸全体の生活を守る責任も負うであろうチャグムを見守りたい。

虚空の旅人こくうのたびびと   読了日:2011年06月05日