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贋作『坊っちゃん』殺人事件 (集英社文庫)

贋作『坊っちゃん』殺人事件 (集英社文庫)

教師を罷め東京に戻って三年、街鉄の技手になっていたおれのところに山嵐が訪ねてきた。赤シャツが首をくくったという。四国の中学で赤シャツは教頭、山嵐はいかつい数学の教師の同僚だった。「あいつは本当に自殺したのか」と山嵐は殺人事件をほのめかす。そして、一緒に四国に行くことになった。そこで待っていたものは……。日本文学の名作の裏に隠されたもう一つの物語。朝日新人文学賞受賞作。


シュリーマンダーウィンなど歴史上の人物を名探偵(役)に据える柳広司が今回、名探偵に指名したのは「日本文学史」上の人物。その名は「坊っちゃん(本名不詳)」。夏目漱石『坊っちゃん』のあの親譲りの無鉄砲青年だった…。
設定は真作『坊っちゃん』から三年後。ある日偶然、「山嵐」と再会した坊っちゃんは「赤シャツ」の死を知る。死亡日時は、あの「天誅」のまさにその日。彼の性格を痛いほど知る彼らは再び因縁の地に赴くが…。設定こそ三年後だが、追うのは過去完了形の事件。巧緻な模倣文体や真作エピソードの挿入方、書籍のレイアウトの工夫により、時間的そして空間的隔たりを感じずに、真作の続編を読んでいる錯覚に陥る。真作発表から約100年を経て、今、謎解きが始まる。
ミステリとしてはいまいち。真作にも登場する通称「ターナー島」という無人島で死亡した「赤シャツ」は果たして本当に自死なのか、それとも殺人かを見極めるだけ。謎自体に求心力はなく、トリックも目新しさを感じなかった。そもそも真作読者には、あの論理的思考が欠如している坊っちゃんに事件の調査・解決なんて土台無理な話と分かっている。しかし無鉄砲に行動した結果に辿り着いた、坊っちゃんの教師生活中の、この土地での出来事の側面には驚かされた。
真作の感想で私は『名作なのに隙だらけ』と書いたが、本書はその隙をしっかり埋めてくれる作品(飽くまで贋作だが)。真作が「問題編」で、本書は「解決編」という格好。が、問題文を読まないままでは解決も無かろう(作者は努力しているが)。
多少、設定が変更されているらしいが本書にあって真作にないものは「時代性」と「政治性」である。真作はそれらがないから今日まで広く愛され、本書はそれらを巧みに取り込むことで真作の隙間を埋め、解釈を施し、世界を四国の町から国家にまで広げる事を可能にした。それによって終盤は真作の持ち味である単純な善悪の構図は排除され、足元の覚束ない不安が増大した。『坊っちゃん』らしからぬ緊迫感の中、ラストの坊っちゃんらしい、単純明快な他人に惑わされず己の考えだけを貫く彼の選択に読者はホッと胸を撫で下ろす。
また本書は真作での不満も些かやり過ぎなほど解消してくれている。社会的制裁のなかった「赤シャツ」&「野だ」の悪党は、1人はこの世から去り、1人は正気を失っている。「山嵐」との再会など真作読者には何とも刺激的で魅力的なお話。どの場面も真作の要素を全て分解した上で、上手く再構成している。全てにおいて説明不足気味だった真作の合理的解釈(≒謎解き)という意味では柳広司こそが名探偵である。あの名作『坊っちゃん』を基点に予想外の場所まで読者を運び去る作者のアイデアは一読の価値あり。ラストは真作同様、少し物悲しい。

贋作『坊っちゃん』殺人事件がんさく『ぼっちゃん』さつじんじけん   読了日:2010年04月22日