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少女漫画と小説の感想ブログです

愛着のあるキャラを誰一人 不幸にさせたくないので、誰か一人を幸せにしない。

ペンギン革命 7 (花とゆめコミックス)
筑波さくら(つくば さくら)
ペンギン革命(ペンギンかくめい)
第07巻評価:★★☆(5点)
 総合評価:★★☆(5点)
 

舞台『夢の階段』の主演は綾織。ヒロイン役は、涼と丘よう子のWキャストに決まり、舞台の会場である無人島での合宿が始まった。正真正銘の親子対決、綾織との喰うか喰われるかの大勝負! ピーコックの“祭”が再燃する!! そして今、ペンギンが羽根を広げ始めた。

簡潔完結感想文

  • 徹頭徹尾ドメスティックな話で感動ポイントもあるが失望も同等にある。
  • 涼も真も家族の情報を与えられず、思慕を社長が悪用してはいまいか。
  • 新章開幕と同時に終演。こうなったら また3人で同居から始めてみるか。

者は描きたいことは描いたが、読者は読みたいものが読めない 最終7巻。

『3巻』の感想で一度、本書はドメスティックな物語である と書いたが、丘よう子(おかようこ)の出現により いよいよ その色合いは濃くなった。

涼(りょう)が執拗なまでに芸能事務所・ピーコックで頂点を目指すのも、母親である丘よう子の覚醒のための越えるべきハードルだったからだ。そして真(まこと)もまた母親という存在への幻想や、家族として迎え入れてくれた涼と社長に報いるためであった。ピーコック自体が丘よう子の復活のための器であり、彼女の生存を継続させる手段であった。だから社長は自分の目で選んだ原石たちを、時に事務所内で摩擦を起こさせながら磨き上げていった。社長の目には「重力」に見えるスター性を高めることで、丘よう子の魂を現世に引き寄せたかったのだろう。

「家族」という一方向からだけ見ると本書は悪くない。ゆかり を含めて幼くして母に会えなくなった3人が家族を形成していく様子は心が温かくなったし、丘よう子のために全てを投げうつ社長の深い愛情に心打たれた。それぞれに心に穴を抱えながらも、彼らは その穴を埋めるために常に行動を続けていた。一緒に食卓を囲むこと、大切な人に手を伸ばすこと、その手に甘えること。そうやって家族を形成していく様子は確かに楽しかった。


、他の2点が本書は良くない。まずは演劇。作者は「才能もの」が描きたくて それを羽根に具現化した。作者としては悔いの残る連載だっただろうことは推測できるが、涼の成長のグラデーションを上手く描けなかったのは作者に原因がある。羽根で全てを解決してしまう演劇モノなんて誰も食いつかない。しかも涼は結局、親の七光りの二乗で、親から与えられたコネと才能で成長の階段をワープしたかのような動きを見せる。涼の才能をコントロールする手法も描かず、彼を無敵にしてしまった時点で演劇モノとして価値は無くなった。

途中の感想でも書いたが、涼(と真)が丘よう子の覚醒のための道具になったことも悲しい。また社長に主導権を握られることで ゆかり が傍観者となってしまい、『7巻』なんて「飯炊き女」でしかない。もしかしたら真を主人公にした方が良かったのではないか、と思うぐらい、ゆかり も涼も本書の主役になっていないのが残念だ。それもこれも作者の真の狙いが丘よう子の復活に あったからで、この構成で高校生たちは前座に成り果てた。

社長には愛情より狂信や狂気を感じる。息子たちに愛情を注いだことがあるのだろうか。

物語後半から社長の支配力が強すぎて、涼も真も彼の手の上で踊っている印象になってしまった。2人とも母に会いたい気持ちを社長に利用され、母に会えない日々を強制され、彼女のために厳しい世界に身を投じる。そして彼女の覚醒の道具となる。丘よう子が覚醒しても個人的に会話する機会さえ与えられず、更には彼女が もう二度と目覚めないかもしれない手術の事実すら教えられない。
これによって社長が、息子たちの母に会いたいという気持ちを利用する人間に見えるし、どこまでも独善的な男に見える。社長が愛するのは丘よう子ただ一人で、息子たちに愛情を注いでいる様子が見えない。それぞれ一人前の男として扱っているとも考えられるが、今生の別れになるかもしれないのに、それを教えない社長に傲慢さを感じた。無人島の改造や その島の丘よう子のための施設など、どれだけ会社の資産をつぎ込んでいるのか。社長のワンマン性が見え隠れする。物語終了後に社長が何を元手にして生活しているのかも不明だ。どんだけタレントから搾り取っているんだろう、とピーコックが悪徳プロダクションに見えてしまう。

