- 作者: 田中啓文
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2008/07
- メディア: 文庫
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唐島英治クインテットのメンバー、永見緋太郎は天才肌のテナーサックス奏者。音楽以外の物事にはあまり興味を持たない永見だが、ひとたび事件や謎に遭遇すると、楽器を奏でるように軽やかに解決してみせる。逆さまに展示された絵画の謎、師から弟子へ連綿と受け継がれたクラリネットの秘密など、永見が披露する名推理の数々。鮎川哲也も絶賛した表題作にはじまる、日常の謎連作集。
ジャズのテナーサックス奏者・永見を探偵役とした、人の死なない「日常の謎」ミステリ。その中でもジャズをはじめ、文学・美術といった芸術分野での謎を扱った作品。本書の多くの作品では芸術家の魂や心がテーマとして取り上げられており、それを獲得しようと格闘する者、失ってしまい喪心する者、もう一度立ち上がろうとする者など、3者3様の心が見られる。そんな彼らの心の動きを、永見は何者にも縛られない自由な心で射抜いていく。ジャズ以外に知識も興味も持たない永見は物語にユーモアを与えてくれる。そんな彼を羨ましく思うと同時に、若い彼の魂がいつまでも自由に羽ばたける様に祈らずにはいられない。
ジャズ・芸術を扱う本書では、演奏や創作など芸術家として生き続ける苦悩も見受けられる。私には常に新しい自分を、新しいスタイルを提示し続けなければならないジャズという分野と向き合うのは非常に恐ろしい事に感じられた。だからこそ永見の才能の源泉が若さだけにあるのではと怖くなるのだ。あと信じるわけではありませんが、こんな人ばかりいるジャズ界ってろくでもないな(笑)
即興でフレーズを生むジャズを扱いながら本書は、とても水戸黄門的な勧善懲悪とパターン化に陥っていた。態度だけは大きい人間は懲らしめられる運命にあり、それが読了後に爽快感に繋がる。が、ミステリの爽快感は順を追って低下する。描きたかったのはミステリ < ジャズであろう作者に、ミステリのバリエーションなど念頭にはなかったのだろう。繰り返される自己模倣のフレーズはかなり残念である。
表題作を絶賛した鮎川哲也氏が1冊の本として纏められた本書を読んでどのような感想を持つのだろうか、と考えずにはいられない。
- 「落下する緑」…抽象画一筋50年の巨匠の新作が展覧会の目録とは天地を逆にして展示されていた。犯人の目的は…? 作者のデビュー短編作。良い短編は緊張感と濃度の高さが違う。探偵役の永見の発想法もジャズ的であり、即興と直感で人を見極める力が大層役に立っている。ただ敢えて苦言を呈せば、上記の通り作者にとってミステリのお手本がここに完成されてしまい、以降の短編はそのアレンジに過ぎないとも言える。引き出しは少ないのだが、それもまた本書でも頻出する、ジャズ奏者の抱える問題に通じているのかもしれない。
- 「揺れる黄色」…キング・オブ・ジャズ・クラリネットの称号と共に譲られたクラリネットが、持ち主の知らぬ間に他人の手に渡り…。この作品も好き。2編目にして早くも水戸黄門的な展開が完成し、一番嫌な奴が犯人という構図が出来上がっている。多くの作品がハウダニットなので問題はない。このトリックを使うことによりジャズ奏者の真髄を見せつつ、作品の後ろに流れる奥行きが感じられ、それが犯人の執念の深さとも重なるという天衣無縫のプレイが見られる。
- 「反転する黒」…偶然、撮影された写真の中に長年探していたジャズ界を大きく賑わした人物が写っており…。芸術家の苦悩の一編。謎の創出が苦しく、ミステリとしては際立った美点はない。本書がヒリヒリと痛いのは、ジャズ奏者や芸術家が常にその身一つで、更には自分でもどうしようもない部分をもって生きているからだろう。閃きを失う事の恐れ、過去の自分すら模倣するかもしれない恐れ、その恐怖との対峙を考えずにはいられない。
- 「遊泳する青」…未完となった時代小説家の遺稿が発見される。金銭面で困窮する家族の捏造とも考えられるが…。うーん、これはもう楽譜通りの演奏ではないか。作者が限界を知らない天才的プレイヤを描く事が苦痛に変わらないかと心配をしてしまう。真相を看破する永見のエピソードは面白さと強引さの比率が4:6ぐらいだろうか。更にその後のエピローグによりある人物を救っているのに好感を持った。好きこそものの、である
- 「挑発する赤」…悪評名高いジャズ評論家が、伝説のブルースシンガーを激怒させた理由は何か…。謎という謎が提示されていないかな、と思いきや一種の××トリックなのかしら。その為、音の聞こえるシーンが少なく、評論家の悪評ばかりが聞こえて耳障り。その分、勧善懲悪に一層スカッとするが。また3編目の感想文の続きになるが、自身に満足した時に腐る、というのは多分、本人はその臭いに気付かないのだろう。そこもまた恐怖である。
- 「虚言するピンク」…単行本書き下ろし作。1編目から順調に下降の一途をたどったミステリ度はここがボトム。ジャズ云々の前に言葉遊び、日本語のややこしさがテーマ? 日本の文化を学びたい日本愛に溢れる外国人という事で、連想したのは山口雅也さんの『日本殺人事件』。本編がこの作品に入っていても違和感がないだろう。
- 「砕けちる褐色」…持ち主が溺愛する三千万円のウッドベースが楽屋から持ち出され、発見して時には僅かではあるが破損していて…。容疑者候補とジャムセッションをして犯人を特定するのは本書ならではの場面だろう。卓越した演奏シーンに加えて、演奏スタイルによる性格分析までしてしまう一石二鳥のシーン。まぁ、あまり意味はなかったのだが…。真相も面白いアイデアで、他短編との類似性もなく、更には後味も悪くなくて掉尾に相応しいのではないか。