- 作者: 北森鴻
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2001/02/15
- メディア: 文庫
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男子高校生が謎の焼身自殺を遂げた。数年後、作家・阿坂龍一郎宛てに事件の真相を追跡した手紙が、次々と送りつけられる。なぜ阿坂のもとに?そして差出人の正体は?阿坂は人妻のストーカーに付け狙われ、担当編集者は何者かに殺害された。すべてがひっくり返る驚愕の結末とは!?傑作長編ミステリー。
実は一番読みやすいミステリは「トリックが分かった!」と読者に先走らせる、思い込ませるミステリなのかもしれない。読者は自分の推理を確かめるため全速力で独走するからだ。もちろん結末が、その推理通りであれば失望されるが、読者の一歩先を行く結末を用意出来ればかなり感心される。読者に勝手に作品レベルを誤認させれば、期待以上のミステリと満足してもらえる作品になるのでは…?
本書がその例で勝手にレベルを定めて「トリックがバレバレだ…」と舐めてかかっていたら、終盤、頭の中で警告が鳴り響いた。「これはヤバイ!」
読了して、犯人の判明が事件の終結ではない事を痛感させられた。現実の事件には少しもカタルシスなんてないのだろう。作中の台詞を引用すれば『なんですか、犯人に手錠をはめることができないと、カタルシスがないというか、欲求不満が残るといいますか、複雑なものが残るんですが、仕方がありません』。この言葉は後に格段に重みを増す。他の場面でも何気ない言葉や挿話が、後で違う意味を伴って増幅される。その意味の違いを追う思考の輪が、やがてメビウスを描く。
物語というメビウスの輪をたどっている内に表面から裏面に変わる瞬間がある。例えば(→)探偵事務所の場面(←)は捩れた瞬間が見える顕著な例だろう。あそこで読者はもしや、これは!?とメタ視点でドキッとさせられる。またそれとは違う意味でも驚かされる。一つの事件を追っていたら違う事件の入口に立っているのだ。
しかし解説で明かされている、本書の出版が一度『編集者の独断により挫折』したという事実も頷ける。メビウスの輪が何重にも組み合わさり過ぎて、解くのが嫌になる知恵の輪状態になってしまっているのだ。少しずつ確実に理解しないと絶対に解けない。しかし、それをする読者は多くないのだろう。この解説、とても愛情溢れ、それでいて適度な距離感と洒落が散りばめられて大好きです。
エピローグは「ぼく」の高校時代最後の日で終わる。2%未満の集団を離れて新たな集団、それも価値感が似通った人たちとの今までとは違う集団への第一歩。その終わり方が清々しくあるのだが、また別の意味が伴い…。『狐罠』の刑事コンビが再登場。今回もネチネチ漫才で主人公を嫌な気分にさせてます(笑)
本書には幾つもの悲しみが存在する。例えば、(ネタバレ→)悲しい思いをするのは私ひとりでいい、と言った親が誰かの子を殺める事(←)や、(→)「ぼく」がそちら(天国)でキミに出会ったときには、高校生のままのキミよりも随分歳をとっているだろうから恥ずかしい、という手紙を「ぼく」は書いたが、結局「ぼく」はキミとそんなに歳が変わらない内に再会を果たしてしまう事(←)。人は自分が死ぬとは思っていない、という文章がまた重くのしかかってくるのだった…。