序盤の事務所の内輪揉めも「祭り」のための布石だと考えられるが、その割には悪役になった人たちに救済がなく、祭りは中途半端な仕上がりになっている。厳しい実力主義も涼がコネとDNAでワープ移動したことで意味を失ってしまった。

また何年も昏睡していた丘よう子が踊り子という激しい動きをする役を こなせる訳がない、という余りにも現実を無視した展開を受け入れられなかった。


して恋愛。これに決着を付けないまま終わった。急に物語を畳まなくてはいけなくなり、はみ出してしまった部分なのかもしれないが、その割に悠長に合宿場面にページを割いたり、最終盤で真に恋愛フラグを立てたりしていてチグハグな印象を残す。

これは今回のタイトルにもしたが、作者が登場人物たちを愛するがあまり、誰も選ばないことで(作者を含めて)誰も傷つかないようにしたのではないかと思ってしまう。作品内の描写だと ゆかり・涼のカップル成立が自然だと思うが、そうすると一定期間の別れが不自然となり、その後の2人との合流など起こらなくなる。再び2人と一緒に歩き出すためには ゆかり は そのどちらも選んではいけなかったのだろう。作者はピーコックという事務所を物語の中心に据えたい意識の方が強く、恋愛要素は排除したのかもしれない。どちらとも「家族」であり続けるための苦肉の策とも考えられる。

これは消化不良と言えばそうなんだけど、『6巻』で提唱した丘よう子を中心とした過去の三角関係と、ゆかり を中心とした現在の三角関係が相似形を成すならば、結論が出ないことが救いのような気がする。ゆかり がどちらかを選んだ時点で選ばれなかった方が不幸になる。作者も そう捉えられてしまうのを防ぐために、誰も不幸にならない道を選んだ気がする。
そういえば安岡(やすおか)プロの社長は出てこなかったような。彼もまた丘よう子に対する未練を清算するために観劇しているはずなのだが。10年20年経ってもヒロインのことが ずっと好きな世界観は いかにも白泉社的な乙女趣味だと思う。

演劇の神髄や恋愛の結末など読者が望むものを描くことは避け、作者が自分の描きたいものだけを描いてきた本書。これでは読者の支持を得られないのは当然の結果ではないか。申し訳ないが私は、作者が気に入っているであろう羽根や丘よう子の出てこない世界の作品が読みたいと思った。この2つの要素が涼の段階的な成長を阻害しているように思えてならない。高校生3人組は可愛い存在なのに、実母だけでなく この世界の母である作者からも上手に愛情を注いでもらえなかったのかな、と可哀想な気持ちになった。


ナコから帰って来た ゆかり を見つけた奈良崎(ならざき)。だが彼は ゆかり と涼の間に これまでにない親密さを感じたようだ。最近、涼が輝きを増しているように、ゆかり も人として輝いている。でも それは奈良崎の影響ではないことを彼は本能で気づいているようだ(そこで諦めないの奈良崎なのだが)。

その2人の関係に入れないのは真も一緒。両想い寸前の彼らを見て胸は痛む。涼は そんな真の様子を見て ゆかり への特別な気持ちが彼に芽生えたことを感じ取る。

舞台「夢の階段」では、涼と真のダブルキャストではなく、涼と丘よう子のダブルキャストが実現する。涼は またも女性の役。作者がやりたかったのはラストの展開だから この母子が同じ役なのは決定事項なのだが、涼は真と演技対決をした方が読者は喜んだだろう。結局 涼は端役か主役しか演じておらず、彼の才能の伸びも分からないまま。
そして社長は この「対決」で丘よう子の勝利を確信している。また涼は母親が映画を見て覚醒したことについて考える。自分か真か、どちらの演技が彼女に作用したのか。自分に自信を持つためにも彼は挑戦し続けるのだろう。


画に続いて舞台「夢の階段」も事務所・ピーコック制作となるようだ。社長が選んだ事務所内の先鋭で舞台に望むのだが、その前に合宿を行う。場所は上演劇場でもある事務所所有の無人島。連載の残り回数を考えると、この合宿の前半は必要なかったような。全員の演技の底上げにしては即席すぎるし。

合宿の内容は漫画だから出来る荒唐無稽な内容。社長は商品であるタレントに大怪我をさせることも厭わない。むしろ殺しにかかっている。ギリギリまで追い込んでタレントの潜在能力を発揮させようという考えらしい。

この合宿で涼は真に ゆかり に対する想いを聞く。真は ゆかり は男性だと自分の心を偽る。だが家族である涼には真の嘘は伝わる。実際、合宿の中で、ゆかり が使っている風呂場に他のタレントが近づいたことを知り、涼も そして真も慌てている。涼は その対応の速さから真が ゆかり を女性だと知っていることを確信する。そして真がライバルになることで涼は自分の ゆかり への気持ちを鮮明に自覚する。

俺たちの戦いはこれからだッ!エンド。もしくは お前が、お前達が俺の翼だ!エンド。

から転落した ゆかり は丘よう子の療養のために作られた屋敷を発見する。丘よう子と会話を交わた後、続いて ゆかり は社長と話す。社長は丘よう子が舞台後に、頭にある腫瘍除去の手術をすると ゆかり に教える。過去の交通事故との関連は不明だが腫瘍が昏睡の要因の一つと分かり、成功確率は限りなく低いが丘よう子は舞台後に その手術に臨むことを決めた。社長も その意思を尊重するのは丘よう子との生活と彼女の芸能活動を望んでいるからだろう。

その重大報告に ゆかり は呆然とした状態となり、そのまま涼と真と合流する。滝の裏側に空間があると直感した ゆかり だが足を滑らせ、滝壺に落ちる。そこを涼に助けられ、2人は滝の裏側に出る。遅れて真も水面から顔を出す。
そこは天然の空間を利用した舞台となっていた。屋敷や合宿所、舞台、観客を迎える入港設備を含め、この島には いったい幾ら つぎ込まれているのだろうか。それほどまでに社長の舞台にかける執念は深い。


台の上演回数は3回。1回目は涼、2回目が丘よう子がヒロインを務め、3回目は観客の投票が多かった方が務める方式を採る。その母子対決に涼は目を輝かせ、そして母子に主役の座を奪われないため真は役作りに入る。涼は踊り子役のため、ダンスのレッスンから入る。自分を追い込むことで涼は磨かれる。そして真は羽の色を変えるほどの役作りを完成させた。ゆかり たちマネージャーは稽古に励むタレントたちを支えることを考える。後半はずっと ゆかり が二人三脚で涼と歩くのではなく、社長が作った道を涼が歩き、ゆかり は そのサポートしかしていないのが残念だ。

そして前日。3人は揃って砂浜に出て月を見る。ゆかり には涼と真、2人から手が差し伸べられ、ゆかり は左右それぞれに手を取る。本書において手を繋ぐと言うことは愛情が流れることを意味しており、これが ゆかり の現在の心境なのかな。この場で どちらかを選ぶなんて失礼極まりないのは分かるが、この場面で作者は最終回を前に恋愛的な決着は付けません、と言っているような気がする。


日。観客は豪華客船に乗って入島する。
初日のヒロインは涼。舞台の描写は駆け足で進み、いつもの通り、羽根の大きさでしか演技を表現しない。ゆかり から見ると今回の涼は丘よう子を凌ぐほどの羽根に見えた。

2日目のヒロインは丘よう子。ゆかり は涼と舞台装置を管理する場所から観劇する。丘よう子は自分の輝きだけじゃなく、共演者たちの輝きを増す力を持っていた。そこが今の涼との力の差なのだろう。その力量の差は明白で、2000人を超す観客が選んだのは丘よう子。その得票差は2.8倍となっていた。

そして3日目。丘よう子は2幕のラストで羽根が壊れる。ちょうどヒロインが倒れるシーンだったこともあり観客は異変に気づかない。この舞台では幕間で観客が移動することになっており、多少の時間は稼げるのもトラブルの回避に役立った。

丘よう子は危篤の状態からは脱したが命の危険は変わらない。そこで彼女は病院に移送されることになる。
彼女が舞台に立てなくなったことで3幕は涼に任される。涼は丘よう子から手を握られ、全てを託される。その瞬間、涼は自分の中の「少女」が母親からのプレゼントであることを理解する。そして彼は見事な羽を広げて舞台に立った…。


ストは いきなり10年後に飛ぶ。ゆかり は社会人になり、当初の目標通り立派な公務員となっていた。

そこから駆け足で この10年が語られる。舞台後、社長はピーコックを解散。タレントは各事務所に移籍。ゆかり は退職金をもらい、その時点で芸能界とは縁が切れる。そして退職する際に関係者に自分の性別を公表した。

10年後も奈良崎は ゆかり を嫁にしようと毎日のように職場に押し掛ける。丘よう子は手術後も眠り続け、社長は彼女を介護している。彼女が眠ることで、涼と真は仕事を頑張り続けることが出来るとも言える。
その涼と真は学校卒業後、海外進出を果たし活躍している。最後に新章開幕を宣言して、物語は終演する。

「おまけまんが」では新章の概要が描かれている。ゆかり に与えられた責務は大きいが、少なくとも お金の計算は出来るでしょう。代が変わってもピーコックは丘よう子を目覚めさせるために存在し、彼女が再び演技をする時の居場所として用意されている。10年間、絶えず研鑽を重ねてきた2人だから、彼女の目覚めは近いのではと希望的な観測を抱くことが出来る。今の2人で病床で絵本を朗読してみるといい。